白い謎
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放課後。急いで鳥海に頼まれていた荷物運びを終わらせると、桜木は走って学校から駅に向かう。
(……あーもう、この髪すっごい暑い……コンタクトもゴロゴロいってるし、早く取りたい…)
パタパタと手で首元を仰ぐも、少し風が来る程度でまったく涼しくなることができない。
あの髪と目だとまず話も聞いてくれないからと、ウィッグやカラコンを購入したのは小学校にあがる前だ。
親の残していってくれたお金と、顔なじみのところの新聞配達の『お手伝い』でもらっていたお金を使ったのは少し気が引けたが、それでも小中学校と嫌な目立ち方はしなかったから幾分か気が楽にはなった。そんなに仲の良すぎる友人というのも作ってこなかったので身の上を語ることもなく、誰もいないことが寧ろ桜木の生活の安寧だったのだ。
けれど、いつも冬から春へと変わる時期は熱が籠る感覚に少し憂鬱になる。髪の間に僅かに入り込む風が、この時期唯一の救いだ。
そんなことを考えながらタッタッタと小気味よく駆けていくと、白いベンチでぼんやりと腰掛けている青黒い髪が目に入ってきた。
「湊」
桜木が呼ぶと青年がくるりと振り返り、「ユキ」と声を発する。
「……走ってきたの?」
「うん。じゃ、行こう」
「何処に?」
有里が首を傾げる。桜木は当たり前のように手を掴んで、「俺の家」と短く答えて歩き出した。
「……君の?」
「正直、ウィッグとカラコンつけてるの限界。湊は俺の髪とか目とか見て何も思わなかったみたいだし、外したい」
そう早口で言う彼の首筋をよく見ると、じわりといくつもの汗が滲んでは背中に落ちている。
余程暑いんだろうなと他人事のように考えて、「お疲れ様」と有里は声をかけた。
「ん……ほら、着いた」
桜木がそう言って立ち止まったのは、ここら辺では珍しい質素な一軒家。
有里は青い屋根を見上げて、「家の人とか、大丈夫?」と尋ねる。すると「大丈夫」と言いながら、桜木はさっさとドアの鍵を開けて奥へと消えていく。慌てて後を追うと、玄関には彼の分の靴しか出ていなかった。
「ちょっと着替えてくるから、そこで待ってて」
「わかった」
彼に案内されて、リビングのソファに腰掛ける。
(……何か、静かな部屋だな……)
ぐるりと見回すと小さな棚の上に家族写真のようなものが置いてあり、それが彼が此処で家族と暮らしていたという唯一の情報だった。
それ以外、必要最低限度の家具だけで、何もない。
自身もそこまで家族といた記憶が新しいものではないが、ここまでもの寂しくはなかったと思う。
「お待たせ、お茶持ってきた」
かけられた声に振り返ると、ウィッグとカラコンを取った桜木が盆を持って立っていた。
彼は黒の半袖Tシャツにカーキの七分丈のズボンを着ていて、春先なのにとても涼しげな格好だった。
「麦茶しかないけど、よかったら」
彼はそう言うとテーブルに二つのお茶が入ったコップを置き、「じゃあ、授業なんだけど」と口を開く。
「ひとまず、明日ある教科を優先してかいつまんで説明する。分からなかったら聞いてくれ」
「……うん」
「最初は歴史からな。氷河時代には……」
桜木が教科書をめくりながら説明していく事を、有里は書き漏らしのないようにノートにペンを走らせてまとめる。幸い彼の説明は簡素で分かり易く、少しずつ区切りながら進めてくれた。流石に、先生の出しそうなところまで付け加えてきたときは度肝を抜かれたが。
それなりに集中していたからか、「此処まで」と彼が教科書を閉じた音に顔を上げると、もう日が落ちていた。
ベランダへ続く大きな窓から差していた陽はとっくのとうになくなっていて、時計は7に短針を向けている。
「……全教科一気にやったが、大丈夫か?」
彼は首を傾げて有里を見、疲れた喉をお茶で潤した。
有里が頷いて「わかりやすかったから」というと、「それならいいけど…」と少し目を逸らす。
そして何か喋ろうと口を開こうとした瞬間、ぐぎゅるるると有里から気の抜けた音が聞こえた。
「……頭使いすぎて、お腹すいた……」
「……何か作る、待ってろ」
桜木が立ち上がり、スタスタとリビングから消えていく。
有里はその姿を見送ってから、もう一度パラパラとノートを捲った。
(……ほんと、わかりやすい。後から見ても大丈夫なように、色々解説加えてたし)
教科書丸暗記でなく、それぞれの先生の特徴を捉えたような説明とノートや授業でどのような点を重視するかもこだわったような付け足しを平然と加えていたから、普段から効率良く点数を稼いでいるのだろう。
特に、先生の怒る直前の癖や無理矢理笑いを誘いたい時の癖、果てにはある特定の人を当てようとしている時の癖まで理解しているのだから恐ろしい。
(助かるけど……ユキって普段本当に寝てるんだよな?)
