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短編

 隣で眠っていた青年が起きる気配がした。一晩中腕の中にあった温もりが、ゆっくりと離れていく。目を閉じたまま一連の流れを感じながら、完全に相手が布団から去っていったところで、鷹峯は微かに息を吐き出した。
 耳に届く音を頼りに、彼が今着替えの最中であることがわかった。暫くし、横になったままの状態で、うっすらと瞼を持ち上げる。こちらに背中を向けたまま、上司であり、昨夜褥を共にした青年が、白いシャツに腕を通している姿が目に入ってきた。青年が、蒼世が動く度に、長く少し癖のついた淡い色の髪が揺れる。その髪がひじょうに手触りよく、色合いと同じように柔らかであることを、鷹峯はよく知っていた。
 シャツの裾をしまい、ベルトを締め、蒼世は鷹峯の視線の直線上にある鏡台の椅子に座った。櫛を手にし、自身の髪を梳かし出す。数回途中で手が止まっていたが、すぐに絡まっていた髪は解け、滑らかに櫛が通っていく。するする、するすると、上から下に落ちていく櫛は、昨夜の鷹峯の指の動きにそっくりだった。無意識のうちに、右手の指に触れた猫毛の感触がよみがえる。ひくりと、人差し指が震えた。
 ことんと櫛が台に置かれる。両の手を使い、蒼世は己の髪を一つにまとめて、頭上の高い位置に持ち上げた。指で飛び出した髪を整え、後れ毛を掬い上げる。その際、あらわになった項が、朝日に当たって白く輝いていた。その白い肌の、髪の生え際。よく注意して見ないと気付かない位置に、赤い花弁が散っていた。ただ一つだけ、鷹峯が刻んだ情交の名残だ。蒼世が気付いているのかは知らない。ただ、それをつけたのは彼が快楽に呑まれて果てる寸前のことだったから、意識を向ける余裕があったとは思えなかった。
 蒼世の指先が麻紐を取り、慣れた手付きで髪を結わえていく。以前何度か彼の髪を結わえる機会があったが、あそこまで綺麗に一つに結ぶことはできなかった。
「……いつまで見ているつもりだ」
 不意に、結い終わった髪を振りながら、蒼世がこちらを振り返った。言葉には非難の色があるのに、その瞳には不快そうな様子はない。
「いや、綺麗だと思ってな」
「何がだ」
「お前」
 蒼世の目が、僅かに細められる。鷹峯は緩慢な動作で立ち上がると、着流しの裾を直し、蒼世へと近寄った。未だ鏡台の前に座ったままの蒼世の背後まで行き、身を屈め、その項に口付ける。瞬間、蒼世の細い肩が跳ねた。
「……さっさと着替えろ。間もなく朝食の時間だ」
 肘で腹を押される。離れろと言外に告げる蒼世に素直に従い、鷹峯は軽い声音で返事をした。すでに隊服に着替え終わり、身支度を完璧に整えた蒼世に比べ、こちらはまだ寝間着のままだ。
 出そうになった欠伸を噛み殺し、箪笥へと足を向ける。ここは蒼世の部屋だったが、頻繁に訪れるため、鷹峯の衣服も何着かしまわれていた。時々、寝惚けた蒼世が間違えて鷹峯のシャツを羽織ることがあるのだが、ぶかぶかの袖を振りながら首を傾げていた時には、始業前にも関わらず、危うくそのまま布団に引き摺り込んでやろうかと思ってしまったものだ。
「先に、行っている」
 帯を解こうとしていると、後ろで蒼世がそう告げた。
「ああ、後でな」
 振り返るや否や、蒼世はこちらを見ることなく部屋を出て行った。淡泊とも取れる行動だが、それが彼の常なので、特に意に介さない。一緒に食堂まで向かうという選択肢がないのは、“一応”二人の関係が他の隊員には隠されているものだからだ。とは云え、厳密には鷹峯も蒼世も本気で隠すつもりはない。隠すつもりなら、他の隊員もいる寮で、事に及んだりはしないだろう。だから、隠していると云うよりは、あえて言葉にして知らせていないという方が正しい。恐らく、ほとんどの隊員は察しがついている。何も知らないのは、一番後輩の青年だけだ。
「……急ぐか」
 先に行っていると云いながら、鷹峯が極端に自分より遅く到着すると、あの上司は途端に不機嫌になる。そうなると、機嫌を取るのはなかなか骨が折れるのだ。
 濃紺の隊服に着替え、先程まで蒼世がいた鏡台の前に腰を下ろす。ふと見ると、台の上に一本の髪の毛が落ちていた。摘み上げ、光に当ててみると、それは金色に輝いた。口元が緩む。指を離すと、髪の毛はゆらゆらと宙を漂い、そして空気の中へと溶けて消えていった。






2016.05.22
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