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2【黒炎王と紫毒姫】



 古代林で二匹の大型モンスターに遭遇し、ベルナ村へと帰還してから二週間。すっかり体調を取り戻した蒼世は、寝たきりで鈍った体を鍛え直すため、龍歴院特製訓練クエストを受注していた。
「お疲れ様です、蒼世さん。そろそろ終わりにしましょう」
 闘技場を模したフィールドに、耳慣れた研究員の声が響く。蒼世はそれに頷き、ゲートを通って外へと出た。
「調子はどうですか?見たところ、だいぶ動きは滑らかになってましたけど」
 研究員の一人、芦屋はそう口にしながら、蒼世にタオルを差し出した。ふわふわとした白い毛は、ムーファの物。ベルナ村の特産品の一つだ。
「悪くはない。が、まだまだ頭で思い描いたスピードよりも、体の反応が遅い。荒療治かもしれないが、少し訓練のレベルを上げてもらいたい」
「了解です。では、次はそうしましょう」
 芦屋が、手にしたボードに記入していく。それを何ともなしに眺め、蒼世は汗を拭った。後頭部で一つに結わえた髪が揺れ、雫が飛ぶ。
「それじゃ、今日はこれで」
「ああ。礼を云う」
「何を。我等のハンター殿の頼みとあれば、幾らでも聞きますよ」
 おどけたように笑う芦屋に、蒼世も口元を緩める。
 糸のように細い目と、口元を覆う布のせいで、出会った当初は胡散臭い印象を覚えた男だ。しかし、今となっては、この芦屋は龍歴院の中で最も関わりの深い存在となっていた。蒼世の力を認め、信用し、望めばあらゆる情報をこちらに流してくれた。お陰で、随分と組織内でも動きやすくなっている。
「あ、そういえば、“旦那さん”がさっきお迎えに来てましたよ」
 ピクリ。耳に届いた“旦那さん”という単語に、蒼世は動きを止めた。笑みが口元から消え、それなりに和やかだった空気が凍り付く。しかし、芦屋は一切気にする様子もなく、続けた。
「どうやら今日、古代林の調査から戻ったようですね。お土産に、特産ゼンマイを持って来てくれましたよ」
「芦屋」
「ちなみに、もう少し時間がかかりそうだと云ったら、アイルー屋台で待つと伝言を預かりました。結構待ってるようなので、早く行ってあげて下さい」
「芦屋」
 名を呼び、怒りをあらわに睨みつける。それまで飄々としていた芦屋だが、さすがに気まずそうに眉をしかめた。
「その、旦那というのは止めろと、前にも云ったはずだ」
 手にしたタオルを握り締める。さすが、ベルナ村のムーファの羊毛。どれだけ力を込めても、全く痛くない。
「え?でも、皆そう呼んでますよ。お二人は最近、一緒にいることが多いですし」 
「私達は男同士だ。婚姻関係にはない。恋人ですらない。そもそも奴と出会ってまだ数週間だ。一緒にいるのは、奴が私にまとわりつくからだ。よく知らない相手と、夫婦扱いされるのは迷惑極まりない。だいたい、なぜ私が奴と」
「そりゃ、貴方方が使っていた装備が、番(つがい)であった紫毒姫と黒炎王の物だからじゃないですか?」
 芦屋の言葉に、蒼世はまさに今自分が身に着けている防具に目を落とした。紫毒姫、それは陸の女王と呼ばれ恐れられるリオス科の雌・リオレイアの特殊個体の呼び名だ。通常の個体とは異なる姿、能力、生態を見せ、その力は他のそれを凌駕する。十ヶ月ほど前、渓流に現れ、猛威を振るった紫毒姫の狩猟を任されたのが他ならぬ蒼世だった。そしてこの防具一式は、その際剥ぎ取ったリオレイアの素材から作られた物だ。そして、そのリオレイアには番となる相手がいた。それが、同じく二つ名を冠するリオレウス、黒炎王だ。自分の領域を荒らされた上に妻を殺された黒炎王は怒り狂い、近隣の村へと急接近した。しかし、黒炎王が近付いているという情報が龍歴院にもたらされたのは、既に肝心のモンスターが討伐された後のことだった。当時、蒼世は黒炎王が誰に狩られたのか知らなかった。そのことを聞かされたのは、つい一週間前。ようやく一人で動き回れるようになり、龍歴院の院長を訪ねた時のことだ。
「これも何かの運命なのかね。紫毒姫の装備を纏ったアンタを、その番だった黒炎王の装備を身に着けた鷹峯殿が助け出したとは」
