お相手ごちゃ混ぜ
学園内にスウィングと名乗る男が侵入した。所属する学生達に危害を及ぼし、教師陣にも数人怪我人を出した。かつて『欲望の王』と呼ばれた妖精族の男はこの事態を重く見た学園長やトレイン、クルーウェル、バルガス総出で押さえ付け、サムの魔法で拘束し、そこでようやく止まったのだった。その後、スウィングの行方は誰も知らない。
ただ一人を除いては。
「しょうがないんですよ」
もうお手上げだとでも言うように、学園長は肩を竦めた。彼に呼び出された監督生は「はい」とも「いいえ」ともつかない気の抜けた返事をする。その代わりに表情は「面倒だな」と雄弁だった。
「何ですか、その顔は」
「いいえ、何でも」
「とにかく、あの男は大変危険ですが、魔力量と実力は確かなもの。無条件で手放すには大変……ごほん、少し惜しいのです。なので、警察に突き出さず、最低限の生活を保障する代わりに特別に禁書庫の見張り番をやって頂くことになりました! ……までは良かったのですが、彼からも条件を出されましてねぇ。それを呑まないと鎖を噛み千切ろうとするものですから困りましたよ」
「それで、条件って何ですか?」
どうせ碌でもないことだろうという顔をする監督生に、学園長は「こらこら、監督生君。そうやってすぐ顔に出すのは良くありませんよ」と注意しつつも、「まぁ、お察しの通りなんですけどね」と身も蓋もない調子で告げた。
「自分の手綱を監督生君に握らせろ、という訳なんですよぉ。いや、私も最初は反対したんですよ? 一度は学園で暴れ回り、生徒数人に怪我を負わせた危険人物に再び生徒を近付けさせる真似なんてできる訳ないでしょう! と。しかし、それを聞いた途端に拘束されている魔道具を歯で噛み千切って逃げようとしましてねぇ……もうそれから再び拘束して、魔道具の強度も上げましてもう大変! 今はガチガチに拘束してありますので、どう頑張っても逃げられないでしょう。……多分」
「どうして私なんですか?」
「さぁ、どうしてでしょう。それは私にも分かりかねます。ただ、何か彼なりの『こだわり』がある様子でしたよ? ま、とにかくあなたが彼の管理をするということなら彼は大人しく禁書庫の見張り番をしてくれると言っていますので、これを渡しておきます」
そう言って学園長が監督生に渡したのは、小さな鍵束だった。おそらくこれが禁書庫の鍵だろう。それにしてはやけに数が多い。一本はスペアだとしても合計で十本もある。
「なんですか? この鍵の多さは」
「ああ、五本はそれぞれのスペアキーです。禁書庫は文字通り、様々な理由で使用禁止・閲覧禁止となった魔導書が収蔵されていますから本来、一般生徒の立ち入りは原則禁止されているので、無闇に言い触らさないように。禁書庫までは扉が三枚あります。安全のためにですね。その鍵のうち、三本はその扉を開くための物ですよ。もし万が一、書庫の魔導書が世に出てしまったら……そしてそれが生徒達の手に渡ってしまったら……ああ、考えるだけで恐ろしい! それに危険な魔導書はそれ自体が魔力を帯びていて自我を持っていたり、使い方を間違えれば、大変なことになります。心して管理するよう、お願いしますよ!? 決して鍵をかけ忘れたりしてはいけませんよっ!?」
「わ、分かりました……」
「あっ、後、禁書庫の中は立ち入り禁止ですからねっ!? 鍵をお渡ししましたが、絶対に開けないように!!」
「分かってますって……あ、こっちの五本目の鍵は何なんですか?」
監督生が何気なく放った質問に学園長は神妙な顔つきになり、淡々と告げた。
「ああ、そちらはあの男を閉じ込めている扉と――首輪の鍵ですよ」
「……え?」
