新門紅丸
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「あァ?何でお前が俺の部屋にいやがる」
不機嫌そうな声色の一言で、私は酷く安堵し、そして酷く傷つくのだ。今回もやはり何も覚えていなかったと。
その日、ある出来事で詰所内はてんやわんやの大騒ぎだった。
「えっ、紅が風邪引いた!?」
「あァ……。だがいつも通り大丈夫の一点張りでな…。悪いが落ち着かせてやってきてくれ」
「了解した」
幼馴染でもある新門紅丸という男は、年がら年中ぴんぴんしていて、浅草中で病が流行っても一人だけ元気なのが普通だ。しかし、ごくごく稀に突然風邪を引くことがある。一日でけろりとした顔に戻るが、ほぼその時の記憶をなくすほどだ。それでも正気を保って浅草を歩き回ろうとするのだから、長年手を焼いてきた。
まぁ今日もすぐに治るだろうが…と考えた所で、目の前にその男が現れる。いや、この廊下の先にあるのは玄関だ。出ていくつもりかと睨みあげれば、普段よりも少し赤い顔ながら凶悪な顔つきでこちらを見ていた。
「……若!寝ていないと…!」
「うるせェ……じっとしてられねェ」
「そんなこと言ったって……!」
後ろで隊員たちがあわあわと声をかけるも、二割増に機嫌の悪い紅がそれを一蹴する。体調が相当悪いことの証明に、あちこちに炎がちらついている。コントロールも危ういとは、今回はかなりしんどそうだ。薬はきつめの奴を持ってきてもらおう。
「紅、部屋行こう。氷水でおでこひんやりしたくない?」
「……ガキ扱いすんな」
彼の目の前にすっと手のひらを差し出す。言葉とは裏腹に何の疑問もなく握られたのを見て、やっぱり相当体調悪いみたいだなと考える。元気な紅ならば私と自ら肌を触れ合わせるようなことはしない。特にここ数年は、私との身体接触を避けている節がある。
久しぶりに触れた紅の体温は、熱く感じた。それが風邪のせいか、自分の緊張のせいなのかはわからなかった。
✱✱
横にならせて首元まで布団をかけてやる。その間も握られた手は離れなくて、どうしたものかと苦笑いした。ゆっくり手を剥がしていくと、不貞腐れた顔つきで私を見て言葉なく不満を訴えてくる。それを黙殺し、氷枕を敷いてやる。氷嚢も額に乗せてやりながら、詰所内の薬の在庫を脳内で思い出す。まぁ足りなくとも平気だ。紺炉さんのことだから、今頃薬を仕入れてきてくれているだろう。
「食欲は?おかゆなら食べられそう?」
「ん」
「わかった。それじゃあ作ってくるから待っ……、紅…大丈夫すぐ戻ってくる」
「…………」
「……じゃあはいこれ」
着物の袖を鷲掴みにされる。立ち上がろうとしていたのに、そうされると身動きが取れない。風邪とはいえ力は強すぎる程だ。ふいっとそっぽを向いている紅を見る。私は、軽くため息をついて袂を探る。取り出したのは三つの飴玉。一つ包みを剥がして、紅の口へ放り込む。甘いのは苦手だといつも散々言っているけれど、暇つぶしにはなるはずだ。大人しく飴玉を転がす紅は、少し可愛らしかった。
「これ舐め終える頃には戻れるようにするから」
噛んだら駄目だよと着物の袖のかわりに飴玉を二つ握らせて、私は部屋から退散した。
✱✱
「紅の様子は?」
「おかゆなら食べられるっぽい」
「そうかと思って用意してあるぞ。薬も一緒に盆に乗せておいた」
「流石紺さん仕事早い……あぁ、書類確認次第部屋に持っていくね」
「あァ。」
お盆を受け取りながら、簡単に事務連絡を交わす。暫くそれを続けて、会話が途切れた。
「紅、今回も記憶飛ばしそう」
「毎回献身的にやってんのに、紅の奴どうしてかすっぱり忘れるからなぁ…辛いなら変わるか?」
「ううん、大丈夫。紅を甘やかすの悪くないし。でも、これからも世話してるの私だって言わないでね」
「それはわかっちゃいるが、本当にそれでいいのかい」
