夜のイカロス
ラギーが殆ど無意識に辿り着いたのは、寮長の私室だ。いつもの癖で戻って来てしまったのだ。慌ただしく入って来てばたんっと勢いよく扉を閉める音に驚いた様子のレオナは、寝そべっていたベッドから上体だけを気怠げに起こし、ラギーを不機嫌そうに睨む。
「おい、ラギー。入って来る時は静かにしろ……って、何ビビってやがる?」
部屋に入って来たラギーはしきりに周囲を警戒している様子で、いつもの軽口は一切返って来ず、きょどきょどと周囲を目だけで全方位を見回そうと必死に動かしている。常と全く違う様子を見て、何かあったと察したレオナはこんな精神状態ではまともな家事は期待できないだろうと思い、一先ず安心させてやろうと先に動いた。
「ったく、テメェがそこまでビビるようなもんがいたのかぁ?」
揶揄う語調にもラギーは何も返してこない。その態度にいつもと違って調子が狂うなと思い、レオナは小さく舌打ちをすると先程ラギーが勢いよく閉めたドアをもう一度開けてみせた。その向こうには何もない。廊下に少し身を乗り出して左右を見ても、何もいない。
「おら、何もいね――」
「何開けてんスかっ!! アンタ!!」
レオナがゆっくり開けた扉を呆然と見つめていたラギーがはっとして駆け寄り、再び音を立ててしっかりと閉める。その慌てように些か身を引いたレオナは、怪訝そうに眉を寄せた。
「何焦ってんだ? ラギー」
「……んスよ」
「あぁ?」
「いたんスよっ! 今! 廊下の奥から……!! 足音!! あいつの!!」
まるで要領を得ない答えに益々レオナの眉間の皺が増えていく。レオナにはラギーの言っていることがさっぱり分からなかった。さっきからラギーが言っている足音なんて、彼には全く聞こえないからだ。彼は内心で「働かせ過ぎたか?」とラギーの正気を疑っていた。彼はしきりに「あいつが来る。オレがここにいるってバレたんだ……!!」と軽くパニックを起こしている。全く落ち着く様子のないラギーの頭をレオナは苛立ち紛れに軽く小突いた。気つけの意味も多少はある。
「いった!? なにも殴ることないでしょっ!? レオナさんっ!」
「少しは落ち着いたか? 何があったのか、一から話せ。さっきからお前の言う足音だの何だの、オレには全く聞こえないんでな」
「…………分かったッス」
それからラギーはしきりに辺りをずっと警戒しながらも、自分の身に何があったのか、事の経緯を話した。その間、黙って聞いていたレオナの脳裏にふと、ここ最近見る夢の内容が鮮明に思い出された。
気が付くと、いつもレオナは水辺に立っている。何故か水面から顔を上げることができず、水面をじっと見つめる範囲の視界でしか判断できないが、そこはいつもサバンナの水源のような場所だ。真ん中辺りにはいつも月が映っている。もうすぐ満ちようとしている月。薄黄色のそれはいつも静かにレオナを見つめ返していた。それを見る度、何故かいつも思い浮かべるのは兄のファレナのこと。まるでそこにあるのが当然だとでも言いたげな顔をして、夜空というこの世で最も広い場所に鎮座している姿と輝くばかりの髪を風に遊ばせ、王座に座する姿が重なって見えてしまうのだ。
「……」
月は太陽の光を反射して夜空で輝いている。それしか自身が輝く術を持たない、くだらないものだ。しかし、レオナは内心そんな月と自分を重ねることすらできなかった。あいつの光を受けて次に輝くのはオレじゃない。チェカだ。ファレナの次に王座が約束されているあの子供。心底憎いガキ。
そこまで考えてレオナははっと我に返った。自分が王になれないことに対して不満を持ってはいるが、だからといってチェカのことを心底恨んだことはない。ただ生まれてきただけのチェカには少しも落ち度なんて無い。だからこそ、自分はあれ程の劣等感を持っていたのだ。自分は大丈夫だ。今は一人じゃない。王宮で感じていた針で刺されているような孤独はここには無い。
「……ただの気のせいだろ」
「ちょっ、ここまで聞いといてそれは酷くないっスか!? レオナさん!」
「うるせぇ。そんなに怖ぇなら、戸締まりでもしとけ」
気分が悪い。