 驚いたのは、蒼世だけではなかった。なぜか共に龍歴院までついてきていた鷹峯も、寝耳に水といった顔で、暫し呆然としていた。しかし、この男。蒼世よりも早く冷静さを取り戻すと、何気ない顔でとんでもないことを口にしたのだ。
「なら、俺がお前に惚れたのも、運命だったのかもしれないな」
 あの時の空気。今思い出しても、ダイミョウサザミの如く地面に埋まってしまいたくなる。その場にいた全員、オトモの二匹と院長に主席研究員。みなが面を食らい、暫し時が止まったかのように静まり返った。
「っ、貴様は何を云っている!」
「何って、告白」
「寝ぼけたことをっ!」
「云っておくが、寝ぼけてないし、冗談でもないからな。俺は、好きでもない奴に口付けるほど、物好きじゃない」
 するりと、鷹峯の親指が蒼世の下唇をなぞる。口付けられた時の感触が蘇り、すぐには動けなかった。振り払う前に、鷹峯の指が離れていく。
「そういうわけだから、ギルドマネージャー。俺は暫く、ベルナ村に滞在する。依頼があれば、云ってくれ」
「それは、こちらとしても願ったり叶ったりだよ。蒼世殿が動けない今、アンタの力を借りられるのは大きいからね」
 そういわけだから、とはいったいどういう意味だ。ベルナ村に残る?この男が?
 疑問がいくつも頭を駆け巡ったが、どれから問おうか逡巡しているうちに、鷹峯と院長の二人はどんどんと話を進めていた。先程の鷹峯の暴露など、この竜人族の老女は意にも介していないらしい。
「それじゃ、今後ともよろしくな」
 鷹峯がこちらへ向き直る。その顔を、力の限り睨みつけるしかなかった。
 あれから数日。気が付けば、蒼世と鷹峯の間にあった奇跡的な繋がりは、あっという間に龍歴院全体、さらにはベルナ村にまで広まっていた。不幸中の幸いだったのは、鷹峯が蒼世に惚れているという事実が、あの時あの場にいた者達の中だけの秘密になっていることだ。とは云っても、どちらにしろこの状況は面白くない。多くの者は冗談めかして二人を夫婦扱いする。逐一否定し「止めてほしい」と云っても、笑って誤魔化されるだけだ。馬鹿にされているわけでも、本当に二人が夫婦だと思ってるわけでもないことは分かる。しかし、親しみを持ってからかわれるような扱いは初めてのことで、若干蒼世は戸惑っていた。それだけならまだしも、最も蒼世を苛立たせているのが、鷹峯の態度だった。あの男は、旦那扱いされる度に嬉しそうに笑い、村人に混じって蒼世を妻扱いする。何度思い出しても、腹立たしい。オトモたちが自分のことを“旦那さん”と呼んで慕うのとは、訳が違う。蒼世は無意識のうちに唇を噛んだ。
「らしくありませんね」
「何がだ」
「鷹峯さんのことです。彼も本気なのか冗談なのか知りませんが、他の者が貴方を番扱いすれば、貴方、口だけじゃ済まないでしょう。前にしつこく云い寄ってきた男みたいに、容赦なく一発くらいは蹴り入れてるはずだと思いますが」
「…仮にも命の恩人だ。そこまでしない」 
「…まぁ、そういうことにしておきましょう」
 遠回しに納得していないと云われ、眉が寄る。芦屋を振り返ると、存外真剣な顔をしていた。鋭い双眸を微かに開き、蒼世を見ている。
「彼、相当な実力者のようじゃないですか。貴方の目的のために利用できるのでは?」
「………」 
 それが本当に訊きたかったことか。蒼世はタオルを芦屋に返すと、そのまま背を向けた。
「お前に口を出されることではない」
 仮にも協力者である男に対して、自分でも冷たい物云いだと感じた。しかし、芦屋が口にした“目的”に関しては、簡単に他人を巻き込むつもりはなかった。実際、芦屋にも蒼世が何を目指しているのか、詳細を知らせたことはない。もしかしたら、少なからず察しはついているのかもしれないが。
 それに、鷹峯の方こそ、何か目的があって蒼世に近付いてきた可能性もある。危ないところを助けられたとはいえ、出逢って僅かで「惚れてる」などと云われては、警戒しない方がおかしい。何かあるのではと、勘繰りたくなる。むしろ、そちらの方が蒼世の精神衛生上はよろしかった。本気で惚れられているなどとは、考えたくもない。