そこで学園長はいつもの調子に戻って「禁書庫にはクルーウェル先生が付き添ってくれますので、安心していいですよ」と胡散臭い笑顔を浮かべる。そんな彼を見て、監督生は「はぁ、そうですね。それは良かったです」と訝しげに返した。「え? 今、首輪って言った?」と訊き返したい気もしたが、それより先に学園長に部屋から追い出されてしまった。
禁書庫へは普段、使われていないエレベーターで行けるらしい。図書館の奥にある『STAFF ONLY』と書いてある施錠されたドアをクルーウェルが開け、彼に付き添われて――どちらかというと先導されているが――三枚の扉を渡された鍵で開けた監督生は入学して以来、一度も見たことの無い禁書庫の前に来た。クルーウェルの話では急遽、スウィングの生活スペースを増やすことになったせいで、妙な造りになってしまったようだが、それは実物を見てから監督生はなるほどと納得した。
本来であれば、禁書庫の入り口はもっとすっきりしたものなのだろうが、今は変に突き出ている部分があり、鉄格子が一部溶接し直された跡がある。
その突き出たスペースにスウィングはいた。大袈裟とも取れる程太い首輪を付けられ、その首輪から伸びる鎖は両手首の手錠に繋がっている。クルーウェルと監督生が来たと分かると、ざんばらの黒髪を邪魔そうにかき上げて鉄格子を掴んだ。
「おう、センセー。早速お嬢さんを連れて来てくれたのか」
「Be quiet. 発言を許可した覚えは無いぞ、スウィング。鉄格子からも離れろ」
がんっと鉄格子を愛用の指し棒で叩き、監督生とスウィングの間に入って距離を取らせようとするクルーウェル。幸い、格子を掴んでいるスウィングの手を打つことは無かったが、彼はわざとらしく鉄格子から両手を放し、降参だと言いたげに両手を上げておどけてみせた。
「おお、ガッコーのセンセーってのは怖いねぇ。あの坊や達もこうやって言うこと聞かせてるのかい?」
「私語は慎めと言ったはずだが? いつまでもそうやって無駄口を叩いていると、もっとキツイのを食らわせてやろう。お望みのようだからな」
その言葉と共に指し棒の先にクルーウェルの魔力が集まっていく。その光景を見てようやくスウィングは言うことを聞く気になったらしい。「分かった。分かったから、それは止めてくれ」と口では言うが、怯えているというよりは食傷気味になっているように見える。
「そう何度も電気なンか食らっちゃあ、さすがに参る。有り難くお嬢さんのお言葉を待つとしようか」
スウィングがようやく大人しくなったと確認できると、クルーウェルは監督生に場所を譲り、改めて彼女はスウィングと対面した。今までクルーウェルのコートでよく見えていなかったが、全く見覚えの無い大人の妖精だということに気付く。深緑色のコートを着ていて、肌は灰色、長い黒髪をそのまま下ろしているその男は一見するとただの浮浪者に見える。しかし、コートと同じ色の瞳の奥には獣のような獰猛さが潜み、こちらを値踏みするように見つめてくる。捕らえられているのはあちらだというのに、その鷹揚を気取った野心と余裕に満ちた態度はそんな不自由さなど無いかのように見えた。
スウィングは監督生の姿を認めると、待ち侘びたとでも言いたげに自身の唇を舐めた。その仕草を見ただけで、監督生の背筋を冷たいものが這い上がる。スウィングという肉食獣に獲物と断定されたような、心臓に直接刃物を差し込まれたような心地だった。
「久しぶり……ああ、違うか。この場合は『初めまして』か。俺はスウィング。今はこのガッコーでオイタしちまったからこうして捕まってる。よろしくね、お嬢さん」
しかし、彼自身は友好的に接しているつもりなのか、人当たりの良い笑顔を浮かべた。この状況ではそれが却って逆効果だ。監督生は怯えていると相手に悟られないよう、少し嫌な顔をして視線を逸らすのが精一杯だった。しかし、それが気に入らなかったのか、スウィングは脅すようにがんっと鉄格子を蹴り付ける。透かさず、クルーウェルが遮るように間に入った。
