彼を知る者
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「私は一体、君に何をあげることが出来たんでしょうかねぇ」
もう誰もいない、保健室の一番奥のベッド。
この7年間、ずっとある1人の為だけに空けていた、小さな空間。
「……出会った時の君はとても小さくて、とても脆かった」
そうぽつりぽつりと呟きながら、江戸川はその綺麗なシーツを指先で撫でた。
七年前、真っ赤な瞳を警戒心で光らせ、ギュッと後ろ手に掴んだ刃物に隠しようのない敵対心を宿した、全身傷だらけの小さな小さな少年が、そこに座っていた。
それでも彼の順応力の高さか、緊張が抜けるのはあっという間で、会話の中からも賢さと冷静さも垣間見せていて。
「知ってますか?ここのベッドだけ、君が"事故の後今までちゃんと眠れたのは病室のベッドだけだった"なんて言うから、出来る限り病室に近づけたんですよ?」
彼が自らに起きた事故について教えてくれたのは、その次に現れた時だった。
淡々と両親の死を語る少年の、無意識のうちの精神への負担に、江戸川は顔を顰めずにはいられなかった。
『先生、どこか痛いの?』
少年はそんな事も分からず、江戸川の顔に手をひらひらと翳して首を傾げる。
そして少し考えるような仕草をした後、『痛いの痛いの、とんでけー』と江戸川の腕をさすって窓に放る仕草をした。
……彼はとても賢く、そして同じくらいに、幼かった。
「どうして授業中寝てるんですか?」
『先生が、無理に俺を褒めようとするから』
「無理に?」
『親が死んで可哀想な子だから、自分達でもっと褒めたり優しくしないとって、この前職員室で話してた。
俺、別に他の子より特別待遇してほしいわけじゃない。それに、そんな態とらしい言葉は好きじゃない』
「……そう、ですか」
『体育も、足が速いとか、別に他にも速い子いるのに俺だけ褒めてきたりする。
だから、ばっくれ?したの』
悪い子になれば、他の偉い子もちゃんと褒められるからと。
彼は自らの犠牲さえ厭わず、平等を望む子だった。
『先生』というものに必要最低限の信頼しか置かずに、ただただ優しくあろうとする子だった。
そんなあの子が、日中に血塗れで見つかったのは中学生の時。
彼が殴り続けた少年は病院へ行き、彼は此処に一時的に置かれていた。
性暴力を受けかけていたのにキョトンとして、『目を塞がれて、その後は覚えてない』と自分をどうとでも取れるような発言をする。
『体触られると、せーぼーりょく?になるの?』
「……いえ、触られて嫌な箇所、特に、性器がある場所を触られたりする事です」
『?あの先輩が触ったのは、口と胸だけだよ?それでも暴力?』
「同意無しに触ったのであれば」
『……よく分かんない。
心肺蘇生法も、同意無しに胸や口に触るじゃん。何が違うの?』
問題集の、分からない解法を訊くように、ただただ純粋に、真っ直ぐと。
『分からない言葉は、誤解を生むから伝えない。先生達にとって必要な事実は、俺が暴力したかってだけだし。それに、証人もいないから』
「……」
心肺蘇生法と性暴力を同等のように捉えるこの子供に眩暈を覚えたのは事実だ。
「……結局、『助けるもの』と『自分の欲を満たそうとするもの』と言っても、『助けたいって欲でしょ?』と言うくらいでしたからねぇ……」
その後主治医の男性がやって来て、事情を説明したら少し苦笑していた事を今でも覚えている。
春が何度か巡って、高校2年生になって。
保健室に倒れて眠っている事が急激に増えて。
成績によって進級出来るからあまり問題はなかったけれど、どんどんと細くなっていく彼を見て何度も胸が締め付けられた。
1月の半ば。
「本当に大丈夫ですか?」と尋ねると、彼は頷いた。
『もうすぐで約束が叶えられる。だから、もうすぐ俺は死ぬ事が出来るんだ』
……一瞬、我が耳を疑った。
「……君は、死ぬんですか?」
『うん。2月になる前に』
「どうして……」
『やるべき事が、全部終わるから。
俺は今までずっとそれだけの為に生きてたし、未練もないよ』
空を、雪のチラつく空を眺めながら、彼はいつも通りの淡々とした声で言う。
『約束が無ければ、俺はあの日両親を追って死んでたと思う。先生とも、誰とも会うこともないまま。
それには感謝してるし、だからこそ俺は、その約束を完遂させなきゃいけない』
「……その約束というのは、君の命を犠牲に?」
なんとかそれを聞くと、彼はこくりと頷く。
『だってそれが、いのちの答えだから』
「……君自身の生命の答えは、違う気がしますけどねぇ……」
熱いコーヒーを飲みながら、江戸川はそう締めくくるように言った。
彼が、死を臨んでまで成し遂げたかった事は、「生きる事」ではなかったと思う。
それにしては、あまりにも生きる事を蔑ろにしていたから。
それにしては、……彼はそれ以上に、別のものを大切にしていたように見えたから。
「君は心の拠り所が必要無かった。必要とする暇も無かった。でも、……君を見ている人くらい、いたんですよ」
