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一章

 
 間宮はしばらくそこに立ち尽くしていたが、柚木を探すことにした。楽屋口から建物へ戻り、階段を上がって、リハーサル室をひとつひとつ回っていく。
 
 その途中で彼は、紙袋の中を覗き込んだ。タオルに包まれ、大人しく沈黙を守っているヘリオスを見る。
 そんなまさか。呪いだなんて馬鹿馬鹿しい、愚かな考えだ。柚木はそう言うだろうか。

 やがて、彼はドアをふたつ、ノックした。鍵がかかっているリハーサル室を見つけたのだ。

「やっぱりぼくの言うことが正しかっただろ?」

 がちゃ、と内開きのドアを開けるなり、柚木はそう言った。間宮は少し驚いたが、おそらくは、間宮からの大量のメッセージと電話に気がついたのだろうと思い直した。

「勝手に受け取ってしまってすみません」
「いいや。順ちゃんなら安心だよ」

 間宮が部屋に入って紙袋を差し出すと、柚木は嬉しそうにヘリオスを取り出した。彼は、まるでミイラのようだね、と言って、ヘリオスを包んでいたタオルをぱっとその辺に放ってしまう。

 間宮がそれをキャッチしてとりあえず椅子へと掛けた。

「さあ、ただいま……」

 柚木がヘリオスへ顔を向けてつぶやいたその言葉に、どちらというと”おかえり”ではないのか、と間宮は思った。

「“博貴”はどうします」
「君はああ言ったけど、一曲くらい博貴で弾くべきだとぼくは思っている。博貴さんをがっかりさせないためにもね」
「私が何か言いましたっけ」
「さっき。電話で話したろ。あんな楽器を弾くなんてよせ、腹が立つ、って君は言った」

 間宮は電話を何度も掛けたけれど、練習に没頭して一度も出なかったのは柚木の方ではないか。

 今回ばかりは間宮が眉間に皺を寄せて問い詰めると、柚木は、内線の電話を取ったのだと言った。このホールにはホテルのように、リハーサル室や楽屋同士が繋がる内線電話がある。

「掛けていません」
「いいや、君の声だった。間違わないよ」

 柚木は自信たっぷりにウインクを寄越した。

「君って、ぼくが歳上だと知ってからずっと敬語まじりだけど、さっきは完全なるタメ口だったね」
「……」
「それに、ぼくのことを力と呼んだ」
「…………」
「ぼくは気にしないよ。そういうふうに接してもらってもいいのにって考えていたところだし」

 間宮は背筋が冷えるのを感じた。いくらなんでも、これは。

 いくつものことを考えた。

 一つは、柚木が精神の病気を患っているという可能性だ。二つ目は、間宮自身が夢遊病を患っているという説。プレッシャーのかかる職業だから、音楽家に精神疾患を抱えている者は多い。

 そして思考のうち三つ目は、一つ目と二つ目を否定し、これはいよいよ柚木と話をしなければならないということだった。

 行き過ぎたユーモアを感じる。”それ”は柚木に似ている。柚木に似合いで、怒り出すと手がつけられない。

 コンサートが終わったら。そうしたら、柚木と話をしようと、間宮はそう決めた。
 
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