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たまに、スタート地点のことを考える。
ある意味で閉ざされた、安全地帯である寮内の、さらに閉鎖されたあの部屋で。電気をつけるのも億劫で、ギリギリ互いの顔が認知できるくらいの空間で。なにが弾けてしまったのか。それとも、実は弾けていないのか。きっかけとか、理由とか。探し当てたい気分になるときがある。
『もしもし、至さん。なにかお土産いりますか?』
スマホ越しに、いつもより張り上げた伊吹の声が届いた。俺はゲーム用のスマホから目を離さずにその声を聞く。脳死周回プレイ必須でタップ回数多いとか、一番面倒くさいやつ。
伊吹が親切にも「至さんが好きな屋台は大体ありますよ」と進言する。その声の背後には、人の熱気と、ちんどんちんどん、笛や太鼓のお囃子らしき音が透けていた。さっき寮の前をお囃子の団体が通った気がしたから、それだろう。見てないけど。
「お土産ー……。たこ焼きか、焼きそばか」
『あっ、オムソバとかありましたよ』
「うまそ。それでよろ」
『はいはーい』
ついさっき賑やかな出発を見送った気がしたが、あれからもう2時間経っていた。談話室は真っ暗で、外も真っ暗。電気をつけるためにソファに預けきっていた四肢を動かすと、腰がぽきっと音を鳴らした。
「伊吹はなに食べたの」
『えっとー……。フランクフルトとわたあめです。とりあえず』
「とりあえずね」
ふっと息だけで笑う。顔の3倍ある大きさのわたあめに顔を突っ込んで、頬までべたついている伊吹を想像した。両手にフランクフルトとわたあめの二刀流で構えている姿も。すると、向こうさんがなにか嫌な感じを察知したような無言の時間が生まれる。いや、ばかにしたんじゃないよ。ぜんぶ幻想だし。
「……お土産、冷やしキュウリにします」
「え」
じゃあいらないわ。そう言おうとしたとき、玄関の方からガチャと音がした。
「あ、椋。おかえり」
俺が談話室の入り口に顔を向けると、椋は幽霊と鉢合わせたかのように目を丸くした。
「ただいまです……。あれ、至さん、お祭り行ってないんですか?」
「まぁね。椋は?」
「僕は実家に帰ってたので、このあと合流する予定なんです」
「なるー」
椋は両手に荷物をぶら下げていた。キッチンにドスンと置くと、紙袋から次々とタッパーが取り出されていく。
8月も中旬。お盆の時期ともなれば帰省する団員もちらほらいるため、最近は誰かしらの親の手作りおかずが夕飯に出されていた。業務用サイズの冷蔵庫内もテトリスのように隙間がなく、奥に入れたが最後、行方不明になる。そういえば、しまっておいたバニラアイスまだ発掘してないな。
『椋くん帰ってきたんですか?』
「あーうん、そう。合流したいって」
『それじゃあ、私たち神社の前に拠点張ってるんで、そこに行けば臣くんと十座くんいると思いますよ。まぁ、近くにきたら連絡してくれれば』
「伝えとく。てか人選が魔除けで草」
『マナー守ってますけど全然人近づいてきませんよ』
「はは。便利すぎ」
めちゃ快適ですよ。伊吹はそう、軽快に、含みのある言い方をした。しかし俺の右人差し指は相変わらず、一定のリズムで液晶を叩いている。
「んー……。お土産はソース味の物でお願いします」
誘いに乗らなかった俺に、伊吹は笑ってなにか言ったが、威勢のいい男たちの声にかき消されてよく聞こえなかった。そのままおざなりに通話が切れる。
「うわ、椋」
気配を感じて振り返ると、妙に輝かしい瞳が立ちはだかっていた。どう生きたら、そんな星を埋め込んだような瞳のままで、学生時代を過ごせるのだろう。
「お話してたの、伊吹さんですよね!」
「あ、はい」
これから追及される話題に尻込みをしたのが、返事にばっちり反映されてしまった。
「その……。お付き合いされてるんですか?」
「まぁ、うん」
とくに隠していたつもりはないが、面と向かって聞かれたことはなかった。だから、肯定するのも初めてだ。俺と伊吹はそれだけ、なんというか、恋人感が薄いんだと思う。『恋人感』て。自分で文字を浮かべても違和感。節度ある大人だからあえて人前で上品に振舞っているのではなく、場所がどこでも俺たちは変わらないのだ。
「そうは言っても、ふたりっきりで引き籠ってるじゃないっすか〜」とは、若者代表摂津万里くんの言葉だ。はい、それはね。ゲームしてるんですよ、四六時中。ほんとに。
「わあ! 至さんと伊吹さん……。素敵です!」
「そうかな。ありがとね」
とっさに、にこりと笑顔をつくる。純真な心を向けられ、幻想を壊すわけにいかないという想いが働いた。会社の女性社員ならともかく、椋相手に見栄を張る必要もないだろうに。相手の理想に合わせてしまうのは、もう精神病を超えて人格だと思う。
「そういえば椋、借りてた漫画読んだからあとで返すね」
「『キャラメル色の恋』ですね!もう読んでくれたんですか?」
「うん。面白かった」
『キャラメル色の恋』は、普通のスクールラブが繰り広げられるかと思いきや、最終的に登場人物の半数が亡き人となる波乱万丈な話だった。少女漫画は愛憎の末、サスペンス化することもしばしばある。多少のぶん投げ感はあるものの、作者の気迫が感じられて俺的にはアリな展開だった。タイトル詐欺から一周まわって伏線回収、みたいな。
「前から思ってたんですけど、至さんはヒーローにそっくりなんです!」
うーん、またか、と思った。ヒーローに似てるシリーズ。そろそろ片手で数えきれなくなってきた。流石に自分がテンプレタイプすぎて笑う。物語の中で浮くほど爽やかなイケメンって印象だったから、俺とは似ても似つかない。どうやら椋はまだ、俺に対して爽やかさを感じているらしい。
「あ!でも至さんは、伊吹さんにとってのヒーローですもんね……」
椋は急に顔を青くして、目を泳がせた。どゆこと?
