新門紅丸
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満月が腹立たしいくらいに眩しく照らす夜だ。
「さよならですね」
そうお前が言って、吸い込まれるように姿を消した所でいつも目が覚める。
✱✱
うっかり足を滑らせて、派手にこけたなと思って顔を上げると今までいた所と世界が違っていた。なんて物語の中だけに起こるはずなのに、まさか自分に降り掛かるとは思わず、どうしようもなく泣いて立ち尽くしていた私を紅丸さんが拾ってくれた。
事情も知らないはずなのに、面倒見てやるとぶっきらぼうに言った彼はここ三ヶ月詰所で暮らすことを許してくれている。
泣いて詰所に連れられてきたその後も、第七の人達や浅草の人達に支えられて私はなんとか前を向けるようになったのだ。のだが。
「あの、私もお仕事何か手伝います…!」
「あ?いらねェ」
すげなく断られること数回目。項垂れる私を見てがりがりと頭をかいて、お前飯やら掃除やら手伝ってんだろ。それで充分だ。と宣う紅丸さんに、それは甘えすぎなのでは…?と返す。確かにご飯や掃除は頑張ってはいるも、役に立っているのかはわからない。前の世界で、毎日ひいこら働いていた身としてはなんとも自堕落な生活に思えてしまうのだ。それを何度も伝えても、彼はここではのんびりやりゃいいだろうがと聞く耳を持たない。
「べにき〜!誰か手空いてるやついねーか?うちの甘味屋の娘っこがひでぇ風邪引いちまってよ…!」
「そ、その仕事私にもできますか!?」
「お、おう。作るのは俺がやるから、店番して注文聞いたりしてくれりゃ……」
「私、行きます!」
「おぉ!ありがてぇ!べにき!このねぇちゃんちょっと借りるぜ」
「あぁ?おいてめェ勝手に決めてんじゃ」
「紅丸さん!働かざるものなんとやらです!私、頑張りますね!!」
詰所に飛び込んできた男の人の言葉は、私にとってなんともありがたいもので。紅丸さんが恐ろしい表情で詰め寄ってくるのを交わしながら、男の人と連れたって外に出た。
✱✱
「いやぁ〜!全くよく働く子だなぁ!どうだ!風邪っぴきが戻っても一緒に看板娘やってくれねぇか?」
「えっ!いいんですか!!もちろ」
「帰るぞ」
店仕舞いを終えて、主人と楽しく話をしていると嬉しいお誘いがくる。それを快諾しようとした私のセリフに被さるようにして、突然背後から現れた紅丸さんがぐいっと私の腕を引いた。引きずられながら、今日の礼をいうと主人はニカッと笑顔で明日も頼むな!と手を振ってくれた。
「紅丸さん……!手、ちょっと痛いです」
「これでいいか」
「え、あ、はい」
いや違う。離してくださいと言うべきだったのか。そう気づいても何故か言い出せずに、私の手首は紅丸さんに捕らわれたままだ。ごつごつした手や少し熱いくらいの体温がどうにもくすぐったくて、ふふっと笑ってしまう。
「何が面白い」
「いえなんでも。……そうだ。わざわざ迎えに来てくれたんですか?流石に道順は覚えてましたよ?」
「どうだか。この前散歩中迷子になってぴぃぴぃ泣き喚いてたのはどこのどいつだ?」
「わ、喚いてはないですからね!!ちょっと猫見つけて追いかけてたら、どこかわからなくなってしまっただけで……」
「結局猫なんていなくて、お前が捕まえたのは風に揺れる袋だったわけだが……へっ」
「バカにしてますね…?」
「お前は本当に危なっかしくていけねェ……」
笑う紅丸さんの背中をじぃっと睨んでも、何処吹く風といったように一笑に付される。
「今日甘味屋さんで色んな人とお話できて楽しかったんです。その、明日も行っていいですか?」
「俺が行くなって言えば、お前は行かねェのか」
「え?」
かき消えてしまいそうな程の呟きに、驚きの声を漏らすとぎゅっと手首を掴む力が強まり、紅丸さんが急にその場に立ち止まる。突然だったから立ち止まれず、鼻先を彼の背中にぶつけてしまった。痛い。鼻をさすっていれば、空の色がもう随分と変わり始めているのが見えた。
夕暮れ時だ。どこも店仕舞いを終えて閑散とし始め、私と紅丸さんの間にはしばらく沈黙が横たわる。それを破ったのは私だった。
「その、紅丸さんにこれ以上迷惑をかけるのは申し訳なくて。…ずっとお世話になってしまいましたが、なんとか自分で働いてお金を稼いで、独り立ちできるようにしないと、そうしないと……」
「別にお前を拾って面倒見ることが迷惑だなんて思ったことは一度もねェ。そもそも弔いで家壊れた奴らもいるのは知ってんだろ。そいつらみてェに、お前もここに慣れるまでは詰所にいりゃ」
「そ、その、今日お客さんが、若旦那は詰所で好いた女囲ってるって……。私、紅丸さんに好きな人がいるとは知らず、一日中独り占めしていたとすごく反省したんです…」
「あぁ?」
思い出すは数時間前。お客さんに注文を聞いていた時に隣の席から漏れ聞いた話だ。紅丸さんはどうやら最近好きな人ができて、その人をすごく可愛がって詰所から出したがらないし、出すとしてもいつも隣にいるそうなのだ。
それを聞いた私は、大変だと青ざめた。手はしっかり仕事をするため動いていたが、頭は紅丸さんが好いているらしい女の人のことでいっぱいだった。知らなかった。紅丸さんにそんな相手がいるとは露知らず、日課の散歩に連れていってもらい、ご飯を一緒に食べて、この前など元気になったからとお酒も一緒に飲んでしまった。
