「ん……おとうさん？」
遼太郎が出て行った後、入れ違うように、菜々子が目を擦りながら居間に現れた。
そして「いい匂い……」と表情を緩ませると、パチリと彼と目が合う。
「……遼太郎さんは、仕事が入ったからもう出てった。
　…六時か」
ユキは時計を確認し、目を細める。
そして菜々子に視線を戻すと、「何？」と首を傾げた。
「えっと、あの、……朝ごはん、作ってくれたの？」
「ああ。簡単なものしか作ってないけど」
「ううん、ありがとう……ユキ、お兄ちゃん」
菜々子はモジモジしながらそう言って、「菜々子、着替えてくるね」と一度姿を消す。
「……アイツも起こすか」
ユキは階段を登ってドアをノックせず開けると、ゆらゆらとその身体を揺さぶった。
「んん……」
「起きろ、朝だ」
衝撃が弱いのかと彼の上半身に跨り暫く揺らしていると、薄く目を開く。
「……、……ッ！？」
「あ、起きた」
跨られている事に驚いたのか、または別の要因か。
彼は暫く固まって、「……え、っと……」と言葉を探す。
「朝御飯。出来たから早めに食え」
「あ、……ありがとう、ございます」
寝ぼけたような声が返ってきたのを確認してから、ユキは彼から降り、「じゃあね」と部屋を閉めた。
数分後。温かな御飯と味噌汁、そして色とりどりのおかずが並んだ食卓に、菜々子も悠もおおと感心したような声をあげる。
アレンジの加えられていない、王道中の王道のような姿をした料理達。けれどその素朴さがとても食欲をそそり、悠はごくりと喉を鳴らした。
「これ、一人で……？」
「？そりゃあ、覚えている範囲で手を動かしてたからな。何の変哲もないもので悪いが」
「ユキお兄ちゃん、すごい！菜々子、こんなごうかな朝ごはん久しぶりだよ！」
「どこがすごいんだ……それより早く食え。冷める」
そう言われ、二人は慌てて箸を持つ。
そしてふと何かに気づいた悠が、「あの」と声を出した。
「ユキさんの分の、朝食は……？」
「俺はいい。そんなに食欲がわく体質じゃないし」
彼は今朝投函された新聞を広げ、それを眺めながら答える。
「これは昨日泊めてもらった礼の分だ。金も渡したが、一応な。
　それに自分のを他人の買ったもので作るほど、食に貪欲なわけじゃない」
「……そう、ですか」
「今日は、泊まらないの？」
菜々子が尋ねる。すると彼はゆらりと顔をあげ、「ああ」と口を開いた。
「今朝、隣が空家である事を確認した。午前中のうちに連絡を取って、まあ今日中にはそっちに行く予定だ」
「そっかあ……でもおとなりさんなら、いつでも来てくれる？」
「……空いていたらな。一応バイトもするし、まあ、午後は開けるつもりだけど……」
ペラリと新聞紙を捲りながら言ったユキに、菜々子は「そっかあ」とほんの少し嬉しそうな表情になる。
「雨降ってるから、お出かけするときカサ使っていいよ。けっこう、余分にあるから」
「……ああ。午後には返す」
「うん」
彼は短針が7を刺した時計を見上げると「電話、借りる」と受話器を取り、慣れた手つきで番号を押した。
そして廊下に出て、「朝早くにすみません、今朝看板を見たものですが……」と何やら話し出す。
（……さっき言ってた、空家の話かな）
悠は黙々とおかずを口に含みながら、ユキの行動の早さに驚愕していた。
昨日目が覚めたばかりで、しかも記憶を失ってるのに、こうやって朝食を作ったり、外に出て自分の住処を探すあたり、かなり冷静で大胆な人物のようだ。
すぐに彼は戻ってきて、フウと息を吐きながら受話器を戻し、悠に対し「何？」と首を傾げる。
「え、いや……凄いなって」
「だから、何が？別にこんなの、覚えてる知識の範囲で行動してるに過ぎない」
いわば、当たり前の行為だと。
それはそうなのかもしれない。
ただ、……彼の無意識的に覚えていた知識が、とても多いだけなのだ。
やがて二人分のご馳走様が響き、ユキは二人分の食器を器用に手や腕に載せ「後はやっておくから、学校行く準備しろ」と告げる。
「で、でも……」
「慣れてるし、どうせアンタ等が準備済んで出る頃には終わる」
有無を言わさない口調で居間から追い出されると、仕方ないと二人は荷物を確認しに部屋へと別れた。