第四章 海神と天使
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ヘルメスに報告しようと上層へ上ったアスクレピオスは密かに憂鬱な溜息を吐いた。これから自分の予想を報告する前に誰か事件の真実を掴んでいてくれないかな、と有りもしない希望に一時縋ってみるが、ただの現実逃避に使っている時間はアスクレピオスには無い。諦めてヘルメスの気配を追っていくと、丁度ゼウス城の謁見の間にいることが分かった。
「失礼しまーす」
何の気なしに謁見の間の扉を開けてみると、そこにはゼウス、ヘルメスの他にハデスの姿があった。意外な神にアスクレピオスは思わず「んぇ~?」と妙な声を零してしまう。その声にか、姿にか、気が付いた三柱はアスクレピオスに注目する。
「アスクレピオスか。お前も報告に?」
「はい。『も』ってことはハデスさんも?」
「うむ。丁度、ベルゼブブの解析が終わったのでな」
「なんであなたの方が使われてるんすか?」
それを聞くと、ハデスは「確かにな」と言いたげに微笑んだが、彼の報告は終わっているらしく、それ以上口を開く気配は無い。内心「この空気で報告するの、ほんとやだ」とアスクレピオスが思っていると、ゼウスが報告するよう促してくる。
「で、アスクレピオスの方はどうじゃった?」
「ああ。まぁ……予想通りというか、現場を見た通りというか」
「なんじゃい。はっきりせんか」
「……ここからは俺個神の予想になるんすけど、言っていいすか?」
「ええぞ」
そこからアスクレピオスは現場で調べたことを一通り話し、最後に自分の予想した事件のあらましを伝える。その話を聞いた三柱は皆一様に「やはりか」と言いたげな顔をした。そんな三柱の反応に戸惑うのはアスクレピオスただ一人。
「え? なんすか?」
「実はのう、さっきハデスから聞いた話とお前さんの予想。ぴったり合ってるんじゃよ」
「……へ?」
「ハデスさん、映像の解析が終わりました」
ベルゼブブからそう連絡を受けたハデスは早速確認しようと、彼の研究室へ赴き、モニターに近付いた。傍にはアダマスとベリアル、ベルゼブブの足元には寝こけている救破がおり、ベルゼブブはそんな彼を足置き代わりにしていた。モニターには音声こそ入っていないものの、事件当時の映像が流れている。音声を拾えずとも口の動きでおおよそ何を言っているのか、その場にいる全員が理解していた。
ベルゼブブが造った蝿型カメラで撮影された映像は世界中どこでも映せる代わりに、映像自体があまり鮮明ではない。三百六十度映せる視界と大量生産を優先して造ったせいもある。
映像は丁度、千栄理が神殿に降りてきた辺りから始まっており、映像全体は薄暗いが、観られない程ではない。彼女が光と共に降りて来るとその足元に跪き、腕に抱えた我が子を差し出す牧師の姿が見えた。牧師の顔つきから千栄理と同じ日本人だと分かる。
「……此奴か」
「……はい」
あっさり犯人の顔は分かった。それだけでハデスは義妹 を殺された怒りを覚えるが、まだ犯行には及んでいない。兄として、冥界の神として公平性を保ち、義妹 の最期を見届ける義務がある。内心で自分に言い聞かせ、流れる映像を見続けた。
千栄理はいつものように子供の熱を治し、治癒の書を閉じて牧師と子供に微笑みかける。牧師の男は何度も礼を言いながら頭を下げ、子供を傍の柱に凭れ掛けさせた。
「止めろ」
「はい」
ハデスが一時停止を命じ、ベルゼブブが素早く応える。不鮮明な映像を睨み、ハデスはある一点を指した。
「此奴のこの行動……一見、息子を休ませようとして取った行動とも言える。が、同時に息子から自分の犯行が見えないようにした、とも考えられるな。この角度では息子から父が何をしているのか見えぬだろう」
「野郎……この時から既に千栄理に手ェ出そうと考えてたってことか? 兄者」
