第四章 海神と天使
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ベリアルがその家に辿り着いた時にはもう遅かった。牧師は自室で首を吊っていた。千栄理を殺した犯人は、幼い一人息子を残して死んだのだ。彼の息子はまだ『死』というものが分からないのか、父の死に特にショックを受けたような様子は無い。それどころか、家に侵入したベリアルの姿を見た途端、「天使しゃま」と言って懐いてしまったようだった。「僕、天使じゃないのに」とベリアルは不満げだったが、その場で冷たく突き放す訳にもいかず、どうにも離れないので、連れて来てしまったらしい。
「どうします? というか、この子どうしたら良いですか?」
「……取り敢えず、下層の孤児院に預けるしかないだろう。上層は神の許し無く、住まわせる訳にはいかぬ」
「ですよねー」
ベリアルと遊び疲れたのか、――ベリアルが一方的にじゃれつかれていたともいう――腕の中ですやすやと眠る子供に、今まで人間の子供と直接関わったことなど無かった彼は、どうにもこの子供を扱いあぐねているようだ。しかし、時折こちらに向ける無邪気な笑顔がどこか千栄理と重なって、憎しみを抱き切れずにいる。こいつは千栄理を殺した奴の息子なのに。
「……ハデス様」
「どうした?」
「どう、思います? この子供。ハデス様から見て」
「どう、とは? ふむ……強いて言うなら、どこにでもいる普通の人間の子供だな」
「そうですよね。……そうなんですよね」
「どうした? ベリアル。情が移ったか?」
そこでベリアルは震える唇を動かして恐る恐る言った。その普段の彼と違う態度に、ハデスは意外そうに目を丸くする。
「よく……分かんないんです。こいつは千栄理を殺した奴の息子で、あの子を神にする計画を台無しにされて、ムカついてた筈なのに、なんか……」
「ベリアル……」
「……返して来ます。なんか、ずっとこいつの重み感じてたら、おかしくなりそうです」
そう言ってその場を立ち去ったベリアルの背を見つめながら、ハデスは独り言ちる。
「そうだな。…………余も、許してしまいそうだ」
『父の死』というものすら、理解できない子供を手に掛けることなどしたくない。決して口には出さなかったが、ハデスもベリアルもそう感じていた。
雨が降っていた。ざあざあと大粒の雨水は、葉っぱを簡素な傘代わりにしているグレムリン達を容赦なく打ち、ぬかるむ泥で滑って転んでも、抱き起こしてくれる者はいない。もういなくなってしまったのだ。「ママ……」と切なく呟いても、彼らのママだった千栄理はどこにもいない。
誰かが転べば、誰かが助け起こし、誰かが大量の雨水に押し流されそうになれば、残った四人で協力して濁流から仲間を救い出した。そうしてグレムリン達はあてもなく彷徨っているうちに、いつの間にか人間達の街に迷い込んでいた。
夜ということもあってか、人通りは皆無だ。仮に人気があったとしても、彼らを拾って世話をしてくれるような人間がいるかどうかも怪しいものだが、街に入ったのだと気付いたグレムリン達は皆で相談し、ある人物の家へ行こうと決断した。
上層のポセイドンの城を追い出された後、散々歩き回り、外敵から身を隠しながらここまで来た彼らは千栄理がいない今、もうあの人物にしか頼れないと思っていた。もし、その人物にまで拒まれたら、彼らは千栄理と出会う前の獣に近しい妖精に戻ってしまうだろう。拒まれるかもしれないという不安は確かにあったものの、何も無いよりはましだと思った彼らはその人物を訪ねてみることにした。
幸い、その人物の家はすぐ近くにあると彼らは知っていた。降りしきる雨の中、小さく細い足で懸命に歩き、やっとの思いで辿り着き、家に明かりが灯っているのを見た瞬間、グレムリン達は堪らなくなって四つ足で駆け出した。外階段の手摺を上り、一番日当たりの良い角部屋の窓枠へ何とか辿り着くと、グレムリン達はキイキイと騒ぎながら窓を必死に叩いた。
その人物は丁度、シャワーを済ませたところだったのか、濡れた髪をタオルで拭きながら、部屋に入って来た。しばらくはグレムリン達に気付いていないのか、髪の水分をタオルで丁寧に拭き取っていたが、ふと、動きを止め、不思議そうに辺りを見回す。そうしていたかと思うと、彼らが叩いている窓に気付き、驚いた様子でさっと窓を少しだけ開けてくれた。
早速、中に入ろうとしたグレムリン達だったが、「ああっ、ちょっと待ってくれたまえっ!!」と寸でのところで窓を閉められてしまう。べんっ、と窓に激突することになってしまったグレムリン達は痛む顔を手で押さえる。恐れていたことが起きてしまったのかと悲しんでいると、慌ただしい様子で中にいた人物が玄関から飛び出し、――服は少々雑だが、ちゃんと着ていた――グレムリン達を指して言う。
