恋人とのお題
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今週末、久々にサッカーをしない日ができた。
平日には帰宅後に、休日には一日中厳しいトレーニングをしている若林だが、たまには体を休めないと怪我をするとコーチに言われてしまった。
急にトレーニングが休みと言われても何をして過ごせばいいのか。
ふと鈴木の顔が脳裏をよぎる。
一緒に帰ることが以前より増えたはいいが、その分会えなかった日に寂しさを感じるようになってしまっている。
現に今も授業中なのに、鈴木のことを考えていた。
サッカーのトレーニングであれば試合で鈴木に良いところを見せたいので今まで通りに頑張れるが、勉強の方はそうもいかない。
頭を使っているからだろうか。
1度浮かんでしまうと芋づる式に鈴木とのやりとりの記憶が次々と引き出される。
思えばサッカーのことばかり話している。
2人の共通点はサッカーだけなのだから当然のことだが、若林は何か物足りなさを感じた。
もっと鈴木と話したい、サッカー以外のことも。
サッカーと関係ない部分を見てみたい。
じゃあ具体的に鈴木の何が知りたいのかといわれると、わからないというのが正直なところだった。
「はい授業終わり。帰る準備しろ。」
チャイムが鳴って、教室がザワザワと騒がしくなる。
ロッカーから荷物を出して席に戻ると、隣の席の女子2人の楽しげな会話が耳に入った。
「ねえユウキくんと進展あった?」
「うん、今度一緒にお祭り行くの!」
「うそ!キャー!やったわね!」
声を抑えようとはしてるのだろうが、興奮のあまり調節ができてない。
周囲からの視線にも気付いていないようだ。
普段なら「やかましいぞ」くらいのことは言ってしまいがちな若林だが、今回は意識が別の方に向いていた。
祭り、か。
若林はサッカーに打ち込むあまり、地域の行事にはほとんど参加したことがない。
そんなでも祭りを多少イメージすることは出来る。
金魚すくいや射的、屋台の焼きそば、花火……。
……鈴木が俺の隣で楽しそうにしている姿。
想像だけで胸の奥が熱くなる。
馴染みのないことでも鈴木と一緒ならきっと楽しい。
若林はそう確信していた。
決めた、祭りに誘う。
練習を終え、意気揚々と帰路につく。
しかし今日は鈴木と会えず。
落胆しつつも、何件か民家のドア先に祭りの案内が貼り付けてあるのを見て日時と場所は把握できた。
近場の祭りだから、少し遠いが歩いて行ける距離だ。
休みともばっちり被っている。
これなら大丈夫だ。
デート当日。
誘ったときに2人で決めた待ち合わせ場所はいつもの分かれ道。
こうして待ち合わせをするのは初めてのことだ。
若林は気が急いて20分も前に着いてしまった。
同じく鈴木は15分前に到着。
「あれっ?若林くん早いね」
「鈴木こそ。まだ15分前だぞ。」
ふっ、とお互いに笑みが溢れる。
相手がこの日を楽しみにしていてくれたことがわかって嬉しいのだ。
早速並んで歩き出す。
いつもと違う方向へ進んでいるだけなのになんだかぎこちなく感じられた。
「若林くんってお祭りに行くイメージ無かったなあ」
「いつもは行かないぞ。」
「やっぱりそうなんだ。」
「鈴木はどうなんだ?」
「私は行くよ。家族とか友達と一緒に。」
「そうか。」
ふと思う。
鈴木は俺のことを友達だと思ってくれているのだろうか。
だとしたら嬉しい。
それだけ親密だということだ。
チームメイトやライバルならいるが、はっきり友達だと言える存在はなかなかいない若林にとって鈴木は珍しい存在だった。
声を聞くだけで気分が高揚して、もっと会いたいと思う。
また、自分でも気付かないうちに見つめてしまっているし、逆に見つめられると心臓の鼓動が速くなる。
果たしてそれが友情といえるのかどうかはさておき、若林はそう信じていた。
微かに祭囃子が聞こえる。
祭りは神社で行われていた。
神社へ続く石段の入口付近には通りすがりの人をターゲットにした屋台が数多く設営されている。
「あっスーパーボールすくいだ!あれやろうよ!かっこいいの取って学校に持っていきたい」
「持っていくって、そんなことしたいのか?」
「えっ!?だ、だめかな……」
「だめじゃないが、鈴木も意外とガキっぽいな。」
「が、ガキ……。」
正直な感想を言ってしまったが思いのほかショックを受けているらしい。
悲壮感漂う表情のままで黙ってしまった。
思わず笑うと、腕に少しも痛くないパンチが飛んできた。
「すまん、悪かった。スーパーボールすくいやるか。」
「若林くんがやりたくないならいいんだよ。」
「拗ねるなよ。俺が誘ったんだ、鈴木のやりたいことに付き合うぜ。」
鈴木はまだ納得のいかないようだったが、渋々屋台の前へ。
割高な値段設定のポイを買い、スーパーボールの浮かんだ簡易プールの前に座り込む。
「若林くんやったことある?」
「ないな。」
「じゃあコツ教えてあげるね。」
ズイっと若林の方に身を寄せ、自分のポイを見せる。
「この隅に引っ掛けるの。向きはこうだよ。」
「これでいいか?」
「そうそう!」
満足したようで、元の位置に戻りいざ本番にかかる。
近付いたことに内心ドギマギしていた若林であったがなんとか平静を保つ。
鈴木の方をちらりと見ると早速1つ目のボールをすくうところだった。
俺も負けていられないな。
そう思った瞬間やる気がふつふつと漲ってくる。
流石運動部だけあって何事にも負けず嫌いなのだ。
結局、ものすごい集中力とポイの和紙が無くなってもまだすくおうとする執念深さで若林が勝利した。
元々勝負なんてしていないが。
「ガキっぽいとか言って若林くんも夢中だったじゃん。」
「やってみると面白いもんだな。」
若林の意外な素直さに肩透かしを食らいつつ、楽しんでくれていることに安堵する鈴木。
それぞれ好きなスーパーボールを1つ選びポケットに入れる。
「でもこれを学校に持って行って見せびらかすってのはやっぱりガキっぽいぜ。」
「あっ!」
言ったなー!と顔を見ると、若林はニヤリと笑った。
からかって喜んでいるのだ。
鈴木はいつもどこか緊張感をはらんだ笑顔ばかりで少し壁を感じていたが、今日は違う。
祭りの場で心に開放感があるのだろうか。
拗ねた表情なんて初めて見たし、笑顔も懐っこい感じがする。
可愛い。
自然とその言葉が浮かんだ。
「もう……私焼きそば買ってくるから。若林くんもいる?」
「ああ、俺も行く。」
2人並んで注文する。
ちょうどこの屋台は空いていた。
「おや仲良しだねー。デートかい?」
おじさんが焼きそばを渡しながら、ニコニコととんでもない爆弾を落とす。
「えっ!?」
意識しているが故に否定できず若林を見る。
若林もまた、黙ってはいるものの動揺していた。
友達だと思っている相手につい先程「可愛い」だなどと思ってしまった手前、何も言えない。
「あーごめんごめん。おじさんの言ったことなんて気にしないで仲良く楽しんでおいで。」
空気を察したおじさんが台越しに若林の肩をぽんぽん叩く。
「えっと、焼きそばありがとうございます。」
その場を離れ、神社の階段を上る。
デートなわけないだろ、なんて言われなかったことに鈴木は安堵していた。
しかし、若林があれから一言も発しないことが気にかかる。
何か気に障ることでもあったのだろうか。
もしかして絶句するほどカップル扱いされるのが嫌だったのか。
悪い方向に進んでいく鈴木の思考と裏腹に、若林は自分の気持ちと向き合おうとしていた。
俺は確かに鈴木を可愛いと思った。
思えばこれまでも無意識のうちに可愛いと思っていた。
しかしこれは友達に対して思うことなのか?
