第四章 海神と天使
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それから少しして、人類存亡会議が始まった。ポセイドンがハデスに戦いを挑んだあの日から実に二十年。その間、ポセイドンは一度も横になって眠るということをしたことはない。そのせいか、目の下にはかつて見たことのない程濃い隈ができており、いつもの何倍もの迫力があった。
ゼウスが取り仕切るこの会議にポセイドンは出席し、別に何をするでもなく、周囲の神々が現在の人類への評価を口々に言っているのをただ聞いていた。
「終末で良いんじゃね。あいつら、何も反省してねぇみたいだし。一度ぶっ壊して違う生物進化させよーぜ」
「そうですね。環境破壊もさることながら、海はゴミと油塗れ。最早、人類こそが世界を滅亡へ導く存在では?」
「連中は害悪です」
「与えられた恩恵を粗末に扱っている」
「昨今のあいつらは目に余る」
「滅亡ですな」
そうして、神々の意思は『人類滅亡』へと傾いていく。これで人類に罰を与えることができる、とポセイドンの口元に微かに笑みが乗った時だった。
「お待ちくださいっ!!」
突如、ブリュンヒルデの凛とした声が割り込んだ。ポセイドン以外の神々は突然の乱入者に驚き、思わずそちらへ注目する。
「申し訳ありませんが、今一度神々に申し上げたい儀がございます」
その一言からブリュンヒルデが言い出した『神VS人類最終闘争 』の話が可決されるまで、まるで謀ったかのようにとんとん拍子に話は進み、ゼウスの決定により人類存亡を賭けた神対人類の真剣勝負が始まることとなった。
馬鹿馬鹿しいとポセイドンは他の神と同様、確信していた。たかが人間が神に勝てるわけがない。どちらにしろ人類は滅亡するのだ。それが少し先延ばしになったからといって、何になる。蝋燭の最後の一燃えを必死に守るような、滑稽で虫にも等しい無駄な努力だ。そう考えると、ポセイドンは多少苛立ちはしたが、それだけだった。彼にとっては人類との一対一の勝負など滅亡前の前哨戦、謂わば単なる遊びだ。一秒も掛からずに終わるだろう。
「これで、お前の幻とも別れられる」
自分の手番が回ってくるまでは自身の居城で待つことを選んだポセイドンは、チェストの上に飾ってある千栄理の写真を見つめ、そう告げる。心の底から愛しくも、憎い人間。神たる余を裏切って先に逝った人間。永遠の約束を違えた人間。ふと、写真の傍に置いてある箱が目に入る。千栄理が死んだあの日から一切開けたことすらない、ピアスが入っている箱。彼女がポセイドンへ『お守り』と言って残した物。久しぶりにそれを開けて、ポセイドンはピアスを手にする。相も変わらず、それはラピスラズリとヘマタイトの輝きを放っていた。
千栄理がピアスをくれたあの日、彼女は石の意味を知らなかったのか、黙っていたのかは分からないが、ポセイドンは知っていた。ラピスラズリはその深い青から『真実』、『幸運』、『成功』の意味があり、ヘマタイトは血の石と呼ばれるほど赤くなることもあることから『生命力』、『勝利』などの意味がある。
「真実の勝利……か」
ふ、とポセイドンの口元に笑みが乗る。それは人類を滅せると確信した時の凶悪なものではなく、二十年振りに彼が見せる愛しい者への笑みだった。
「海の神である余にこれ程見合う石を選ぶとは、やはりお前は余が選んだ女なだけはある」
ならば、とポセイドンは二十年振りにピアスを耳に付ける。穴はまだ塞がっていなかった。久方振りに感じる僅かな重みとしゃらり、という涼しげな音にポセイドンは満足そうに笑みを深める。
「お前が勝利を願うなら、余はそれに応えねばなるまい」
そして、必ずや人類を滅してくれよう。そう思うと、ポセイドンの中で確固たるものとして形を成していくのが感覚で分かった。城を出ようと部屋の出口へ足を向けたところで、プロテウスと鉢合わせた。
