文
大学進学を機に実家を出て、輝一と輝二ら双子の念願の二人暮らしが始まった。ようやく一つ屋根の下、兄弟仲良く生活を共にするのだ。浮かれた気分のまま「何か家族らしいことを習慣にしよう」と二人で話し合って決めたのは記憶に新しい、のだが。
「それがなんでいってらっしゃいのキスになるんだよ!?」
「ん」
輝一はらしくもなく叫んで、対する輝二は唇を突き出してみせた。抗議のつもりなのか、それともまさか、口付けを乞うているのだろうか。
「ムリムリムリ、無理だって! 家族だからってそれはハードル高いって!」
輝一がそう捲し立てるも、ずい、と近づいてくる輝二の顔。輝一は必死に声を荒げた。
「というか普通、家族でもそうそうやらないだろ!? 輝二の家ではやってたのか?」
「いや、オレの家ではやってないけど」
「だろ!?」
「でもイタリアとかでならやってるんじゃないか?」
「ここは日本!」
脳裏によぎる紅一点の帰国子女。泉なら、もしかしたらそういう文化に馴染みがあるかもしれないけども。
「輝一、はやく。バイトに遅刻する」
「そうだよ遅刻したら不味いんだからこんなことしてる場合じゃないだろ!?」
こんな玄関口で押し問答している場合じゃないのに。家族らしい事といっても、何を習慣にするか具体的な内容をあらかじめ決めなかった事を輝一は後悔し始めていた。
輝二が憮然として言う。
「こんなこと、じゃないだろ。これまではいってきますもいってらっしゃいも言えなかったんだ。やっと一緒に暮らせるようになった分、これからはいってきますもいってらっしゃいもたくさん言いたいし、言われたい」
「それは、おれも……」
そう思う、と続けようとしてハッとする。いけない、輝二の勢いに流されるところだった。
「いや、だからなんでキスしなきゃいけないんだよ! 普通の挨拶でいいの、おれは!」
ただ「いってきます」「いってらっしゃい」そういった挨拶を当たり前のように言えたら。それが輝一の思い描いていた理想だ。キスまでいくと兄弟のコミュニケーションとしてはいささか飛躍している。
「嫌だ。せっかく一緒に暮らせるようになったんだ。離れてた期間が長かった分、オレたちは普通の兄弟よりもっと仲良くして良いんじゃないか」
輝二は頑として譲る気は無いらしい。弟の鋭い視線を受けながら、輝一は負けじと睨み返した。同じ高さにある目線がぶつかって、線香花火のようにパチパチと火花が散る。そうしてしばらく見つめ合う。事態が膠着しているなか、先に輝二が動いた。
まず輝二がおもむろに手を伸ばして、輝一の顎の輪郭を軽くなぞる。そのまま頬に軽く手が添えられて、輝二の顔が迫ってくる。近い、と思った時にはもう視界いっぱいに輝二の顔が迫っていて、うわ、ちょっと待ってくれなんだこの展開。せめてもうちょっとこう、心の準備をさせて欲しいんだけどなぁ!?
輝一は内心パニックに陥りながら、咄嗟に目をギュッと瞑った。そんな兄の姿を見て輝二は何を思ったのだろう。やがて右頬、次に左頬に柔らかいものが触れる感覚があった。心臓がバクバクとうるさい。これは挨拶、家族の挨拶なんだからと自分に言い聞かせる。家族の挨拶なんだから、こんなにドキドキするのは変じゃないか。そう、変に意識する方がおかしい。だから、こんなにドキドキしなくても大丈夫な筈なのに。輝一は高鳴る胸を無意識に手で抑える。そして、
「んっ……!?」
唇に柔らかいものが触れて、思わず小さく息が漏れた。これは兄弟のスキンシップの筈で、だからこそ、まさか唇にキスされるなんて思わなかったから。輝一は心臓が口から出るんじゃないかというほどびっくりして、目をまん丸に見開いた。
「じゃあ、行ってきます!」
輝二は元気にそう告げると、一括りにした後ろ髪を揺らして、逃げるように出かけていった。去り際にドアの隙間から見えた耳は赤くなっていた気がする。
ぱたん、と重たいドアがゆっくりと閉まる。駆け足に遠ざかっていく足音が聞こえなくなると、しんとした部屋に輝一はひとり残された。
やっと一緒に住めたんだ。いってらっしゃいと言って見送りたかったのに、結局言いはぐれてしまった。一抹の後悔が過ぎるものの、でも今、輝一はそれどころではなくなっていた。
「これからずっと見送りのたびにいってらっしゃいの、キ、キスしなきゃいけないのか……!?」
輝二は何を考えてるんだ。しかも頬だけじゃなく、唇にまでキスするなんて。更にいうと、輝一にとってはファーストキスだった。きっと輝二もそうだと思う。