それこそ、もう既に遅い事実かもしれないけれど。
もう誰もいない、保健室の一番奥のベッド。
この7年間、ずっとある1人の為だけに空けていた、小さな空間。
「……出会った時の君はとても小さくて、とても脆かった」
そうぽつりぽつりと呟きながら、江戸川はその綺麗なシーツを指先で撫でた。
七年前、真っ赤な瞳を警戒心で光らせ、ギュッと後ろ手に掴んだ刃物に隠しようのない敵対心を宿した、全身傷だらけの小さな小さな少年が、そこに座っていた。
それでも彼の順応力の高さか、緊張が抜けるのはあっという間で、会話の中からも賢さと冷静さも垣間見せていて。
「知ってますか?ここのベッドだけ、君が"事故の後今までちゃんと眠れたのは病室のベッドだけだった"なんて言うから、出来る限り病室に近づけたんですよ?」
彼が自らに起きた事故について教えてくれたのは、その次に現れた時だった。
淡々と両親の死を語る少年の、無意識のうちの精神への負担に、江戸川は顔を顰めずにはいられなかった。
『先生、どこか痛いの?』
少年はそんな事も分からず、江戸川の顔に手をひらひらと翳して首を傾げる。
そして少し考えるような仕草をした後、『痛いの痛いの、とんでけー』と江戸川の腕をさすって窓に放る仕草をした。
……彼はとても賢く、そして同じくらいに、幼かった。
「どうして授業中寝てるんですか?」
『先生が、無理に俺を褒めようとするから』
「無理に?」
『親が死んで可哀想な子だから、自分達でもっと褒めたり優しくしないとって、この前職員室で話してた。
俺、別に他の子より特別待遇してほしいわけじゃない。それに、そんな態とらしい言葉は好きじゃない』
「……そう、ですか」
『体育も、足が速いとか、別に他にも速い子いるのに俺だけ褒めてきたりする。
だから、ばっくれ?したの』
悪い子になれば、他の偉い子もちゃんと褒められるからと。
彼は自らの犠牲さえ厭わず、平等を望む子だった。
『先生』というものに必要最低限の信頼しか置かずに、ただただ優しくあろうとする子だった。
そんなあの子が、日中に血塗れで見つかったのは中学生の時。
彼が殴り続けた少年は病院へ行き、彼は此処に一時的に置かれていた。
性暴力を受けかけていたのにキョトンとして、『目を塞がれて、その後は覚えてない』と自分をどうとでも取れるような発言をする。
『体触られると、せーぼーりょく?になるの?』
「……いえ、触られて嫌な箇所、特に、性器がある場所を触られたりする事です」
『?あの先輩が触ったのは、口と胸だけだよ?それでも暴力?』
「同意無しに触ったのであれば」
『……よく分かんない。
心肺蘇生法も、同意無しに胸や口に触るじゃん。何が違うの?』
問題集の、分からない解法を訊くように、ただただ純粋に、真っ直ぐと。
『分からない言葉は、誤解を生むから伝えない。先生達にとって必要な事実は、俺が暴力したかってだけだし。それに、証人もいないから』
「……」
心肺蘇生法と性暴力を同等のように捉えるこの子供に眩暈を覚えたのは事実だ。
「……結局、『助けるもの』と『自分の欲を満たそうとするもの』と言っても、『助けたいって欲でしょ?』と言うくらいでしたからねぇ……」
その後主治医の男性がやって来て、事情を説明したら少し苦笑していた事を今でも覚えている。
春が何度か巡って、高校2年生になって。
保健室に倒れて眠っている事が急激に増えて。
成績によって進級出来るからあまり問題はなかったけれど、どんどんと細くなっていく彼を見て何度も胸が締め付けられた。
1月の半ば。
「本当に大丈夫ですか?」と尋ねると、彼は頷いた。
『もうすぐで約束が叶えられる。だから、もうすぐ俺は死ぬ事が出来るんだ』
……一瞬、我が耳を疑った。
「……君は、死ぬんですか?」
『うん。2月になる前に』
「どうして……」
『やるべき事が、全部終わるから。
俺は今までずっとそれだけの為に生きてたし、未練もないよ』
空を、雪のチラつく空を眺めながら、彼はいつも通りの淡々とした声で言う。
『約束が無ければ、俺はあの日両親を追って死んでたと思う。先生とも、誰とも会うこともないまま。
それには感謝してるし、だからこそ俺は、その約束を完遂させなきゃいけない』
「……その約束というのは、君の命を犠牲に?」
なんとかそれを聞くと、彼はこくりと頷く。
『だってそれが、いのちの答えだから』
「……君自身の生命の答えは、違う気がしますけどねぇ……」
熱いコーヒーを飲みながら、江戸川はそう締めくくるように言った。
彼が、死を臨んでまで成し遂げたかった事は、「生きる事」ではなかったと思う。
それにしては、あまりにも生きる事を蔑ろにしていたから。
それにしては、……彼はそれ以上に、別のものを大切にしていたように見えたから。
「君は心の拠り所が必要無かった。必要とする暇も無かった。でも、……君を見ている人くらい、いたんですよ」
それこそ、もう既に遅い事実かもしれないけれど。