「ポセイドン様、どちらへ?」
「……行って来る。留守を頼んだぞ、プロテウス」
それだけ言うと、プロテウスは理解したらしく、恭しく頭を下げ、「行ってらっしゃいませ」と見送った。
神VS人類最終闘争が開かれてから二戦。雷神トールに挑んだ呂布奉先とランドグリーズは敗れ、この対戦に興奮を抑えきれなくなったゼウスがシヴァと交代し、辛くもアダムに勝利した、らしい。元よりこの戦いに他人はもちろんのこと、他神にすら興味が無いポセイドンはヘルメスとアレスの会話で知るに至った。神でありながら、アダムという人間にボロボロになるまで追い詰められるとは情けない。ゼウスを見舞った時は内心そう思ったが、ポセイドンの意に反して病室のベッドに横たわった末弟は笑って言った。
「あいつら、なかなかやりおるわい。お前さんも気を付けて行くんじゃぞ。ポセイドン」
「誰に向かって言っている。稚魚が」
貴様のような無様は晒さぬ、と続いた言葉にゼウスは苦笑しつつ、「お前さんも変わらんのう」と呟いた。
次は自分が行く、と言うとヘルメスとアレスは少々驚きつつも、どこか納得したような顔で了承した。ヘルメスを介して最終闘争運営部に伝達されると、あっさり対戦が決まった。相手の名前を呟くヘルメスを無視し、ポセイドンは闘技場入場口へと足を向ける。これから一秒も掛からず殺す雑魚に拘っている暇など無かった。
闘技場への扉はまだ開かず、薄暗がりの中、ポセイドンはただじっと待っていた。ふと、耳元でしゃらりとあの音が聞こえ、ポセイドンは槍を握る手にほんの少しだけ力を込める。これで、終わりだ。やっと、これで終わりなのだ。
「千栄理……今度こそ、お前の幻影を消し去ることができる」
毎夜、目蓋を閉じると現れる生前と変わらぬ姿、声、駆け回る足音や風に揺れる髪の匂い。その全てが今日、終わるのだ。この地獄が終わるのだ。あの日、自身のチョーカーに刻んだリンドウの刻印をポセイドンは無意識のうちに撫でていた。
「お前を知っているのは……お前の真実を知っているのは、余だけでいい」
だから、その他の人類は要らない。滅するべきものでしかない。それが余からお前を奪った奴らへの復讐だ。
「ああ、神は!! 何故哀れな人類へ、かくも無常に更なる試練を与えたもうのか? だが、それも神! それが神! それでこそ神!! 絶対神ゼウス様に続く神側の闘士は……この御方だ!」
ギャラルホルンを介してヘイムダルの声が響く。ポセイドンにとってやかましいそれが終わると、目の前の扉がゆっくりと開いていく。と、同時に闘技場を囲んでいる海水が雪崩れ込んできた。退け、と彼が足を一度だけ地面に打ち付けて鳴らすと、海水は左右に割れ、闘技場までの道を作っていく。ポセイドンはその道をゆっくりと踏み出して行った。
「ゼウス様が〝全宇宙の神〟であるならば、全ての海を統べしこの御方こそは〝大海の暴君 〟!! 神々でさえ、その逆鱗に触れることを恐れる最恐神!! 天界最恐三兄弟の次男にして――人呼んで海のゼウス !! その名は――ポセーイドーンッ!!!!」
ポセイドンが闘技場に上り切ると、観客席からざわざわと動揺の声が上がった。神も人も、彼の登場に恐れ、彼の姿を初めて見た人類共は好奇や値踏みの目を向けてくる。その視線や声が、この上なく煩わしい。そんな彼らを虫を見るような目で一瞥し、ポセイドンは言い放った。
「ふん……雑魚共が」
「そして、怒れる海神に敢えて挑む無謀な人類 は……この漢だぁ!」
ヘイムダルの声に導かれるようにして人類側の入場口が開き、船に乗った男が一人。その後もヘイムダルが何か言っているが、ポセイドンにとっては至極どうでもいいことだ。一瞬で終わることの為だけにわざわざこんな大仰な場を設けるなど、余程、天界には暇な雑魚が多いらしい。人類を滅したら、次は神々も半数くらいは滅してやろうか。これ程いるのだから半分減ったところで然程、影響はあるまい。
