第三章 海神と恋人
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誰もいない廊下をベルゼブブは一人、静かに歩いて行く。千栄理と別れて最初の角を曲がると、背後に気配が近付いてきた。バサバサと羽ばたく音をわざとらしく響かせて、それはベルゼブブの肩に止まった。
「見ーちゃった。ベル、あのご飯ちゃん助けるなんて、随分とイイことしたなぁ?」
今更現れた救破に、ベルゼブブはこれ見よがしに大きく溜息を吐いてみせた。
「今更何しに来たの、救破」
「そう言うなって。珍しく、うちのベルちゃんが人助けなんてしたからさぁ。…………そっちこそ今更良い子ぶっちゃって、お前の罪が少しでも軽くなったとか思うなよ」
先程までの軽薄な雰囲気を一切押し退け、別の顔を覗かせた救破はベルゼブブの頬を掴み、自分の方へ無理やり向かせる。救破の顔に相当する部分、そこにはただ闇があり、異様に大きな二つの目がぎょろりと、開かれた。
「お前はオレの宿主 なんだ。どんなことをしようが無駄で、不毛で、無価値で、無意味な、憎まれるしかない存在なんだよ」
「…………分かってるよ。僕は、最も残酷に、最も無惨に、最も醜く死ぬんだから」
「『愛は憎悪』。忘れるな、サタンに呪われし者 」
「言われなくても分かってるよ、救破 」
「嗚呼、そうだ。お前が苦しめば苦しむ程、オレは満たされる……」
「今後も期待しているぞ」と言って、漸く救破は手を放した。
「んじゃ、蛇の丸焼き食いに行こうぜぇ~」
「あんなの食べるの、お前くらいだよ」
また肩に止まった救破をそのままに、ベルゼブブはある部屋へ向かった。
ノックもせずにドアを開けると、そこには蠢く炎の輪で胴と尾、両手首と首を拘束され、壁に磔にされたラミアを見張っているベリアルがいた。
「遅かったじゃないですか、ブブくん。ちゃんと小瓶は回収しました?」
「偉そうにできる立場なの? ベリアル。当たり前でしょ。今回のことはハデスさんに報告したからね」
「うげぇ~! ふざけんじゃねーですよ。全部この女が悪いのにぃ~!」
「ははっ。チビが怒ってる」
「ぶっ殺されたいんですか? この鳥頭」
「やれるもんなら、やってみろよ。クソガキ」
「はいはい、ケンカしてる場合じゃないでしょ。ベリアル、その女の毒袋だけ欲しいんだけど、いい?」
「いいですよ。ぼく、どこも要らないし」
「じゃあ、残りはオレのご飯にする」
「ちょ、ちょっと! あんた達、何の話を――」
自分を置いて勝手に話を進める一同にラミアが割って入るが、三者三様、あっさりと答える。
「何って、キミをどう処理するかって話だけど?」
「君を生かしておく理由、毛ほども無いですしー」
「オレは美味しいご飯が食べたいから」
「ね、ねぇ、嘘でしょ? 小瓶を回収できたんだったら、私、あの子に何もしてないってことになるわよね?」
「そうですねー」
「だったら、何も、こ、こ、殺さなくたって……」
ラミアの訴えに一柱と二人は互いに顔を見合わせ、心底不思議そうな顔をした。代表としてベルゼブブが一歩、彼女に近付き、口を開く。
「じゃあ、頭の悪いキミにも分かるように説明してあげようか。僕はラミア族であるキミの毒袋が欲しい。ベリアルはキミの勝手な行動で計画を狂わされたから、今後のことを考えて始末したい。救破は蛇料理が食べたい。ほら、僕らの利害は一致してるんだよ。キミに拒否権は無い」
「なっ……」
あまりにも自分勝手な言い分をこの世の理だという顔で告げた彼に、ラミアは頭の中で潮が引くように血の気が引いていくのが分かった。こいつら、本気だ。本気で自分を殺そうとしていると分かった彼女の判断は早かった。
少量の毒を口に含み、文字通り吐き捨てて逃げようと試みた。相手の目を潰し、混乱したところで拘束を解く、あるいは一柱を人質に取って拘束を解くよう脅せばいい。幸い、尾を押さえている炎の輪は、他の部位より若干緩い。
予想通り、毒はベルゼブブの両目に命中し、彼は咄嗟に手で自分の目を押さえる。じゅう、とタンパク質を焼き溶かす音と蒸気が上がり、彼の指の間から立ち上った。今だ!