いや、寝てないにしてもだ。この情報量はおかしい。何故だと理由を考えてみたが、すぐやめた。
(ダメだ、お腹すいて何も考えたくない……)
バタリと机に顔を突っ伏し、腹の音をリビングに情けなく響かせる。
しばらくして、「凄い音」と言いながら桜木戻ってきた。
「ご飯炊いてないから、うどんしか作れなかったが……食いたかったら食え」
トン、とテーブルの上に丼が置かれ、有里はその香ばしい匂いに顔を上げる。
桜木は向かいに腰を下ろし、手を合わせて自分の分に口をつけ始めていた。
箸を持ち一口啜ると、うまく絡み合った汁と麺が口の中全体に染み渡る。
「……美味しい」
「そりゃよかった。一応おかわりもあるから」
彼は褒められてもやはり無表情で、小さく口を開けては麺を口に含んでコクンと飲み込んだ。下を向いているからか長い睫毛が彼の目を少しだけ覆い、その頬は熱で少し紅潮している。
何というか、色っぽい。
(……何考えてるんだ僕は)
首を振って考えを振り払い、また静かに啜り始める。
やっぱり一杯では足りずにお代わりを要求し、三杯も食べると漸く腹が満たされた。
桜木は一杯で充分だったのか一心不乱に麺を啜る有里をただ眺めていた。
(よく食べるなー、ま、休憩を入れなかったししょうがないか)
一週間分は、実は結構少ない。
先生がそれぞれとても長い雑談を入れるから、一週間もかかるだけで。
「……ごちそうさま」
有里がそう手を合わせ、そしてキョロキョロと辺りを見回す。
「どうした?」
「……その、家の人は夜仕事なのか?」
有里の言葉にああと納得したように頷いて、彼は外を見る。
「親は今墓の下だよ。10年前に死んだから」
何てことはない。
10年前の暴走事故で、死んだ。
それだけ。
それに有里は少し目を開いて「……僕の両親も」と呟く。
「いないんだ。10年前、事故で死んで」
「そっか。まあ、だから時間とか気にしないでいいよ。バイト入ってない限り大丈夫だから」
桜木がそう言って黒いフードをかぶると、時計が9時であることを告げていた。
「送る。ここから寮まで近道がある」
それだけ言われ、有里は自分のノートや筆記用具を鞄にしまいこんで立ち上がる。
その手を当たり前のように掴んで、スタスタと玄関へ向かい外へ歩き出した。
「……あのさ、なんで先生の癖とか知ってるの?」
後ろ姿にそう尋ねると、「去年と殆ど変わってないから」とだけ答えが返ってくる。
細い路地に入り角を曲がると、あっという間に寮の灯りが見えてきた。
「……こんなに近かったんだ……」
「まあね。あ、あと一つ言っておくけど」
桜木は有里に顔を近づけ、耳元にそっと声を吹き込む。
「……俺がウィッグとかカラコンつけてるの、皆には内緒にして。……シャドウと幾月さんには気をつけてね」
唖然としている有里の背中を寮の方にトンッと押し、路地の道を走って戻る。
あっという間にいなくなったその影を、有里は驚きを隠せない目で見つめていた。
(シャドウって……あれを知っているのか?それに、理事長に気をつける……?)
