雨と青年
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遼太郎が一度彼を乗せていた部分の席を拭きに車へ戻り、悠が自分の部屋に行っている間、菜々子は一人、白髪の人の傍にいた。
彼は男性だったようで、遼太郎が水を吸い取りすぎたパーカーを脱がせれば平坦な胸部が姿を表し、軽くタオルで拭いてやり自分のTシャツを着せた。下は悠のジャージを借りていて、それでもまだ全体的にぶかぶかな印象を受ける。
彼のバッグには、彼の着替えはなく、カラーコンタクトの箱と、薬、それと家族写真だけが、ぽつねんと入っていた。
菜々子はもう一度その写真を手に取り、じいと眺める。
二人の黒髪の男女の間で笑う、髪の白い小さな少年。煌々と輝く紅ははにかむことで細められ、その腕に二匹の兎のぬいぐるみを抱えている。
おそらく、この男女が彼の両親なのだろう、その笑顔は女性によく似ていて、その目つきは男性に似ていた。
写真の裏の隅に、小さな文字で、「七歳。家族と。全員で写ってる最後の写真。」と書かれており、菜々子はギュッと顔をしかめた。
(……最後の、写真……)
もしかしたら。いや、もしかしなくても。
もう、家族全員が揃えなくなったんだろう。
じゃなきゃ、最後なんて書かない。
「……ん……」
「!!」
小さいうめき声が聞こえ、菜々子の肩が震えた。
恐る恐る顔を覗くと、彼は薄く目を開いて、「ここ、は……」とかすれた声を口から漏らし体を起こす。
そして自分の着ている服を見、「……?」と更に首をかしげた。
「…あ、あの……」
「……何?」
ゆうらりと、視線が菜々子の方に合わせられる。
濁った、それでも明るく輝く石榴のような瞳。それは決して冷たいものではなく、菜々子は口を開いた。
「アンタが、俺を拾ったの?」
「わ、私は……お父さんが、その、」
「……そう」
しどろもどろな言葉でも分かったのか、彼は目を細めて彼女の頭を撫でた。
「………助かった、というべきなんだろうな。少し、考えがまとまるまで時間が欲しいが……」
「…?」
「最近の新聞をいくつか、見せてくれないか?」
彼の言葉に菜々子は頷き、テレビの脇に置いていた新聞の束を彼に手渡す。
すると青年はそれを一面ずつ見通し、そして小さく息を吐いた。
「……お兄さん、お名前は?」
菜々子が、小声で訊ねる。すると彼は目を細め、口を開いた。
「………桜木、ユキ……多分」
「多分?」
「持っていた保険証には、そう書いてあっただけ。……実際、誰なのかは分からない」
「…ええと、きおくそうしつ、なの?」
「それに近いと思う。……ここ数年、特に、二年ほどの記憶は完全にないな。他も曖昧だし、常識的な事を覚えているのは幸いだ」
白い髪を掻き、ユキは新聞紙を元の位置に戻す。
やがて遼太郎が戻ってきて、「目が覚めたか」と安堵の息を漏らした。
「すまない。すぐ出ていく」
「いや、今日は泊まっていけ。どうせ、この雨じゃ無理だろうよ」
外を見ながらそういうと、ポケットから携帯電話を取り出して、どこかへとかけ始める。
「お父さん、どうしたの?」
「その写真の場所の近くに、上司が住んでんだ。もしかしたら……な」
遼太郎が指差したのは、ユキの持っていた子供の頃の写真。
暫くして、ブツッと繋がった音と、『もしもし?』と低い声が聞こえてくる。
「……あ、黒沢さん?俺です、堂島です」
『ああ?……堂島か。久しいな、どうした?』
「少し気になることがありまして……桜木ユキっていう……えー、白髪に、赤目のガキ、ご存知ありませんか?」
『……アイツか』
「知ってるんですか!?」
『まあ、少し前までソイツ、磐戸台に住んでいたからな』
黒沢はため息をついて、『ソイツが、何かあったのか?』と尋ねた。
「今、記憶喪失なっちまってるみてえで、ここに保護してるんですけど……」