「私はこれで失礼する。明日も頼んだ」
「承知しました。お気をつけて」
 芦屋と別れ、龍歴院の建物の外へと出る。すでに辺りは黄昏時を迎え、東の空から段々と夜の色へと染まっていた。山に囲まれた地だからか、ベルナ村の空はいつでも澄んでいる。夜になれば、満天の星空を見ることができる。そういえば、芦屋は鷹峯がアイルー屋台で自分を待っていると云っていた。アイルー屋台は、丁度村の広場の中央に位置している。完全屋外にあり、基本的に屋根はない。小降り程度の雨の日は、テントを張って営業していた。女将と呼ばれ慕われる雌のアイルーが、その屋台を一匹で切り盛りしている。彼女の作るチーズは絶品で、村人だけでなく蒼世達ハンターもよく利用していた。なんせ、屋台のチーズとソース、そして様々な食材を組み合わせることで、一時的だが肉体強化などの効能を得ることもできるのだから。
 夕食時に加え、訓練後ということもあって、先程から腹の虫が鳴っている。屋台に行くのは、あの男に会いに行くようで癪だが、夜空を見ながら、女将の作る料理を味わうのも悪くない。今日はオトモ道場で鍛錬に励んでいたアオやメイも、きっと喜ぶだろう。そこまで考えて、早く帰ろうと、蒼世はベルナ村へと歩き出した。

 村へ着いたのは、すっかり日が暮れた頃だった。先に自宅に立ち寄ると、そこにはアオの字で「屋台にいます」と置き手紙があった。装備を外してから、普段着にしている着物に着替え、足早にアイルー屋台へと向かう。灯りのついた家々を通り過ぎ、広場に近付くにつれて幾人かの笑い声が聞こえてきた。豪快な男の声に、一旦足が止まる。見れば、そこにはやはり鷹峯がいた。いつもと同じように、黒い着流し姿だ。もくもくと湯気が立つのは、大きなチーズフォンデュの鍋。その前に、鷹峯と、それから蒼世のオトモである二匹が座っていた。彼等は女将を交え、楽しそうに談笑している。蒼世が意識を失っている間、一人と二匹は随分と親交を深めたようで、すっかりアオとメイは鷹峯と仲良くなっていた。それをとやかく云うつもりはないが、蒼世としては面白くない。
「あ!旦那さん!」
 真っ先に蒼世の姿を見付けたのは、メイだった。椅子から飛び降りると、蒼世の元へと駆け寄ってくる。それに続き、アオもやってきた。
「お疲れ様ニャ!」
「お前達も、お疲れ様」
 二匹の頭を軽く撫でてやり、労う。
「お疲れ」
 顔を上げると、頬杖をつき微笑む鷹峯と目が合った。途端に、芦屋との会話を思い出し、思わず顔をしかめる。
「おい、人の顔を見るなり不機嫌になるなよ」
「…うるさい」
「あらあら、夫婦喧嘩ニャ?」
「女将さんっ」
 メイに手を引かれ、屋台の椅子に座る。促されるまま鷹峯の隣になってしまったことが、余計に蒼世の表情を険しくさせた。
 蒼世の右にメイが、鷹峯の左にアオが着席する。どうやら、蒼世を待っていたようで、彼等はまだ食事を取っていなかった。女将に注文を伝え、食材が切られる様を目の前で見守る。
「さっきまでお前のオトモの装備について話してたんだ。メイがギルドシリーズで、アオがホロロシリーズだったか?」
「……あ、そうですニャ。でも、頭だけは怖いから、サージェシリーズですニャ」
 アオが答えながら、頭にのった小さな帽子を手に取る。鷹峯に見せるように差し出してから、元に戻した。
「怖いのか?」
「怖いニャ…ボクはあれを見た夜、眠れなかったニャ…」
 プルプルと、メイが震える。それは見てみたいなと、鷹峯は笑った。
「夜鳥と呼ばれるホロロホルルには会ったことがないから、そっちも気になるな。差し障りない範囲で、どんなモンスターか教えてくれるか?」
「……えっと、大きな鳥ニャ。青くて、首がぐるっ!って半回転するニャ!最初びっくりして逃げ出しそうになったニャ」
 一瞬の間をおいて、メイが答える。本来なら、自分が入手したモンスターに関する情報は、対価なく簡単に他者に話したりはしない。だから、鷹峯は差し障りない範囲でと、わざわざ付け加えたのだろう。姿形だけなら
、大した情報ではない。そのことを考慮し、彼らの会話を止める必要はないなと、あえて深く考えることなく鍋の中のチーズを眺めていた。横から腕を突かれたのは、それからすぐのことだった。