「そこで待っているんだ! 絶対どこにも行くんじゃないぞ!」
その勢いに押されてグレムリン達がこくこくと頷いたのを見て、男は隣の部屋のドアを激しく叩き出した。相手が出るまでドアを叩いていた男は、相手がドアを開けると、決して閉じられないようにこじ開け、無垢な少年のような輝く表情で言った。
「エジソン君! 是非とも君に助けて欲しいことができた!」
「なんだ!? テスラ! 突然――」
「見てくれ! あのグレムリン達が私の許へ来てくれたんだ!」
興奮しているニコラ・テスラはエジソンの背中を遠慮会釈無く叩きつつ、窓辺に固まっているグレムリン達を指し示す。興奮した彼の声に他の部屋に住んでいる科学仲間達もなんだなんだと出てきた。皆、グレムリン達を見ると驚き、しげしげと観察し、口々に意見を言ってはやがて、それが相談し合う流れになっていく。そうして話し合いの結果、テスラとエジソンの意向により、グレムリン達はこの集合住宅に住まわせることになった。
「じゃあ、この子達の世話は交代でするってことで……」
「ああ、済まない。私は無理だ」
キュリー夫人の提案に待ったを掛けたのはグレムリン達を見付けたテスラ本人だった。皆がどうしたのかと彼に注目すると、テスラは非常に残念そうな顔で言い放った。
「非常に残念だが、私の部屋には彼らを入れないようにしてくれないか」
その一言だけで皆合点がいったのか、一様に「ああ……」と納得したような呆れたような反応をする。テスラは生前、重度の潔癖症だったが、天界に来てもそれはあまり変わらなかった。地上にいた時程ではないが、それでも他人を自分の部屋に上げたことは一度も無い。以前、グレムリン達が彼と共に彼の研究を見た時も結局はエジソンの部屋で披露したのだった。
そういうことなら仕方ないと皆納得するしかない。誰だって自分が嫌だと思うことはされたくないだろう。話がまとまったところで、テスラは傍の手摺に座ってずっと待っていたグレムリン達に向き直り、明るく笑いかけて言った。
「という訳で、君達はここに住むと良い。我々と共にもっと科学を発展させ、人類を前進させようじゃないか!」
その眩いばかりの満面の笑みにグレムリン達は見とれていた。テスラと千栄理は性別も顔つきも全く違うのに、彼の笑顔を見た一瞬、その笑顔が千栄理と重なって見えたのだ。千栄理とポセイドンと過ごした日々がまるで遠いことのように思え、懐かしさすら感じてしまう。でも、今度は違う。グレムリン達は母を亡くしたが、代わりに仲間を手に入れたのだ。
友好の証にとテスラが差し出した飴に、グレムリン達は涙ながらに飛びついた。
「どうします? というか、この子どうしたら良いですか?」
「……取り敢えず、下層の孤児院に預けるしかないだろう。上層は神の許し無く、住まわせる訳にはいかぬ」
「ですよねー」
ベリアルと遊び疲れたのか、――ベリアルが一方的にじゃれつかれていたともいう――腕の中ですやすやと眠る子供に、今まで人間の子供と直接関わったことなど無かった彼は、どうにもこの子供を扱いあぐねているようだ。しかし、時折こちらに向ける無邪気な笑顔がどこか千栄理と重なって、憎しみを抱き切れずにいる。こいつは千栄理を殺した奴の息子なのに。
「……ハデス様」
「どうした?」
「どう、思います? この子供。ハデス様から見て」
「どう、とは? ふむ……強いて言うなら、どこにでもいる普通の人間の子供だな」
「そうですよね。……そうなんですよね」
「どうした? ベリアル。情が移ったか?」
そこでベリアルは震える唇を動かして恐る恐る言った。その普段の彼と違う態度に、ハデスは意外そうに目を丸くする。
「よく……分かんないんです。こいつは千栄理を殺した奴の息子で、あの子を神にする計画を台無しにされて、ムカついてた筈なのに、なんか……」
「ベリアル……」
「……返して来ます。なんか、ずっとこいつの重み感じてたら、おかしくなりそうです」
そう言ってその場を立ち去ったベリアルの背を見つめながら、ハデスは独り言ちる。
「そうだな。…………余も、許してしまいそうだ」
『父の死』というものすら、理解できない子供を手に掛けることなどしたくない。決して口には出さなかったが、ハデスもベリアルもそう感じていた。
雨が降っていた。ざあざあと大粒の雨水は、葉っぱを簡素な傘代わりにしているグレムリン達を容赦なく打ち、ぬかるむ泥で滑って転んでも、抱き起こしてくれる者はいない。もういなくなってしまったのだ。「ママ……」と切なく呟いても、彼らのママだった千栄理はどこにもいない。
