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一章


 
 柚木は異様に人気がある。

 スポーツ選手、画家、ピアニスト……。 “この人間は特別に人気がある”という一人の人物が、どの業界にもいる。
 そういう人間がその業界に人を集めてくる。その人間は大勢にとても好かれやすいが、その分他の大勢に嫌われてもいる。柚木はそれになりつつある。

 彼は芸能人でもなく著名人でもないという、音楽家という面の割れにくい絶妙なポジションを気に入っているが、その良さがなくなる日も近いだろう。


 客席は、舞台袖から見たところほぼ満員だった。ヴァイオリンが好きな客もいるだろうし、音楽自体が好きな客もいる。けれども、それ以上に柚木が好きだという聴衆たちだ。

 クラシックやヴァイオリンは他には聴かないけれど、それが柚木なら聴きにくるという者も客の中には多いらしい。ふしぎだと間宮は思う。他の音楽に触れずに、真っ先に柚木の演奏に触れたなら、どんな気持ちになるだろうと考えた。

 きっと間宮とはまた違うやり方で、柚木のことを好きになっているのだ。

 柚木のルックスが好みで、という客もいるかもしれないが、金を払っている以上責められない。最も間宮は、そういう客に対しては微妙な心境でいるが。

「順ちゃんって、そういうの見るんだ。犬とか猫を見るためにダウンロードしたの?」

 ヘリオスが見つかった経緯を間宮が話すと、まずそこで柚木はにまにまと笑った。

 三十秒までの動画を投稿できるそのプラットフォームと間宮は、柚木にとって可笑しな組み合わせだったらしい。

「教え子が連絡をくれたんです。とにかく見つかってよかった」
「……君ってレッスンしてるの?いいな。ぼくもしようかな」
「今は、教え子に対して高圧的な態度に出ると訴えられますよ。裁判になるかも」
「そんなことしない!ぼくは食い扶持には優しいんだ」
「想像しうる限り最悪の回答でした」

 実際柚木が行うなら、あらゆる点を考慮しても、一対一のレッスンというよりはマスタークラスを行う方が合っているだろう。公開のマスタークラスをひらけば、より多くの演奏者の勉強の助けになるはずだ。

 柚木は、生成りに傾いた白のような色のジャケットに袖を通した。派手だけれども、彼にはよく似合っていた。

「雪も降ったし、今日に合っていて良い感じですね」
「かっこいいって言いなよ」
「仕事相手の見た目のことをあまり言ってはいけないんだ」
「相手がドレス着てたら綺麗だねって言うだろ。実際どう思っていても綺麗だねって言っとくよね」
「“綺麗だ”はダメですよ。レッスンするなら気をつけないと」

 柚木は間宮の言葉を最後まで聞かずに、壁の方を向いてヘリオスを構え、軽く音を出した。
 奏者も楽器も、調子は万全のようである。外気温は低いが、これでもかというほどホールを暖めているため、柚木も間宮も手が悴むことはなかった。

 柚木のマネージャーの秋元が、舞台へと繋がるドアを開いた。その向こうから、暗闇の中の多くの人間の気配が伝わってくる。

「あのさ」

 ステージに向かいかけたところで、急に柚木が間宮の方を振り向いた。

「ぼくって変?」

 今回は、舞台袖にも照明がついているために、逆光にはならなかった。しかし、間宮には、変わらず柚木の輪郭がきらきらと金色に輝いて見えた。

「付き合いきれないほど、ぼくはおかしい?」

 柚木は目に見えないものを信じようとせず、オカルトを嫌っているけれど、何もかもわからない子供というわけではない。
 それでも、自分が変かどうかを聞いてきたのは、これが初めてのことだった。

 間宮は考えて、結局その場では、これだけを言った。それ以外のことは、あとで話そうと思った。

「付き合いますよ。どこまでだって」


<一章 完>


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