「おい、無視してンじゃねぇよ」
「そこまでだ。挨拶は済んだだろう。今日から貴様の管理はこの仔犬に一任することになった。……非常に不本意だがな。俺の仔犬に妙な真似をしてみろ。電気だけで済ませてやるつもりはない。その時は飽きる程、叩き込んでやる」
「おお、怖」
特に怖くも何とも思っていない口調と表情でスウィングは言う。もうここに長居する必要は無いとクルーウェルは監督生の背を押して上へ戻ろうとするが、彼女は最後に振り返って口を開いた。
「あの……スウィングさんに一個だけ、質問いいですか?」
「ん? なンだい?」
「あの、なんで私なんですか? 私達、面識無いはず……ですよね?」
「そうだったかな? 私は君のことをよーく知ってるよ。監督生くん。グリムくんは元気かな?」
何故、スウィングがこの場において一度も名前を出していないグリムのことまで知っているのか。薄気味悪さを覚えた監督生が困惑しているのを見て、何がおかしいのかスウィングは喉奥でくっくと笑い、やがてそれは高らかな哄笑となっていく。傍らに立つクルーウェルもまるで狂人を見るかのような目で彼を睨み、監督生の背を押して今度こそ禁書庫から出た。
入った時と同じように三枚の扉を施錠しながら、クルーウェルは背後の監督生を安心させるように言う。
「管理とは言ったが、最低限生かしておくだけで良い。お前がやることと言えば、ここのことを他生徒に漏らさないこととあいつの食事を運ぶくらいだ。会話はしたくないなら、しなくて良い。鉄格子には極力近付くな。魔封じの首輪と手錠をしているとはいえ、鎖の長さは生活に支障無い範囲までは伸びる。その気になれば、お前を格子の前まで誘い込んで危害を加えることはできてしまうからな。相手を自分と同じと思うな。そうだな……ああ、犬の躾と同じだと思っていれば良い。どちらが上の立場か、あいつに思い知らせてやれ」
「無理ですよ」
珍しく弱音を吐く監督生をクルーウェルはまじまじと見つめた。その視線に彼女は困惑の表情で返す。
「あんな危なそうな人、なんで私が……」
「それは仕方ないな。それが奴をここに拘束しておける最低限の条件だからだ」
「それに、なんであの鉄格子の鍵も一緒に渡すんですか? そっちの方が危ないじゃないですか」
それを聞くと、クルーウェルは神妙な顔をして黙り込んだ。常から高圧的なこの教師が黙り込むという反応を見せたことで段々と不安になってきた監督生は「え、なんですか?」と焦燥に似たものに駆られる。そんな彼女の反応にクルーウェルは「いや……」とだけ言い、次の扉へ向かうように急かす。
「いや、気になるじゃないですか。最後まで言ってくださいよ」
「Bad girl. 大人の事情だ。仔犬が一人前に首を突っ込もうとするんじゃない。ああ、奴に食事を与える時はまた教えよう。昼休みにまたここに来い」
その言葉に今度こそ監督生は「えぇ~!?」と露骨に嫌そうな顔をした。それにまた「Bad girl」を頂きながらも、彼女は今後の学校生活に思いを馳せて頭の中で現実逃避をしていた。
監督生を先に行かせてクルーウェルは次の扉への階段を上がる。最後に一度だけ禁書庫を振り返った彼は、スウィングを捕らえた際の彼の言葉を思い出していた。
急遽造られたあの空間へ押し込み、禁書庫の番人として機能するなら、警察には突き出さないという学園長の条件は一笑に付された。それはそうだろう。スウィング程の実力の持ち主なら、警察などでは歯が立たず、最低でもマジカルフォースの出動が必要になる。しかし、ケチな学園長は「マジカルフォースの出動なんて大事になるじゃないですかっ! 学園側としてもスキャンダルは避けねばなりませんっ!」という安定の態度だった為、何か彼をここに縛り付けておく理由が必要だったのだ。クルーウェルとしては以前、S.T.Y.Xの侵入を許した上にマレウス・ドラコニアの災害級魔法の件もあり、正直なところ「何を今更」と言いたかったが、黙っておいた。そんなつまらない理由で給与を減らされては困る。大人にはそういう嘘も必要なのだ。