そんなことを考えているうちに相手の闘士がようやく闘技場へ足を踏み入れ、位置について武器を構えた。得物は長刀。鞘から抜いたその瞬間、地面に僅かに触れた切っ先から放たれた音に、海が凪いだ。その技にポセイドンは一瞬だけ相手に心が向いた。上辺だけでも我が領域に侵入してくるとは生意気な。蚊にも等しいそれは海を統べるポセイドンにとって、正に宣戦布告だった。
ゼウスが取り仕切るこの会議にポセイドンは出席し、別に何をするでもなく、周囲の神々が現在の人類への評価を口々に言っているのをただ聞いていた。
「終末で良いんじゃね。あいつら、何も反省してねぇみたいだし。一度ぶっ壊して違う生物進化させよーぜ」
「そうですね。環境破壊もさることながら、海はゴミと油塗れ。最早、人類こそが世界を滅亡へ導く存在では?」
「連中は害悪です」
「与えられた恩恵を粗末に扱っている」
「昨今のあいつらは目に余る」
「滅亡ですな」
そうして、神々の意思は『人類滅亡』へと傾いていく。これで人類に罰を与えることができる、とポセイドンの口元に微かに笑みが乗った時だった。
「お待ちくださいっ!!」
突如、ブリュンヒルデの凛とした声が割り込んだ。ポセイドン以外の神々は突然の乱入者に驚き、思わずそちらへ注目する。
「申し訳ありませんが、今一度神々に申し上げたい儀がございます」
その一言からブリュンヒルデが言い出した『
馬鹿馬鹿しいとポセイドンは他の神と同様、確信していた。たかが人間が神に勝てるわけがない。どちらにしろ人類は滅亡するのだ。それが少し先延ばしになったからといって、何になる。蝋燭の最後の一燃えを必死に守るような、滑稽で虫にも等しい無駄な努力だ。そう考えると、ポセイドンは多少苛立ちはしたが、それだけだった。彼にとっては人類との一対一の勝負など滅亡前の前哨戦、謂わば単なる遊びだ。一秒も掛からずに終わるだろう。
「これで、お前の幻とも別れられる」
自分の手番が回ってくるまでは自身の居城で待つことを選んだポセイドンは、チェストの上に飾ってある千栄理の写真を見つめ、そう告げる。心の底から愛しくも、憎い人間。神たる余を裏切って先に逝った人間。永遠の約束を違えた人間。ふと、写真の傍に置いてある箱が目に入る。千栄理が死んだあの日から一切開けたことすらない、ピアスが入っている箱。彼女がポセイドンへ『お守り』と言って残した物。久しぶりにそれを開けて、ポセイドンはピアスを手にする。相も変わらず、それはラピスラズリとヘマタイトの輝きを放っていた。
千栄理がピアスをくれたあの日、彼女は石の意味を知らなかったのか、黙っていたのかは分からないが、ポセイドンは知っていた。ラピスラズリはその深い青から『真実』、『幸運』、『成功』の意味があり、ヘマタイトは血の石と呼ばれるほど赤くなることもあることから『生命力』、『勝利』などの意味がある。
「真実の勝利……か」
ふ、とポセイドンの口元に笑みが乗る。それは人類を滅せると確信した時の凶悪なものではなく、二十年振りに彼が見せる愛しい者への笑みだった。
「海の神である余にこれ程見合う石を選ぶとは、やはりお前は余が選んだ女なだけはある」
ならば、とポセイドンは二十年振りにピアスを耳に付ける。穴はまだ塞がっていなかった。久方振りに感じる僅かな重みとしゃらり、という涼しげな音にポセイドンは満足そうに笑みを深める。
「お前が勝利を願うなら、余はそれに応えねばなるまい」
そして、必ずや人類を滅してくれよう。そう思うと、ポセイドンの中で確固たるものとして形を成していくのが感覚で分かった。城を出ようと部屋の出口へ足を向けたところで、プロテウスと鉢合わせた。
「ポセイドン様、どちらへ?」
「……行って来る。留守を頼んだぞ、プロテウス」
それだけ言うと、プロテウスは理解したらしく、恭しく頭を下げ、「行ってらっしゃいませ」と見送った。
