一章
「ほんとヘタクソがいたもんだね!」
「仕方ないでしょう。あんな曲、クラシックの演奏家には専門外だ」
柚木は、新曲の審査を終えてファイナリストの七名にまで残った。
伴奏の出来不出来は、ヴァイオリンの審査には影響しない、という不文律がある。が、それは半ば嘘だ。
伴奏者が自分の演奏に手一杯ならソリストに合わせるどころではないし、伴奏が良ければ演奏は勢いづく。審査に含めないようにしたって、最終的な聞き映えもまったく違ってくるのだ。
レストランで食事をとりながら、柚木と間宮は新曲の審査について話していた。
日本語で話しているから、同じコンクールに出ている参加者やその関係者に聞かれても内容が伝わるわけではないが、ヘタクソだとはっきり言う柚木に間宮はひやひやした。
柚木がヘタクソ!と言うと、その言葉の意味は言語の壁を貫通して誰にでも伝わってしまうような、そんな勢いがある。実際にそれで喧嘩になったことさえあるのだ。
「伴奏のピアノも含めてヘッタクソだった。何やってるのか全然分からなかったよ」
クラシックを専門とする演奏者でも、そのすべてが現代音楽を得意とするわけではない。
クラシックの曲を長い間かけて練ることはできても、渡されて一週間しか経っていない新曲を弾きこなせるかどうかはまた別の技能だと言える。
「彼、一つ前の審査のときの、ブラームスは良かったですけどね。コンクール歴が凄まじかったし、さすがという感じだった。良い演奏家なんだと思います」
「ぼくのほうがいいよ」
「はいはい」
残った七名はこの時点で全員入賞扱いになる。これだけでステータスだ。
それぞれに極めて優秀で、誰が一位になり、七位になるか読めない。
「前から聞こうと思ってたんだけど」
柚木はいつもたくさん食べる。大事なファイナルを控えておきながら、彼の食欲はいつもと変わらないのだった。
彼は大きく肉を頬張ってから飲み込み、ぺろりと唇を舐めた。言葉の途中で食べ始め、きちんと飲み込み終わってから喋るので、間宮はその間彼の次の言葉を待つことになる。
結果として、間宮はどうにも食べあぐねる。柚木に、順ちゃんは食べるのがゆっくりだね、と言われることに、どうも納得がいかない。
「順ちゃんってぼくの思っていることが分かるの?」
間宮はどきりとした。それは、柚木の方ではないのか。
「一を言わなくても十が分かって、十伝えれば百を見通せるって感じだ。君は」
「ああ、そういうこと……」
柚木の言っているのは、アンサンブル上のチームワークのことや、間宮の賢さがどんな種類かということについてだった。
決してオカルトめいた話ではない。言わないでもなぜか伝わること、ある種の絆のようなもの、察しの良さ、興味、音楽、執着……どれも見えないものだし、第六感と言えなくもないが、超常現象の括りには入らない。
「楽しかったね、順ちゃん」
「それは何より」
「ファイナルも楽しいといい。きっと楽しいに違いないよ」