「僕なんかがお付き合いしてるふたりを勝手に登場人物に当てはめたりなんかして……」
「あーあー。大丈夫だから、落ち着きな。ほら、お祭り行くんでしょ」
「そうでした!花火の時間までに行くって、カズくんと約束したんです」
「うん。じゃあ、もう出た方がいいんじゃないかな、たぶん」
適当に促すと、椋は慌ただしく支度をして、ショルダーバッグだけの軽装になった。玄関先でいってきますの挨拶をされて、俺はひらひらと手を振る。
「いてら。気をつけてね」
直近のこと。2時間と少し前にも、こうして伊吹を見送った。
珍しく、というかこんな日にしか着る機会はないのだが、伊吹は浴衣姿だった。白地に水色と黄色の花柄。寝起きのまま半目で談話室に来た俺は、これなんのハッピーサプライズでしょうか?と思うくらいには似合っていた。思うだけで、実際には「浴衣だね」なんて、亀吉でももっとマシな感想が述べられる程度の発言をした。
「至さんは今日どうします?」
一応聞きました、というように伊吹が訊ねてきた。
どうします、か。数日前から祭りの話題は耳に入っていたが、劇団として参加する話ではなかったため、行くとか行かないとか、最初からそういう考えは持ち合わせていなかった。引き籠りキャラも定着したし、当然のように無関係でいた。だから、誘われたことに驚いた。そこで気づいたのだ。伊吹と出かけたことって、今までどのくらいあったっけ。
「お祭りねぇ……」
たしか、ローカルな情報番組では取り上げられるほど、まぁまぁ盛大だ。
うーん、と考えてる間もミンミンと蝉が鳴いていた。押し流されそうな人混みと、茹だるような暑さ。きっと歩き回るのも億劫で、俺にとっては、そこに存在するだけで生気が吸い取られそうな場所に思えた。
「俺はいいや」
「りょーかいです」
「皆で楽しんできて」
もしここがギャルゲの世界線なら、これで好感度パラは急降下。浴衣の彼女、夏祭り。スチル間違いなしの条件だった。
俺は伊吹の前で、ルート分岐失敗の気配を感じながら、それでもコマンドを移動できないでいる。伊吹に出せる手札の中に「爽やかなヒーロー」も、遡ってみればあったはずなのに。
だからたまに、スタート地点のことを考える。
ある意味で閉ざされた、安全地帯である寮内の、さらに閉鎖されたあの部屋で。電気をつけるのも億劫で、ギリギリ互いの顔が認知できるくらいの空間で。俺の提案にすんなり頷いた伊吹は。そろそろ引き返したいと、思っていませんか。
瞼をこじ開けると、天井のシミがぼんやり映った。そのまま10秒ほど見つめ合って気づく。俺の部屋だ。
椋を送り出した後風呂に入って、そこから記憶がない。まぁどうせ、イベ走行中に寝落ちたんだろう。スマホで時間を確認すると、20時半。予想ほどは気絶していなかったらしい。寮内は静かで、お祭りに行った組はまだ戻ってないようだ。
生乾きの前髪をゴムでくくる。明日も休日だし、夜通し再熱したレトロゲーでもやるか。そう思いながらカセットの収納を漁った。
「……あれ」
収納ケースをいくつか開けても、目当てのカセットがない。よく取り出しているから奥にしまった可能性は低いのだが。一応テーブルの下にも手を伸ばし、散らかり放題の紙類やペットボトルをどかしてみる。
「――あ」
思い出した。先週末に、伊吹に貸したのだ。多分平日はやらないから持ってなよ、とハードごと渡した記憶がある。
どうするか。伊吹がこの部屋に勝手に入るのは一向にかまわないけど、こっちが留守中の伊吹の部屋に入るのはどうよ。伊吹が許しても、もし誰かと鉢合わせた場合、寮での人権は消えるだろう。次回の春組公演では雑巾の役に当て書きされる未来がみえる。
床に這いつくばっていた俺は、そのまま脱力してのびきった。完全に、あのゲームがやりたい脳だった。こういうとき、他では代わりがきかないものだ。
ドンッ、パン――。
日常に馴染まない、火薬が弾ける音。お祭りの花火が始まったのだろう。
ドン、ドン。コンコン。ドドッ、パンッ。コンコン。
「ん?」
不自然に、花火より遥かに近くで音がして、カーペットから顔だけ上げた。
「至さーん」
部屋に備え付けられている、中庭に通じる扉。もう一度ノックされる。
「……え。伊吹?」
ここから出入りしようとするのは伊吹くらいなものだが、まさか花火が打ちあがっている最中に戻ってくるとは、予想だにしていなかった。鍵を開けると、やはり、少し息を弾ませた伊吹がいた。出発前、幸と東さんによって美しく着付けられた浴衣は着崩れ気味だ。