紺さんは私の気持ちに気づいている。気づいた上で、関係を変えようとは思わないのかと踏み込んだ質問をしてきているのだ。
「平気ですよ」
「そうかい」
薬ちゃんと飲ませてやってくれという言葉を背中に受けながら、私は紅の部屋へと足を向けた。
✱✱
おかゆを持ってきた私を迎えたのは、飴をとっくに食べ終えた紅だった。絶対噛んだな。あまりに早すぎる。それを特別咎めずに、彼に起き上がるように言う。ノロノロと体を上げたのを確認して、布団の上にお盆を置く。水差しや薬は下ろして布団の脇にまとめた。
「はい、これ匙。食べられるだけでいいから」
「体がだるい」
「そりゃそうだよ。紅だから重い風邪で済んでるけど、他の人がかかったら普通に死にかけるくらいしんどいはずだから」
「匙も持てねェ」
「いや………それは……持てるでしょ…あぁぁ、わかった!わかったから、無駄に良い顔面を使って対抗してくるな……無意識なのが余計にタチが悪い…」
匙を握らせようとするも、拒否される。戸惑いながら答えると、風邪っぴきで赤くなった顔でこちらをじぃっと見てくる。数秒後あっさり折れてしまった私は、紅の口許へおかゆを運ぶ。熱いと文句が飛んできたが無視した。これは甘え過ぎだ。紺さんがちょうどいい温度にしてくれているのは知っている。
もきゅもきゅと口だけ動くのを観察する。嚥下するのを確かめてから、次を持っていく。紅は、ぱかりと大口を開いて匙ごと咥えた。
それを繰り返して、土鍋から半分おかゆが消えた頃に紅は匙を嫌がるようになった。
「じゃあ、薬飲もうか紅」
「いらねェ」
「残念ながらいるんだよね」
早く治りたいでしょと錠剤を口に放り込み、水を飲ませる。しかめっ面の紅には申し訳ないが、まだ粉薬が残っている。紙に包まれたそれを息で吹き飛ばされないよう隠しながらジリジリと近寄っていく。
「後、一つだけ。一つだけだよ」
「粉はクソにげェから嫌いだ」
「甘いよりいいでしょ。はい、いいから口開けて」
「ちっ…」
ごくりと飲み干した紅はこれでもかと顔を顰めて、布団に倒れ込んだ。このままぐっすり寝てしまえば、次起きる頃にはいつも通り元気になっているだろう。氷嚢のせいで、額に張り付いた前髪を払っていると妙に視線を感じる。
熱に浮かされたような紅がまた私の袖を掴んでくる。さっきよりも弱々しいのは、眠たいからだろう。欲しいものがある時、袖を引っ張ってくるのは幼い頃から変わらないなと笑いながら、氷嚢をまた乗せた。
「何?まだ水飲む?それとももっと冷やすもの持ってこようか」
「隣にいてくれ」
紺さんに言ったらすぐ……と言いかけた言葉は紅の声に飲み込まれる。言葉の意味を理解した途端、ドッと心臓が早鐘を打ち始める。部屋が静かだから余計に自分の脳内に鼓動が響く心地がする。
「ぁ……紅が、そう…言うなら隣にいようかな」
緩む手のひらがゆっくりと動いていく。それが私の手のひらまでたどり着くのを、ぼうっとして見ていた。見つけたというように、ぎゅっと優しく握られ、涙が零れそうになる。
いつからなんてもう思い出せないが、紅だけを見てきた。長い時間を過ごして、他の人よりも紅のことを知っているはずなのに、どうして私を避けるのかは全然分からなかった。
「何で私に触れなくなったのか聞いてもいい?」
幼馴染にする質問ではないのかもしれない。この質問が紺さんのいうこれまでのぬるま湯のような関係を左右するものになるのかも。でも。私は気づけば口を動かしていた。この熱がおさまる頃には彼は全て忘れると安心しきっているからだ。
「あ……?触らねェよ…そういうのはちゃんとしてからだろうが…」
「ちゃんとする…?熱で何言ってるかわかんないな。まぁいつもの事か。紅、もう寝な。紅がいいって言うまで傍にいるから」
「いいなんて……ぜって言わね……ェ」
「はは、…甘やかすのも、傍にいるのも、紅のことが好きだからだよ。……これで言うのは何回目かな。きっと紅は覚えてないけどね」