神VS人類最終闘争が開かれてから二戦。雷神トールに挑んだ呂布奉先とランドグリーズは敗れ、この対戦に興奮を抑えきれなくなったゼウスがシヴァと交代し、辛くもアダムに勝利した、らしい。元よりこの戦いに他人はもちろんのこと、他神にすら興味が無いポセイドンはヘルメスとアレスの会話で知るに至った。神でありながら、アダムという人間にボロボロになるまで追い詰められるとは情けない。ゼウスを見舞った時は内心そう思ったが、ポセイドンの意に反して病室のベッドに横たわった末弟は笑って言った。
「あいつら、なかなかやりおるわい。お前さんも気を付けて行くんじゃぞ。ポセイドン」
「誰に向かって言っている。稚魚が」
貴様のような無様は晒さぬ、と続いた言葉にゼウスは苦笑しつつ、「お前さんも変わらんのう」と呟いた。
次は自分が行く、と言うとヘルメスとアレスは少々驚きつつも、どこか納得したような顔で了承した。ヘルメスを介して最終闘争運営部に伝達されると、あっさり対戦が決まった。相手の名前を呟くヘルメスを無視し、ポセイドンは闘技場入場口へと足を向ける。これから一秒も掛からず殺す雑魚に拘っている暇など無かった。
闘技場への扉はまだ開かず、薄暗がりの中、ポセイドンはただじっと待っていた。ふと、耳元でしゃらりとあの音が聞こえ、ポセイドンは槍を握る手にほんの少しだけ力を込める。これで、終わりだ。やっと、これで終わりなのだ。
「千栄理……今度こそ、お前の幻影を消し去ることができる」
毎夜、目蓋を閉じると現れる生前と変わらぬ姿、声、駆け回る足音や風に揺れる髪の匂い。その全てが今日、終わるのだ。この地獄が終わるのだ。あの日、自身のチョーカーに刻んだリンドウの刻印をポセイドンは無意識のうちに撫でていた。
「お前を知っているのは……お前の真実を知っているのは、余だけでいい」
だから、その他の人類は要らない。滅するべきものでしかない。それが余からお前を奪った奴らへの復讐だ。
「ああ、神は!! 何故哀れな人類へ、かくも無常に更なる試練を与えたもうのか? だが、それも神! それが神! それでこそ神!! 絶対神ゼウス様に続く神側の闘士は……この御方だ!」
ギャラルホルンを介してヘイムダルの声が響く。ポセイドンにとってやかましいそれが終わると、目の前の扉がゆっくりと開いていく。と、同時に闘技場を囲んでいる海水が雪崩れ込んできた。退け、と彼が足を一度だけ地面に打ち付けて鳴らすと、海水は左右に割れ、闘技場までの道を作っていく。ポセイドンはその道をゆっくりと踏み出して行った。
「ゼウス様が〝全宇宙の神〟であるならば、全ての海を統べしこの御方こそは〝
ポセイドンが闘技場に上り切ると、観客席からざわざわと動揺の声が上がった。神も人も、彼の登場に恐れ、彼の姿を初めて見た人類共は好奇や値踏みの目を向けてくる。その視線や声が、この上なく煩わしい。そんな彼らを虫を見るような目で一瞥し、ポセイドンは言い放った。
「ふん……雑魚共が」
「そして、怒れる海神に敢えて挑む無謀な
ヘイムダルの声に導かれるようにして人類側の入場口が開き、船に乗った男が一人。その後もヘイムダルが何か言っているが、ポセイドンにとっては至極どうでもいいことだ。一瞬で終わることの為だけにわざわざこんな大仰な場を設けるなど、余程、天界には暇な雑魚が多いらしい。人類を滅したら、次は神々も半数くらいは滅してやろうか。これ程いるのだから半分減ったところで然程、影響はあるまい。
そんなことを考えているうちに相手の闘士がようやく闘技場へ足を踏み入れ、位置について武器を構えた。得物は長刀。鞘から抜いたその瞬間、地面に僅かに触れた切っ先から放たれた音に、海が凪いだ。その技にポセイドンは一瞬だけ相手に心が向いた。上辺だけでも我が領域に侵入してくるとは生意気な。蚊にも等しいそれは海を統べるポセイドンにとって、正に宣戦布告だった。