「旦那さん?」
 なぜか、メイはやけに不安そうな目でこちらを見上げていた。どうしたと尋ねると、困ったように首を傾げる。その視線は、蒼世を通り過ぎて、鷹峯へと注がれていた。
「話し掛けてんだから、無視するな」
 振り向くと、苦笑する鷹峯にそう云われた。
「話し掛けてた?私に?」
「そうに決まってるだろ。お前が答えないから、全部こいつらが話してくれたじゃねぇか」
 もしかして、先程までの問い掛けは全て、自分に向けてしていたのだろうか。だから、オトモ達が返答するまでに隙間があったのか。自分達が答えていいのか、躊躇ったのだろう。なるべく話をしたくなかったせいで、ちゃんと意識を向けていなかった。
「すまない。無視したわけではない」
 実質無視と変わりない気もしたが、素直に謝る。鷹峯は僅かに驚いた様子を見せたが、すぐに元の笑った顔に戻った。今度は苦笑ではなく、随分嬉しそうに目尻に皺を作っている。
「まぁいい。それで、お前の紫毒姫の防具だが、あれは女向けのデザインに見えるが、どうしてだ?」
 出来上がった料理や、チーズフォンデュ用の食材が、四人の前に並べられる。左右のアオとメイが、直ぐ様チーズに噛み付く。それを視界の端で見ながら、蒼世は答えた。
「…理由は…私の体格にある。私は他の男性ハンターに比べ、筋肉量が少ない。力も弱いため、男性向けの防具では重すぎて、思うように動けない。そのことを相談すると、ある人に女性ハンターの防具を使ってみてはと薦められた。最初は抵抗があったが、使ってみるうちに、これが己には合ってるのだと分かった」
 ピックで完熟シナトマトを刺し、チーズの中に入れる。引き上げると、どこまでもチーズが糸を引いた。それをピックを回すことで絡め取り、口へと運んだ。
「体の露出が増えれば、それだけ防御力はなくなる。しかし、全身を覆ってしまえば、今度は動きが鈍くなる。今は既存の製法に手を加え、私に合う物を作ってもらうことも多いが、だいたいは女性物で事足りる。…だからだ」
 淡々と、過去何度も口にしてきた同じ回答を伝える。この質問をしてきたのは、鷹峯が初めてではない。やはり、男である蒼世が女物の防具を身に着けているのは不可解に思う者が多いようだ。昔は問われる度に好奇の目に晒され、不快な思いをした。本当なら自分だって、歴戦のハンター達のように、見る者に威圧感を与える厳(いかめ)しい鎧を纏いたかった。しかし、蒼世の体格がそれを許さない。どれだけそれが、歯痒かったことか。今となっては大して気にしていないし、このやり方で人並み以上の成果を上げられているお陰で、すっかり諦めも付いた。しかし、時折チリリと焼けるような嫉妬が蘇ることがある。
「きっと、お前が纏う黒炎王の防具は、それは屈強なものなのだろうな」
 だから、羨むようなことを云ってしまった。意図せず漏れた本音に、内心慌てる。時すでに遅く、先程の発言はしっかりと鷹峯の耳に届いていた。
「…そういえば、お前は見たことがなかったな」
「あ、ああ」
 蒼世の言葉をどう受け取ったのかは分からないが、鷹峯の目は穏やかだった。穏やか、というよりも甘やかと表現した方が適切か。そのことが、蒼世の心を乱す。
「なら、今度一緒にクエストにでよう。古代林の環境もだいぶ安定してきたから、心配も少ないだろ。そうだな…深層シメジが欲しいって龍歴院のおっさんが云ってたっけか。それにするか」
「その程度なら、まだ新米のハンターに譲ってやったらどうだ」
 深層シメジは、古代林の奥深く、一際ジメジメとした場所に生えている。モンスターの狩猟に比べれば、はるかに楽な依頼だ。しかし、新人が経験を積むためには、適当でもある。
「そうか?まだ本調子じゃないんだろ?」
 鷹峯のその一言は、心配ゆえに出てきたものだったのだろう。しかし、負けず嫌いな己が少しだけへそを曲げた。
「見縊るな。並のモンスター相手なら、遅れはとらん」
「そりゃ頼もしい」
 鷹峯の白い歯がちらりと覗く。
「なら、明日にでも討伐系の依頼がないか、受付嬢に聞いてみるか」
「ああ」
