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その後の話

 鷹峯が蒼世と初めて二人きりで飲み屋に行ったのは、大蛇討伐後のことだった。
 季節は秋。十月の暮れにあった蒼世の誕生日に、めでたい日だからと鷹峯が飲みに行こうと彼を誘った。
 それまで仕事を含めても、蒼世と“サシ”で飲むことはなかった。元々蒼世は酒を滅多に嗜まない。そのため、彼から声が掛かることはまずなかった。鷹峯から蒼世に誘いをかけたことは何度かある。しかし、その度にやんわりと断られていた。そういう経緯もあり、また蒼世が酔いやすい体質であることを知ってからというもの、ここ数年は自然と“蒼世と酒を飲む”という考えは頭から消えていた。
 だから、誕生日という祝い事がなければ、蒼世と向かい合って飲み屋に座る機会など得られなかったかもしれない。そして今夜も、こうして彼と同じ時間を過ごすことは叶わなかったことだろう。
 一度経験したことで互いに遠慮がなくなったのか、それから鷹峯は何かと暇を見つけては蒼世を飲みに連れ出すことが増えた。そして蒼世も、酒は左程好きではないだろうに、都合さえ合えば鷹峯の誘いにのってきた。鷹峯と蒼世の飲酒量は違うし、体内に収めていく早さも違う。好みも異なれば、酒の楽しみ方も対称的だった。
 鷹峯は基本的に、騒いで楽しむ酒が好きだった。いつもより心が高揚するのを感じながら、会話をするのが何よりの娯楽と思っている。だが、蒼世は決してそうではない。酒の席に限らず、彼は静かに穏やかに言葉を重ねることがほとんどだ。
 そんな二人だったが、共にいて苦痛に感じることは全くといってなかった。少なくとも、鷹峯は。
 長年、犲の隊長副隊長として隊を支えてきた間柄だ。彼との距離の取り方や接し方は熟知している。双方が不快にならずに済む空気の作り方も、鷹峯は心得ているつもりだ。楽しいのか、怒っているのか、退屈しているのか。相手の感情の機微は、だいたい顔を見て声を聞けば察しがつく。勿論、時には何を考えているのかさっぱり分からないこともあるが、それは他人同士なのだから当然だろう。
 そして何より、昔馴染みでも同志でもない、違った関係を持ったことが、彼との空間に花を添えていた。
 端的に云えば、それは体の関係だ。上官と部下の立場が事実上消滅した後に、鷹峯は酒の勢いもあって、蒼世を抱いた。惚れていたわけではないはずだ。それにも関わらず、酒に酔った蒼世の溶けるような眼差しに心を掴まれ、情事にまで及んでしまった。
 “責任は取る”と鷹峯が蒼世に明言したのをきっかけに、二人の関係は劇的に変わった。恋仲、と呼ぶには甘さが足りない気もするが、それが最も適切な表現であることは間違いない。
 そして今日、犲解散のための後始末を終え、鷹峯は蒼世を伴って馴染みの飲み屋に顔を出していた。
「おお!鷹峯の旦那じゃねぇか!久しぶり!」
 店の隅にある席に蒼世と座っていたところ、見知った男達に声を掛けられた。たった今この店に入ってきたばかりだが、すでに他の店で一杯やってきたらしく、全員顔が赤らんでいる。誰が見ても分かる、酔っ払いの集団だ。
「久しぶりだな。って、お前らどんだけ飲んでんだ。酒くせぇぞ」
「何云ってんだ。いつものあんたの方がよっぽど飲んでんだろ」
「てか、俺達まだ飲みたりねぇし!」
 連れがいるにも関わらず、鷹峯の隣に腰を下ろすと、男の一人が机にあった徳利を口へと運ぶ。
「なんだこれ!空じゃねえか!」
「何俺の酒に手を出そうとしてんだよ。もういいからあっち行け!」
