彼を知る者
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彼の通っていた学校の保健教師は、厚いレンズの奥の目を悲しげに揺らめかせて笑った。
「ああ、貴方が今度の彼の運命ですか。ヒッヒッヒ……まあ、精々頑張ってください。」
彼の勤めていたバイトのひとつであった、古本屋のおばあさんは皺くちゃの顔で嬉しそうに笑った。
「ユキちゃんの事かい!あの子はいい子でねぇ……今、どこにいるんだい?元気にしてる?」
覚えてる人は彼の事を嬉しそうに語り、そして誰もが、ほんの少しだけ哀しそうだった。
「……ユキさんは、変わってないんですね。記憶があっても、なくても」
ぽそり。そう呟くと、そんなものだろと湊さんは少し笑う。
あの人はどうなっても変わらないのだと、知っているみたいに。
「次は最後。彼の事を一番長く、近くで見ていた人だよ」
「……」
「そんな怖じ気づかなくても」
そういいながら、新聞配達をしている印刷所の引き戸をカラカラと開ける。
湊さんが中に入ってしばらくして、ガタイのしっかりした中年男性が奥から顔を出した。
「ああ?ユキの事だあ?それを聞いてどうすんだい?」
警戒よりも、純粋な疑問。それに湊さんが「ユキの記憶が戻りかけてるらしいんですけど」と上手いこと話術を駆使すれば、男性はふむと顎に手を置いた。
「…そうか、ユキがねえ…ちょっと待ちな、茶あ入れっから」
『髪の白い、目の綺麗な子が生まれた』
そう古い友人からの便りが来て4年後。彼等と会ったのは、桜が溢れそうな春先の事だった。
黒髪黒目の友人とその嫁が連れてきたのは、とても真っ白で小さな子供。
「ユキ、です。おじさん、はじめまして!」
白くサラサラとした髪に、キラキラと輝く紅い両の目。
はにかんでは花のように綻んだ笑顔を見せ、ああ母親似なんだなと遠く思う。
「…おお」
頷いて手を差し出せば、子供は嬉しそうにそれを両手で握った。
そして母親の元に戻って遊び出すのを見て、父親となった友人が話しかけてくる。
「先天性の病気、みたいなもんだってよ。脳とか器官に影響はなかったんだ。可愛いだろ?」
「…でも、どうすんだ?ここら辺、噂とかひどいぞ?」
「それでも此処で育てるさ。親戚にはとっくに勘当されてんだ。命を懸けて愛情を注ぐ」
噂なんて、俺らの愛でかき消してやるよと言ったそいつは相変わらず、人を信用しすぎているように感じた。
人はそんなに強くないし、優しくなんてなれないのに。それでもそいつとその嫁は幸せそうで、思わず所在なさげに頭を搔く。
「…まあ、手伝うことあったら言えよ。助けくらいにはなってやる」
「本当か?ありがとな!」
屈託なく笑う彼は、やっぱりどうしても輝いていて、どこか儚かった。
次に面と向かって会ったのは、少年がおそらく感情をすべて手放した後であろう時だった。
「…おじ、さん?…えっと、お父さんとお母さんはいません」
すっかり表情の落ち切った顔に、濁りのない瞳。
木枯らしの吹く病室の窓際で、そいつはたった1人だった。
交通事故と聞いた。親友とその嫁が、それで亡くなったとも。
本当は何があったのか問いただしたかった。けれどあまりにも虚ろになってしまった彼を見て、それを寸手で飲み込む。
「…知ってる。お前さんに会いに来たんだ」
「……?」
「ほら、二人がいなくなっちまった分、お前さんにはやんなきゃいけないことがある。遺産相続とか、親戚引き取りとかな」
「…いさん、そうぞく、しんせき、ひきとり」
「そうだ。だから、俺とこの知り合いの弁護士さんとで一つ一つ必要なことを教えてやる。手続きは俺たちがなんとかするが、内容にお前さんが嫌な事を組み込むつもりはないからな」
ゆっくり、伝わっているかも分からない虚無を示した瞳に教えると、それが瞬きして頷いた。
「…はい、わかりました。おねがいします」
「…アイツの親父に似て、ひどく頭の良い奴だったよ、ユキは。
勿論知り合いも噛み砕いて説明したりしたんだが、あっという間に理解して、トントン拍子で話は進んだ。
それで決めたのが、遺産は全て相続し、親戚のところへは行かない。俺のところで手伝いして最低限の食い扶持は稼いで、高校までは学校に通うって事だった」
『お母さんたちのお金は、お母さんたちが一生懸命はたらいたお金です。だから、俺は俺のぶんをはたらいて過ごします』
「丁度入ってたとこが月光館だったから、あそこなら小中高問題ねえだろうってなって。流石に小中は野外活動やら修学旅行にはいけるような精神も金もなかったから、行かせらんなかったけどな。高校で必死に働いて、医者に許可貰ってなんとか行けたって報告来たときは店の奴らも手放しで喜んだもんだ」
嬉しかったなぁと、男は遠くを見つめて語る。湊さんは懐かしいような、寂しいような瞳を伏せて、ただその言葉に頷いた。
「今、そっちにいるんだろ?どうだ、元気にしてるか?」
「は、はい。こっちの高校で、通信制……のような形で通ってて、あとバイトとかもしてます」
「そうか。……アイツ、記憶忘れても約束だけは覚えてんのか」
アイツらしい。アイツの親父も、しょうもない約束ばっか覚えているような奴だった。
声は少し暗い印刷所のなかで、やけに響く。
「……アイツに、言っといてくれないか?もし落ち着いたら、いつでも帰ってきていいって。
お前の帰ってくる場所なんて、ここに幾らでもあるんだって」