「…………」
「……寝たな」
非対称の赤の瞳が瞼に隠され、完全に眠りに落ちたように見えた。
私は、紅の手にもう片方の手も重ねてきゅっと力を込める。
「ねぇ、全部忘れちゃう紅。どうせなら今回は一緒に、私の想いも消してくれない?」
✱✱
「ね、寝てた……!」
「よぉ」
ぼんやりしながら自分の失態を呟いていると、名前を呼ばれて完全に覚醒する。面白そうに口角を上げている紅は、私が起き上がろうとするのを額に人指し指を置いて阻止してくる。イタズラにしても、一向にやめてくれないので私は困ったように紅を仰ぎみた。
「ちょ、…っと紅…?退いてくれないと困る」
「なぁ、俺は今かなり怒ってる」
「は、」
「どうしてかわかるか?」と問うてくる声は、いつもより語尾が掠れている。はっきり言って心当たりがない。訳が分からないと顔に出ていたのか、紅がぐっと眉間に皺を寄せる。確かにすごく怒っているような雰囲気はするが、どうしろと言うのだ。原因が分からないのでは、機嫌のとり方も分からない。
「……お前に何度も言われておきながら、度々忘れていた自分にも。予防線張って風邪引いてる俺にしか伝えてこないお前にも。どっちにも怒ってるぜ、俺は」
ひゅっと喉奥で声にならない音が響く。どうして覚えているんだ。
そういえば、今日はまだあの台詞を聞いていない。部屋にいる理由を聞くあの言葉。
紅は、眠たげな瞳をギラつかせて私の顔に近づいてくる。
「な」
「何のこと?とかふざけたこと抜かしたら口付ける」
「……熱の」
「まさか熱で浮かされてたからって全部俺の気のせいだとか言わねェよな」
逃げ道の塞ぎ方が迅速過ぎる。ほぼ一音だけしか発していないのに、被せるように次々叩き壊されて追い詰められる。はくはくと口を開閉した後、小さく反論する。その声は、紅に自分の気持ちが露呈してしまった羞恥で震えていた。
「…わ、私に怒られても、困る。だって紅、私に全然触らなくなった。ちょっとしたことでも、あからさまに避けるから。きっと面倒に思われてるって」
風邪を引いている時の紅は昔に戻ったように甘えてくれるから、私も嬉しくなって想いを紡げていた。次の日に忘れると分かっていても、伝えられずにはいられなかった。紅の寂しさに寄り添えていられる気がしたからだ。
「触れてもいいのか」
「へ」
「お前の体に余すことなく触れたいとずっと思っている俺は、本当にお前に触れてもいいのかって言ってんだ」
「な、何、え?」
「…だが、許す時はよく考えてからだ。金輪際他の奴にみだりに触れさせないと約束しろ…。自分でも持て余すくらいお前を想っているから、扱いに注意しねェとどうなるかわかんねェぞ」
「は……い?」
言葉が見つからなくて口を噤む。怒涛の勢いで情報が襲ってきて、現状についていくのに必死である。
「べ、紅は、私のことが好きなの?」
「聞きてェか?なら、二度と気持ちを消すなんて言うんじゃねェ」
指を突きつけて脅すように言われて苦笑する。そこも聞かれてしまっていたのなら、全部全部バレてしまっている。これは降参するしかあるまい。私は、二度と言わないよと笑いながら言う。
「私も言うよ。ずっと隣にいれるなら、それくらい安いもんだね」
「今まで誤魔化してたくせに大口叩くな馬鹿。……好きだ」
「………あはは、…ふふ、私も、私もずっと前から好きだよ。紅」
「俺の方が先だろ」
「いいや!絶対私の方が先だね」
「あァ?てめェ……」
その後はどっちが早く相手を好きになったかを競い合いつつ、紅に引きずり込まれた布団の中でたくさん話をした。気づけばお互いそのまま眠り込んでしまって、部屋に様子を見に来た紺さんに勘違いをされるのはまた別のお話。
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