第三章 海神と恋人
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裁判が開始となったが、何より優先されたのは冒頭陳述でもなく、質疑でもなく、テミスの能力だった。彼女は徐に目元を覆っていた黒い布を外し、目蓋が閉じられたまま、まずは左目に眼帯を付けた。そのまま右目をゆっくり開くと、彼女の目から一切の光が無くなり、まるで澄み切った水面に映った太陽やレンズを想起させる程の眩い白を湛え始める。よくよく目を凝らしてみると、彼女の右目には小さな鏡像があるように見えた。この裁判に至るまでの千栄理の在り方、神々や人々との関係、彼女の魔法の使い方等を事細かに、つぶさに見ているようだった。ヘルメスから説明を受け、すごいすごいと素直に感心する千栄理とは対照的に、ベリアルは誰にも聞こえないようにぼそりと「あんな[[rb:能力 > もの]]があるのに、裁判なんて必要なんですかねぇ」と零す。頭では必要な裁判だと分かってはいるが、正義を振りかざす者を見ると、つい嫌味を言わずにはいられない悪魔の性が彼の口を借りて出てきたのだった。
やがて全容を見終わったらしく、徐にテミスは目を閉じて眼帯をし直し、今度は右目と同じように左目をゆっくりと開く。こちらは右目と違って、底なしのような黒い瞳だ。と、不意にテミスは千栄理の方へ向き、じっと見つめ始める。見つめられた千栄理は目に見えて戸惑い、隣のヘルメスへ目だけで説明を求めるが、何故か彼は愛想笑いを浮かべたまま黙り込んでいるだけだ。特に助け舟を出してくれたり、説明をしてくれる訳でも無く、ただ千栄理が戸惑っている様をにこにこと観察しているだけだ。沈黙の時間は永遠に続くと思われたが、それはテミスの言葉によって終わった。
「分かりましたよ、千栄理。あなたの心持ちが」
「はっ、はいっ……」
突然、名前を呼ばれて思わず返事をしてしまった千栄理だが、気にせずテミスは僅かに微笑して手元の書類にさらさらと何やら書き込んでいく。そこで漸くヘルメスの説明が入った。
「テミス様はあのように起こった出来事、当事者の心を読み取り、それをそのまま裁判長にお渡しして、判決を促します」
「もう判決が出るんですか?」
「いえ、正確には私のような弁護側の話を聞いてからになります。テミス様が見た情報と齟齬が無いか、という点だけ見て判断するのですよ」
丁度ヘルメスの説明が終わると、フォルセティは千栄理の弁護士、つまりヘルメスに彼女の弁護を始めるよう声を掛けた。
「おや、早速ですか」
「では、頑張りますね」とにこやかに千栄理に笑いかけると、ヘルメスは徐に立ち上がった。
ヘルメスの陳述は短くも流麗で分かりやすいものだったが、些か千栄理が神ではないとする証明としては弱い主張であった。もちろん、これはわざとだ。この場で敢えて弱い主張をすることで、逆説的に千栄理は神に成りうる人間であると印象付ける為だ。フォルセティはうんうんと頷きつつ、今度はベリアルへ目を向ける。その意図を汲み取った彼は自分の番が来ると、さっと立ち上がり、如何に彼女が本来の神々の邪魔をしているかという点を挙げて、彼女を責め立てる。これもベリアルの役割であり、ただの人間である彼女が神として下層の世界に手を出すことは天界に良い影響を与えないことを強調し、彼女に責任を取らせることを神に昇格させる口実にしようとしているのだ。
ベリアルの強気な口調と陳述に千栄理が怯え、おろおろとし始めた時、その人影は割り込んできた。服という物を知らないかのように逞しく、美しい体を晒し、唯一隠すべきところを隠しているのは大きなイチジクの葉一枚。ふんわりとした金の短髪を揺らし、何を考えているのか分からない青の瞳。ポセイドンとはまた違う静かな雰囲気を纏っている青年は、周囲の神々の声が聞こえていないように真っ直ぐ千栄理の前に立った。
「非常識ですよ、あなた! ここをどこだと思って――」
「ねぇ」
ベリアルの怒りの声すら無視して、その青年は千栄理にだけ問うた。
「キミはどうしたいの?」
「……え? あの……?」
「おいっ! 無視するなっ!」
尚もベリアルを無視し、戸惑う千栄理に青年はまた静かに続ける。
「他の人達が色々言ってるけど、キミ自身はどうしたいの?」
その一言で、千栄理は救われた心地がした。この裁判に参加することになってからも、裁判が始まってからも、誰も彼女の意思を確認していない。それ故に彼女は裁判中、疎外感に最も近い孤独感を覚えていたのだった。自分の存在が他者に迷惑をかけていることが、心苦しかった。何も分からない自分を今更ながらに恥じた。
「わたし、は……」
「僕を無視するなんて、良い度胸ですね! ちょーっと痛い目に遭ってもらいましょうか!」