そう締めくくった男の顔は、子を見守る親のような、そんな優しい表情をしていた。
「ああ、貴方が今度の彼の運命ですか。ヒッヒッヒ……まあ、精々頑張ってください。」
彼の勤めていたバイトのひとつであった、古本屋のおばあさんは皺くちゃの顔で嬉しそうに笑った。
「ユキちゃんの事かい!あの子はいい子でねぇ……今、どこにいるんだい?元気にしてる?」
覚えてる人は彼の事を嬉しそうに語り、そして誰もが、ほんの少しだけ哀しそうだった。
「……ユキさんは、変わってないんですね。記憶があっても、なくても」
ぽそり。そう呟くと、そんなものだろと湊さんは少し笑う。
あの人はどうなっても変わらないのだと、知っているみたいに。
「次は最後。彼の事を一番長く、近くで見ていた人だよ」
「……」
「そんな怖じ気づかなくても」
そういいながら、新聞配達をしている印刷所の引き戸をカラカラと開ける。
湊さんが中に入ってしばらくして、ガタイのしっかりした中年男性が奥から顔を出した。
「ああ?ユキの事だあ?それを聞いてどうすんだい?」
警戒よりも、純粋な疑問。それに湊さんが「ユキの記憶が戻りかけてるらしいんですけど」と上手いこと話術を駆使すれば、男性はふむと顎に手を置いた。
「…そうか、ユキがねえ…ちょっと待ちな、茶あ入れっから」
『髪の白い、目の綺麗な子が生まれた』
そう古い友人からの便りが来て4年後。彼等と会ったのは、桜が溢れそうな春先の事だった。
黒髪黒目の友人とその嫁が連れてきたのは、とても真っ白で小さな子供。
「ユキ、です。おじさん、はじめまして!」
白くサラサラとした髪に、キラキラと輝く紅い両の目。
はにかんでは花のように綻んだ笑顔を見せ、ああ母親似なんだなと遠く思う。
「…おお」
頷いて手を差し出せば、子供は嬉しそうにそれを両手で握った。
そして母親の元に戻って遊び出すのを見て、父親となった友人が話しかけてくる。
「先天性の病気、みたいなもんだってよ。脳とか器官に影響はなかったんだ。可愛いだろ?」
「…でも、どうすんだ?ここら辺、噂とかひどいぞ?」
「それでも此処で育てるさ。親戚にはとっくに勘当されてんだ。命を懸けて愛情を注ぐ」
噂なんて、俺らの愛でかき消してやるよと言ったそいつは相変わらず、人を信用しすぎているように感じた。
人はそんなに強くないし、優しくなんてなれないのに。それでもそいつとその嫁は幸せそうで、思わず所在なさげに頭を搔く。
「…まあ、手伝うことあったら言えよ。助けくらいにはなってやる」
「本当か?ありがとな!」
屈託なく笑う彼は、やっぱりどうしても輝いていて、どこか儚かった。
次に面と向かって会ったのは、少年がおそらく感情をすべて手放した後であろう時だった。
「…おじ、さん?…えっと、お父さんとお母さんはいません」
すっかり表情の落ち切った顔に、濁りのない瞳。
木枯らしの吹く病室の窓際で、そいつはたった1人だった。
交通事故と聞いた。親友とその嫁が、それで亡くなったとも。
本当は何があったのか問いただしたかった。けれどあまりにも虚ろになってしまった彼を見て、それを寸手で飲み込む。
「…知ってる。お前さんに会いに来たんだ」
「……?」
「ほら、二人がいなくなっちまった分、お前さんにはやんなきゃいけないことがある。遺産相続とか、親戚引き取りとかな」
「…いさん、そうぞく、しんせき、ひきとり」
「そうだ。だから、俺とこの知り合いの弁護士さんとで一つ一つ必要なことを教えてやる。手続きは俺たちがなんとかするが、内容にお前さんが嫌な事を組み込むつもりはないからな」
ゆっくり、伝わっているかも分からない虚無を示した瞳に教えると、それが瞬きして頷いた。
「…はい、わかりました。おねがいします」
「…アイツの親父に似て、ひどく頭の良い奴だったよ、ユキは。
勿論知り合いも噛み砕いて説明したりしたんだが、あっという間に理解して、トントン拍子で話は進んだ。
それで決めたのが、遺産は全て相続し、親戚のところへは行かない。俺のところで手伝いして最低限の食い扶持は稼いで、高校までは学校に通うって事だった」
『お母さんたちのお金は、お母さんたちが一生懸命はたらいたお金です。だから、俺は俺のぶんをはたらいて過ごします』
「丁度入ってたとこが月光館だったから、あそこなら小中高問題ねえだろうってなって。流石に小中は野外活動やら修学旅行にはいけるような精神も金もなかったから、行かせらんなかったけどな。高校で必死に働いて、医者に許可貰ってなんとか行けたって報告来たときは店の奴らも手放しで喜んだもんだ」
嬉しかったなぁと、男は遠くを見つめて語る。湊さんは懐かしいような、寂しいような瞳を伏せて、ただその言葉に頷いた。
「今、そっちにいるんだろ?どうだ、元気にしてるか?」
「は、はい。こっちの高校で、通信制……のような形で通ってて、あとバイトとかもしてます」
「そうか。……アイツ、記憶忘れても約束だけは覚えてんのか」
アイツらしい。アイツの親父も、しょうもない約束ばっか覚えているような奴だった。
声は少し暗い印刷所のなかで、やけに響く。
「……アイツに、言っといてくれないか?もし落ち着いたら、いつでも帰ってきていいって。
お前の帰ってくる場所なんて、ここに幾らでもあるんだって」
そう締めくくった男の顔は、子を見守る親のような、そんな優しい表情をしていた。