しかし、それではスウィングをここに縛り付けておく理由が無くなってしまう。どうしたものかと膠着状態に陥ろうとしたところで、他でもないスウィング自身から提案があったのだった。
それは監督生に自分の管理を一任するというもの。だが、やはりこんな危険人物に生徒を関わらせることは極力防ぎたかった教師陣だったが、こちらが悩む姿勢を見せるとスウィングは魔封じの手錠を噛み切ろうとするものだから、条件を呑むしかなかった。魔封じの首輪と手錠を『一応』してはいるが、魔法が使えなくなった訳ではない。あくまでもこれは彼の魔力を最小限度まで抑え、強力な魔法の発動を防ぐ為の物だ。おそらくその気になれば、簡単に外して脱け出してしまうだろう。そんな彼がわざわざ檻の中に留まることを選んだのには理由があった。
「ごっこ遊びってあるだろ? 鬼ごっことか戦争ごっことか。スウィングさんはあれが無性にやりたくなっちまったンだ。だから、これは囚人と看守ごっこなンだよ」
「そんなふざけた理由があるか。第一、そんな遊びなど最初から成立していないだろうが」
「成立してない? ははは……そンなもン、どうだっていいンだよ」
がしゃんっと鉄格子に齧り付くようにして掴み、身を乗り出そうとするスウィング。一瞬、彼が檻の中から出ようとしていると錯覚する勢いだったので、教師陣は警戒色を強める。が、スウィングにはその気が無かったようで、警戒する教師陣を鼻で笑い、脅迫めいた語調で命令した。
「分かったら、ここにあのお嬢さんを連れて来い。あいつは僕の獲物だ」
その悪意とある種の狂気に塗れたスウィングに危うく教師陣は気圧されそうになったが、逆に一歩前に出たのはクルーウェルだった。いつもは吸わない紙巻きたばこを黒く短いシガレットホルダーに刺して火を点けると、ゆっくりと吸う。艶のある本体には金文字でメーカー名が入っており、持ち手の部分には銀のシンプルな飾りが施されている。喫煙習慣があまり無い彼にしては珍しいこともあるものだとトレインは内心思う。余程のことがない限り使わない物で、気合いを入れるという意味もあるのだろう。ふ、と煙を吐き出してクルーウェルはまだ半分も吸っていないそれをホルダーから外して足で踏み潰す。
「随分と好き勝手に言ってくれるな。貴様が命令できる立場だとでも? 何か勘違いしているようだから、先に言っておくが、一度こうして捕らえたからには専門機関に突き出すこともできない訳じゃない。かつて『欲望の王』などと呼ばれた存在だ。頭の先から爪先まで研究材料として非常に価値がある。その気になれば、その手の研究施設にでもぶち込んでやるが?」
「クルーウェル先生、その辺りで。それ以上は脅迫になってしまう」
今まで苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいたトレインに制され、密かにクルーウェルは舌打ちをする。そのやり取りにスウィングはまた人を食ったような笑みを浮かべる。
「おお、怖い怖い。じゃ、頼ンだよ。センセー方」
そう言って彼は深緑の瞳をにい、と細めるのだった。
脅しはしたが、今後スウィングが監督生に危害を加えない保証は無い。食事の与え方を教えたら、早々問題は起こらないだろうとクルーウェルは心のどこかで高を括っていた。
「先生? どうかしたんですか?」
「……いや、何でもない」