数時間後には輝二が帰ってくる。一体どんな顔でおかえりなさいを言えばいいんだろう。輝一は熱い頬をそっと押さえた。
「それがなんでいってらっしゃいのキスになるんだよ!?」
「ん」
輝一はらしくもなく叫んで、対する輝二は唇を突き出してみせた。抗議のつもりなのか、それともまさか、口付けを乞うているのだろうか。
「ムリムリムリ、無理だって! 家族だからってそれはハードル高いって!」
輝一がそう捲し立てるも、ずい、と近づいてくる輝二の顔。輝一は必死に声を荒げた。
「というか普通、家族でもそうそうやらないだろ!? 輝二の家ではやってたのか?」
「いや、オレの家ではやってないけど」
「だろ!?」
「でもイタリアとかでならやってるんじゃないか?」
「ここは日本!」
脳裏によぎる紅一点の帰国子女。泉なら、もしかしたらそういう文化に馴染みがあるかもしれないけども。
「輝一、はやく。バイトに遅刻する」
「そうだよ遅刻したら不味いんだからこんなことしてる場合じゃないだろ!?」
こんな玄関口で押し問答している場合じゃないのに。家族らしい事といっても、何を習慣にするか具体的な内容をあらかじめ決めなかった事を輝一は後悔し始めていた。
輝二が憮然として言う。
「こんなこと、じゃないだろ。これまではいってきますもいってらっしゃいも言えなかったんだ。やっと一緒に暮らせるようになった分、これからはいってきますもいってらっしゃいもたくさん言いたいし、言われたい」
「それは、おれも……」
そう思う、と続けようとしてハッとする。いけない、輝二の勢いに流されるところだった。
「いや、だからなんでキスしなきゃいけないんだよ! 普通の挨拶でいいの、おれは!」
ただ「いってきます」「いってらっしゃい」そういった挨拶を当たり前のように言えたら。それが輝一の思い描いていた理想だ。キスまでいくと兄弟のコミュニケーションとしてはいささか飛躍している。
「嫌だ。せっかく一緒に暮らせるようになったんだ。離れてた期間が長かった分、オレたちは普通の兄弟よりもっと仲良くして良いんじゃないか」
輝二は頑として譲る気は無いらしい。弟の鋭い視線を受けながら、輝一は負けじと睨み返した。同じ高さにある目線がぶつかって、線香花火のようにパチパチと火花が散る。そうしてしばらく見つめ合う。事態が膠着しているなか、先に輝二が動いた。
まず輝二がおもむろに手を伸ばして、輝一の顎の輪郭を軽くなぞる。そのまま頬に軽く手が添えられて、輝二の顔が迫ってくる。近い、と思った時にはもう視界いっぱいに輝二の顔が迫っていて、うわ、ちょっと待ってくれなんだこの展開。せめてもうちょっとこう、心の準備をさせて欲しいんだけどなぁ!?
輝一は内心パニックに陥りながら、咄嗟に目をギュッと瞑った。そんな兄の姿を見て輝二は何を思ったのだろう。やがて右頬、次に左頬に柔らかいものが触れる感覚があった。心臓がバクバクとうるさい。これは挨拶、家族の挨拶なんだからと自分に言い聞かせる。家族の挨拶なんだから、こんなにドキドキするのは変じゃないか。そう、変に意識する方がおかしい。だから、こんなにドキドキしなくても大丈夫な筈なのに。輝一は高鳴る胸を無意識に手で抑える。そして、
「んっ……!?」
唇に柔らかいものが触れて、思わず小さく息が漏れた。これは兄弟のスキンシップの筈で、だからこそ、まさか唇にキスされるなんて思わなかったから。輝一は心臓が口から出るんじゃないかというほどびっくりして、目をまん丸に見開いた。
「じゃあ、行ってきます!」
輝二は元気にそう告げると、一括りにした後ろ髪を揺らして、逃げるように出かけていった。去り際にドアの隙間から見えた耳は赤くなっていた気がする。
ぱたん、と重たいドアがゆっくりと閉まる。駆け足に遠ざかっていく足音が聞こえなくなると、しんとした部屋に輝一はひとり残された。
やっと一緒に住めたんだ。いってらっしゃいと言って見送りたかったのに、結局言いはぐれてしまった。一抹の後悔が過ぎるものの、でも今、輝一はそれどころではなくなっていた。
「これからずっと見送りのたびにいってらっしゃいの、キ、キスしなきゃいけないのか……!?」
輝二は何を考えてるんだ。しかも頬だけじゃなく、唇にまでキスするなんて。更にいうと、輝一にとってはファーストキスだった。きっと輝二もそうだと思う。
数時間後には輝二が帰ってくる。一体どんな顔でおかえりなさいを言えばいいんだろう。輝一は熱い頬をそっと押さえた。