それを誤魔化すようにレオナは再びベッドに寝転がり、目を閉じた。背を向けた方で「そんなぁ」と弱々しい声が聞こえた。
「おい、ラギー。入って来る時は静かにしろ……って、何ビビってやがる?」
部屋に入って来たラギーはしきりに周囲を警戒している様子で、いつもの軽口は一切返って来ず、きょどきょどと周囲を目だけで全方位を見回そうと必死に動かしている。常と全く違う様子を見て、何かあったと察したレオナはこんな精神状態ではまともな家事は期待できないだろうと思い、一先ず安心させてやろうと先に動いた。
「ったく、テメェがそこまでビビるようなもんがいたのかぁ?」
揶揄う語調にもラギーは何も返してこない。その態度にいつもと違って調子が狂うなと思い、レオナは小さく舌打ちをすると先程ラギーが勢いよく閉めたドアをもう一度開けてみせた。その向こうには何もない。廊下に少し身を乗り出して左右を見ても、何もいない。
「おら、何もいね――」
「何開けてんスかっ!! アンタ!!」
レオナがゆっくり開けた扉を呆然と見つめていたラギーがはっとして駆け寄り、再び音を立ててしっかりと閉める。その慌てように些か身を引いたレオナは、怪訝そうに眉を寄せた。
「何焦ってんだ? ラギー」
「……んスよ」
「あぁ?」
「いたんスよっ! 今! 廊下の奥から……!! 足音!! あいつの!!」
まるで要領を得ない答えに益々レオナの眉間の皺が増えていく。レオナにはラギーの言っていることがさっぱり分からなかった。さっきからラギーが言っている足音なんて、彼には全く聞こえないからだ。彼は内心で「働かせ過ぎたか?」とラギーの正気を疑っていた。彼はしきりに「あいつが来る。オレがここにいるってバレたんだ……!!」と軽くパニックを起こしている。全く落ち着く様子のないラギーの頭をレオナは苛立ち紛れに軽く小突いた。気つけの意味も多少はある。
「いった!? なにも殴ることないでしょっ!? レオナさんっ!」
「少しは落ち着いたか? 何があったのか、一から話せ。さっきからお前の言う足音だの何だの、オレには全く聞こえないんでな」
「…………分かったッス」
それからラギーはしきりに辺りをずっと警戒しながらも、自分の身に何があったのか、事の経緯を話した。その間、黙って聞いていたレオナの脳裏にふと、ここ最近見る夢の内容が鮮明に思い出された。
気が付くと、いつもレオナは水辺に立っている。何故か水面から顔を上げることができず、水面をじっと見つめる範囲の視界でしか判断できないが、そこはいつもサバンナの水源のような場所だ。真ん中辺りにはいつも月が映っている。もうすぐ満ちようとしている月。薄黄色のそれはいつも静かにレオナを見つめ返していた。それを見る度、何故かいつも思い浮かべるのは兄のファレナのこと。まるでそこにあるのが当然だとでも言いたげな顔をして、夜空というこの世で最も広い場所に鎮座している姿と輝くばかりの髪を風に遊ばせ、王座に座する姿が重なって見えてしまうのだ。
「……」
月は太陽の光を反射して夜空で輝いている。それしか自身が輝く術を持たない、くだらないものだ。しかし、レオナは内心そんな月と自分を重ねることすらできなかった。あいつの光を受けて次に輝くのはオレじゃない。チェカだ。ファレナの次に王座が約束されているあの子供。心底憎いガキ。
そこまで考えてレオナははっと我に返った。自分が王になれないことに対して不満を持ってはいるが、だからといってチェカのことを心底恨んだことはない。ただ生まれてきただけのチェカには少しも落ち度なんて無い。だからこそ、自分はあれ程の劣等感を持っていたのだ。自分は大丈夫だ。今は一人じゃない。王宮で感じていた針で刺されているような孤独はここには無い。
「……ただの気のせいだろ」
「ちょっ、ここまで聞いといてそれは酷くないっスか!? レオナさん!」
「うるせぇ。そんなに怖ぇなら、戸締まりでもしとけ」
気分が悪い。
それを誤魔化すようにレオナは再びベッドに寝転がり、目を閉じた。背を向けた方で「そんなぁ」と弱々しい声が聞こえた。
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