はっとクルーウェルは現実に意識を戻してそう返す。思ったより考え込んでいたようで、不思議そうな顔をしていた監督生は鍵を渡すよう手を差し出してくる。もう責任感が生まれてきたのかと密かに感心しながら、クルーウェルはその小さな手に鍵束を託した。監督生は「ありがとうございます」と受け取ると、最後の重い鉄扉を体全体で押して閉め切った。
ただ一人を除いては。
「しょうがないんですよ」
もうお手上げだとでも言うように、学園長は肩を竦めた。彼に呼び出された監督生は「はい」とも「いいえ」ともつかない気の抜けた返事をする。その代わりに表情は「面倒だな」と雄弁だった。
「何ですか、その顔は」
「いいえ、何でも」
「とにかく、あの男は大変危険ですが、魔力量と実力は確かなもの。無条件で手放すには大変……ごほん、少し惜しいのです。なので、警察に突き出さず、最低限の生活を保障する代わりに特別に禁書庫の見張り番をやって頂くことになりました! ……までは良かったのですが、彼からも条件を出されましてねぇ。それを呑まないと鎖を噛み千切ろうとするものですから困りましたよ」
「それで、条件って何ですか?」
どうせ碌でもないことだろうという顔をする監督生に、学園長は「こらこら、監督生君。そうやってすぐ顔に出すのは良くありませんよ」と注意しつつも、「まぁ、お察しの通りなんですけどね」と身も蓋もない調子で告げた。
「自分の手綱を監督生君に握らせろ、という訳なんですよぉ。いや、私も最初は反対したんですよ? 一度は学園で暴れ回り、生徒数人に怪我を負わせた危険人物に再び生徒を近付けさせる真似なんてできる訳ないでしょう! と。しかし、それを聞いた途端に拘束されている魔道具を歯で噛み千切って逃げようとしましてねぇ……もうそれから再び拘束して、魔道具の強度も上げましてもう大変! 今はガチガチに拘束してありますので、どう頑張っても逃げられないでしょう。……多分」
「どうして私なんですか?」
「さぁ、どうしてでしょう。それは私にも分かりかねます。ただ、何か彼なりの『こだわり』がある様子でしたよ? ま、とにかくあなたが彼の管理をするということなら彼は大人しく禁書庫の見張り番をしてくれると言っていますので、これを渡しておきます」
そう言って学園長が監督生に渡したのは、小さな鍵束だった。おそらくこれが禁書庫の鍵だろう。それにしてはやけに数が多い。一本はスペアだとしても合計で十本もある。
「なんですか? この鍵の多さは」
「ああ、五本はそれぞれのスペアキーです。禁書庫は文字通り、様々な理由で使用禁止・閲覧禁止となった魔導書が収蔵されていますから本来、一般生徒の立ち入りは原則禁止されているので、無闇に言い触らさないように。禁書庫までは扉が三枚あります。安全のためにですね。その鍵のうち、三本はその扉を開くための物ですよ。もし万が一、書庫の魔導書が世に出てしまったら……そしてそれが生徒達の手に渡ってしまったら……ああ、考えるだけで恐ろしい! それに危険な魔導書はそれ自体が魔力を帯びていて自我を持っていたり、使い方を間違えれば、大変なことになります。心して管理するよう、お願いしますよ!? 決して鍵をかけ忘れたりしてはいけませんよっ!?」
「わ、分かりました……」
「あっ、後、禁書庫の中は立ち入り禁止ですからねっ!? 鍵をお渡ししましたが、絶対に開けないように!!」
「分かってますって……あ、こっちの五本目の鍵は何なんですか?」
監督生が何気なく放った質問に学園長は神妙な顔つきになり、淡々と告げた。
「ああ、そちらはあの男を閉じ込めている扉と――首輪の鍵ですよ」
「……え?」
そこで学園長はいつもの調子に戻って「禁書庫にはクルーウェル先生が付き添ってくれますので、安心していいですよ」と胡散臭い笑顔を浮かべる。そんな彼を見て、監督生は「はぁ、そうですね。それは良かったです」と訝しげに返した。「え? 今、首輪って言った?」と訊き返したい気もしたが、それより先に学園長に部屋から追い出されてしまった。