額に青筋を浮かべて拳を握り、今にもその辺の物に叩き込みそうなアダマスを「落ち着け」とハデスは宥める。
「此奴が今、何をしているのかは知らぬが、報いは必ず受けさせる。それが余の義兄 としてできる最後の務めだ。神として全てを見届けねばならない」
「…………チッ」
ハデスの言葉に拳を収めたアダマスは代わりに腕を組み、兄と同じようにしようとモニターを睨みつけた。ベルゼブブの「じゃあ、続き始めますよ」という静かな声に一同が頷き、また再生される。
一向にその場を動こうとしない牧師を気にせず、千栄理はいつものように一礼して背を向け、ヘルメスの靴を履こうとポケットを探る。その隙に立ち上がった牧師は突然、彼女に飛び掛かり、顔を覆っているヴェールを取り去った。千栄理は突然のことに驚いたのか、神座の上で転び、後ろを振り向こうとした。しかし、それよりも早く牧師の手が彼女の細い首に伸び、締め付けた。ぐ、と力が込められる男の手に千栄理は何とか抵抗しようと、首に掛かっている手を外そうとしている。この映像を見ている皆の表情が硬くなり、ハデスは無意識にぎゅっと拳を握った。
そうしていたかと思うと、男の気が変わったのか、千栄理を油断させる為か、ぱっと首に掛かっていた手が放される。咳き込む千栄理に男が迫り、彼女の手を引いて自分の方へ振り向かせると、その唇に――。
後は想像通りの映像が記録されており、アダマスは思わず口を開いた。
「何なんだ、この人間は……! こいつは神に仕える身でありながら、何故あいつに手を出したっ!?」
「……分からぬ。何故このような罪に手を染めたのか、余の方が訊きたいくらいだ」
「ああ。ハデスさん達には分からないでしょうね」
そう静かに告げるベルゼブブにハデスとアダマスが注目すると、彼は暗く淀んだ目でじっとモニターを見つめながら続きを話す。
「『極まった愛』を持った瞬間、他人を殺す奴もいるってことですよ。……僕みたいに、ね」
自虐に満ちたその言葉にハデスは何も言えずにいたが、アダマスとベリアルはベルゼブブが座っている椅子の背もたれを小突きながら叱咤し、少々重くなった空気を霧散させる。
「オメェとこいつは違ぇだろうが。つまんねぇこと言ってんじゃねぇ」
「そういう反応に困ること言うの止めてくれませんかねぇ。自虐程、生産性の無い会話ってないですよ」
「……実はこの映像を見つけた後、この男の後を映像で追えないか試してみたんですけど」
思わぬ言葉に神々がまた一斉にベルゼブブを見ると、今度の彼はその動作に驚いたのか、びくっと肩を震わせるも、落ち着いて続きを話す。
「家までは突き止めることができました」
「どこだっ!?」
「うわっ!? ……今出します」
すぐにベルゼブブがキーボードを叩き、表示された画像を見ると、ハデスはすぐベルゼブブに報告書をまとめるよう命じたのだった。
「それがこれだ」
差し出された書類にアスクレピオスは目を通し、牧師の家を見た瞬間、「まじすか」と呟いた。
それは日本地区の外れにある小さな民家だった。建ててそれなりの年数が経っているだろうと窺える。アスクレピオスにはその家に見覚えがあったのだ。
「この家……前に診察に行ったことありますよ」
「なに? 本当か?」
「はい。ん~……でも、確かこのお家、奥さんを早くに亡くされて父子家庭だったと思います。お父さんは確かに牧師ですけど、でも、まさかあの人がこんなことするなんて……」
「それ程、真面目な奴じゃったのか?」
「はい。その筈です。……その筈、でした」
信じられないと口では言いつつも、確かな証拠がある以上、それ以上強く否定できない。アスクレピオスはそんな表情で肯定した。
人間達の街に詳しい彼がそう言うのだから間違いないのだと判断したハデスは「分かった」とだけ言って、その場を立ち去ろうとした。その背中に思わず、アスクレピオスは声を掛ける。
