第四章 海神と天使
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ヘイムダルの「ファイト!!」の声を合図に始まった人類存亡を懸けた最終闘争、その第三回戦はそれから両者どちらも全く動くことは無く、水を打ったような静寂から始まった。
次第にこの沈黙に耐え切れなくなってきたのか、観客席がざわめき始める。
「なんでどっちも動かないんだ?」
「もうゴング鳴ったよな……?」
人波のざわめきはポセイドンには言葉として何一つ届きはしなかった。ただ、砂浜に打ち寄せる波の音と大差なかった。そうして、数分が経過した頃、先に動いたのは人間の方だった。大きな一歩でポセイドンの目の前まで迫り、上段から思い切り長刀を振り下ろして来る。あまりにも直線的な攻撃に避けるのも億劫だと思ったポセイドンだったが、考えるより先に体が動き、最小限の動きで躱す。これで終わりか、と返しの槍を構えた時だった。
視界の端にきらりと光る物が迫った。刀だ。人間の刀が下方から持ち上げる力で跳ね返るようにポセイドンの首を獲りに来た。咄嗟に後ろへと上体を倒し、寸でのところで避けたポセイドンの前髪を刀が真っ直ぐ切り取って行った。
「あの人間……速い!! ポセイドン様が突きを出し遅れた!?」
喧しい道化が何か騒いでいる。騒々しい。後で仕置きをしておくか。しかし、今は目の前の人間だ。
そこで初めてポセイドンは対戦相手を見た。随分、年老いたように見える長髪の男だった。人間の顔など、ポセイドンにとってはどれも同じ雑魚に見えるので、何となくでしか理解できないが。する必要も無い、と思い直す。千栄理以外はどうでもいい。とかく、此奴を殺せば全てが終わると思っていた矢先だった。
「やっと目が合ったな、若造」
その一言が、癇に障った。そして、この初撃が掠ったことで何やら人類側の雑魚共がまた騒ぎ立てる。煩い。雑魚共が騒ぐな。
「ふぅむ……重み、切れ味。共に申し分なし。この〝物干し竿〟まさに――吾にお誂え向きの業物なり!!」
男は数歩下がり、それ以上踏み込んで来ない。仕方なく、ポセイドンは男へ近付いた。それだけのことで、また周りの雑魚共がさざめく。終いには審判役の雑魚すら騒ぎ出す始末。
「な、なんてこった。信じられねぇ! 神の中の神――あのポセイドン様が……自ら動いたぁあああ!?」
そんな外野に構わず、ポセイドンは三叉槍を構える。一度深く息を吸うと、小手調べとして連続の刺突を無造作に繰り出した。怒れる波濤。これを避けられるのであれば、少しは相手にする価値はありそうなものだが、果たして、どうか――。そんな気軽さで突き出された槍の連撃を男は次々に躱す。
「荒れ狂う波濤の如きポセイドン様の突きを躱す躱す躱すぅうう!! 小次郎、ひたすら躱すぅうう!!」
男の動きを間近で見ていたポセイドンの目には見えていた。男が自分の攻撃を避ける際、僅かに槍の突きが来るより速く動いている。その動きでポセイドンは男が自分の攻撃を読んでいることを悟った。だが、所詮は人間業。いずれ集中力が切れて死ぬ。そう思っていたのだが、片腕に少し怠さが出て一度、刺突を終わらせても、男は無傷で目の前に立っていた。それがまたポセイドンの神経を逆撫でしていく。
「良いぞ、爺さん!!」
「さすが史上最強の敗者!!」
「す、凄ぇ……! 何発避けたんだ!?」
「ポセイドン様の突きが全く当たらないなんて……」
周囲が騒がしい。が、ポセイドンは最早あまり気にならなくなっていた。少し、ほんの少し、神たる自身の力を示してやるのも一興だと思ったのだ。少し興が乗った。ただ、それだけのこと。
口笛を吹く。久々に思い出すそのメロディーは闘技場へ静かに響き渡り、同時にポセイドンは懐かしさをも感じていた。千栄理も吹いていたな、と。教えろとせがむので、目の前で見せてやったものだ。
さて、と一節終わったところで、ポセイドンは再び槍を構え、数歩で男へ肉薄し、その胴体を真っ二つにしようと突いた。しかし、ギリギリのところで男が持つ長刀でいなされ、槍の軌道を僅かに逸らされ、男の脇腹を少し掠った程度だった。それでも、男がこの一撃を受けたことには変わりない。傷と衝撃で男は吐血し、脇腹を押さえて体勢を低くする。
久しぶりに感じる肉を斬る感触が、槍からポセイドンの手に伝わり、血の匂いが戦闘の高揚を象徴する。そのせいか、ついポセイドンは人間なんぞに口を利いてしまったのだ。