禁書庫へは普段、使われていないエレベーターで行けるらしい。図書館の奥にある『STAFF ONLY』と書いてある施錠されたドアをクルーウェルが開け、彼に付き添われて――どちらかというと先導されているが――三枚の扉を渡された鍵で開けた監督生は入学して以来、一度も見たことの無い禁書庫の前に来た。クルーウェルの話では急遽、スウィングの生活スペースを増やすことになったせいで、妙な造りになってしまったようだが、それは実物を見てから監督生はなるほどと納得した。
本来であれば、禁書庫の入り口はもっとすっきりしたものなのだろうが、今は変に突き出ている部分があり、鉄格子が一部溶接し直された跡がある。
その突き出たスペースにスウィングはいた。大袈裟とも取れる程太い首輪を付けられ、その首輪から伸びる鎖は両手首の手錠に繋がっている。クルーウェルと監督生が来たと分かると、ざんばらの黒髪を邪魔そうにかき上げて鉄格子を掴んだ。
「おう、センセー。早速お嬢さんを連れて来てくれたのか」
「Be quiet. 発言を許可した覚えは無いぞ、スウィング。鉄格子からも離れろ」
がんっと鉄格子を愛用の指し棒で叩き、監督生とスウィングの間に入って距離を取らせようとするクルーウェル。幸い、格子を掴んでいるスウィングの手を打つことは無かったが、彼はわざとらしく鉄格子から両手を放し、降参だと言いたげに両手を上げておどけてみせた。
「おお、ガッコーのセンセーってのは怖いねぇ。あの坊や達もこうやって言うこと聞かせてるのかい?」
「私語は慎めと言ったはずだが? いつまでもそうやって無駄口を叩いていると、もっとキツイのを食らわせてやろう。お望みのようだからな」
その言葉と共に指し棒の先にクルーウェルの魔力が集まっていく。その光景を見てようやくスウィングは言うことを聞く気になったらしい。「分かった。分かったから、それは止めてくれ」と口では言うが、怯えているというよりは食傷気味になっているように見える。
「そう何度も電気なンか食らっちゃあ、さすがに参る。有り難くお嬢さんのお言葉を待つとしようか」
スウィングがようやく大人しくなったと確認できると、クルーウェルは監督生に場所を譲り、改めて彼女はスウィングと対面した。今までクルーウェルのコートでよく見えていなかったが、全く見覚えの無い大人の妖精だということに気付く。深緑色のコートを着ていて、肌は灰色、長い黒髪をそのまま下ろしているその男は一見するとただの浮浪者に見える。しかし、コートと同じ色の瞳の奥には獣のような獰猛さが潜み、こちらを値踏みするように見つめてくる。捕らえられているのはあちらだというのに、その鷹揚を気取った野心と余裕に満ちた態度はそんな不自由さなど無いかのように見えた。
スウィングは監督生の姿を認めると、待ち侘びたとでも言いたげに自身の唇を舐めた。その仕草を見ただけで、監督生の背筋を冷たいものが這い上がる。スウィングという肉食獣に獲物と断定されたような、心臓に直接刃物を差し込まれたような心地だった。
「久しぶり……ああ、違うか。この場合は『初めまして』か。俺はスウィング。今はこのガッコーでオイタしちまったからこうして捕まってる。よろしくね、お嬢さん」
しかし、彼自身は友好的に接しているつもりなのか、人当たりの良い笑顔を浮かべた。この状況ではそれが却って逆効果だ。監督生は怯えていると相手に悟られないよう、少し嫌な顔をして視線を逸らすのが精一杯だった。しかし、それが気に入らなかったのか、スウィングは脅すようにがんっと鉄格子を蹴り付ける。透かさず、クルーウェルが遮るように間に入った。
「おい、無視してンじゃねぇよ」
「そこまでだ。挨拶は済んだだろう。今日から貴様の管理はこの仔犬に一任することになった。……非常に不本意だがな。俺の仔犬に妙な真似をしてみろ。電気だけで済ませてやるつもりはない。その時は飽きる程、叩き込んでやる」