 明日も龍歴院で芦屋に訓練を頼んでいたが、当日キャンセルしても問題はない。むしろ、そろそろ実戦に戻った方がリハビリにはいいかもしれない。
 そこまで考えて、蒼世ははたと気付いた。話の流れがあまりに自然だったせいで何も思わなかったが、いつの間にか鷹峯と行動することが決まっていた。
「やったー!鷹峯さんと一緒にクエストニャ!」
「っ、待てメイ。まだ決まったわけでは」
「何云ってるんだ?お前、今頷いただろ?」
 確かに、鷹峯の云う通りだ。しかし、蒼世の胸中を知ってか知らずか、意地悪げにニヤつく男の顔に段々と苛立っていった。
「っ、私は一人でも問題ない。アオとメイもいるのだから。お前は他のクエストを受注しろ」
「何つれないこと云ってんだよ。並のモンスターに遅れはとらないって、要はそれ以上のモンスター相手はまだ難しいってことだろ?なら、俺と行動した方が安全だろうが」
「そうニャ。また無茶してなにかあったら大変ニャ。ここは素直に、夫婦で行ってきなさいニャ」
「女将さんっ」
 突然鷹峯に助け舟を出した屋台の女将の言葉に、蒼世は思わず木のテーブルを叩いた。
「その云い方は止めてほしいと、何度も云っている!」
「あらでも、蒼世さん。嫌がってないわよニャ?」
「え?」
 心底不思議そうに首を傾げる女将に、驚かされたのは蒼世だった。止めてほしいということは、イコール嫌だということだ。それなのに、なぜその部分を疑われなければならない。そんな蒼世の疑問に答えるように、女将は続けた。
「だってアンタ、鷹峯さんと夫婦って云われる度に、顔赤くしてるじゃないニャ?本当に嫌なら、氷海の風より冷たい目で見てくるから、珍しいなーって皆思ってるのニャ」
 あまりのことに、絶句した。ああ、これはあれだ。モンスターとの戦闘中に、予想外のところからクンチュウに突撃された時の気分だ。一瞬何が起こったのか分からず、状況を理解していくほどに羞恥と怒りで全身が熱くなる。
「やっぱり、自覚なかったんだな」
 くつくつと、鷹峯が肩を震わせ笑いを噛み殺している。ぶわっと、全身が瞬時に火照った。
「っ、気のせいです」
「ニャ?そうなのニャ?」
 愉快げに女将の喉が鳴る。赤面している自覚など、全くなかった。認めたくはなかったが、女将が皆と云うからには、云い逃れできないほどあからさまだったのだろう。どうりで、いつもなら蒼世が一度でも止めろと云えば聞く龍歴院のメンバーでさえ、なかなか云うことを聞かなかったわけだ。芦屋が蒼世の態度を「らしくない」と云ったのも、今なら納得できる。

 アイルー屋台での食事を終え、蒼世達は自宅へと帰った。結局、食事中はほとんど夜空を眺めることができなかった。窓際に座り、ガラス越しに見える星々を見上げる。
「そこで!ボクがネコまっしぐらの術でモンスターを仕留めたのニャ!」
 夜だというのに、元気なメイの声が室内に響く。今日は一日道場にいたわりには、彼に疲れた様子はない。普段なら、夕飯を食べて少ししたら誰よりも早く寝てしまうというのに。
「それはすごいな。お前のお手柄だったわけか」
「そうニャ!」
 胸を張るメイ。その正面には、鷹峯がカーペットの上で胡座をかいていた。どういうわけかこの男、自分の住まいが別にあるというのに、蒼世の家までついてきていた。追い返そうとしたが、オトモ二匹が寂しそうな顔で鷹峯の傍を離れないものだから、つい許してしまった。
「さて、そろそろ帰るか。明日も早いしな」
 おもむろに鷹峯が立ち上がる。てっきり長居するつもりだと予想していたので、少しばかり意外だった。
「それじゃ、明日迎えに来る」
「必要ない」
 きっぱりと切り捨てる。村人に見られたら、また何を云われるか分かったものではなかった。
「どうせ一緒に行動するんだ。いつ合流しても構わないだろ」
 鷹峯が、窓際の蒼世の前まで来る。座ったまま見上げると、前髪の上から額に口付けられた。
「おやすみ」
 突然のことに、すぐに反応できなかった。固まる蒼世に笑みを寄越し、オトモ達と挨拶を交わすと、鷹峯は家を出ていった。





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