鈴木に会いたいと思う気持ちはもっと別の場所から出てくるものじゃないのか?
認めたいような認めたくないような妙なモヤモヤが渦巻く。
気付いたら既に階段を登りきっていて、先程までとは比べ物にならないほどの人の波の中にいた。
「歩く隙間もないな。」
ようやく声を出した若林にほっとして鈴木も口を開く。
「もうすぐ花火が始まるんだよ。」
「花火か、ちょうどいいな。見ながら飯を食うか。」
「うん。あっちに行くとよく見えるよ。」
鈴木の視線の先に向かって歩き出す。
並んで歩くものの、意識し合う2人の間には少し距離がある。
その隙間は人でぎゅうぎゅう詰めのここではただの追い越しができる道でしかない。
若林は逸れないよう何度か鈴木の位置を確認してはいたが、確認しているだけじゃ距離は詰められない。
一斉に何人にも通り抜けられ、突然姿を見失った。
まずい。
なんとか道の端に抜け出て周囲を見渡す。
しかし、体格のいい若林といえどもそれは小学生の中での話。
大人たちの壁に遮られてしまうと何も見えない。
「くそっ。鈴木ーっ!!」
再び人混みの中へ飛び込んだ。
もみくちゃにされながら、時折顔を上げて位置を確認し進んでいく。
恐らく鈴木の方も俺が見えなくなった時点で人混みから出たはず。
時間はかかったが、最後は押し出されるようにして道の反対端へ。
すぐに辺りを見回すと、真っ先に鈴木の姿が見えて胸を撫で下ろす。
しかし、若林が近付こうと足を踏み出す前に誰かが鈴木に声をかけた。
あの坊主頭は……。
「おっ1人か?」
「あっ石崎くん。来てたんだ。」
「ま、たまには息抜きも必要ってな。」
鈴木は石崎が毎日ボールと格闘しているのを知っている。
翼の陰に隠れているが、レギュラーになろうと努力し続けるその熱意が鈴木はとても好きだった。
その思いが態度にも表れているのだろう。
石崎も自分を認めてくれる鈴木に好感を持っており、一緒に遊んだりはしないものの仲が良い。
「いつも練習頑張ってるもんね。」
「おうよ!ところでこんなとこで何やってんだ?もうすぐ花火始まるぜ。」
「ちょっとはぐれちゃって……。」
「なんだ、お前もかァ。」
「石崎くんも?」
「ああ、サッカー部のみんなで来てたんだけどよ。たぶんみんな俺がいないことにも気付いてないぜ。」
溜息をつく石崎に苦笑してしまう。
こんなに存在感のある人が気付かれないものだろうか。
気付いていたとして探そうとしているかは微妙なところだが。
「もし気付いてたとしてこの人混みじゃあなァ。探そうにも無理だぜ。」
「そうかなあ……。」
若林くんはたぶん、いや絶対私を探しているはずだ。
きっとここから動かない方がいい。
頭ではわかっていても石崎の発言に不安が煽られ、今からでも人ごみを掻き分け探し回った方がいいのではないかと考えてしまう。
「鈴木もここで待ってたって見つけてもらえるかわかんねェぞ。」
「じゃあ私が探しに……。」
「女の子があんな人混みの中入ってったって流されるだけだぜ、やめとけやめとけ。」
「……。」
「まァそう落ち込むなって。俺でいいなら一緒に花火見に行くか?」
善意100%の笑顔を向けられる。
きっと花火が綺麗に見られる場所まで私が流されないように盾になってくれるつもりなのだ。
その気遣いに胸を打たれるが、若林がいることを忘れてはいない。
どうやって断ろう。
「えっと……石崎くんの気持ちはすごく嬉し」
「おい。」
「ん?……わ、若林!?」
2人の間に割り込むようにして大きな背中が現れる。
肩越しに、石崎の右肩を押しのけているのが見えた。
「うわっ、何だよ。」
「もう用は済んだろ。さっさと行け。」
「はァ?何の話だよ。」
「行くぞ。」
振り向いた若林くんは私にちらりと目配せしてズンズン歩いていってしまう。
「あっ……。い、石崎くん、ありがとね!」
「えっ?おい……。」
ハテナを浮かべた石崎くんを背に、駆け足で追いかける。
このままじゃまたはぐれてしまう。
「若林くん、待って!」
喧騒に負けじと声を張ると、若林くんはすぐに立ち止まってくれた。
「俺に掴まってろ。」
目の前に腕が差し出される。
あとから考えれば当然腕に掴まれという意味だったのだろう。
でもこのとき、鈴木に1番近かったのは手のひらだった。
咄嗟に手のひらを両手で握ってしまい、若林が勢いよく振り返る。
「えっあっごめん」
驚いて手を離すと、若林はその逃げた手を握り直して前を向いた。
「行くぞ。」
手を引かれて人混みの中を進んでいく。
手を繋いでいるとはいえ少し距離が開くと隙間があるように見えてしまい、人が通り抜けようとしてくる。
それを防ごうとお互いに距離を詰め、さらに若林は鈴木の腕を巻き込むようにして強引に自分の体に寄せた。
これでほぼ密着状態となった2人。
かつてない距離感に動揺して反射的に離れようとする鈴木を、流されていると勘違いした若林が力づくで引き戻す。
鈴木を守ることに意識を向けている若林はともかく、鈴木はただでさえ暑い中で若林の汗ばむ肌と体温を感じて今にも倒れてしまいそうな心持ちだった。
空が光り、暫くして爆音が辺りに響く。
「もう始まりやがったか。」
見上げて悔しげに呟く。
「鈴木、大丈夫か?」
「う、うん」
振り向いた若林の顔を見られず俯く。
若林の方もずっと前を向いたので気付かなかったが思いのほか距離が近くて、妙に体温を意識しだしてしまう。
「……暑い、な。飲み物でも買うか。」
「うん……。」
人混みから出ると、少しだけ体の熱が冷めた。
互いに探り探りといった様子で手を離して距離をとる。
「飲み物の屋台、こっちにはないね。」
「そうだな。……向こう側か。俺が鈴木の分も買ってくるからここで待ってろ。」
「うん。」
若林の背中が人混みの中に消え、ほうっと溜息をつく。