「おお、怖」
特に怖くも何とも思っていない口調と表情でスウィングは言う。もうここに長居する必要は無いとクルーウェルは監督生の背を押して上へ戻ろうとするが、彼女は最後に振り返って口を開いた。
「あの……スウィングさんに一個だけ、質問いいですか?」
「ん? なンだい?」
「あの、なんで私なんですか? 私達、面識無いはず……ですよね?」
「そうだったかな? 私は君のことをよーく知ってるよ。監督生くん。グリムくんは元気かな?」
何故、スウィングがこの場において一度も名前を出していないグリムのことまで知っているのか。薄気味悪さを覚えた監督生が困惑しているのを見て、何がおかしいのかスウィングは喉奥でくっくと笑い、やがてそれは高らかな哄笑となっていく。傍らに立つクルーウェルもまるで狂人を見るかのような目で彼を睨み、監督生の背を押して今度こそ禁書庫から出た。
入った時と同じように三枚の扉を施錠しながら、クルーウェルは背後の監督生を安心させるように言う。
「管理とは言ったが、最低限生かしておくだけで良い。お前がやることと言えば、ここのことを他生徒に漏らさないこととあいつの食事を運ぶくらいだ。会話はしたくないなら、しなくて良い。鉄格子には極力近付くな。魔封じの首輪と手錠をしているとはいえ、鎖の長さは生活に支障無い範囲までは伸びる。その気になれば、お前を格子の前まで誘い込んで危害を加えることはできてしまうからな。相手を自分と同じと思うな。そうだな……ああ、犬の躾と同じだと思っていれば良い。どちらが上の立場か、あいつに思い知らせてやれ」
「無理ですよ」
珍しく弱音を吐く監督生をクルーウェルはまじまじと見つめた。その視線に彼女は困惑の表情で返す。
「あんな危なそうな人、なんで私が……」
「それは仕方ないな。それが奴をここに拘束しておける最低限の条件だからだ」
「それに、なんであの鉄格子の鍵も一緒に渡すんですか? そっちの方が危ないじゃないですか」
それを聞くと、クルーウェルは神妙な顔をして黙り込んだ。常から高圧的なこの教師が黙り込むという反応を見せたことで段々と不安になってきた監督生は「え、なんですか?」と焦燥に似たものに駆られる。そんな彼女の反応にクルーウェルは「いや……」とだけ言い、次の扉へ向かうように急かす。
「いや、気になるじゃないですか。最後まで言ってくださいよ」
「Bad girl. 大人の事情だ。仔犬が一人前に首を突っ込もうとするんじゃない。ああ、奴に食事を与える時はまた教えよう。昼休みにまたここに来い」
その言葉に今度こそ監督生は「えぇ~!?」と露骨に嫌そうな顔をした。それにまた「Bad girl」を頂きながらも、彼女は今後の学校生活に思いを馳せて頭の中で現実逃避をしていた。
監督生を先に行かせてクルーウェルは次の扉への階段を上がる。最後に一度だけ禁書庫を振り返った彼は、スウィングを捕らえた際の彼の言葉を思い出していた。
急遽造られたあの空間へ押し込み、禁書庫の番人として機能するなら、警察には突き出さないという学園長の条件は一笑に付された。それはそうだろう。スウィング程の実力の持ち主なら、警察などでは歯が立たず、最低でもマジカルフォースの出動が必要になる。しかし、ケチな学園長は「マジカルフォースの出動なんて大事になるじゃないですかっ! 学園側としてもスキャンダルは避けねばなりませんっ!」という安定の態度だった為、何か彼をここに縛り付けておく理由が必要だったのだ。クルーウェルとしては以前、S.T.Y.Xの侵入を許した上にマレウス・ドラコニアの災害級魔法の件もあり、正直なところ「何を今更」と言いたかったが、黙っておいた。そんなつまらない理由で給与を減らされては困る。大人にはそういう嘘も必要なのだ。