いきなり乱入してきた挙句、自分を無視した存在が許せないベリアルは足に炎を纏わせ、青年の背後に迫る。背後に危機が迫っているというのに、青年は徐に振り向いたかと思うと、ベリアルより先に動いた。否、正確にはコンマ一秒の差でベリアルより後に動いていたのだが、常人の目には同時に見えたのだ。
じゅう、と肉や髪の毛が焼ける音と嫌な匂いが立つ。左の腿から目までを一直線に焼かれたベリアルは、自分が何をされたのか理解すると、痛みに絶叫した。
「あ゛ぁああああああああああああっ!!??」
何をされたのかは理解できた彼だが、何が起こったのかは理解できなかった。ただ、左半身を焼かれる痛みだけが彼を責め苛んでいた。
「痛いぃいいいっ!! 痛いよぉおおおおっ!!」
痛みで悲鳴を上げ、床を転げ回るベリアル。騒然とする人波の中から飛び立ち、彼を掴んで裁判場から黒い鳥のような影が出て行く。これではもう裁判どころではなくなってしまったフォルセティは「へ、閉廷! 閉廷といたします!」と無理矢理場を収める方に終始するのだった。
ベリアルの細い足を掴んで、救破は上層を目指して飛んでいた。向かうはもちろん、ベルゼブブの研究室だ。左半身の火傷からぼたぼたと血を流し、右目から涙を流しながら、ベリアルは青年に対して怒りと悔しさを恨み言として吐き捨てていた。
「何なんだよっ!! あいつ!! よくも、よくも僕の顔を……っ!!!」
「ヘハハ! ざまぁねーじゃん、おっさん。今まで調子乗ってきたツケが回ってきたんじゃねぇのぉ?」
運んでやっているという条件を遂行しているので、自分に手は出してこないだろうという慢心と優越感が救破の口から嘲笑と共に出てくる。しかしその瞬間、心臓にどっと突き刺された、最早槍と言っても良い程太い矢に貫かれ、救破は大量の黒い血を撒き散らしながらくるくると弧を描いて落ちていった。
落ちた先は人間達の国からだいぶ離れた森の中で、救破の血によってじゅうじゅうと草木が腐って溶け消える中、ベリアルはぐすぐすと泣きながら、尚も青年への恨み言をぶつぶつと続けていた。
「殺してやる……!! 僕を侮辱したことを後悔させてやる!!」
「ごほっ……テメェ、他人の心臓、遠慮なくぶち抜きやがって……」
蘇ってきた救破を完全に無視して、ベリアルはただただ右目からとめどなく涙を流しつつ、いつまでもいつまでも恨み言を並べていた。
ベリアルが強制退場となったことで、裁判場は依然として騒がしい。千栄理はどうしたらいいか分からず、自分の席で縮こまっていることしかできない。そんな彼女に裸の青年は何故か「良かった」と零した。
「これで……良かったんでしょうか?」
「子供達が――」
「え?」
「子供達が、キミのことを心配していたから、様子を見に来ただけなんだけど……」
その青年が指している『子供達』とは誰のことなのか、千栄理には分からなかったが、目の前の青年が微かに優しく笑っているのを見ると、危ない橋を無事渡り切ったような気がした。
やがて全容を見終わったらしく、徐にテミスは目を閉じて眼帯をし直し、今度は右目と同じように左目をゆっくりと開く。こちらは右目と違って、底なしのような黒い瞳だ。と、不意にテミスは千栄理の方へ向き、じっと見つめ始める。見つめられた千栄理は目に見えて戸惑い、隣のヘルメスへ目だけで説明を求めるが、何故か彼は愛想笑いを浮かべたまま黙り込んでいるだけだ。特に助け舟を出してくれたり、説明をしてくれる訳でも無く、ただ千栄理が戸惑っている様をにこにこと観察しているだけだ。沈黙の時間は永遠に続くと思われたが、それはテミスの言葉によって終わった。
「分かりましたよ、千栄理。あなたの心持ちが」
「はっ、はいっ……」
突然、名前を呼ばれて思わず返事をしてしまった千栄理だが、気にせずテミスは僅かに微笑して手元の書類にさらさらと何やら書き込んでいく。そこで漸くヘルメスの説明が入った。
「テミス様はあのように起こった出来事、当事者の心を読み取り、それをそのまま裁判長にお渡しして、判決を促します」
「もう判決が出るんですか?」
「いえ、正確には私のような弁護側の話を聞いてからになります。テミス様が見た情報と齟齬が無いか、という点だけ見て判断するのですよ」
丁度ヘルメスの説明が終わると、フォルセティは千栄理の弁護士、つまりヘルメスに彼女の弁護を始めるよう声を掛けた。
「おや、早速ですか」
「では、頑張りますね」とにこやかに千栄理に笑いかけると、ヘルメスは徐に立ち上がった。