『……それなら、こっちで親代わりしてた奴に連絡入れておく。それでいいか?』
「は、はぁ……あの……桜木の親って……それに、コイツは一体……」
遼太郎がそう尋ねると、黒沢は少し話すのを躊躇ってから淡々と説明をする。
『親は、桜木が小一だった時に交通事故で死んだ。そっから今まで、アイツは親戚が預かる事もなく、親と住んでいた家に一人で暮らしてたよ』
「……」
『それまではちらほらと笑顔も見ていたが、事故があってからはピクリともしねえ。よほど、目の前で死なれた事にショック感じたんだろうな。
近所に住んでいた、父親の友人が彼の面倒を少しは見ていたらしいが、それだってアイツにとっちゃ他人の関係だった』
遠い、遠い過去を語る声。
その声から紡がれたものはとても重くて、遼太郎は目を伏せる。
『アイツが小学生の時から働いてたことなんざ、暗黙の了解だったよ。だって、親族にも勘当されてたらしいからな。
白い髪、紅い目の異形の子って。食い扶持くらい自分で稼ぐって、言って聞かない事もあったらしいが』
「……」
『アレはちいせえ身体に溜め込み過ぎた。頭も回って、荒みもしなかった。その分、どれだけこっちが話しかけても、声は届きゃしなかったけどな
……確かお前にも、娘がいたな。そんな子にさせんじゃねえぞ』
最後の言葉は、確実な忠告だった。
感情もなくし、誰の声も響かないような、一人ぼっちの小さな子供。
チラリと目の先でユキを見ると、彼はただ菜々子とボソボソ会話しながら、遼太郎の電話が終わるのを静かに待っていた。
「……はい」
『詳しい事は、主治医の方が知ってるからソイツに聞いた方が早い。丁度今、そっちに赴任している筈だ』
「そう、ですか」
『ああ。……二年前に失踪したきり、音沙汰もなかったが、生きてたんだな…』
ポツリ。黒沢は呟く。
『アイツはいつ死んでも、誰も気に留めない。そう周りがしたし、本人もそれを受け入れちまった。
……虚しいもんだ。警察になっても、そういう事を止められねえのは』
「……黒沢さん……」
『わりぃな、こんな事言っちまって。でもまあ、生きてるなら、面倒な手続きはこっちでしておく。
それが罪滅ぼしとは言わねえが、やらせてくれ』
「………はい。あの……ありがとうございます」
『こっちの台詞だ。じゃあ、またな』
「はい」
プツッ。
「……話は終わった?」
電話は切れ、それに合わせるようにユキの声がした。
「……ああ」
遼太郎は頷き、今まで聞いた話を伝える。すると彼は目を細め、小さく息を吐いた。
「交通事故。まあ、大体察していた」
「そうか……お前、磐戸台には、」
「……戻る気はない。いや、戻らない方が、いいんだと思う」
ユキがそう告げると、遼太郎は目を見開く。
「一度、町を出なければならない理由があったんだ。そうでなきゃ、俺は死ぬか、その町でずっと生きていた筈」
淡々と、ただただ、冷静に。
「自分の情報について集めようと思ってたけど……それはやめて、一先ず一年此処で過ごそうと思う。
記憶が戻れば御の字。戻らなくても、一年経てば、流石に時効になるだろ?」
「……」
「なんで、そんなに冷静に考えられるんですか?」
丁度荷物整理が済んだのか、階段を降りてきた悠が困惑したように尋ねる。するとユキは息を吐いて、「これ以外考えることもない」と言った。
「感情が抜けているのは本当みたいだ。混乱も困惑もない。というか……今慌てて何になる?
俺が理解出来ないのが多いのは分かったが、それで自分が死ぬわけでも、何か危険な事をするでもない。
それに……俺のいなかった土地でしばらく過ごしていた方が、記憶の無い事に誤魔化しがきくからな」
その言葉に、遼太郎も悠も舌を巻いた。
(……確かに、そうだろうけど……普通、そこまで瞬時に考えられるか?)