「……どうした」
男が自分を見た。槍に付いた汚らわしい血を振って払うと、ポセイドンは自身の内から湧き立つ感情に素直に従った。
「余の動きを読んでいる……のではなかったのか? 雑魚が」
悦びを。か弱き者をいたぶる心が、ポセイドンにこの上ない悦びをもたらしていた。
「ぽ……ポセイドン様の三叉槍が――やすやすと小次郎の脇腹を抉ったあああ! やはり、〝人類史上最強の敗者〟佐々木小次郎さえも大海の暴君の前では一匹の小魚に過ぎないのか!?」
ヘイムダルが小次郎を煽る。その喧しい声に彼は慌てる様子も無く、深い呼吸を繰り返して何とか立ち上がると、ゆっくりと慎重に刀を構えた。一瞬だけ込み上げたポセイドンの悦びと戦意を失っていない男・小次郎に呼応するように観客が熱狂する。その多くは神々だった。
「良いぞ!! さすが神の中の神!!」
「God of gods!!」
「ポセイドン様~!!」
「人類如きがいくら修行しようと敵う訳がねぇんだよ!!」
そこから何故か盛り上がった神々がポセイドンを讃え、「G・O・G」コールが始まる。普段のポセイドンへの態度からは考えられない神々に内心ポセイドンはさざ波が立つような苛立ちを覚えた。邪魔をするな。そんな思いを込めてただ一度、観客の神々を睨み付けると、コールはあっさりと終わった。普段、神だなんだと偉そうな口を利いておきながら、肝心な時には全く役に立たない――
「ふん。雑魚共が……」
弱者は弱者らしく、大人しくしていろ。そんな思いを込めて放った一言に意外にも小次郎が反応した。
「おいおい、おっかねえなぁ……。仲間の声援くらい素直に受けたらどうだい?」
「……仲間だと?」
あまりにも見当違いな意見に、思わずポセイドンは言葉を交わしてしまった。同時に先程まで見苦しかった神々への嫌悪も引きずり出される。
「神は群れぬ……。神は謀らぬ……。神は頼らぬ……。それこそが神。原初 より完全無欠の存在に……仲間など不要」
多くの神が神たるこの主義・法則を無視して生きている。そのような奴らと同等と思うな。そのような者共は仲間じゃない。そう言うと、小次郎はどこか悲しげな顔をして俯いた。
「神ってのは……そうかい……」
そして、自嘲的に笑むとポセイドンにだけ聞こえるように呟いた。
「随分……哀しい存在 だねぇ」
ぷつん、とポセイドンの中で小さな何かが切れた。たかが人間如きに見下された、と感じたからだ。殺す。
とんっ、と地面を跳躍し、一気に間合いを詰める。小次郎もポセイドンの殺気を感じたのか、刀を上段で構え、迎え撃つ体勢に入った。
「消えろ」
頭を狙った一撃はまた刀によって受け流されたが、ポセイドンはそれでも構わなかった。そこからまた突きの猛攻が始まり、一気に追い詰める。荒海に降る神雷 。文字通り、刺突の勢い、数、軌道全てが夥しく降る嵐の中の雷のようだからだ。繰り出される槍の風圧によって闘技場を囲む海は荒れ狂い、その刺突がどれ程凄まじいものか物語っている。普通ならば肉は勿論のこと、骨すらも粉微塵にするような刺突の雨の中、小次郎は避け、刀で防御し、受け流し、未だその形の大部分を残していた。
それどころか、その動きは次第に正確さを増し、迫りくる三叉槍をいなすまでに精細になっていく。しかし、並の老体では到底できないであろうその動きは神であるポセイドンには事細かに見えていた。
小次郎の目線がポセイドンの動きの先へ向いたその瞬間、彼は次の一手で仕留める、と動きを変えた。小次郎が予測したところへ刀を振り抜いたその数瞬前、常闇の瞳を持つ神は一瞬で目の前から消えた。
「なっ……!?」
すぐさま背後から肌を突き刺さす冷や水のような殺気に反応し、視界に入るよりも先に体が動いて槍の切っ先をいなした。ここでフェイント――先程までの連撃全てがただの囮であり、目くらましだったのだ。仕留め損なったと見るや、ポセイドンはまたすぐ上空へ跳躍して小次郎の追撃を躱すと、また雷雨のような連撃を降らせて来る。防御し、弾き、それでも小次郎はポセイドンに向かって来た。いつか見たハデスと同じように攻撃の間を縫うように動き、その刀の切っ先をポセイドンの首へ。