ヘルメスの陳述は短くも流麗で分かりやすいものだったが、些か千栄理が神ではないとする証明としては弱い主張であった。もちろん、これはわざとだ。この場で敢えて弱い主張をすることで、逆説的に千栄理は神に成りうる人間であると印象付ける為だ。フォルセティはうんうんと頷きつつ、今度はベリアルへ目を向ける。その意図を汲み取った彼は自分の番が来ると、さっと立ち上がり、如何に彼女が本来の神々の邪魔をしているかという点を挙げて、彼女を責め立てる。これもベリアルの役割であり、ただの人間である彼女が神として下層の世界に手を出すことは天界に良い影響を与えないことを強調し、彼女に責任を取らせることを神に昇格させる口実にしようとしているのだ。
ベリアルの強気な口調と陳述に千栄理が怯え、おろおろとし始めた時、その人影は割り込んできた。服という物を知らないかのように逞しく、美しい体を晒し、唯一隠すべきところを隠しているのは大きなイチジクの葉一枚。ふんわりとした金の短髪を揺らし、何を考えているのか分からない青の瞳。ポセイドンとはまた違う静かな雰囲気を纏っている青年は、周囲の神々の声が聞こえていないように真っ直ぐ千栄理の前に立った。
「非常識ですよ、あなた! ここをどこだと思って――」
「ねぇ」
ベリアルの怒りの声すら無視して、その青年は千栄理にだけ問うた。
「キミはどうしたいの?」
「……え? あの……?」
「おいっ! 無視するなっ!」
尚もベリアルを無視し、戸惑う千栄理に青年はまた静かに続ける。
「他の人達が色々言ってるけど、キミ自身はどうしたいの?」
その一言で、千栄理は救われた心地がした。この裁判に参加することになってからも、裁判が始まってからも、誰も彼女の意思を確認していない。それ故に彼女は裁判中、疎外感に最も近い孤独感を覚えていたのだった。自分の存在が他者に迷惑をかけていることが、心苦しかった。何も分からない自分を今更ながらに恥じた。
「わたし、は……」
「僕を無視するなんて、良い度胸ですね! ちょーっと痛い目に遭ってもらいましょうか!」
いきなり乱入してきた挙句、自分を無視した存在が許せないベリアルは足に炎を纏わせ、青年の背後に迫る。背後に危機が迫っているというのに、青年は徐に振り向いたかと思うと、ベリアルより先に動いた。否、正確にはコンマ一秒の差でベリアルより後に動いていたのだが、常人の目には同時に見えたのだ。
じゅう、と肉や髪の毛が焼ける音と嫌な匂いが立つ。左の腿から目までを一直線に焼かれたベリアルは、自分が何をされたのか理解すると、痛みに絶叫した。
「あ゛ぁああああああああああああっ!!??」
何をされたのかは理解できた彼だが、何が起こったのかは理解できなかった。ただ、左半身を焼かれる痛みだけが彼を責め苛んでいた。
「痛いぃいいいっ!! 痛いよぉおおおおっ!!」
痛みで悲鳴を上げ、床を転げ回るベリアル。騒然とする人波の中から飛び立ち、彼を掴んで裁判場から黒い鳥のような影が出て行く。これではもう裁判どころではなくなってしまったフォルセティは「へ、閉廷! 閉廷といたします!」と無理矢理場を収める方に終始するのだった。
ベリアルの細い足を掴んで、救破は上層を目指して飛んでいた。向かうはもちろん、ベルゼブブの研究室だ。左半身の火傷からぼたぼたと血を流し、右目から涙を流しながら、ベリアルは青年に対して怒りと悔しさを恨み言として吐き捨てていた。
「何なんだよっ!! あいつ!! よくも、よくも僕の顔を……っ!!!」
「ヘハハ! ざまぁねーじゃん、おっさん。今まで調子乗ってきたツケが回ってきたんじゃねぇのぉ?」
運んでやっているという条件を遂行しているので、自分に手は出してこないだろうという慢心と優越感が救破の口から嘲笑と共に出てくる。しかしその瞬間、心臓にどっと突き刺された、最早槍と言っても良い程太い矢に貫かれ、救破は大量の黒い血を撒き散らしながらくるくると弧を描いて落ちていった。
落ちた先は人間達の国からだいぶ離れた森の中で、救破の血によってじゅうじゅうと草木が腐って溶け消える中、ベリアルはぐすぐすと泣きながら、尚も青年への恨み言をぶつぶつと続けていた。
「殺してやる……!! 僕を侮辱したことを後悔させてやる!!」
「ごほっ……テメェ、他人の心臓、遠慮なくぶち抜きやがって……」
蘇ってきた救破を完全に無視して、ベリアルはただただ右目からとめどなく涙を流しつつ、いつまでもいつまでも恨み言を並べていた。
ベリアルが強制退場となったことで、裁判場は依然として騒がしい。千栄理はどうしたらいいか分からず、自分の席で縮こまっていることしかできない。そんな彼女に裸の青年は何故か「良かった」と零した。
「これで……良かったんでしょうか?」
「子供達が――」
「え?」
「子供達が、キミのことを心配していたから、様子を見に来ただけなんだけど……」
その青年が指している『子供達』とは誰のことなのか、千栄理には分からなかったが、目の前の青年が微かに優しく笑っているのを見ると、危ない橋を無事渡り切ったような気がした。