そうして突っ立っていると、桐条が「帰ったのか」とドアを開き声をかける。
「少し話したい事がある。今から司令室に来れるか?」
「……はあ、まあ、大丈夫です」
なんとかそれだけを返事し、有里は寮の中に入っていった。
最後にもう一度振り返ってみたが、其処には何も無かった。
(……あーもう、この髪すっごい暑い……コンタクトもゴロゴロいってるし、早く取りたい…)
パタパタと手で首元を仰ぐも、少し風が来る程度でまったく涼しくなることができない。
あの髪と目だとまず話も聞いてくれないからと、ウィッグやカラコンを購入したのは小学校にあがる前だ。
親の残していってくれたお金と、顔なじみのところの新聞配達の『お手伝い』でもらっていたお金を使ったのは少し気が引けたが、それでも小中学校と嫌な目立ち方はしなかったから幾分か気が楽にはなった。そんなに仲の良すぎる友人というのも作ってこなかったので身の上を語ることもなく、誰もいないことが寧ろ桜木の生活の安寧だったのだ。
けれど、いつも冬から春へと変わる時期は熱が籠る感覚に少し憂鬱になる。髪の間に僅かに入り込む風が、この時期唯一の救いだ。
そんなことを考えながらタッタッタと小気味よく駆けていくと、白いベンチでぼんやりと腰掛けている青黒い髪が目に入ってきた。
「湊」
桜木が呼ぶと青年がくるりと振り返り、「ユキ」と声を発する。
「……走ってきたの?」
「うん。じゃ、行こう」
「何処に?」
有里が首を傾げる。桜木は当たり前のように手を掴んで、「俺の家」と短く答えて歩き出した。
「……君の?」
「正直、ウィッグとカラコンつけてるの限界。湊は俺の髪とか目とか見て何も思わなかったみたいだし、外したい」
そう早口で言う彼の首筋をよく見ると、じわりといくつもの汗が滲んでは背中に落ちている。
余程暑いんだろうなと他人事のように考えて、「お疲れ様」と有里は声をかけた。
「ん……ほら、着いた」
桜木がそう言って立ち止まったのは、ここら辺では珍しい質素な一軒家。
有里は青い屋根を見上げて、「家の人とか、大丈夫?」と尋ねる。すると「大丈夫」と言いながら、桜木はさっさとドアの鍵を開けて奥へと消えていく。慌てて後を追うと、玄関には彼の分の靴しか出ていなかった。
「ちょっと着替えてくるから、そこで待ってて」
「わかった」
彼に案内されて、リビングのソファに腰掛ける。
(……何か、静かな部屋だな……)
ぐるりと見回すと小さな棚の上に家族写真のようなものが置いてあり、それが彼が此処で家族と暮らしていたという唯一の情報だった。
それ以外、必要最低限度の家具だけで、何もない。
自身もそこまで家族といた記憶が新しいものではないが、ここまでもの寂しくはなかったと思う。
「お待たせ、お茶持ってきた」
かけられた声に振り返ると、ウィッグとカラコンを取った桜木が盆を持って立っていた。
彼は黒の半袖Tシャツにカーキの七分丈のズボンを着ていて、春先なのにとても涼しげな格好だった。
「麦茶しかないけど、よかったら」
彼はそう言うとテーブルに二つのお茶が入ったコップを置き、「じゃあ、授業なんだけど」と口を開く。
「ひとまず、明日ある教科を優先してかいつまんで説明する。分からなかったら聞いてくれ」
「……うん」
「最初は歴史からな。氷河時代には……」
桜木が教科書をめくりながら説明していく事を、有里は書き漏らしのないようにノートにペンを走らせてまとめる。幸い彼の説明は簡素で分かり易く、少しずつ区切りながら進めてくれた。流石に、先生の出しそうなところまで付け加えてきたときは度肝を抜かれたが。
それなりに集中していたからか、「此処まで」と彼が教科書を閉じた音に顔を上げると、もう日が落ちていた。
ベランダへ続く大きな窓から差していた陽はとっくのとうになくなっていて、時計は7に短針を向けている。
「……全教科一気にやったが、大丈夫か?」
彼は首を傾げて有里を見、疲れた喉をお茶で潤した。
有里が頷いて「わかりやすかったから」というと、「それならいいけど…」と少し目を逸らす。
そして何か喋ろうと口を開こうとした瞬間、ぐぎゅるるると有里から気の抜けた音が聞こえた。
「……頭使いすぎて、お腹すいた……」
「……何か作る、待ってろ」
桜木が立ち上がり、スタスタとリビングから消えていく。
有里はその姿を見送ってから、もう一度パラパラとノートを捲った。
(……ほんと、わかりやすい。後から見ても大丈夫なように、色々解説加えてたし)
教科書丸暗記でなく、それぞれの先生の特徴を捉えたような説明とノートや授業でどのような点を重視するかもこだわったような付け足しを平然と加えていたから、普段から効率良く点数を稼いでいるのだろう。
特に、先生の怒る直前の癖や無理矢理笑いを誘いたい時の癖、果てにはある特定の人を当てようとしている時の癖まで理解しているのだから恐ろしい。
(助かるけど……ユキって普段本当に寝てるんだよな?)