ようやくまともに呼吸できた気がする。
空を見上げると、木々の隙間から花火の端っこの黄色い光だけ見えた。
多少見えづらいだけならここで観賞することはできないかと思ったが、流石にこれでは物足りない。
ではまた体が触れ合う至近距離で手を繋いで歩くことになるのか。
握っていた手の感触がまだ鮮明に残っている。
男の子だからかキーパーだからか、固くて厚い大きな手のひらだった。
鈴木にはこれまでずっと若林と進展したい気持ちがあったが、今日1日で果たして何十歩進んだのだろう。
「まいど!」
ラムネを2本買って、すぐに踵を返す。
早く渡してやらないと折角の冷えたラムネが温まってしまう。
人の流れに逆らって歩くのはもう何度目のことか。
異常に疲れさせられるが、だからといって花火を諦めて帰ろうとは思わなかった。
むしろ若林の心の中は絶対に花火を見てやるという執念にも近い気概に満ちていた。
先程の石崎と鈴木の会話を若林は聞いていた。
石崎は彼女に花火を見せてやろうとしていた。
そのことに思いがけず深くショックを受けた。
なんなんだ、あの仲の良さは。
若林の知らない鈴木の世界が垣間見えた。
鈴木を取られたくない。
どうにかして鈴木に、石崎の奴より俺の方が一緒にいて楽しいと思ってもらわなくては。
そのためにも花火は絶対に俺が見せる。
人混みを抜けて一目散に鈴木の元へ。
鈴木は自分の手のひらをじっと見つめていた。
「ほら。」
「あ、ありがとう。」
慌てて手を隠すように休めの姿勢を取って、それからまた慌てたようにラムネを受け取った。
「……どうした?」
「えっ?な、何でもない。」
目が泳いでいる。
また石崎と会っていたのか?
いや、だとしてそれを隠す意味がわからない。
「手がどうかしたのか?」
「えっ!?ち、違う違う!手相見てただけ!」
「手相なんかわかるのか。」
「ち、ちょっとだけね」
あからさまな誤魔化しだったが若林には通用した。
簡単に納得させられて隣に並ぶように立つ。
本当は繋いだ手のことを思い出していたのだが、そんなこと本人に言えるわけがない。
若林がラムネをあけたのを見て、鈴木も続く。
シュワシュワと溢れ出す前に、口を付けて喉に流し込む。
甘みと爽快感が体中に染み渡る。
「生き返るー。」
「ラムネなんか久しぶりに飲んだぜ。」
「あれっもう飲んじゃったの?」
「折角の祭りなんでラムネにしたが、少なかったな。」
カラを近くのゴミ箱に投げ入れる。
鈴木も若林に合わせて一気に飲み干した。
「じゃあ急ぐぞ。焼きそばも冷めてきちまった。」
「う、うん。」
若林が背中を向けつつ控えめに手を差し出す。
鈴木がそっと手を重ねると、優しく握りしめられた。
こんなに普通に手を繋ぐなんて、まるで恋人同然だ。
力強く手を引かれ、ぐんぐん進んでいく。
「この辺りか。」
若林につられて空を見上げる。
大輪の花火がどこも欠けることなく綺麗に見える。
「あそこが空いてるな。」
若林に引かれ、再び進む。
視界が開けると目の前に神社の本殿があることに気が付いた。
お賽銭箱の前の石段に空きがあったので、そこに座り込む。
前に立つ人たちで花火はよく見えなくなったが、さっきラムネを飲んだところよりはずっといい。
「流石に腹が減ったな。」
「そうだね、早く食べよう。いただきまーす。」
「いただきます。」
思っていたよりも買ってから時間が経っているみたいで、焼きそばはすっかり冷めきっていた。
祭りの雰囲気の中とはいえ、舌の肥えている若林には全く美味しく感じないのだろう。
微妙な表情で箸を進めている。
少し時間はかかったがそれぞれ食べ終わり、花火を見るため立ち上がる。
ここの花火は2回盛り上がりがあるが、そのうち1回目のフィナーレが始まろうとしていた。
ポツポツ打ち上がっていた花火が徐々に連続して打ち上がるようになり、1玉1玉の規模も大きくなっていく。
周囲からはたーまやー、という掛け声。
特に大きな花火にはこの場にいる皆が一様に感嘆の声を漏らした。
「見事なもんだな。」
爆音が続けざまに鳴り響く中、合間の短い静寂に至近距離の若林の声が耳に届いた。
鈴木が若林の方を見ると、その視線に気付いて見つめ返してくる。
何か意味があって視線を送ったわけではないので、思いのほか見つめられて動揺してしまう。
「えっと、花火綺麗だね」
「?」
花火の音に掻き消されて聞こえなかったらしい。
若林も何か言っているが聞こえない。
だがこれは予想できる内容だ。
恐らく「なんだって?」と言っている。
仕方なく大きな声で繰り返すが、やはり届かない。
すると、痺れを切らした若林が鈴木の方に耳を寄せた。
ドキリと心臓が跳ねたが、平常心を装って鈴木の方も口元を寄せる。
「花火綺麗だね。」
あーなるほど、といったような表情で微笑む。
かと思うと若林が再びぐっと顔を近づけてきた。
驚いて反射的に顔を逸らす。
「そうだな。」
小学生にして既に声変わりを終えた低く優しげな声が耳にダイレクトに響く。
ただの相槌ではあるが、まさか耳打ちを返されると思っていなかった鈴木はときめきのあまり指先から力が抜けてしまうのを感じた。
焼きそばの容器を持つ手が震えている。
一方の若林も花火の振動以上に自分の胸の鼓動をやかましく感じていた。
耳元で鈴木の声どころか息遣いまで感じたことも勿論なのだが、こちらから耳打ちをするときに鈴木が無防備に耳を貸してくれたことが何より嬉しかった。
俺を受け入れてくれている、そう思えたのだ。
第1弾のフィナーレが終わり、帰路につく。
第2段を見ない理由は小学生が観賞するには時間帯が遅すぎるからだ。
人に揉まれるばかりであまり屋台を巡ることもできなかったが、こればかりは仕方ない。
長い石段を降りて喧騒からどんどん遠のいていく。
