人はいいぞ
「金曜の夜までに帰るって言ったじゃないですか」
「ごめんごめん」
「なんで日付超えて土曜の夕方になってるんですか」
「歩いてたら」
「歩いてたら?」
「夜も朝も昼も超えた」
「詩的なことを言わないでください」
「フラペチーノは二杯飲めた。ハロウィンの。ちょっと甘かったけど、美味しかったな!」
そう空気が綺麗でもない昼の東京を、清正と歩きながら、松本はため息をついた。
「松本くんは今日ずっと寝ているかなと思ったから出かけたんだよ。でも、寂しかったよね?」
松本は仕事が忙しく、残業が多いため、たしかに休日である今日は朝寝坊をしていた。しかし昼には起きる。昨日の夜に帰るはずだった清正が翌日の昼まで帰っていないので、見守りアプリを双方向の設定にして──人間と長命種が、お互いにどこにいるかわかる設定にして──探しに行ったのだ。
「どっか行ったのかと思いましたよ」
「あらあら、不安だったよね。ご飯は作ってあったけどひとりでちゃんと食べられたかな?」
「まあ」
長命種は、人間では考えられない行動に出ることがある。『ちょっと行ってくる』とコンビニに行ってくるみたいなノリで言い置いて五年帰ってこないとか、そういう類のことだ。
彼らは悪気がないので、いちいち細かく言って気づかせなければならない。別に松本は、金曜に清正が帰ってこなくたって支障はない。けれど、細かいことから意識させないと、長命種というのはうっかりしてしまうものなのだ。
松本は、仕事人間である。シゴトニンゲンという種族があるのではなく、人生のリソースを仕事に多く割いている人間だ。彼が長命種と共に暮らすようになったのは、仕事ばかりしていたい、という理由があったからだ。
長命種からすると、人間はすぐ死ぬ動物のようなもので、世話をする対象だと見なすのが主流なようだった。そんなの嫌だと言う人間も少なくはないけれど、松本はしめたと思った。だから清正のうちのコになった。
「松本くん、お仕事の調子はどう?他のコと相性はいいのかな」
「いや、悪くもなく良くもなく、ですよ」
「足立区がね、今日、家にいる人間の話をしていたんだけどね」
足立区は清正と同じ種類の長命種で、清正の友人だ。足立区のことを聞いたことはあったが、面と向かって松本が会ったのは、今日が初めてだった。
長命種というのは、銅像みたいになっていく。感情の起伏が失われて、ちょっとやそっとのことではこころが動かなくなっていく。足立区にもその気があって、今現在、すでに絵みたいな人だった。清正にはどう見えているかわからないけれど。
足立区はフラペチーノをひと口だけ飲んで、残していた。足立区の中に美味しいという気持ちがあるのかどうか、まずいとまだ思えるのかどうか、松本には判断できない。
「足立区はかなりの愛人家なんだけど」
愛人という言葉を清正が使うたびに、松本はどきりとする。愛猫とか愛犬みたいなものなのに。
清正は松本に、足立区が家族にした人間がよく山の上などの危険な場所へ行ってしまうのだ、ということを話した。
登山家や冒険家が長命種の家族になるのは、よくあるパターンだ。登山には金がかかるから、長命種のうちのコになってサポートを受ける。
「足立区、他にも人間を家族にしようかって言ってた。松本くんは、正直どう?つがいとか、欲しい?婚姻したいかな?」
「え」
「清正が甲斐性なしでごめんね。二人人間を置いておくのは、ちょっと難しいんだ」
「いや、それはほんと、人間側にも個人差がありますから」
「でも、他に人間が家にいなくちゃ寂しいよね。清正が足立区みたいに城とか、土地とかたくさん持ってたらなぁ」
「足立区さん、城、持ってるんですか」
「海外のね。持ってるよ。農場も持ってる。清正は会社しか持ってないからさ」
それに、二人に万全の愛情を注げるかなって考えちゃうから。清正は呟くようにして付け加えた。
長命種はだいたいそうだが、リッチである。長命種はもともと最低時給で永遠と働いたって金が儲かるのだ。人が八時間労働で死にかけるところ、八十時間働いたってへこたれない。株価が長い時間をかけて上がったり下がったりするのをつかまえることができるし、小さかった会社が業界ナンバーワンになるところを利用することもできた。高騰した金の値段を利用して稼ぐことも。
松本と清正が住む家だって広々としており、何不自由ない生活ができる。松本は自己実現として働き、会社で競争していたいだけだ。あと、欲しいものは自分で買う。
「今の暮らしで十分ですよ、清正さん」
「ほんと!?松本くん癒される〜!守りたーい」
清正は松本に抱きついて頬擦りした。松本は、こういうのちょっと困るな、と思う。何が困るかはわからないでいようと思う。清正にとって松本はベイビーで、いつまで経っても、じいさんになってもばぶちゃんなのだから。
「足立区さんは清正さんと比べて、歳上ですか」
「いや、同期くらいかなあ。30年くらい離れていた気もするけどね」
「そうですか……。よく会うんですか」
「そうだね。260年前に会って、それから今日会ったから」
「エッ!?」
「あ、250年くらいかも」
そんなに久しぶりだとは思わなかった。松本は、二人が会っているところに割り込んでいったのは身の程知らずの行いだったかもしれないと思った。
「すいません」
「なんで」
「お二人がスタバで250年越しの再会を祝っているとは思わなくて」
「またすぐ会えるからいいんだよぉ。また日本に来ると思うし」
「海外なんですか」
「持ってる城のうちの一つに住んでるからね」
この前から250年前後期間が空いたということは、次に会うのは250年後かもしれない。それなのに、清正は『じゃあね』と軽く手だけ振ってスタバを後にしたのだ。
松本は、自分が足立区と会うことはきっと、もう二度とないだろうと思った。
「足立区さんって、本当はどんな名前なんですか」
「ながーい名前。松本くんにとってはね」
「どういう名前?」
「名前を覚えること、無駄な時間になるよ」
“清正”だってそうだ。清正という名前は、もちろん本名ではない。
清正という名前は人間の中で流行ってる。有名人の名前は流行っている名前が多いから、あるいは有名人の名前をみんな真似て人間につけるから、有名人の名前は流行っているよね。
そう清正は言った。
清正という名前が流行っていると感じたことは、松本にはない。有名人というのが戦国武将の加藤清正だということで間違いないなら、そしてそれがもし流行ったなら、400年以上前の流行りだ。
清正は松本城を作ったよね。君は松本くんだからさ、ばっちりだね。
そうも清正は言ったけれど、松本城を建設したのは石川数正という人間らしい。ぜんぜん間違っているな。
とにかく、清正は”清正”という感じではないのだ。松本は、思考を断ち切って、なるべく明るい声で清正に話しかけた。
「映画でも観ますか?ジョン・ウィックの新作はどうですか」
「えーあれ……人が死ぬかどうかってサイトで、すごく死ぬって書いてあったよ」
「犬は死なないらしいですよ」