尾の拘束を力任せに解き、ベルゼブブの体に巻き付けようとしたところで、彼女は貫かれたような違和感を覚えた。
「あっ……!? え?」
見ると、先程まで縛り付けられていた部分と寸分違わぬ場所に、炎の釘のようなものと救破の鋭い足の爪が突き刺さっていた。鱗を剥がし、嘲笑うかのようにわざと尾の先端を貫いているそれらを目にしてから、ラミアは漸く痛みと熱を感じた。
「あ、あ゛あ゛あ゛ああああああっ!! いだっ! いだい゛いいいいいいっ!!!!」
「痛ぁいですねぇ。抵抗しちゃおうとか思ったあなたが悪いんですよー。ま、バカだから、あんなトラップに引っかかってくれたんでしょうけど。ブブくん、少量浴びた感想はどうですか? 今度こそ死ねそうです?」
「なぁ、ベル。まだ『待て』かぁ? オレ、早く食いたいんだけど~?」
ベルゼブブの両目が焼けようと、後の二人には関係無かった。一分も取り乱すこと無く、至って冷静に逃げようとしたラミアを、ベリアルは炎の小さな矢で刺し、救破は自分の爪で乱暴に押さえ付けただけだった。二人の呼びかけに、ベルゼブブは顔を上げ、失望を呟いた。その両目は何事も無かったかのように元に戻っている。
「駄目だ、使えない。こんな毒じゃ、僕は死ねないよ」
ぞっとした。今まで自分の毒を浴びて綺麗な体のままでいた者など、見たことが無かったからだ。何なの、こいつら。逃げなきゃ! 逃げなきゃ殺される!
「この程度の威力じゃ、直接の死因にはならないけど、これをベースにもっと強化と改良を加えれば……」
「なぁ、ベル~! もういいだろ! 早くしろよ! でないと、丸ごと食っちまうぞ!」
「ああ、そうだね。じゃあ、始めようか」
どこからか取り出した手術着に着替え、メスを持って近寄ってくるベルゼブブに、ラミアは最期の抵抗をした。
「なんで、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの? 私はただ、ポセイドン様に、愛されたかっただけなのに。なんで、私じゃないの……?」
静かにゆっくりとやって来る絶望に、ラミアはとうとう屈した。
「『なんで私じゃないの』、ですか。そんなの、ただ選ばれなかっただけですよ。選ばれる者がいるっていうのは、そういうことです」
「ん……むぐ、もぐ……うんまっ!」
ベルゼブブは摘出した毒袋を血塗れの手で大事そうに袋にしまい、救破は残骸を夢中で口に入れる。
「ベリアル、今回は手助けしたけど、次は――」
「分かってますよ。次はこんな失敗しません。上手くやります」
自分達は所詮、脇役で汚れ役なのだから、立ち回りは目立たず、上手くやれ。目でそう言われ、ベリアルはどうにも読めない、無表情に近い顔でそれだけ言った。ラミアだった物を嬉しそうに食べる救破を一瞥して、ベリアルは心底軽蔑した眼差しを送り、部屋から出て行った。
救破の咀嚼音だけが響く部屋の中で、ベルゼブブは何となく、先程の千栄理の言葉を思い出していた。
「いつかあなたとも、お友達になれたら」
ふっ、と彼の口端から笑い声が漏れる。それを皮切りに段々大きくなっていき、それはやがて哄笑となり、ベルゼブブの体を振動が伝わる。
一頻り嗤った後、自分に言い聞かせるように、呟いた。
「そんなこと、有り得ない」
もうこの手は何千、何万の命を弄り、屠ってきただろう。一瞬だけでも、夢を見た自分が可笑しいと同時に、更なる絶望へと、ベルゼブブは一人堕ちていく。
「僕に夢なんか見せるな」
静かに告げられた言葉には、いっそ憎悪すら、込められていた。