しかし、それではスウィングをここに縛り付けておく理由が無くなってしまう。どうしたものかと膠着状態に陥ろうとしたところで、他でもないスウィング自身から提案があったのだった。
それは監督生に自分の管理を一任するというもの。だが、やはりこんな危険人物に生徒を関わらせることは極力防ぎたかった教師陣だったが、こちらが悩む姿勢を見せるとスウィングは魔封じの手錠を噛み切ろうとするものだから、条件を呑むしかなかった。魔封じの首輪と手錠を『一応』してはいるが、魔法が使えなくなった訳ではない。あくまでもこれは彼の魔力を最小限度まで抑え、強力な魔法の発動を防ぐ為の物だ。おそらくその気になれば、簡単に外して脱け出してしまうだろう。そんな彼がわざわざ檻の中に留まることを選んだのには理由があった。
「ごっこ遊びってあるだろ? 鬼ごっことか戦争ごっことか。スウィングさんはあれが無性にやりたくなっちまったンだ。だから、これは囚人と看守ごっこなンだよ」
「そんなふざけた理由があるか。第一、そんな遊びなど最初から成立していないだろうが」
「成立してない? ははは……そンなもン、どうだっていいンだよ」
がしゃんっと鉄格子に齧り付くようにして掴み、身を乗り出そうとするスウィング。一瞬、彼が檻の中から出ようとしていると錯覚する勢いだったので、教師陣は警戒色を強める。が、スウィングにはその気が無かったようで、警戒する教師陣を鼻で笑い、脅迫めいた語調で命令した。
「分かったら、ここにあのお嬢さんを連れて来い。あいつは僕の獲物だ」
その悪意とある種の狂気に塗れたスウィングに危うく教師陣は気圧されそうになったが、逆に一歩前に出たのはクルーウェルだった。いつもは吸わない紙巻きたばこを黒く短いシガレットホルダーに刺して火を点けると、ゆっくりと吸う。艶のある本体には金文字でメーカー名が入っており、持ち手の部分には銀のシンプルな飾りが施されている。喫煙習慣があまり無い彼にしては珍しいこともあるものだとトレインは内心思う。余程のことがない限り使わない物で、気合いを入れるという意味もあるのだろう。ふ、と煙を吐き出してクルーウェルはまだ半分も吸っていないそれをホルダーから外して足で踏み潰す。
「随分と好き勝手に言ってくれるな。貴様が命令できる立場だとでも? 何か勘違いしているようだから、先に言っておくが、一度こうして捕らえたからには専門機関に突き出すこともできない訳じゃない。かつて『欲望の王』などと呼ばれた存在だ。頭の先から爪先まで研究材料として非常に価値がある。その気になれば、その手の研究施設にでもぶち込んでやるが?」
「クルーウェル先生、その辺りで。それ以上は脅迫になってしまう」
今まで苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいたトレインに制され、密かにクルーウェルは舌打ちをする。そのやり取りにスウィングはまた人を食ったような笑みを浮かべる。
「おお、怖い怖い。じゃ、頼ンだよ。センセー方」
そう言って彼は深緑の瞳をにい、と細めるのだった。
脅しはしたが、今後スウィングが監督生に危害を加えない保証は無い。食事の与え方を教えたら、早々問題は起こらないだろうとクルーウェルは心のどこかで高を括っていた。
「先生? どうかしたんですか?」
「……いや、何でもない」
はっとクルーウェルは現実に意識を戻してそう返す。思ったより考え込んでいたようで、不思議そうな顔をしていた監督生は鍵を渡すよう手を差し出してくる。もう責任感が生まれてきたのかと密かに感心しながら、クルーウェルはその小さな手に鍵束を託した。監督生は「ありがとうございます」と受け取ると、最後の重い鉄扉を体全体で押して閉め切った。