「え、ちょっ、ハデスさん!? ど、どうするんすかっ!?」
「今からその男を大罪人として連れて来る。案ずるな、ベリアルを遣わす。生け捕りにして引きずって来るとしよう。――今はな」
一度だけ振り向いたハデスの瞳には明らかに殺意が込められており、止めようと思っていたアスクレピオスだったが、その表情を見た瞬間、押し黙ってしまった。
「失礼しまーす」
何の気なしに謁見の間の扉を開けてみると、そこにはゼウス、ヘルメスの他にハデスの姿があった。意外な神にアスクレピオスは思わず「んぇ~?」と妙な声を零してしまう。その声にか、姿にか、気が付いた三柱はアスクレピオスに注目する。
「アスクレピオスか。お前も報告に?」
「はい。『も』ってことはハデスさんも?」
「うむ。丁度、ベルゼブブの解析が終わったのでな」
「なんであなたの方が使われてるんすか?」
それを聞くと、ハデスは「確かにな」と言いたげに微笑んだが、彼の報告は終わっているらしく、それ以上口を開く気配は無い。内心「この空気で報告するの、ほんとやだ」とアスクレピオスが思っていると、ゼウスが報告するよう促してくる。
「で、アスクレピオスの方はどうじゃった?」
「ああ。まぁ……予想通りというか、現場を見た通りというか」
「なんじゃい。はっきりせんか」
「……ここからは俺個神の予想になるんすけど、言っていいすか?」
「ええぞ」
そこからアスクレピオスは現場で調べたことを一通り話し、最後に自分の予想した事件のあらましを伝える。その話を聞いた三柱は皆一様に「やはりか」と言いたげな顔をした。そんな三柱の反応に戸惑うのはアスクレピオスただ一人。
「え? なんすか?」
「実はのう、さっきハデスから聞いた話とお前さんの予想。ぴったり合ってるんじゃよ」
「……へ?」
「ハデスさん、映像の解析が終わりました」
ベルゼブブからそう連絡を受けたハデスは早速確認しようと、彼の研究室へ赴き、モニターに近付いた。傍にはアダマスとベリアル、ベルゼブブの足元には寝こけている救破がおり、ベルゼブブはそんな彼を足置き代わりにしていた。モニターには音声こそ入っていないものの、事件当時の映像が流れている。音声を拾えずとも口の動きでおおよそ何を言っているのか、その場にいる全員が理解していた。
ベルゼブブが造った蝿型カメラで撮影された映像は世界中どこでも映せる代わりに、映像自体があまり鮮明ではない。三百六十度映せる視界と大量生産を優先して造ったせいもある。
映像は丁度、千栄理が神殿に降りてきた辺りから始まっており、映像全体は薄暗いが、観られない程ではない。彼女が光と共に降りて来るとその足元に跪き、腕に抱えた我が子を差し出す牧師の姿が見えた。牧師の顔つきから千栄理と同じ日本人だと分かる。
「……此奴か」
「……はい」
あっさり犯人の顔は分かった。それだけでハデスは
千栄理はいつものように子供の熱を治し、治癒の書を閉じて牧師と子供に微笑みかける。牧師の男は何度も礼を言いながら頭を下げ、子供を傍の柱に凭れ掛けさせた。
「止めろ」
「はい」
ハデスが一時停止を命じ、ベルゼブブが素早く応える。不鮮明な映像を睨み、ハデスはある一点を指した。
「此奴のこの行動……一見、息子を休ませようとして取った行動とも言える。が、同時に息子から自分の犯行が見えないようにした、とも考えられるな。この角度では息子から父が何をしているのか見えぬだろう」
「野郎……この時から既に千栄理に手ェ出そうと考えてたってことか? 兄者」
額に青筋を浮かべて拳を握り、今にもその辺の物に叩き込みそうなアダマスを「落ち着け」とハデスは宥める。
「此奴が今、何をしているのかは知らぬが、報いは必ず受けさせる。それが余の
「…………チッ」