「見ーちゃった。ベル、あのご飯ちゃん助けるなんて、随分とイイことしたなぁ?」
今更現れた救破に、ベルゼブブはこれ見よがしに大きく溜息を吐いてみせた。
「今更何しに来たの、救破」
「そう言うなって。珍しく、うちのベルちゃんが人助けなんてしたからさぁ。…………そっちこそ今更良い子ぶっちゃって、お前の罪が少しでも軽くなったとか思うなよ」
先程までの軽薄な雰囲気を一切押し退け、別の顔を覗かせた救破はベルゼブブの頬を掴み、自分の方へ無理やり向かせる。救破の顔に相当する部分、そこにはただ闇があり、異様に大きな二つの目がぎょろりと、開かれた。
「お前はオレの
「…………分かってるよ。僕は、最も残酷に、最も無惨に、最も醜く死ぬんだから」
「『愛は憎悪』。忘れるな、
「言われなくても分かってるよ、
「嗚呼、そうだ。お前が苦しめば苦しむ程、オレは満たされる……」
「今後も期待しているぞ」と言って、漸く救破は手を放した。
「んじゃ、蛇の丸焼き食いに行こうぜぇ~」
「あんなの食べるの、お前くらいだよ」
また肩に止まった救破をそのままに、ベルゼブブはある部屋へ向かった。
ノックもせずにドアを開けると、そこには蠢く炎の輪で胴と尾、両手首と首を拘束され、壁に磔にされたラミアを見張っているベリアルがいた。
「遅かったじゃないですか、ブブくん。ちゃんと小瓶は回収しました?」
「偉そうにできる立場なの? ベリアル。当たり前でしょ。今回のことはハデスさんに報告したからね」
「うげぇ~! ふざけんじゃねーですよ。全部この女が悪いのにぃ~!」
「ははっ。チビが怒ってる」
「ぶっ殺されたいんですか? この鳥頭」
「やれるもんなら、やってみろよ。クソガキ」
「はいはい、ケンカしてる場合じゃないでしょ。ベリアル、その女の毒袋だけ欲しいんだけど、いい?」
「いいですよ。ぼく、どこも要らないし」
「じゃあ、残りはオレのご飯にする」
「ちょ、ちょっと! あんた達、何の話を――」
自分を置いて勝手に話を進める一同にラミアが割って入るが、三者三様、あっさりと答える。
「何って、キミをどう処理するかって話だけど?」
「君を生かしておく理由、毛ほども無いですしー」
「オレは美味しいご飯が食べたいから」
「ね、ねぇ、嘘でしょ? 小瓶を回収できたんだったら、私、あの子に何もしてないってことになるわよね?」
「そうですねー」
「だったら、何も、こ、こ、殺さなくたって……」
ラミアの訴えに一柱と二人は互いに顔を見合わせ、心底不思議そうな顔をした。代表としてベルゼブブが一歩、彼女に近付き、口を開く。
「じゃあ、頭の悪いキミにも分かるように説明してあげようか。僕はラミア族であるキミの毒袋が欲しい。ベリアルはキミの勝手な行動で計画を狂わされたから、今後のことを考えて始末したい。救破は蛇料理が食べたい。ほら、僕らの利害は一致してるんだよ。キミに拒否権は無い」
「なっ……」
あまりにも自分勝手な言い分をこの世の理だという顔で告げた彼に、ラミアは頭の中で潮が引くように血の気が引いていくのが分かった。こいつら、本気だ。本気で自分を殺そうとしていると分かった彼女の判断は早かった。
少量の毒を口に含み、文字通り吐き捨てて逃げようと試みた。相手の目を潰し、混乱したところで拘束を解く、あるいは一柱を人質に取って拘束を解くよう脅せばいい。幸い、尾を押さえている炎の輪は、他の部位より若干緩い。
予想通り、毒はベルゼブブの両目に命中し、彼は咄嗟に手で自分の目を押さえる。じゅう、とタンパク質を焼き溶かす音と蒸気が上がり、彼の指の間から立ち上った。今だ!
