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短編

 12歳上の恋人に最後に会ったのは、もう三週間も前のことだ。
 仕事が忙しいからと直接会えなくなり、もとから少なかった電話やメッセージの数が減り、ついには相手からの連絡が完全になくなった。
 一方の鷹峯は大学が夏休みに入り、片付けなければならないレポートや論文の準備はあるものの、自由な時間は充分にあった。休みに入る前は相手の都合がつく限り恋人と過ごすつもりでいたので、友人たちからの旅行の誘いは断っていた。しかし、その恋人とも会えない日々が続き、落胆する気持ちを抱えたままアルバイトに没頭した。

「一応、メッセージは読んでんだよな……」
 夜、自宅アパートのベッドの上。横たわりながら連絡用のSNSアプリを開き、メッセージ横についた既読の数々を眺める。返信は一週間前のものが最後だったが、その後も鷹峯が送ったメッセージに目を通してはいるようだ。返事がないのは今までも何度かあったので、特に気にしていない。しかし、会えない寂しさともどかしさはどんどん積もっていった。
「もう一ヶ月は抱いてねぇぞ……くそ」
 最後に会ったのは三週間前。しかし、その時は食事を共にするだけで、すぐにそれぞれの帰路についた。彼を抱いたのは、それよりさらに一週間前のこと。だから、一ヶ月間お預けを食らっている状態だった。
 鷹峯はまだ二十歳だ。成人したとはいえ、余りある性欲は高校の頃から衰えようとしない。コントロールできるだけであって、許可さえおりればいつだって爆発しそうなほどに欲求は膨らんでいる。恋人を思い浮かべて己を慰めても、結局虚しさに項垂れるのがオチだった。
 次はいつ会えるのだろう。
 声を聞きたい。目を見て、話をして、そしてその体を抱きしめたい。
 強い思いが一気に押し寄せてきて、鷹峯は呼吸の仕方すら忘れそうになった。
 深く息を吐き出す。目を閉じ、ベッドに全体重を預けた。
 その時だった。手にしていたスマートフォンが震えたのは。
 緩慢な動作で眼前にスマフォを掲げ、画面を見る。先程まで開いていた恋人とのメッセージのやり取りが再び鷹峯の目に入る。だが、そこには新しく、たった今届いたばかりのメッセージが表示されていた。
 鷹峯は飛び起きた。それは、間違いなく恋人から送られてきたものだった。
『連絡ができず、すまなかった。仕事が一段落したので、明日から連休をもらった。今夜は自宅に帰らず、ホテルに泊まる。暇なら、来い』
 相変わらず簡潔で、冷たささえ感じるほど無駄のない文面だ。だがその内容は、鷹峯を激しく揺り動かすには充分なものだった。
 恋人が宿泊するというホテルの名前と部屋番号が最後に送られてくる。あまりホテルを利用する機会のない鷹峯でも、そのホテルのことは知っていた。自宅の最寄り駅から二駅先にある高級ホテルだ。新幹線のホームがある駅に隣接しているため、国内海外問わず旅行客が多く利用している。見上げるほどの高さの建物は円形状で、他に高層のビルがない周辺では一際目を引く。
 そこに、彼がいる。
 いても立ってもいられず、財布とスマフォだけポッケに突っ込むと、鷹峯は駆け足で家を出た。


 恋人の部屋は、28階にあった。
 音もなく上がり、振動もなく止まったエレベーターをおり、柔らかな絨毯の敷かれた廊下を早足で進む。
 心臓は高鳴り、肌はしっとりと汗ばんでいた。走ってきたせいで、いつもはかき上げて固めている髪の毛も、ほとんどが顔の上に落ちていた。久しぶりに恋人に会う格好としては、相応しくないようにも思える。しかし、鷹峯にはそんなことに頓着している余裕がなかった。
 2807。恋人が提示した部屋番号を確認し、ボタンを押してベルを鳴らす。少しの間(ま)。扉の向こうで人の動く気配がし、そしてドアが開いた。
「来るなら来ると、そう一言返事を寄越せ。馬鹿が」
 ああ、そういえばホテルに行くと返すのを忘れていた。
 そんなことを頭の片隅で考えながら、扉が閉まるよりも早く、鷹峯は恋人の体を抱きしめていた。


 ジャケットだけを脱ぎ、ネクタイはつけたままのスーツ姿の彼を腕に閉じ込めて、言葉を口にするより先に唇を奪った。
「っ……ん」
 細い腰を支え、もう片方の手で相手の後頭部を掴む。触れるだけ、啄むだけの口付けを何度も繰り返す。突然の鷹峯の行動にも関わらず、彼は抵抗する素振りもなく答えてくれた。
「会いたかった……」
 蒼世。そう名を呼び、彼の肩に額を押し付ける。
 溜息をつく音が聞こえた。
「……一度離せ。ちゃんと顔を見せろ」
 低い声がゆっくりと囁く。鷹峯は名残惜しく感じながらも、蒼世を離した。
 蒼世の身長は鷹峯よりも低い。少し下にある鋭い瞳と目が合う。金に近い茶色の髪。細い体。真っ直ぐ見上げてくる視線。
 ああ、蒼世だ。
 改めて目の前にいる恋人の存在を実感し、鷹峯は歓喜で身震いした。
 蒼世の指が鷹峯の頬に触れる。その指先が汗をそっと拭い、顔にかかった前髪を払った。その瞬間、自分も蒼世の髪に触れたくなった。柔らかな髪に指を差し込み、首元まである髪を梳く。蒼世が目を細めた。
「鷹峯、明日の予定は?」
「……休みだ。だが、明後日は夜からバイトがある。もっと早く知ってれば、休みにしたのによ」
「そうか……」
 蒼世の指が肌の上を滑り、首筋を通って胸元まで到達する。ちょうど心臓の上に手のひらをのせ、蒼世は一歩、鷹峯に近付いてきた。蒼世の香りが強くなる。目眩がするほどの情動に襲われ、鷹峯は拳を握った。
 そんな鷹峯を挑発するように、蒼世はいつになく艶めいた声で、云う。
「……昔からそうだ。お前が私の髪を触る時は、決まって欲情している時だった」
「っ、昔からって、俺がお前と付き合いだしたのは半年前だろ」
 髪を触ることを許可されたのは、恋人になってからのことだ。昔というほどのものではない。そう言外に告げる鷹峯に蒼世は何か云いたげに眉をひそめ、しかし静かに頷いた。
「…………そうだな」
 蒼世が目を伏せる。たったそれだけの仕草なのに、蒼世がするだけで、どうしてここまで心が揺さぶられるのだろう。静謐のような色香に、鷹峯はたまらず息を呑んだ。
「でも、まぁ、その通りだけどな」
 未だ胸の上にある蒼世の手を掴み、その指先に軽く噛み付く。どうしようもないほど若い熱のこもった眼で見詰めれば、蒼世はじっと鷹峯を見詰め返してきた。そして、ふっとその唇が笑う。
「許可してやる。抱け」
 その一言が空気を震わせた刹那、鷹峯は蒼世の腕を引き、ベッドへと押し倒した。
 後はただ、求め合うのみ。
 
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