 男の肩を軽く小突く。蒼世のことを考えれば、もっと強くどこかに行かせるべきなのかもしれない。しかし、鷹峯もすでにそこそこ酒が回ってきているせいで、男達との軽いやり取りに歯止めがかけられなかった。中身のないような他愛もない言葉の応酬が楽しい。それでも、アタマの片隅に残る理性が、これ以上は蒼世との時間を邪魔されたくないとはっきりと決断を下した。
「もういいから、お前らはあっちで騒いでろ。連れがいるんだよ」
「あ…ほんとだ。すんません。お邪魔しましたー」
 ようやく蒼世の存在に気付いたのか。男の一人がぺこりと頭を下げると、仲間達も口々に謝り出す。本当に申し訳ないと思ってるのか疑わしい、飄々とした口振りだ。
 男達が去ったところで、鷹峯は正面に座る蒼世に向き直った。
「悪いな」
「いや、もう慣れた」
 気分を悪くしただろうかと窺えば、意外なことに蒼世は口元をうっすらと笑みの形にしていた。酒のせいで赤みがかかった頬と相まって、とても幼く見える。
「そういや、初めてここに連れてきた時も、絡まれたっけ」
「ああ。別の者達だったが」
「うるさい奴らばかりで呆れてるだろ」
「…そうでもない」
 それもまた、予想外の答えだった。
 手に持っていた御猪口をゆっくりと置き、蒼世は伏し目がちになる。彼が何か続けようとしていることが見て取れたので、黙ったまま蒼世を待った。
「俺は酒を飲んでも賑やかな振る舞いはできないが…お前が笑いながら、楽しそうに酒を飲んでる姿は、見ていて楽しい…」
 そう云って、蒼世は笑う。無意識だろう、合わせるように首を傾けたせいで、夏より短くなった髪がさらりと落ちる。
 突然平手打ちを食らったように唖然としていると、目が合った蒼世が不思議そうに反対側へと首を倒した。
 前々から思っていたが、蒼世という男は酒が入ると常より表情が柔らかくなる。切れ長の目が眠たそうに蕩け、その全身が僅かに無防備になる。おそらく、少量の酒しか飲んでいない現時点で、多少なりとも酔っているのだろう。
「…それは、初耳だ」
「云っていなかったからな」
「お前は、本当に…」
 長い付き合いだが、蒼世はいつも不意打ちのようにこちらの心を掻き乱す。予想もしなかった彼の心の内側に、鷹峯は額を抑えて自身を落ち着かせるしかなかった。
「ああ、くそっ」
 思わず舌打ちする。
「…何をそんなに苛立っている」
 むっとしたように唇を尖らせる蒼世。その顔さえも、子供のように見えた。
「そうじゃねぇよ」
「だったら、なんだ」
「…可愛い」
 真っ直ぐ目を見て、囁くように告げた本音に、蒼世の動きが数秒止まる。鷹峯に何を云われたのか理解したらしく、暫くして蒼世の口がわなわなと震え出した。
「っ、馬鹿かっ」
「ああ。もう馬鹿でいい」
 何とでも云えと、投げ槍気味に返す。今なら何を云われても、きっと可愛いとしか思えない自信があった。
「…帰るぞ」
 見詰める鷹峯の視線に耐え切れなくなったのか。蒼世が立ち上がった。慌てて鷹峯も腰を上げて、勘定を済ませると、先に外に出ていた蒼世を追った。
 店を出ると、そこには蒼世が立ち止まって鷹峯を待っていた。てっきり置いてけぼりにされるかと考えていたので、安堵する。
「蒼世」
 名前を呼んで、後ろに立つ。返事はなかったが、顔を耳元に近付けると、びくっと肩が跳ねた。
「今夜、抱くからな」
 直に耳に声を吹き込む。途端に震えた体が愛しくてたまらない。鷹峯は蒼世に見えない位置で、こっそりと表情を緩める。
 惚れていたわけではない。それでも、今ではどうしようもないほど、この青年に心奪われていた。



2016.1.23
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