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一章



 その当時、間宮は十五歳だった。
 三つ離れているので、柚木は十八歳だということになる。


 スイスでコンクールが開かれていた。

 そのコンクールは、毎年審査される楽器の部門が変わるが、その年についてはヴァイオリン、ピアノ、複数人で演奏するアンサンブルが審査対象になっていた。
 年齢制限は、十歳から、三十歳まで。

 間宮はそこに、アンサンブルのメンバーとしてエントリーしていた。
 標高の高い、見晴らしの良い場所にホールがあって、そこで予選が二回、セミファイナル、ファイナルと審査が進められる。

 二つの予選の前にコンクールのレベルを保持するための映像審査があるが、それでもとても多くの演奏家が参加して、審査のたびにざくざくと無慈悲に数が減らされていく仕組みだ。

 
 柚木という十代のヴァイオリニストが急に出てきて日本国内のコンクールを総なめにしているという噂は、間宮の耳にも入っていた。

 柚木は日本国籍も持っていたが、カナダに十代の中盤まで住んでいた。しかし、事情によって日本に移った。そこからはコンクールを荒らして回っているという。

 それを、間宮はアンサンブルの弦楽メンバーから聞いた。すごい子がいる、と。

 すごい“子”。

 音楽において十五歳や十八歳は、大人ではないが、取り立てて若くはない。ましてや、子供でもない。
 十五歳でも、未熟なら、未熟だ、とはっきり評価される。権威あるコンクールに出るなら尚更のことだ。

 しかし、間宮が初めに柚木を見たとき、確かにまだ“子”だ、と思った。この時点で間宮は、柚木のことを歳下であると誤って断定した。

 柚木が大人になっても携えていくことになる無邪気さは、このときの彼において、まごうことなき子供っぽさとして現れていた。

 間宮が柚木を見たのは、そのスイスのコンクールの二次予選だった。予選なので、コンクールのプログラムに書かれていたのは名前と国籍だけで、年齢は記されていなかった。

 間宮は、すごいと言われていた十代の日本人が気になっていて、たまたま時間があったので、聴きに行ったというだけだった。

 彼の参加したアンサンブルは二次予選を終えていたが、セミファイナルには進めなかった。



 間宮は柚木の演奏を聴いて、雷に打たれたように直感した。


 これは稀代の名手なのではないか。金色の風がさあっと吹き抜けていくような感覚。彼の演奏だけが光り輝いていた。

 彼は”子”のように見えたけれども、すでに王子ではなく、王だった。

 聴く者に息を呑ませる、ぎょっとさせるくらいのパガニーニ。
 間宮は、そのテクニックにも心惹かれたが、それよりも彼を惹きつけたのは、二曲目に演奏されたドビュッシーだった。

 柚木が演奏する”美しき夕暮れ”はまさに夢のようだった。
 短いほんのひとときの夕暮れを惜しむように、聴衆はもっと彼の演奏を聴いていたいと願った。間宮もそのうちの一人だった。

 彼以外には、ない。
 彼こそが最上だ──間宮は十五歳にしてそう思い、その天啓は今現在に至るまで覆ることはなかった。

 正直に言って、柚木の演奏を聴いたあとでは、他のヴァイオリニストはくすんで見えた。

 間宮や柚木と同じくらいの年齢の上手い演奏者は、この頃からまわりにたくさんいたけれども、柚木と比べればなんということもない、なんら特筆すべきところもないヴァイオリニストに見えた。

 しかし、それぞれを誰かと比べるのは失礼なことだと間宮はこの頃から自覚していた。だから彼はそれぞれをそれぞれとして真剣に見るように努めた。

 この時点で、間宮は柚木に惚れこんでしまったのだ。柚木は間宮にとって理想のヴァイオリニストだった。間宮は仕事においてたくさんのソリストと出会い、彼らを尊重していくことになるが、柚木を超える人間には出会わなかった。


 セミファイナル、ファイナルも柚木の演奏を聴きに行こうと間宮は心に決めた。この調子なら必ずファイナリストになるだろうと確信していた。
 


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