ハデスの言葉に拳を収めたアダマスは代わりに腕を組み、兄と同じようにしようとモニターを睨みつけた。ベルゼブブの「じゃあ、続き始めますよ」という静かな声に一同が頷き、また再生される。
一向にその場を動こうとしない牧師を気にせず、千栄理はいつものように一礼して背を向け、ヘルメスの靴を履こうとポケットを探る。その隙に立ち上がった牧師は突然、彼女に飛び掛かり、顔を覆っているヴェールを取り去った。千栄理は突然のことに驚いたのか、神座の上で転び、後ろを振り向こうとした。しかし、それよりも早く牧師の手が彼女の細い首に伸び、締め付けた。ぐ、と力が込められる男の手に千栄理は何とか抵抗しようと、首に掛かっている手を外そうとしている。この映像を見ている皆の表情が硬くなり、ハデスは無意識にぎゅっと拳を握った。
そうしていたかと思うと、男の気が変わったのか、千栄理を油断させる為か、ぱっと首に掛かっていた手が放される。咳き込む千栄理に男が迫り、彼女の手を引いて自分の方へ振り向かせると、その唇に――。
後は想像通りの映像が記録されており、アダマスは思わず口を開いた。
「何なんだ、この人間は……! こいつは神に仕える身でありながら、何故あいつに手を出したっ!?」
「……分からぬ。何故このような罪に手を染めたのか、余の方が訊きたいくらいだ」
「ああ。ハデスさん達には分からないでしょうね」
そう静かに告げるベルゼブブにハデスとアダマスが注目すると、彼は暗く淀んだ目でじっとモニターを見つめながら続きを話す。
「『極まった愛』を持った瞬間、他人を殺す奴もいるってことですよ。……僕みたいに、ね」
自虐に満ちたその言葉にハデスは何も言えずにいたが、アダマスとベリアルはベルゼブブが座っている椅子の背もたれを小突きながら叱咤し、少々重くなった空気を霧散させる。
「オメェとこいつは違ぇだろうが。つまんねぇこと言ってんじゃねぇ」
「そういう反応に困ること言うの止めてくれませんかねぇ。自虐程、生産性の無い会話ってないですよ」
「……実はこの映像を見つけた後、この男の後を映像で追えないか試してみたんですけど」
思わぬ言葉に神々がまた一斉にベルゼブブを見ると、今度の彼はその動作に驚いたのか、びくっと肩を震わせるも、落ち着いて続きを話す。
「家までは突き止めることができました」
「どこだっ!?」
「うわっ!? ……今出します」
すぐにベルゼブブがキーボードを叩き、表示された画像を見ると、ハデスはすぐベルゼブブに報告書をまとめるよう命じたのだった。
「それがこれだ」
差し出された書類にアスクレピオスは目を通し、牧師の家を見た瞬間、「まじすか」と呟いた。
それは日本地区の外れにある小さな民家だった。建ててそれなりの年数が経っているだろうと窺える。アスクレピオスにはその家に見覚えがあったのだ。
「この家……前に診察に行ったことありますよ」
「なに? 本当か?」
「はい。ん~……でも、確かこのお家、奥さんを早くに亡くされて父子家庭だったと思います。お父さんは確かに牧師ですけど、でも、まさかあの人がこんなことするなんて……」
「それ程、真面目な奴じゃったのか?」
「はい。その筈です。……その筈、でした」
信じられないと口では言いつつも、確かな証拠がある以上、それ以上強く否定できない。アスクレピオスはそんな表情で肯定した。
人間達の街に詳しい彼がそう言うのだから間違いないのだと判断したハデスは「分かった」とだけ言って、その場を立ち去ろうとした。その背中に思わず、アスクレピオスは声を掛ける。
「え、ちょっ、ハデスさん!? ど、どうするんすかっ!?」
「今からその男を大罪人として連れて来る。案ずるな、ベリアルを遣わす。生け捕りにして引きずって来るとしよう。――今はな」
一度だけ振り向いたハデスの瞳には明らかに殺意が込められており、止めようと思っていたアスクレピオスだったが、その表情を見た瞬間、押し黙ってしまった。
