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短編

 安倍蒼世は猫だと思う。
 犲という部隊を率い、自らを国を守る番犬であると口にする彼だが、その性質はどちらかというと猫に近い。
 生まれ育った家の近所には、数匹の野良猫がいた。近くの雑木林に住み着いているらしく、そこを子供の頃遊び場としていた鷹峯は、よく猫達と遭遇した。黒猫もいれば、茶色い猫もいた。並の子供と同じように動物への好奇心を持っていた鷹峯は、いつしか猫に会うために雑木林を訪れるようになった。その猫達と会うのが、日々の中で一つの楽しみになっていたのだ。時には観察し、時には近付き、逃げる彼等を追いかけ回す日もあった。そうして分かったのは、猫という生き物はかなりの気紛れであるということ。触れようとしたら凄まじい剣幕で威嚇され、かと思えば翌日には自ら鷹峯の膝に身を横たえる。同じ猫なのかと疑ったことは一度ではない。それから、こちらの予想もしないことで機嫌を悪くする。これも気紛れゆえなのかもしれないが、何にせよ、鷹峯としては予想もできない猫達の行動に翻弄されっぱなしだった。そして、幼い頃の経験から導き出したのが、冒頭の結論だ。
 
 じっと、横から視線を感じる。恨めしそうに眉をしかめ、こちらを見る男の顔が、視界の端に映る。しかし、鷹峯は気付かぬふりをした。
「それで、明日の休みはまた朝からその飲み屋まで行くつもりか?」
 向かい側のソファーに座る犬飼が尋ねる。
「ああ。京からだとそこそこ距離あるから、朝行かねぇと、帰ってこれないんだよ」
「朝からって、また昼間から飲むつもりなの?」
 佐々木妃子の呆れた声が云った。聞き慣れた小言に、いつものように苦笑気味に笑って応える。妃子の口から溜め息が落ちた。彼女は鷹峯達に背を向けると、窓際に座る上官へと告げた。
「それじゃ、私はお先に」
 辺りはすでに日が落ち、窓の外はすっかり夜を迎えている。時計を確認すれば、いつもの退勤の時刻から、少しばかり針が動いていた。もうそんな時間かと、妃子を皮切りに、隊員達が帰宅を始める。帰る場所はみな同じく犲寮なので、また後ほど夕飯の時に会うことになる。そのため、別れの挨拶はさらりと交わされていた。最後に残ったのは、犲の隊長である男と、副隊長である自分だけ。
「おい」
 他の者がいなくなり、数秒。立ち上がった鷹峯の背中に、低い声が届いた。不満を隠すことなく滲ませた声音に、口角が上がりそうになる。そんな表情を引き締め、鷹峯は振り返った。
「どうかしたか、隊長」
 素知らぬ顔で訊けば、蒼世の目元が険しくなる。それは、犲隊長として職務で見せる険しさとは違う。怒っているというよりは、拗ねていると云った方が適切だ。それでも、全身から溢れ出る殺気は、紛れもなく本物。
「………」
 蒼世は何も云わない。ただ鷹峯を睨んだまま、物言いたげに目を細める。その視線が何を訴えているのか、鷹峯には簡単に察しがついた。それでも、何も分かっていない素振りで目をそらす。
「用がないなら、先に行くぞ」
「…っ」
 瞬間、蒼世の殺気が膨れ上がり、そして弾けた。だんっと机を叩く音がし、蒼世が目の前まで来る。焦燥へと変わった苛立ちに顔を顰め、蒼世の舌が小さく鳴る。悠然と構えていると、胸倉を掴まれ、下から強く引っ張られた。乱暴なくらいの勢いで、唇が重なる。 今日は、やけに素直だ。
 僅かに背伸びした状態で口付けてくる蒼世を、うっすらと開いた眼で見下ろす。
 蒼世が、こうして自ら鷹峯に触れてくることはめったにない。彼はいつも、鷹峯の方から行動を起こすのを待っていた。話しかけるのも、蒼世の機嫌を取るのも、手を伸ばすのも鷹峯の役目だった。いつの間にか、それが当然のことになっていた。厄介なのは、蒼世が何を欲しているのか見定めなければならないことと、どんなに忙しい時でも二人きりの時間を作らなければならないことだ。それを怠ると、夜が来る頃には蒼世の雰囲気は恐ろしいものになる。特に、明日は滅多にない、二人の休みが重なる日だった。そんな日に、鷹峯が自分を放ったらかして飲みにいくと公言すれば、じっとしてはいられないだろう。鷹峯の思ったとおり、今の蒼世はまさにそれだ。
「…っん」
 後頭部を手で抑え、腰に腕を回す。触れるだけの口付けから、徐々に深く奪うものへと変えていく。舌を絡めれば、主導権は完全にこちらのものになる。息を乱しながら、自分に縋り付く蒼世に気を良くし、鷹峯は満足気に細い背中をなぞった。
 蒼世の希望を叶え、彼に奉仕することに対しては、何ら負の感情はない。むしろ、楽しんでる節もあった。しかし、それでも時には彼の方から求められたいと思うことがある。自分から、何をして欲しいのか口にしてほしい。構ってほしいというのなら、たまにはそう言葉にしてくれてもいいだろう。だから、鷹峯は時折、わざと蒼世との時間を設けないことがある。どんなに非難の眼差しを向けられても、徹底的に無視をした。そうすれば、耐え切れなくなった蒼世の方から行動に出る。それこそ、飼い主に遊んでもらえず、ちょっかいを出す猫のように。

「ぁっ、く…っ」
 蒼世の背中をドアに押し付け、その隊服を乱していく。シャツのボタンを外し、その素肌に手袋をはめたままの手で触れる。皮膚の上を撫でると、ひくりと薄い腹筋が震えた。
「明日」
 耳に顔を近付け、囁く。蒼世の目がこちらを向くのが分かった。
「明日、前にお前が気にしてた茶屋にでも行くか」
「っ、飲みにいくんじゃ…なかったのか」
「一人で行ってもいいのか?」
 自分で口にしておきながら、ずるい物云いだと思う。あくまで、蒼世から決定の言葉を引き出そうというのだから。蒼世の目付きが、キツくなる。
「いい、身分になったものだなっ」
「たまには、いいだろ?」
 蒼世の弱い首筋に口付ける。息を呑む音がし、彼の足から力が抜けていった。その体を支え、蒼世の顔を覗き込む。
「で、どうする?」
 重ねて問えば、蒼世は悔しげに歯軋りした。涙で潤んだ瞳が、真っ直ぐこちらを見上げてくる。
「…お前は、私に構っていればいいっ」
「…仰せのままに」
 口元が緩む。二本の腕が首に回り、引き寄せられるままに唇を啄んだ。
「ん、っぁ…鷹、峯」
 甘ったるい声で名前を呼ばれる。それは、これ以上の行為を強請る蒼世からの合図だ。さすがに、執務室で最後までするのは気が引ける。ソファーしかない室内で、蒼世が満足いくまで抱いてやれる気もしなかったので、鷹峯は場所を変えるために体を離そうとした。しかし、それを蒼世が引き止める。
「っ、ここでいい…」
「本気か?」
「私が、いいと云ってるんだ」
 早くしろと、蒼世は自身の手で結えられていた髪を解いた。ふわりと広がった髪と香りに、脳髄が揺らされる。少し癖のついた髪を撫でると、蒼世は嬉しそうに喉を鳴らした。

 部屋の鍵はかけておこう。空気を読めない後輩が、自分達を夕飯に呼びに来るかもしれないから。
 




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