誰かが転べば、誰かが助け起こし、誰かが大量の雨水に押し流されそうになれば、残った四人で協力して濁流から仲間を救い出した。そうしてグレムリン達はあてもなく彷徨っているうちに、いつの間にか人間達の街に迷い込んでいた。
夜ということもあってか、人通りは皆無だ。仮に人気があったとしても、彼らを拾って世話をしてくれるような人間がいるかどうかも怪しいものだが、街に入ったのだと気付いたグレムリン達は皆で相談し、ある人物の家へ行こうと決断した。
上層のポセイドンの城を追い出された後、散々歩き回り、外敵から身を隠しながらここまで来た彼らは千栄理がいない今、もうあの人物にしか頼れないと思っていた。もし、その人物にまで拒まれたら、彼らは千栄理と出会う前の獣に近しい妖精に戻ってしまうだろう。拒まれるかもしれないという不安は確かにあったものの、何も無いよりはましだと思った彼らはその人物を訪ねてみることにした。
幸い、その人物の家はすぐ近くにあると彼らは知っていた。降りしきる雨の中、小さく細い足で懸命に歩き、やっとの思いで辿り着き、家に明かりが灯っているのを見た瞬間、グレムリン達は堪らなくなって四つ足で駆け出した。外階段の手摺を上り、一番日当たりの良い角部屋の窓枠へ何とか辿り着くと、グレムリン達はキイキイと騒ぎながら窓を必死に叩いた。
その人物は丁度、シャワーを済ませたところだったのか、濡れた髪をタオルで拭きながら、部屋に入って来た。しばらくはグレムリン達に気付いていないのか、髪の水分をタオルで丁寧に拭き取っていたが、ふと、動きを止め、不思議そうに辺りを見回す。そうしていたかと思うと、彼らが叩いている窓に気付き、驚いた様子でさっと窓を少しだけ開けてくれた。
早速、中に入ろうとしたグレムリン達だったが、「ああっ、ちょっと待ってくれたまえっ!!」と寸でのところで窓を閉められてしまう。べんっ、と窓に激突することになってしまったグレムリン達は痛む顔を手で押さえる。恐れていたことが起きてしまったのかと悲しんでいると、慌ただしい様子で中にいた人物が玄関から飛び出し、――服は少々雑だが、ちゃんと着ていた――グレムリン達を指して言う。
「そこで待っているんだ! 絶対どこにも行くんじゃないぞ!」
その勢いに押されてグレムリン達がこくこくと頷いたのを見て、男は隣の部屋のドアを激しく叩き出した。相手が出るまでドアを叩いていた男は、相手がドアを開けると、決して閉じられないようにこじ開け、無垢な少年のような輝く表情で言った。
「エジソン君! 是非とも君に助けて欲しいことができた!」
「なんだ!? テスラ! 突然――」
「見てくれ! あのグレムリン達が私の許へ来てくれたんだ!」
興奮しているニコラ・テスラはエジソンの背中を遠慮会釈無く叩きつつ、窓辺に固まっているグレムリン達を指し示す。興奮した彼の声に他の部屋に住んでいる科学仲間達もなんだなんだと出てきた。皆、グレムリン達を見ると驚き、しげしげと観察し、口々に意見を言ってはやがて、それが相談し合う流れになっていく。そうして話し合いの結果、テスラとエジソンの意向により、グレムリン達はこの集合住宅に住まわせることになった。
「じゃあ、この子達の世話は交代でするってことで……」
「ああ、済まない。私は無理だ」
キュリー夫人の提案に待ったを掛けたのはグレムリン達を見付けたテスラ本人だった。皆がどうしたのかと彼に注目すると、テスラは非常に残念そうな顔で言い放った。
「非常に残念だが、私の部屋には彼らを入れないようにしてくれないか」
その一言だけで皆合点がいったのか、一様に「ああ……」と納得したような呆れたような反応をする。テスラは生前、重度の潔癖症だったが、天界に来てもそれはあまり変わらなかった。地上にいた時程ではないが、それでも他人を自分の部屋に上げたことは一度も無い。以前、グレムリン達が彼と共に彼の研究を見た時も結局はエジソンの部屋で披露したのだった。
そういうことなら仕方ないと皆納得するしかない。誰だって自分が嫌だと思うことはされたくないだろう。話がまとまったところで、テスラは傍の手摺に座ってずっと待っていたグレムリン達に向き直り、明るく笑いかけて言った。
「という訳で、君達はここに住むと良い。我々と共にもっと科学を発展させ、人類を前進させようじゃないか!」
その眩いばかりの満面の笑みにグレムリン達は見とれていた。テスラと千栄理は性別も顔つきも全く違うのに、彼の笑顔を見た一瞬、その笑顔が千栄理と重なって見えたのだ。千栄理とポセイドンと過ごした日々がまるで遠いことのように思え、懐かしさすら感じてしまう。でも、今度は違う。グレムリン達は母を亡くしたが、代わりに仲間を手に入れたのだ。
友好の証にとテスラが差し出した飴に、グレムリン達は涙ながらに飛びついた。
