一章
柚木は、ステージ上の木目を革靴の底で遠慮なく蹴って音を出した。
ガツ、ガツ、という音がホールの中の乾いた空気に反響する。
彼は音の響きを確かめていた。手がヴァイオリンと弓とで塞がっているので、柏手を打ってその反響具合を吟味することができないのだ。
間宮はグランドピアノを前にして座っており、両手は空いているけれども、柚木がステージの木目を蹴るに任せている。
そもそも、ヴァイオリンを持っているならそれを弾いて響きを確かめればいいのである。
明日がコンサートなので、今日はリハーサルのためにホールを押さえてある。客席は無人で、がらんとしていた。
「このホール、気に入ってます?」
間宮は笑い混じりに柚木に問いかけた。
ここは柚木にとってある意味思い出のホールだ。
スイスでのコンクール以降、ヴァイオリンで競うことに関しての興味を失うまでの数年間、柚木はあらゆる国際コンクールを仕留めにかかった。それこそ次々に山を踏破するように。
しかし、そのすべてで一位をとったわけではない。彼以外にも優秀なヴァイオリニストは、世界に多くいる。
彼において印象的な敗北は、二度ある。
そのうちの一つが、このホールで行われたコンクールだった。