尾の拘束を力任せに解き、ベルゼブブの体に巻き付けようとしたところで、彼女は貫かれたような違和感を覚えた。
「あっ……!? え?」
見ると、先程まで縛り付けられていた部分と寸分違わぬ場所に、炎の釘のようなものと救破の鋭い足の爪が突き刺さっていた。鱗を剥がし、嘲笑うかのようにわざと尾の先端を貫いているそれらを目にしてから、ラミアは漸く痛みと熱を感じた。
「あ、あ゛あ゛あ゛ああああああっ!! いだっ! いだい゛いいいいいいっ!!!!」
「痛ぁいですねぇ。抵抗しちゃおうとか思ったあなたが悪いんですよー。ま、バカだから、あんなトラップに引っかかってくれたんでしょうけど。ブブくん、少量浴びた感想はどうですか? 今度こそ死ねそうです?」
「なぁ、ベル。まだ『待て』かぁ? オレ、早く食いたいんだけど~?」
ベルゼブブの両目が焼けようと、後の二人には関係無かった。一分も取り乱すこと無く、至って冷静に逃げようとしたラミアを、ベリアルは炎の小さな矢で刺し、救破は自分の爪で乱暴に押さえ付けただけだった。二人の呼びかけに、ベルゼブブは顔を上げ、失望を呟いた。その両目は何事も無かったかのように元に戻っている。
「駄目だ、使えない。こんな毒じゃ、僕は死ねないよ」
ぞっとした。今まで自分の毒を浴びて綺麗な体のままでいた者など、見たことが無かったからだ。何なの、こいつら。逃げなきゃ! 逃げなきゃ殺される!
「この程度の威力じゃ、直接の死因にはならないけど、これをベースにもっと強化と改良を加えれば……」
「なぁ、ベル~! もういいだろ! 早くしろよ! でないと、丸ごと食っちまうぞ!」
「ああ、そうだね。じゃあ、始めようか」
どこからか取り出した手術着に着替え、メスを持って近寄ってくるベルゼブブに、ラミアは最期の抵抗をした。
「なんで、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの? 私はただ、ポセイドン様に、愛されたかっただけなのに。なんで、私じゃないの……?」
静かにゆっくりとやって来る絶望に、ラミアはとうとう屈した。
「『なんで私じゃないの』、ですか。そんなの、ただ選ばれなかっただけですよ。選ばれる者がいるっていうのは、そういうことです」
「ん……むぐ、もぐ……うんまっ!」
ベルゼブブは摘出した毒袋を血塗れの手で大事そうに袋にしまい、救破は残骸を夢中で口に入れる。
「ベリアル、今回は手助けしたけど、次は――」
「分かってますよ。次はこんな失敗しません。上手くやります」
自分達は所詮、脇役で汚れ役なのだから、立ち回りは目立たず、上手くやれ。目でそう言われ、ベリアルはどうにも読めない、無表情に近い顔でそれだけ言った。ラミアだった物を嬉しそうに食べる救破を一瞥して、ベリアルは心底軽蔑した眼差しを送り、部屋から出て行った。
救破の咀嚼音だけが響く部屋の中で、ベルゼブブは何となく、先程の千栄理の言葉を思い出していた。
「いつかあなたとも、お友達になれたら」
ふっ、と彼の口端から笑い声が漏れる。それを皮切りに段々大きくなっていき、それはやがて哄笑となり、ベルゼブブの体を振動が伝わる。
一頻り嗤った後、自分に言い聞かせるように、呟いた。
「そんなこと、有り得ない」
もうこの手は何千、何万の命を弄り、屠ってきただろう。一瞬だけでも、夢を見た自分が可笑しいと同時に、更なる絶望へと、ベルゼブブは一人堕ちていく。
「僕に夢なんか見せるな」
静かに告げられた言葉には、いっそ憎悪すら、込められていた。