だが、そう易々と獲らせてやる義理はポセイドンに無い。難なく上体を逸らせて避けると、小次郎は尚も刀を逆手に持ち、斬撃を浴びせようと斬りかかって来る。欠伸が出る程、遅い。視認する価値も無いその一撃をまた避け、小次郎の背後に迫ったポセイドンは無造作に槍を振った。いい加減、振られる刀の動きがうざったらしくなってきたのだ。この辺りで軽く絶望でもさせてやるか、という意味合いもあった。
バキンッと鋭い音が響き渡り、長刀が折れた。
「図に乗るな、雑魚 が」
次第にこの沈黙に耐え切れなくなってきたのか、観客席がざわめき始める。
「なんでどっちも動かないんだ?」
「もうゴング鳴ったよな……?」
人波のざわめきはポセイドンには言葉として何一つ届きはしなかった。ただ、砂浜に打ち寄せる波の音と大差なかった。そうして、数分が経過した頃、先に動いたのは人間の方だった。大きな一歩でポセイドンの目の前まで迫り、上段から思い切り長刀を振り下ろして来る。あまりにも直線的な攻撃に避けるのも億劫だと思ったポセイドンだったが、考えるより先に体が動き、最小限の動きで躱す。これで終わりか、と返しの槍を構えた時だった。
視界の端にきらりと光る物が迫った。刀だ。人間の刀が下方から持ち上げる力で跳ね返るようにポセイドンの首を獲りに来た。咄嗟に後ろへと上体を倒し、寸でのところで避けたポセイドンの前髪を刀が真っ直ぐ切り取って行った。
「あの人間……速い!! ポセイドン様が突きを出し遅れた!?」
喧しい道化が何か騒いでいる。騒々しい。後で仕置きをしておくか。しかし、今は目の前の人間だ。
そこで初めてポセイドンは対戦相手を見た。随分、年老いたように見える長髪の男だった。人間の顔など、ポセイドンにとってはどれも同じ雑魚に見えるので、何となくでしか理解できないが。する必要も無い、と思い直す。千栄理以外はどうでもいい。とかく、此奴を殺せば全てが終わると思っていた矢先だった。
「やっと目が合ったな、若造」
その一言が、癇に障った。そして、この初撃が掠ったことで何やら人類側の雑魚共がまた騒ぎ立てる。煩い。雑魚共が騒ぐな。
「ふぅむ……重み、切れ味。共に申し分なし。この〝物干し竿〟まさに――吾にお誂え向きの業物なり!!」
男は数歩下がり、それ以上踏み込んで来ない。仕方なく、ポセイドンは男へ近付いた。それだけのことで、また周りの雑魚共がさざめく。終いには審判役の雑魚すら騒ぎ出す始末。
「な、なんてこった。信じられねぇ! 神の中の神――あのポセイドン様が……自ら動いたぁあああ!?」
そんな外野に構わず、ポセイドンは三叉槍を構える。一度深く息を吸うと、小手調べとして連続の刺突を無造作に繰り出した。怒れる波濤。これを避けられるのであれば、少しは相手にする価値はありそうなものだが、果たして、どうか――。そんな気軽さで突き出された槍の連撃を男は次々に躱す。
「荒れ狂う波濤の如きポセイドン様の突きを躱す躱す躱すぅうう!! 小次郎、ひたすら躱すぅうう!!」
男の動きを間近で見ていたポセイドンの目には見えていた。男が自分の攻撃を避ける際、僅かに槍の突きが来るより速く動いている。その動きでポセイドンは男が自分の攻撃を読んでいることを悟った。だが、所詮は人間業。いずれ集中力が切れて死ぬ。そう思っていたのだが、片腕に少し怠さが出て一度、刺突を終わらせても、男は無傷で目の前に立っていた。それがまたポセイドンの神経を逆撫でしていく。
「良いぞ、爺さん!!」
「さすが史上最強の敗者!!」
「す、凄ぇ……! 何発避けたんだ!?」
「ポセイドン様の突きが全く当たらないなんて……」
周囲が騒がしい。が、ポセイドンは最早あまり気にならなくなっていた。少し、ほんの少し、神たる自身の力を示してやるのも一興だと思ったのだ。少し興が乗った。ただ、それだけのこと。
口笛を吹く。久々に思い出すそのメロディーは闘技場へ静かに響き渡り、同時にポセイドンは懐かしさをも感じていた。千栄理も吹いていたな、と。教えろとせがむので、目の前で見せてやったものだ。
さて、と一節終わったところで、ポセイドンは再び槍を構え、数歩で男へ肉薄し、その胴体を真っ二つにしようと突いた。しかし、ギリギリのところで男が持つ長刀でいなされ、槍の軌道を僅かに逸らされ、男の脇腹を少し掠った程度だった。それでも、男がこの一撃を受けたことには変わりない。傷と衝撃で男は吐血し、脇腹を押さえて体勢を低くする。