広い道路で手を離して黙々と歩いていると、意識してしまって徐々に2人の距離が開いていく。
学校から一緒に帰っているときくらいのいつもの距離感。
しかし、内心では互いにこの距離感をとても遠く感じていた。
実際には全く遠いとは言えない。
手を伸ばせば十分に届く。
しかし今の2人にはお互いの息遣いや体温を感じられないこの距離ではもはや満たされない。
「!」
「あっごめん。」
お互いの手の甲がぶつかる。
気付かぬうちに近付いていたらしい。
一旦距離をあけるが、すぐにまたぶつかった。
2人とも相手が側にいない寂しさで無意識のうちに相手に吸い寄せられているのだ。
それは各々なんとなくわかっているが、だからといってなんの理由付けもなく手を繋ぎたいだなんて言えるはずもない。
しばらく歩いていると花火の第2段が始まったらしく、空が激しく光りだす。
「ここからじゃあんまり見えないね。」
「ああ。……よく見えても、これだけ離れてると見応えないな。」
「うーん、確かに。」
言葉を交わすと少し寂しさが埋められる。
でも、全然足りない。
もっと親密な時間を過ごしたい。
「今日、楽しかったね。」
「ああ。だがあんなに人が多いとは思わなかったな。」
「なんだか若林くんに大変な思いさせちゃったね。」
「確かに大変だったが悪くはなかったぜ。」
悪くはなかった、という言葉が手を繋いで歩いたことを指しているのは何も言わなくてもお互い通じていた。
聞き手の鈴木には自分が自惚れているだけかも、という疑念があるので100%確信しているわけではなかったが。
「若林くんと一緒にお祭りに行けて良かったな。たぶん友達と来てたら花火は見られなかったと思う。」
「……そうか?石崎がいただろ。」
「石崎くんと会ったのはたまたまだもん。」
「友達じゃないのか。」
「うーん……好きだけど一緒に遊ぶほどじゃないよ。」
好き、というのに一瞬絶望しかけたが人として好きなだけで友達ではないのだと思い直す。
しかし、友達ではないにしろ好きなのか。
石崎のヘラヘラしたアホ面が頭に浮かび、無性に苛立ってしまう。
「あんなのどこがいいんだ?お調子者のバカだぞ。」
「あはは……まあそういうところもあるけど、石崎くんってすごいど根性でしょ?1人で猛練習してるの私知ってるんだ。」
楽しそうに話す様子を見て、ムッとしてしまう。
練習なら俺だって人一倍やってる。
当然石崎よりもだ。
自信を持って言える。
だが、それを口に出すのはかっこわるい気がして黙り込んだ。
「あ、若林くんも頑張ってるんだよね。放課後にみんなで練習したあとも家で特訓してるって言ってたもんね。」
「……ああ。」
気持ちを読まれてギクリとする。
そんなに顔に出てたか。
「若林くんの特訓は見たことないけど、あんなに強いんだもん。それだけ練習をしてるんだってわかるよ。手のひらもあんなに固くて……。」
ハッとしたように口を噤む。
あれだけ触れまいとしていた手繋ぎをダイレクトに連想させる発言をしてしまった。
「……鈴木の手が柔らかすぎるんだ。握り潰しちまわないか心配だったぜ。」
「えっ、そうかな……。」
普通に返事をしてくれたことに安堵しつつ、そんなふうに思われてたのかと恥ずかしくなってしまう。
なんとなく目が合い、2人してはにかんだ。
長かったようで短い道のりもそろそろ終わりだ。
分かれ道に差し掛かる。
「じゃあ……。」
またね、と言おうとしたのだが何故か若林も同じ方向へ歩き出す。
「わ、若林くん?」
「こんな暗い道1人でかえせるか。送ってやる。」
「そんな、悪いよ。」
「俺が送らせろって言ってるんだ。悪いもくそもあるか。」
強引に話を通し、さっさと歩いて行ってしまう。
鈴木は慌てて後を追った。
若林は本当は送るつもりなどなかった。
だが、いつもより暗い道を彼女が1人ぽつんと歩いてる姿を想像するとなんとも心もとない。
それに、たった数分の道のりだとしても少しでも彼女と一緒にいたかった。
「若林くん、ありがとね。」
「おう。……またトレーニングが休みの日はどこか行こうぜ。」
「!……うん!」
平日には帰宅後に、休日には一日中厳しいトレーニングをしている若林だが、たまには体を休めないと怪我をするとコーチに言われてしまった。
急にトレーニングが休みと言われても何をして過ごせばいいのか。
ふと鈴木の顔が脳裏をよぎる。
一緒に帰ることが以前より増えたはいいが、その分会えなかった日に寂しさを感じるようになってしまっている。
現に今も授業中なのに、鈴木のことを考えていた。
サッカーのトレーニングであれば試合で鈴木に良いところを見せたいので今まで通りに頑張れるが、勉強の方はそうもいかない。
頭を使っているからだろうか。
1度浮かんでしまうと芋づる式に鈴木とのやりとりの記憶が次々と引き出される。
思えばサッカーのことばかり話している。
2人の共通点はサッカーだけなのだから当然のことだが、若林は何か物足りなさを感じた。
もっと鈴木と話したい、サッカー以外のことも。
サッカーと関係ない部分を見てみたい。
じゃあ具体的に鈴木の何が知りたいのかといわれると、わからないというのが正直なところだった。
「はい授業終わり。帰る準備しろ。」
チャイムが鳴って、教室がザワザワと騒がしくなる。
ロッカーから荷物を出して席に戻ると、隣の席の女子2人の楽しげな会話が耳に入った。
「ねえユウキくんと進展あった?」
「うん、今度一緒にお祭り行くの!」
「うそ!キャー!やったわね!」
声を抑えようとはしてるのだろうが、興奮のあまり調節ができてない。
周囲からの視線にも気付いていないようだ。
普段なら「やかましいぞ」くらいのことは言ってしまいがちな若林だが、今回は意識が別の方に向いていた。
祭り、か。