長袖の袖口の部分を弄る彼は、何を考えているか分からない程謎めいていて、虚ろだった。
しばらくして菜々子が、「夜ご飯、できたよ」と声をかける。
「えと、ユキさんは……」
「俺はいい。……腹は減っていないし、何か食ったらむしろ吐きそうだ」
菜々子は一瞬顔を曇らせるも、「そっか」と言って三人分のチャーハンを運んだ。
ユキはニュースをつけてまた静かになる。
(情勢は知っておいて損はない。……でもまあこの分じゃ、新聞の方がちゃんと書いてそうだな)
そう思いながら息を吐くと、丁度ニュースが天気予報を伝えた。
どうやら今晩から暫く、雨が続くらしい。
彼は男性だったようで、遼太郎が水を吸い取りすぎたパーカーを脱がせれば平坦な胸部が姿を表し、軽くタオルで拭いてやり自分のTシャツを着せた。下は悠のジャージを借りていて、それでもまだ全体的にぶかぶかな印象を受ける。
彼のバッグには、彼の着替えはなく、カラーコンタクトの箱と、薬、それと家族写真だけが、ぽつねんと入っていた。
菜々子はもう一度その写真を手に取り、じいと眺める。
二人の黒髪の男女の間で笑う、髪の白い小さな少年。煌々と輝く紅ははにかむことで細められ、その腕に二匹の兎のぬいぐるみを抱えている。
おそらく、この男女が彼の両親なのだろう、その笑顔は女性によく似ていて、その目つきは男性に似ていた。
写真の裏の隅に、小さな文字で、「七歳。家族と。全員で写ってる最後の写真。」と書かれており、菜々子はギュッと顔をしかめた。
(……最後の、写真……)
もしかしたら。いや、もしかしなくても。
もう、家族全員が揃えなくなったんだろう。
じゃなきゃ、最後なんて書かない。
「……ん……」
「!!」
小さいうめき声が聞こえ、菜々子の肩が震えた。
恐る恐る顔を覗くと、彼は薄く目を開いて、「ここ、は……」とかすれた声を口から漏らし体を起こす。
そして自分の着ている服を見、「……?」と更に首をかしげた。
「…あ、あの……」
「……何?」
ゆうらりと、視線が菜々子の方に合わせられる。
濁った、それでも明るく輝く石榴のような瞳。それは決して冷たいものではなく、菜々子は口を開いた。
「アンタが、俺を拾ったの?」
「わ、私は……お父さんが、その、」
「……そう」
しどろもどろな言葉でも分かったのか、彼は目を細めて彼女の頭を撫でた。
「………助かった、というべきなんだろうな。少し、考えがまとまるまで時間が欲しいが……」
「…?」
「最近の新聞をいくつか、見せてくれないか?」
彼の言葉に菜々子は頷き、テレビの脇に置いていた新聞の束を彼に手渡す。
すると青年はそれを一面ずつ見通し、そして小さく息を吐いた。
「……お兄さん、お名前は?」
菜々子が、小声で訊ねる。すると彼は目を細め、口を開いた。
「………桜木、ユキ……多分」
「多分?」
「持っていた保険証には、そう書いてあっただけ。……実際、誰なのかは分からない」
「…ええと、きおくそうしつ、なの?」
「それに近いと思う。……ここ数年、特に、二年ほどの記憶は完全にないな。他も曖昧だし、常識的な事を覚えているのは幸いだ」
白い髪を掻き、ユキは新聞紙を元の位置に戻す。
やがて遼太郎が戻ってきて、「目が覚めたか」と安堵の息を漏らした。
「すまない。すぐ出ていく」
「いや、今日は泊まっていけ。どうせ、この雨じゃ無理だろうよ」
外を見ながらそういうと、ポケットから携帯電話を取り出して、どこかへとかけ始める。
「お父さん、どうしたの?」
「その写真の場所の近くに、上司が住んでんだ。もしかしたら……な」
遼太郎が指差したのは、ユキの持っていた子供の頃の写真。
暫くして、ブツッと繋がった音と、『もしもし?』と低い声が聞こえてくる。
「……あ、黒沢さん?俺です、堂島です」
『ああ?……堂島か。久しいな、どうした?』
「少し気になることがありまして……桜木ユキっていう……えー、白髪に、赤目のガキ、ご存知ありませんか?」
『……アイツか』
「知ってるんですか!?」
『まあ、少し前までソイツ、磐戸台に住んでいたからな』
黒沢はため息をついて、『ソイツが、何かあったのか?』と尋ねた。
「今、記憶喪失なっちまってるみてえで、ここに保護してるんですけど……」
『……それなら、こっちで親代わりしてた奴に連絡入れておく。それでいいか?』