いや、寝てないにしてもだ。この情報量はおかしい。何故だと理由を考えてみたが、すぐやめた。
(ダメだ、お腹すいて何も考えたくない……)
バタリと机に顔を突っ伏し、腹の音をリビングに情けなく響かせる。
しばらくして、「凄い音」と言いながら桜木戻ってきた。
「ご飯炊いてないから、うどんしか作れなかったが……食いたかったら食え」
トン、とテーブルの上に丼が置かれ、有里はその香ばしい匂いに顔を上げる。
桜木は向かいに腰を下ろし、手を合わせて自分の分に口をつけ始めていた。
箸を持ち一口啜ると、うまく絡み合った汁と麺が口の中全体に染み渡る。
「……美味しい」
「そりゃよかった。一応おかわりもあるから」
彼は褒められてもやはり無表情で、小さく口を開けては麺を口に含んでコクンと飲み込んだ。下を向いているからか長い睫毛が彼の目を少しだけ覆い、その頬は熱で少し紅潮している。
何というか、色っぽい。
(……何考えてるんだ僕は)
首を振って考えを振り払い、また静かに啜り始める。
やっぱり一杯では足りずにお代わりを要求し、三杯も食べると漸く腹が満たされた。
桜木は一杯で充分だったのか一心不乱に麺を啜る有里をただ眺めていた。
(よく食べるなー、ま、休憩を入れなかったししょうがないか)
一週間分は、実は結構少ない。
先生がそれぞれとても長い雑談を入れるから、一週間もかかるだけで。
「……ごちそうさま」
有里がそう手を合わせ、そしてキョロキョロと辺りを見回す。
「どうした?」
「……その、家の人は夜仕事なのか?」
有里の言葉にああと納得したように頷いて、彼は外を見る。
「親は今墓の下だよ。10年前に死んだから」
何てことはない。
10年前の暴走事故で、死んだ。
それだけ。
それに有里は少し目を開いて「……僕の両親も」と呟く。
「いないんだ。10年前、事故で死んで」
「そっか。まあ、だから時間とか気にしないでいいよ。バイト入ってない限り大丈夫だから」
桜木がそう言って黒いフードをかぶると、時計が9時であることを告げていた。
「送る。ここから寮まで近道がある」
それだけ言われ、有里は自分のノートや筆記用具を鞄にしまいこんで立ち上がる。
その手を当たり前のように掴んで、スタスタと玄関へ向かい外へ歩き出した。
「……あのさ、なんで先生の癖とか知ってるの?」
後ろ姿にそう尋ねると、「去年と殆ど変わってないから」とだけ答えが返ってくる。
細い路地に入り角を曲がると、あっという間に寮の灯りが見えてきた。
「……こんなに近かったんだ……」
「まあね。あ、あと一つ言っておくけど」
桜木は有里に顔を近づけ、耳元にそっと声を吹き込む。
「……俺がウィッグとかカラコンつけてるの、皆には内緒にして。……シャドウと幾月さんには気をつけてね」
唖然としている有里の背中を寮の方にトンッと押し、路地の道を走って戻る。
あっという間にいなくなったその影を、有里は驚きを隠せない目で見つめていた。
(シャドウって……あれを知っているのか?それに、理事長に気をつける……?)
そうして突っ立っていると、桐条が「帰ったのか」とドアを開き声をかける。
「少し話したい事がある。今から司令室に来れるか?」
「……はあ、まあ、大丈夫です」
なんとかそれだけを返事し、有里は寮の中に入っていった。
最後にもう一度振り返ってみたが、其処には何も無かった。