久しぶりに感じる肉を斬る感触が、槍からポセイドンの手に伝わり、血の匂いが戦闘の高揚を象徴する。そのせいか、ついポセイドンは人間なんぞに口を利いてしまったのだ。
「……どうした」
男が自分を見た。槍に付いた汚らわしい血を振って払うと、ポセイドンは自身の内から湧き立つ感情に素直に従った。
「余の動きを読んでいる……のではなかったのか? 雑魚が」
悦びを。か弱き者をいたぶる心が、ポセイドンにこの上ない悦びをもたらしていた。
「ぽ……ポセイドン様の三叉槍が――やすやすと小次郎の脇腹を抉ったあああ! やはり、〝人類史上最強の敗者〟佐々木小次郎さえも大海の暴君の前では一匹の小魚に過ぎないのか!?」
ヘイムダルが小次郎を煽る。その喧しい声に彼は慌てる様子も無く、深い呼吸を繰り返して何とか立ち上がると、ゆっくりと慎重に刀を構えた。一瞬だけ込み上げたポセイドンの悦びと戦意を失っていない男・小次郎に呼応するように観客が熱狂する。その多くは神々だった。
「良いぞ!! さすが神の中の神!!」
「God of gods!!」
「ポセイドン様~!!」
「人類如きがいくら修行しようと敵う訳がねぇんだよ!!」
そこから何故か盛り上がった神々がポセイドンを讃え、「G・O・G」コールが始まる。普段のポセイドンへの態度からは考えられない神々に内心ポセイドンはさざ波が立つような苛立ちを覚えた。邪魔をするな。そんな思いを込めてただ一度、観客の神々を睨み付けると、コールはあっさりと終わった。普段、神だなんだと偉そうな口を利いておきながら、肝心な時には全く役に立たない――
「ふん。雑魚共が……」
弱者は弱者らしく、大人しくしていろ。そんな思いを込めて放った一言に意外にも小次郎が反応した。
「おいおい、おっかねえなぁ……。仲間の声援くらい素直に受けたらどうだい?」
「……仲間だと?」
あまりにも見当違いな意見に、思わずポセイドンは言葉を交わしてしまった。同時に先程まで見苦しかった神々への嫌悪も引きずり出される。
「神は群れぬ……。神は謀らぬ……。神は頼らぬ……。それこそが神。
多くの神が神たるこの主義・法則を無視して生きている。そのような奴らと同等と思うな。そのような者共は仲間じゃない。そう言うと、小次郎はどこか悲しげな顔をして俯いた。
「神ってのは……そうかい……」
そして、自嘲的に笑むとポセイドンにだけ聞こえるように呟いた。
「随分……哀しい
ぷつん、とポセイドンの中で小さな何かが切れた。たかが人間如きに見下された、と感じたからだ。殺す。
とんっ、と地面を跳躍し、一気に間合いを詰める。小次郎もポセイドンの殺気を感じたのか、刀を上段で構え、迎え撃つ体勢に入った。
「消えろ」
頭を狙った一撃はまた刀によって受け流されたが、ポセイドンはそれでも構わなかった。そこからまた突きの猛攻が始まり、一気に追い詰める。
それどころか、その動きは次第に正確さを増し、迫りくる三叉槍をいなすまでに精細になっていく。しかし、並の老体では到底できないであろうその動きは神であるポセイドンには事細かに見えていた。
小次郎の目線がポセイドンの動きの先へ向いたその瞬間、彼は次の一手で仕留める、と動きを変えた。小次郎が予測したところへ刀を振り抜いたその数瞬前、常闇の瞳を持つ神は一瞬で目の前から消えた。
「なっ……!?」
すぐさま背後から肌を突き刺さす冷や水のような殺気に反応し、視界に入るよりも先に体が動いて槍の切っ先をいなした。ここでフェイント――先程までの連撃全てがただの囮であり、目くらましだったのだ。仕留め損なったと見るや、ポセイドンはまたすぐ上空へ跳躍して小次郎の追撃を躱すと、また雷雨のような連撃を降らせて来る。防御し、弾き、それでも小次郎はポセイドンに向かって来た。いつか見たハデスと同じように攻撃の間を縫うように動き、その刀の切っ先をポセイドンの首へ。
だが、そう易々と獲らせてやる義理はポセイドンに無い。難なく上体を逸らせて避けると、小次郎は尚も刀を逆手に持ち、斬撃を浴びせようと斬りかかって来る。欠伸が出る程、遅い。視認する価値も無いその一撃をまた避け、小次郎の背後に迫ったポセイドンは無造作に槍を振った。いい加減、振られる刀の動きがうざったらしくなってきたのだ。この辺りで軽く絶望でもさせてやるか、という意味合いもあった。
バキンッと鋭い音が響き渡り、長刀が折れた。
「図に乗るな、