「は、はぁ……あの……桜木の親って……それに、コイツは一体……」
遼太郎がそう尋ねると、黒沢は少し話すのを躊躇ってから淡々と説明をする。
『親は、桜木が小一だった時に交通事故で死んだ。そっから今まで、アイツは親戚が預かる事もなく、親と住んでいた家に一人で暮らしてたよ』
「……」
『それまではちらほらと笑顔も見ていたが、事故があってからはピクリともしねえ。よほど、目の前で死なれた事にショック感じたんだろうな。
近所に住んでいた、父親の友人が彼の面倒を少しは見ていたらしいが、それだってアイツにとっちゃ他人の関係だった』
遠い、遠い過去を語る声。
その声から紡がれたものはとても重くて、遼太郎は目を伏せる。
『アイツが小学生の時から働いてたことなんざ、暗黙の了解だったよ。だって、親族にも勘当されてたらしいからな。
白い髪、紅い目の異形の子って。食い扶持くらい自分で稼ぐって、言って聞かない事もあったらしいが』
「……」
『アレはちいせえ身体に溜め込み過ぎた。頭も回って、荒みもしなかった。その分、どれだけこっちが話しかけても、声は届きゃしなかったけどな
……確かお前にも、娘がいたな。そんな子にさせんじゃねえぞ』
最後の言葉は、確実な忠告だった。
感情もなくし、誰の声も響かないような、一人ぼっちの小さな子供。
チラリと目の先でユキを見ると、彼はただ菜々子とボソボソ会話しながら、遼太郎の電話が終わるのを静かに待っていた。
「……はい」
『詳しい事は、主治医の方が知ってるからソイツに聞いた方が早い。丁度今、そっちに赴任している筈だ』
「そう、ですか」
『ああ。……二年前に失踪したきり、音沙汰もなかったが、生きてたんだな…』
ポツリ。黒沢は呟く。
『アイツはいつ死んでも、誰も気に留めない。そう周りがしたし、本人もそれを受け入れちまった。
……虚しいもんだ。警察になっても、そういう事を止められねえのは』
「……黒沢さん……」
『わりぃな、こんな事言っちまって。でもまあ、生きてるなら、面倒な手続きはこっちでしておく。
それが罪滅ぼしとは言わねえが、やらせてくれ』
「………はい。あの……ありがとうございます」
『こっちの台詞だ。じゃあ、またな』
「はい」
プツッ。
「……話は終わった?」
電話は切れ、それに合わせるようにユキの声がした。
「……ああ」
遼太郎は頷き、今まで聞いた話を伝える。すると彼は目を細め、小さく息を吐いた。
「交通事故。まあ、大体察していた」
「そうか……お前、磐戸台には、」
「……戻る気はない。いや、戻らない方が、いいんだと思う」
ユキがそう告げると、遼太郎は目を見開く。
「一度、町を出なければならない理由があったんだ。そうでなきゃ、俺は死ぬか、その町でずっと生きていた筈」
淡々と、ただただ、冷静に。
「自分の情報について集めようと思ってたけど……それはやめて、一先ず一年此処で過ごそうと思う。
記憶が戻れば御の字。戻らなくても、一年経てば、流石に時効になるだろ?」
「……」
「なんで、そんなに冷静に考えられるんですか?」
丁度荷物整理が済んだのか、階段を降りてきた悠が困惑したように尋ねる。するとユキは息を吐いて、「これ以外考えることもない」と言った。
「感情が抜けているのは本当みたいだ。混乱も困惑もない。というか……今慌てて何になる?
俺が理解出来ないのが多いのは分かったが、それで自分が死ぬわけでも、何か危険な事をするでもない。
それに……俺のいなかった土地でしばらく過ごしていた方が、記憶の無い事に誤魔化しがきくからな」
その言葉に、遼太郎も悠も舌を巻いた。
(……確かに、そうだろうけど……普通、そこまで瞬時に考えられるか?)
長袖の袖口の部分を弄る彼は、何を考えているか分からない程謎めいていて、虚ろだった。
しばらくして菜々子が、「夜ご飯、できたよ」と声をかける。
「えと、ユキさんは……」
「俺はいい。……腹は減っていないし、何か食ったらむしろ吐きそうだ」
菜々子は一瞬顔を曇らせるも、「そっか」と言って三人分のチャーハンを運んだ。
ユキはニュースをつけてまた静かになる。
(情勢は知っておいて損はない。……でもまあこの分じゃ、新聞の方がちゃんと書いてそうだな)
そう思いながら息を吐くと、丁度ニュースが天気予報を伝えた。
どうやら今晩から暫く、雨が続くらしい。