若林はサッカーに打ち込むあまり、地域の行事にはほとんど参加したことがない。
そんなでも祭りを多少イメージすることは出来る。
金魚すくいや射的、屋台の焼きそば、花火……。
……鈴木が俺の隣で楽しそうにしている姿。
想像だけで胸の奥が熱くなる。
馴染みのないことでも鈴木と一緒ならきっと楽しい。
若林はそう確信していた。
決めた、祭りに誘う。
練習を終え、意気揚々と帰路につく。
しかし今日は鈴木と会えず。
落胆しつつも、何件か民家のドア先に祭りの案内が貼り付けてあるのを見て日時と場所は把握できた。
近場の祭りだから、少し遠いが歩いて行ける距離だ。
休みともばっちり被っている。
これなら大丈夫だ。
デート当日。
誘ったときに2人で決めた待ち合わせ場所はいつもの分かれ道。
こうして待ち合わせをするのは初めてのことだ。
若林は気が急いて20分も前に着いてしまった。
同じく鈴木は15分前に到着。
「あれっ?若林くん早いね」
「鈴木こそ。まだ15分前だぞ。」
ふっ、とお互いに笑みが溢れる。
相手がこの日を楽しみにしていてくれたことがわかって嬉しいのだ。
早速並んで歩き出す。
いつもと違う方向へ進んでいるだけなのになんだかぎこちなく感じられた。
「若林くんってお祭りに行くイメージ無かったなあ」
「いつもは行かないぞ。」
「やっぱりそうなんだ。」
「鈴木はどうなんだ?」
「私は行くよ。家族とか友達と一緒に。」
「そうか。」
ふと思う。
鈴木は俺のことを友達だと思ってくれているのだろうか。
だとしたら嬉しい。
それだけ親密だということだ。
チームメイトやライバルならいるが、はっきり友達だと言える存在はなかなかいない若林にとって鈴木は珍しい存在だった。
声を聞くだけで気分が高揚して、もっと会いたいと思う。
また、自分でも気付かないうちに見つめてしまっているし、逆に見つめられると心臓の鼓動が速くなる。
果たしてそれが友情といえるのかどうかはさておき、若林はそう信じていた。
微かに祭囃子が聞こえる。
祭りは神社で行われていた。
神社へ続く石段の入口付近には通りすがりの人をターゲットにした屋台が数多く設営されている。
「あっスーパーボールすくいだ!あれやろうよ!かっこいいの取って学校に持っていきたい」
「持っていくって、そんなことしたいのか?」
「えっ!?だ、だめかな……」
「だめじゃないが、鈴木も意外とガキっぽいな。」
「が、ガキ……。」
正直な感想を言ってしまったが思いのほかショックを受けているらしい。
悲壮感漂う表情のままで黙ってしまった。
思わず笑うと、腕に少しも痛くないパンチが飛んできた。
「すまん、悪かった。スーパーボールすくいやるか。」
「若林くんがやりたくないならいいんだよ。」
「拗ねるなよ。俺が誘ったんだ、鈴木のやりたいことに付き合うぜ。」
鈴木はまだ納得のいかないようだったが、渋々屋台の前へ。
割高な値段設定のポイを買い、スーパーボールの浮かんだ簡易プールの前に座り込む。
「若林くんやったことある?」
「ないな。」
「じゃあコツ教えてあげるね。」
ズイっと若林の方に身を寄せ、自分のポイを見せる。
「この隅に引っ掛けるの。向きはこうだよ。」
「これでいいか?」
「そうそう!」
満足したようで、元の位置に戻りいざ本番にかかる。
近付いたことに内心ドギマギしていた若林であったがなんとか平静を保つ。
鈴木の方をちらりと見ると早速1つ目のボールをすくうところだった。
俺も負けていられないな。
そう思った瞬間やる気がふつふつと漲ってくる。
流石運動部だけあって何事にも負けず嫌いなのだ。
結局、ものすごい集中力とポイの和紙が無くなってもまだすくおうとする執念深さで若林が勝利した。
元々勝負なんてしていないが。
「ガキっぽいとか言って若林くんも夢中だったじゃん。」
「やってみると面白いもんだな。」
若林の意外な素直さに肩透かしを食らいつつ、楽しんでくれていることに安堵する鈴木。
それぞれ好きなスーパーボールを1つ選びポケットに入れる。
「でもこれを学校に持って行って見せびらかすってのはやっぱりガキっぽいぜ。」
「あっ!」
言ったなー!と顔を見ると、若林はニヤリと笑った。
からかって喜んでいるのだ。
鈴木はいつもどこか緊張感をはらんだ笑顔ばかりで少し壁を感じていたが、今日は違う。
祭りの場で心に開放感があるのだろうか。
拗ねた表情なんて初めて見たし、笑顔も懐っこい感じがする。
可愛い。
自然とその言葉が浮かんだ。
「もう……私焼きそば買ってくるから。若林くんもいる?」
「ああ、俺も行く。」
2人並んで注文する。
ちょうどこの屋台は空いていた。
「おや仲良しだねー。デートかい?」
おじさんが焼きそばを渡しながら、ニコニコととんでもない爆弾を落とす。
「えっ!?」
意識しているが故に否定できず若林を見る。
若林もまた、黙ってはいるものの動揺していた。
友達だと思っている相手につい先程「可愛い」だなどと思ってしまった手前、何も言えない。
「あーごめんごめん。おじさんの言ったことなんて気にしないで仲良く楽しんでおいで。」
空気を察したおじさんが台越しに若林の肩をぽんぽん叩く。
「えっと、焼きそばありがとうございます。」
その場を離れ、神社の階段を上る。
デートなわけないだろ、なんて言われなかったことに鈴木は安堵していた。
しかし、若林があれから一言も発しないことが気にかかる。
何か気に障ることでもあったのだろうか。
もしかして絶句するほどカップル扱いされるのが嫌だったのか。
悪い方向に進んでいく鈴木の思考と裏腹に、若林は自分の気持ちと向き合おうとしていた。
俺は確かに鈴木を可愛いと思った。
思えばこれまでも無意識のうちに可愛いと思っていた。
しかしこれは友達に対して思うことなのか?
