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一章


「そうですか。はい。もし見つかったら連絡ください。はい」

 二人で、昨日柚木が行ったという居酒屋、バー、通った駅にまで電話をしたが、いまだにヴァイオリンは見つからない。

「仕方ないから今日はどこかそのへんの楽器を買うことにする。順ちゃん、近くの楽器屋に行って。ていうか近くに浜川社の本社があるじゃん」
「そのへんの楽器って……」
「ヴァイオリンがポピュラーな、みんなに愛される楽器でよかった。ものすごく変わった楽器の演奏者だったら、調達するのも苦労しただろうね」
「こういうのはマネージャーの仕事じゃないんですか」

 ハンドルを握るのは間宮である。彼は今日何回目かの深いため息をついた。

 柚木のヴァイオリンがなくなったことにショックを受けている。不思議なことに、柚木よりもずっと。間宮は横目で柚木を窺うが、ひどく落ち込んでいる様子はないようだった。

『楽器ケースって意外と重くてさ、楽器は木とあとは空気でできてるもんだからさ、うっかりしてると中身が入っているかいないか、持った感じだと判然としないんだよねえ』などと先程抜かしていた。

 柚木のヴァイオリンケースは銀色で、盗難を少しでも回避するためにダイヤルロックがついており、楽器を守るために堅牢な重さをしている。
 しかし、肝心のヴァイオリンが中に入っていなければ何の役にも立たない。

 柚木ほど仕事をしているヴァイオリニストであれば、メインの楽器と予備の楽器の二本を携帯する者も多いが、生憎柚木はいつもそうしない。彼は身軽で、荷物はいつも少ないのだ。

「あの人、ぼくのことわかってないから」
「秋元さん、いい人でしょう。真面目な」

 柚木のマネージャーは秋元といった。

「前のマネージャーさんよりはね。でも順ちゃんほどには、ぼくのことよく分かってないし、愛してないじゃない。そんなのは無理なんだ」
「……」

 間宮が何かうまく言い返そうとする間に、柚木は重ねて言った。

「愛してないじゃない、音楽のこと?ねえ?」

 間宮はハンドルを握りなおして、柚木のマネージャーをひとまず庇うことにした。

「でも仕事をきちんとしようとする気はある。秋元さんは、音楽にもヴァイオリンにも興味がないし、愛はないけれど、それでも頑張って仕事をしている。尊敬すべきですよ。あなたにはできないことだ」

 愛している。愛していない。その違いはなんだろうと間宮は思う。
 
 愛というのは、ある一定の条件下では、興味という単語に置き換えることができるのかもしれない。
 間宮は愛している、音楽を。音楽を愛しているものだから、音楽に徹底的に愛されている柚木をも愛さざるを得ない。
 音楽に対しても柚木に対しても、非常に興味があるのだ。興味は、失おうとして失うことはできない。

 それがどんな意味であれ、愛していなければ、ヴァイオリンを忘れるヴァイオリニストなど捨てている。いっしょに仕事なんてできないだろう。
 が、間宮は、同じステージに立ったとき、どんな嫌いな人物であろうと、愛す自信があるのだった。


──それは変だろ!そのアプローチはおかしいだろ!
──それは明らかに間違っているだろ!
──何から何までムカつくなこいつ。


 本番が始まってしまえば、そう敵対したり、異を唱えたりすることに意味はない。

 とりあえず一番の味方になって、彼や彼女を、一心に正しいと信じる。それでいくと本人が決めたのなら、仕方がない。彼らは、誰かと議論する段階をすでに超えているのだ。

 それは彼らの人生だった。それがどんな演奏であっても、それでも間宮だけはそばにいる。
 観衆が敵に回って粗探しをしようとしても、間宮だけは味方でいる。できるだけ近くにいてやるのだ。それが間宮の仕事だ。
 
「でもねえ、ぼくは秋元さんにたぶん嫌われているんだ」
「それは柚木さんのモラハラ気質が原因では?」
「ぼくが?いつ?」

 言ってごらんよ、さあ、と言わんばかりの姿勢で柚木は言った。
 まずそういうところだよな、と間宮は思った。柚木のマネージャーはよく変わるのだ。

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