「おかえり。てか、花火見てこなかったの?」
「はい」
「あいつらは?」
「先に戻ってきちゃいました」
「え、なんで」
「なんでって……」
今まで伊吹からそんなに好感度が高い素振りを感じたことはなかったが。それはつまり。至さんに会いたくて震えてしまった、ということでしょうか。
「足が痛すぎて、もう楽しめそうもなかったので」
下駄を脱いでぷらぷらと持ち上げる。裸足ってサイコーですね、と解放されきった様子でフローリングに降り立った。
「それは災難。絆創膏とかいる?」
「剥けてないんで大丈夫ですよ。じゃ、ちょっぱやで着替えてきますねー」
伊吹は「帯もきつくて限界」とぼやきながら部屋を通り抜けていく。浮き足立ったまま残された俺は思う。
ーーなるほど。会いたくて震えた、は考えすぎだった。
ちょっぱやで部屋着にチェンジしてきた伊吹に背中を押され、俺は中庭に出た。今日初めて外の空気を吸った。風が気持ちよいと感じられればまだ良かったが、ぴくりとも動じない夏の空気には、永遠に留まってやるぞという迷惑な覇気があった。暑苦しいとはこのことか。
「あれー。見えるって聞いたんだけどなぁ……」
空を見上げながらふらふらと徘徊する伊吹。その視線を追いかける。
「なにが?」
「花火」
「……いや、見えないよ。わりと距離あるでしょ」
そうは言いつつ、会場と思しき方角を向く。5秒ほど鈴虫の音を聞きながら眺めていると、とあるマンションの影から心ばかりの片鱗が見えた。全体の一割ほど。
「くっ、見えない……!」
「逆になぜいけると思ったし。ソース誰よ」
「三角くんです」
「……うーん。それは屋根の上から限定説が濃厚」
「たしかに……。あーあ」
伊吹はすっかり肩を落として投げやりにベンチに座る。どさり、と置かれたのは俺へのお土産だ。中を開けるとオーダー通りオムソバと、ベビーカステラが入っていた。俺も伊吹も好きなやつだ、多分。
「見たいなら、屋根登れば解決」
「至さんが?」
不穏な冗談は聞かなかったことにして、俺は割り箸を割ってオムソバに突き刺した。冷えきっているが、電子レンジで温めるために移動するのも面倒だ。自分で手間をかけないものが、この世で一番うまい。
「伊吹さん、ベビーカステラひとつちょうだい」
「じゃあ、至さんが隠してるバニラアイスと交換です」
「等価交換とは。交渉決裂」
「嘘ですよ、はいどうぞ」
「どうも」
紙袋に手を入れて、鈴をかたどったそれを摘まむ。きっとふたりで、一瞬で食べきるのだろう。相手が分け合うつもりで買ってきたもの、自分だけのために買ったもの。その区別がつくくらいには、同じ時間を過ごした。
ドンッ――。
花火が上がると、その度に伊吹の目線も上がる。その先には申し訳程度の片鱗が顔を出している。
花火が見たかったなら、終了時刻まで会場に残ればよかったのだ。浴衣と下駄の窮屈さくらい、同行者たちがいくらでも手を尽くしてくれただろう。
引き籠りへの哀れみなのか、会いたくて震えてしまったのか。どちらでもないような気がするが、今日の俺には言及する勇気はない。かといって、明日以降の自分にも期待はできない。
打ち上げ花火は一層の勢いを増してフィナーレを迎えた。音が途切れたことで終幕を悟る。
「そうだ、伊吹。貸してたゲームなんだけどさ」
「……あ!借りっぱでしたね」
「いや。平日は全然持ってていいよ」
「やったー!ありがとです。まだ4面までしかクリアできてなくて」
「俺も5面まで。まじで難易度鬼すぎ」
「燃えますね」
前のめりになる伊吹に「じゃあ今夜やらない?」と喉まで出かかって、思い直す。ひとりプレイ用だった。同じ部屋で別のゲームに勤しむことも、俺たちにとっては自然なことだ。けど、ただ。
ベビーカステラに口内の水分を吸い取られている間、たった今浮かんだ二つの選択肢を並べてみる。
明日が日曜であること、近所のスーパーが二十四時間営業で手持ち花火が売っていること、伊吹とするゲームが楽しすぎること。
花火。ゲーム。リタイア。花火。ゲーム。リタイア。花火。ゲーム。リタイア。
コマンドを上下に高速移動。
「あのさ、伊吹。これから――」
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