鈴木に会いたいと思う気持ちはもっと別の場所から出てくるものじゃないのか?
認めたいような認めたくないような妙なモヤモヤが渦巻く。
気付いたら既に階段を登りきっていて、先程までとは比べ物にならないほどの人の波の中にいた。
「歩く隙間もないな。」
ようやく声を出した若林にほっとして鈴木も口を開く。
「もうすぐ花火が始まるんだよ。」
「花火か、ちょうどいいな。見ながら飯を食うか。」
「うん。あっちに行くとよく見えるよ。」
鈴木の視線の先に向かって歩き出す。
並んで歩くものの、意識し合う2人の間には少し距離がある。
その隙間は人でぎゅうぎゅう詰めのここではただの追い越しができる道でしかない。
若林は逸れないよう何度か鈴木の位置を確認してはいたが、確認しているだけじゃ距離は詰められない。
一斉に何人にも通り抜けられ、突然姿を見失った。
まずい。
なんとか道の端に抜け出て周囲を見渡す。
しかし、体格のいい若林といえどもそれは小学生の中での話。
大人たちの壁に遮られてしまうと何も見えない。
「くそっ。鈴木ーっ!!」
再び人混みの中へ飛び込んだ。
もみくちゃにされながら、時折顔を上げて位置を確認し進んでいく。
恐らく鈴木の方も俺が見えなくなった時点で人混みから出たはず。
時間はかかったが、最後は押し出されるようにして道の反対端へ。
すぐに辺りを見回すと、真っ先に鈴木の姿が見えて胸を撫で下ろす。
しかし、若林が近付こうと足を踏み出す前に誰かが鈴木に声をかけた。
あの坊主頭は……。
「おっ1人か?」
「あっ石崎くん。来てたんだ。」
「ま、たまには息抜きも必要ってな。」
鈴木は石崎が毎日ボールと格闘しているのを知っている。
翼の陰に隠れているが、レギュラーになろうと努力し続けるその熱意が鈴木はとても好きだった。
その思いが態度にも表れているのだろう。
石崎も自分を認めてくれる鈴木に好感を持っており、一緒に遊んだりはしないものの仲が良い。
「いつも練習頑張ってるもんね。」
「おうよ!ところでこんなとこで何やってんだ?もうすぐ花火始まるぜ。」
「ちょっとはぐれちゃって……。」
「なんだ、お前もかァ。」
「石崎くんも?」
「ああ、サッカー部のみんなで来てたんだけどよ。たぶんみんな俺がいないことにも気付いてないぜ。」
溜息をつく石崎に苦笑してしまう。
こんなに存在感のある人が気付かれないものだろうか。
気付いていたとして探そうとしているかは微妙なところだが。
「もし気付いてたとしてこの人混みじゃあなァ。探そうにも無理だぜ。」
「そうかなあ……。」
若林くんはたぶん、いや絶対私を探しているはずだ。
きっとここから動かない方がいい。
頭ではわかっていても石崎の発言に不安が煽られ、今からでも人ごみを掻き分け探し回った方がいいのではないかと考えてしまう。
「鈴木もここで待ってたって見つけてもらえるかわかんねェぞ。」
「じゃあ私が探しに……。」
「女の子があんな人混みの中入ってったって流されるだけだぜ、やめとけやめとけ。」
「……。」
「まァそう落ち込むなって。俺でいいなら一緒に花火見に行くか?」
善意100%の笑顔を向けられる。
きっと花火が綺麗に見られる場所まで私が流されないように盾になってくれるつもりなのだ。
その気遣いに胸を打たれるが、若林がいることを忘れてはいない。
どうやって断ろう。
「えっと……石崎くんの気持ちはすごく嬉し」
「おい。」
「ん?……わ、若林!?」
2人の間に割り込むようにして大きな背中が現れる。
肩越しに、石崎の右肩を押しのけているのが見えた。
「うわっ、何だよ。」
「もう用は済んだろ。さっさと行け。」
「はァ?何の話だよ。」
「行くぞ。」
振り向いた若林くんは私にちらりと目配せしてズンズン歩いていってしまう。
「あっ……。い、石崎くん、ありがとね!」
「えっ?おい……。」
ハテナを浮かべた石崎くんを背に、駆け足で追いかける。
このままじゃまたはぐれてしまう。
「若林くん、待って!」
喧騒に負けじと声を張ると、若林くんはすぐに立ち止まってくれた。
「俺に掴まってろ。」
目の前に腕が差し出される。
あとから考えれば当然腕に掴まれという意味だったのだろう。
でもこのとき、鈴木に1番近かったのは手のひらだった。
咄嗟に手のひらを両手で握ってしまい、若林が勢いよく振り返る。
「えっあっごめん」
驚いて手を離すと、若林はその逃げた手を握り直して前を向いた。
「行くぞ。」
手を引かれて人混みの中を進んでいく。
手を繋いでいるとはいえ少し距離が開くと隙間があるように見えてしまい、人が通り抜けようとしてくる。
それを防ごうとお互いに距離を詰め、さらに若林は鈴木の腕を巻き込むようにして強引に自分の体に寄せた。
これでほぼ密着状態となった2人。
かつてない距離感に動揺して反射的に離れようとする鈴木を、流されていると勘違いした若林が力づくで引き戻す。
鈴木を守ることに意識を向けている若林はともかく、鈴木はただでさえ暑い中で若林の汗ばむ肌と体温を感じて今にも倒れてしまいそうな心持ちだった。
空が光り、暫くして爆音が辺りに響く。
「もう始まりやがったか。」
見上げて悔しげに呟く。
「鈴木、大丈夫か?」
「う、うん」
振り向いた若林の顔を見られず俯く。
若林の方もずっと前を向いたので気付かなかったが思いのほか距離が近くて、妙に体温を意識しだしてしまう。
「……暑い、な。飲み物でも買うか。」
「うん……。」
人混みから出ると、少しだけ体の熱が冷めた。
互いに探り探りといった様子で手を離して距離をとる。
「飲み物の屋台、こっちにはないね。」
「そうだな。……向こう側か。俺が鈴木の分も買ってくるからここで待ってろ。」
「うん。」
若林の背中が人混みの中に消え、ほうっと溜息をつく。
ようやくまともに呼吸できた気がする。
空を見上げると、木々の隙間から花火の端っこの黄色い光だけ見えた。
多少見えづらいだけならここで観賞することはできないかと思ったが、流石にこれでは物足りない。
ではまた体が触れ合う至近距離で手を繋いで歩くことになるのか。
握っていた手の感触がまだ鮮明に残っている。
男の子だからかキーパーだからか、固くて厚い大きな手のひらだった。
鈴木にはこれまでずっと若林と進展したい気持ちがあったが、今日1日で果たして何十歩進んだのだろう。
「まいど!」
ラムネを2本買って、すぐに踵を返す。
早く渡してやらないと折角の冷えたラムネが温まってしまう。
人の流れに逆らって歩くのはもう何度目のことか。
異常に疲れさせられるが、だからといって花火を諦めて帰ろうとは思わなかった。
むしろ若林の心の中は絶対に花火を見てやるという執念にも近い気概に満ちていた。
先程の石崎と鈴木の会話を若林は聞いていた。
石崎は彼女に花火を見せてやろうとしていた。
そのことに思いがけず深くショックを受けた。
なんなんだ、あの仲の良さは。
若林の知らない鈴木の世界が垣間見えた。
鈴木を取られたくない。
どうにかして鈴木に、石崎の奴より俺の方が一緒にいて楽しいと思ってもらわなくては。
そのためにも花火は絶対に俺が見せる。
人混みを抜けて一目散に鈴木の元へ。
鈴木は自分の手のひらをじっと見つめていた。
「ほら。」
「あ、ありがとう。」
慌てて手を隠すように休めの姿勢を取って、それからまた慌てたようにラムネを受け取った。
「……どうした?」
「えっ?な、何でもない。」
目が泳いでいる。
また石崎と会っていたのか?
いや、だとしてそれを隠す意味がわからない。
「手がどうかしたのか?」
「えっ!?ち、違う違う!手相見てただけ!」
「手相なんかわかるのか。」
「ち、ちょっとだけね」
あからさまな誤魔化しだったが若林には通用した。
簡単に納得させられて隣に並ぶように立つ。
本当は繋いだ手のことを思い出していたのだが、そんなこと本人に言えるわけがない。
若林がラムネをあけたのを見て、鈴木も続く。
シュワシュワと溢れ出す前に、口を付けて喉に流し込む。
甘みと爽快感が体中に染み渡る。
「生き返るー。」
「ラムネなんか久しぶりに飲んだぜ。」
「あれっもう飲んじゃったの?」
「折角の祭りなんでラムネにしたが、少なかったな。」
カラを近くのゴミ箱に投げ入れる。
鈴木も若林に合わせて一気に飲み干した。
「じゃあ急ぐぞ。焼きそばも冷めてきちまった。」
「う、うん。」
若林が背中を向けつつ控えめに手を差し出す。
鈴木がそっと手を重ねると、優しく握りしめられた。
こんなに普通に手を繋ぐなんて、まるで恋人同然だ。
力強く手を引かれ、ぐんぐん進んでいく。
「この辺りか。」
若林につられて空を見上げる。
大輪の花火がどこも欠けることなく綺麗に見える。
「あそこが空いてるな。」
若林に引かれ、再び進む。
視界が開けると目の前に神社の本殿があることに気が付いた。
お賽銭箱の前の石段に空きがあったので、そこに座り込む。
前に立つ人たちで花火はよく見えなくなったが、さっきラムネを飲んだところよりはずっといい。
「流石に腹が減ったな。」
「そうだね、早く食べよう。いただきまーす。」
「いただきます。」
思っていたよりも買ってから時間が経っているみたいで、焼きそばはすっかり冷めきっていた。
祭りの雰囲気の中とはいえ、舌の肥えている若林には全く美味しく感じないのだろう。
微妙な表情で箸を進めている。
少し時間はかかったがそれぞれ食べ終わり、花火を見るため立ち上がる。
ここの花火は2回盛り上がりがあるが、そのうち1回目のフィナーレが始まろうとしていた。
ポツポツ打ち上がっていた花火が徐々に連続して打ち上がるようになり、1玉1玉の規模も大きくなっていく。
周囲からはたーまやー、という掛け声。
特に大きな花火にはこの場にいる皆が一様に感嘆の声を漏らした。
「見事なもんだな。」
爆音が続けざまに鳴り響く中、合間の短い静寂に至近距離の若林の声が耳に届いた。
鈴木が若林の方を見ると、その視線に気付いて見つめ返してくる。
何か意味があって視線を送ったわけではないので、思いのほか見つめられて動揺してしまう。
「えっと、花火綺麗だね」
「?」
花火の音に掻き消されて聞こえなかったらしい。
若林も何か言っているが聞こえない。
だがこれは予想できる内容だ。
恐らく「なんだって?」と言っている。
仕方なく大きな声で繰り返すが、やはり届かない。
すると、痺れを切らした若林が鈴木の方に耳を寄せた。
ドキリと心臓が跳ねたが、平常心を装って鈴木の方も口元を寄せる。
「花火綺麗だね。」
あーなるほど、といったような表情で微笑む。
かと思うと若林が再びぐっと顔を近づけてきた。
驚いて反射的に顔を逸らす。
「そうだな。」
小学生にして既に声変わりを終えた低く優しげな声が耳にダイレクトに響く。
ただの相槌ではあるが、まさか耳打ちを返されると思っていなかった鈴木はときめきのあまり指先から力が抜けてしまうのを感じた。
焼きそばの容器を持つ手が震えている。
一方の若林も花火の振動以上に自分の胸の鼓動をやかましく感じていた。
耳元で鈴木の声どころか息遣いまで感じたことも勿論なのだが、こちらから耳打ちをするときに鈴木が無防備に耳を貸してくれたことが何より嬉しかった。
俺を受け入れてくれている、そう思えたのだ。
第1弾のフィナーレが終わり、帰路につく。
第2段を見ない理由は小学生が観賞するには時間帯が遅すぎるからだ。
人に揉まれるばかりであまり屋台を巡ることもできなかったが、こればかりは仕方ない。
長い石段を降りて喧騒からどんどん遠のいていく。
広い道路で手を離して黙々と歩いていると、意識してしまって徐々に2人の距離が開いていく。
学校から一緒に帰っているときくらいのいつもの距離感。
しかし、内心では互いにこの距離感をとても遠く感じていた。
実際には全く遠いとは言えない。
手を伸ばせば十分に届く。
しかし今の2人にはお互いの息遣いや体温を感じられないこの距離ではもはや満たされない。
「!」
「あっごめん。」
お互いの手の甲がぶつかる。
気付かぬうちに近付いていたらしい。
一旦距離をあけるが、すぐにまたぶつかった。
2人とも相手が側にいない寂しさで無意識のうちに相手に吸い寄せられているのだ。
それは各々なんとなくわかっているが、だからといってなんの理由付けもなく手を繋ぎたいだなんて言えるはずもない。
しばらく歩いていると花火の第2段が始まったらしく、空が激しく光りだす。
「ここからじゃあんまり見えないね。」
「ああ。……よく見えても、これだけ離れてると見応えないな。」
「うーん、確かに。」
言葉を交わすと少し寂しさが埋められる。
でも、全然足りない。
もっと親密な時間を過ごしたい。
「今日、楽しかったね。」
「ああ。だがあんなに人が多いとは思わなかったな。」
「なんだか若林くんに大変な思いさせちゃったね。」
「確かに大変だったが悪くはなかったぜ。」
悪くはなかった、という言葉が手を繋いで歩いたことを指しているのは何も言わなくてもお互い通じていた。
聞き手の鈴木には自分が自惚れているだけかも、という疑念があるので100%確信しているわけではなかったが。
「若林くんと一緒にお祭りに行けて良かったな。たぶん友達と来てたら花火は見られなかったと思う。」
「……そうか?石崎がいただろ。」
「石崎くんと会ったのはたまたまだもん。」
「友達じゃないのか。」
「うーん……好きだけど一緒に遊ぶほどじゃないよ。」
好き、というのに一瞬絶望しかけたが人として好きなだけで友達ではないのだと思い直す。
しかし、友達ではないにしろ好きなのか。
石崎のヘラヘラしたアホ面が頭に浮かび、無性に苛立ってしまう。
「あんなのどこがいいんだ?お調子者のバカだぞ。」
「あはは……まあそういうところもあるけど、石崎くんってすごいど根性でしょ?1人で猛練習してるの私知ってるんだ。」
楽しそうに話す様子を見て、ムッとしてしまう。
練習なら俺だって人一倍やってる。
当然石崎よりもだ。
自信を持って言える。
だが、それを口に出すのはかっこわるい気がして黙り込んだ。
「あ、若林くんも頑張ってるんだよね。放課後にみんなで練習したあとも家で特訓してるって言ってたもんね。」
「……ああ。」
気持ちを読まれてギクリとする。
そんなに顔に出てたか。
「若林くんの特訓は見たことないけど、あんなに強いんだもん。それだけ練習をしてるんだってわかるよ。手のひらもあんなに固くて……。」
ハッとしたように口を噤む。
あれだけ触れまいとしていた手繋ぎをダイレクトに連想させる発言をしてしまった。
「……鈴木の手が柔らかすぎるんだ。握り潰しちまわないか心配だったぜ。」
「えっ、そうかな……。」
普通に返事をしてくれたことに安堵しつつ、そんなふうに思われてたのかと恥ずかしくなってしまう。
なんとなく目が合い、2人してはにかんだ。
長かったようで短い道のりもそろそろ終わりだ。
分かれ道に差し掛かる。
「じゃあ……。」
またね、と言おうとしたのだが何故か若林も同じ方向へ歩き出す。
「わ、若林くん?」
「こんな暗い道1人でかえせるか。送ってやる。」
「そんな、悪いよ。」
「俺が送らせろって言ってるんだ。悪いもくそもあるか。」
強引に話を通し、さっさと歩いて行ってしまう。
鈴木は慌てて後を追った。
若林は本当は送るつもりなどなかった。
だが、いつもより暗い道を彼女が1人ぽつんと歩いてる姿を想像するとなんとも心もとない。
それに、たった数分の道のりだとしても少しでも彼女と一緒にいたかった。
「若林くん、ありがとね。」
「おう。……またトレーニングが休みの日はどこか行こうぜ。」
「!……うん!」
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