お酒を飲んだら顔だけ豹変する彼を見て、初めてこちらの世界で大爆笑して、頭を鷲掴みにされたことは置いておいて。私は、その話を聞いて決めたのだ。とっとと詰所から出て行き、一人で生きていけるようにしないと!と。
「丁度甘味屋のご主人や他のお店の方にも住み込みで働かないかなんて誘われてしまいまして、へへ、やっぱり紅丸さんの取り仕切る町なだけあって皆とても優しくって、頼り甲斐がありますねぇ」
「駄目だ。住み込みじゃなくとも詰所から通えば済む話。それに俺はまだお前が働くことを許可した覚えはねェぞ」
「いや、でも……」
「好いた女を囲ってるたァ……よく言ってくれたもんだが…間違っちゃいねェかもな」
「……?」
「おい。少し鈍すぎるんじゃねェか」
噂の奴はお前のことだろうがと言われ、驚きのまま意味のない音を唇から漏らす。ぽかんとしている私に、紅丸さんは何を思ったのか分からないが、また手を取って歩き始める。今度は、するりと指を絡められる。先程とはまた違った熱さだ。どうしてだろう。さっきはくすぐったかったのに、今はすごくドキドキしているような。
「返事は、お前がその気になるまでいらねェ」
✱✱
おかしい。
「今日も迎えに行く」
「薄着過ぎだ馬鹿。これ羽織らねェと風邪引くぞ。……あぁ?俺はいいんだよ」
「髪梳いてやる。ここ座れ」
「顔赤いな。熱か?今日は詰所で大人しくしてろ。後で氷と水持ってってやる」
「髪飾りだ。好きに使え」
やっぱりおかしい。
「紅丸さんがおかしいです!」
「若が何かしたか?そんなに顔赤くして。話ならこっち来たらどうだい」
夕食を終えてからすぐ、紺炉さんの部屋へ突撃すると苦笑いしながら迎えてくれた。それに甘えて傍へ寄っていくと、ぱたりと襖が閉まり座布団をすすめられる。
「で?若がおかしいって?」
「紅丸さんが甘味屋まで迎えに来てくれます」
「いいじゃねェか。夜道は危ねェからな」
「寒いからと羽織を貸してくれるんです」
「ほう。気遣いもできるようになったんだなぁ若」
「髪梳かしてくれるんですが、いやそこまではすごくありがたいんですがその……膝の上に乗せられるんですが…これおかしくないですか?ヒカゲちゃんとヒナタちゃんにもそんなことしてないのに……」
そこまで言うと紺炉さんは笑いながら、若は意外と尽くすのが上手いもんだなと宣った。膝の上のことはスルーですか。そうですか。
「流石にお前さんも若の気持ちわかってるんだろう?じっくり考えて答え出してやりな」
「じっくり考える暇も与えてもらえないほどに、気づけば背後に紅丸さんがいるんです…!!」
「はは、そりゃ大変だ。……今みたいにか?」
「え」
「……おい二人でコソコソしやがって。何の話してる」
「うわっ!」
後ろを振り向けば、紺炉さんを睨みつけるように立っている紅丸さん。吃驚したと胸に手を当てている私を挟んで、二人がぽんぽんと会話をしている。ちょっとは泳がせてやったらどうですだとか、うるせェ口出しすんなだとか。どういうことだろうと思考する前に、また手首をとられる。
そのまま部屋から連れ出されて、廊下をずんずん歩いていく紅丸さんを小走りで追った。ふと視界の端に映った満月に目を取られて立ち止まる。
「月が綺麗ですね」
ぴたりと紅丸さんの足が止まる。ぐりんと振り返った彼の表情は読めない。俯いていたから。しかし俯いたまま私の方へ近づいてきて、屈んでくる。目を合わせようとすると、私の顔が紅丸さんの黒髪に囲われて閉じ込められているみたいな心地になる。
「それは返事か」
私と彼にか聞こえないくらいの低い小さな囁き。その声には熱が篭っていて、触れれば火傷してしまうのではないかと怖くなってしまう程だった。
「……はっ!あっ、い、いえ。その、私が向こうの世界で見た月を思い出してしまって、つい言葉に出てしまいました。吸い込まれるみたいな綺麗さにぼーっとしてたらうっかり足を滑らせてしまったんですよねぇ」
「向こうで、月を見た」
「あぁ、はい。丁度今日みたいな満月で……って紅丸さん?えっと見えない……です」
指を指し、月を仰ぎ見ようとすると紅丸さんに両の頬を固定されて動けなくなる。しかし、珍しく返事がない。どうしたのか不安になって名を呼ぶ。
「お前がどんなに向こうに帰りたがっても、もう手放せねェ」
「……え」
「月には帰さねェよ。何度満ちて、欠けようが。一瞬たりとも離してたまるかってんだ」
紅丸さんは唇で押し出すようにしてその言葉たちを紡いだ後、手のひらで私の頬をするりと撫でてから離れていく。無くなる熱が、何故か酷く恋しくて私は自分からぱしりとその手を掴んでしまった。驚く紅丸さんを見て、私も動揺がうつったようで。手を握ったもののどうしようとあわてふためいていたら、宥めるように頭をぽんぽんと叩かれた。
違う。そうではなくて。私が欲しいと願うのは、初めて会った時くれたような泣いていた私を宥めるような手つきではない。
「べ、紅丸さん。良ければ、私の帰る場所になってくれますか……。あなたにさよならを言いたくないと気づいてしまいました。……こ、これは、その、告白のお返事というやつで」
言葉尻は紅丸さんが強く抱き締めてきたことによって、廊下の空気と消える。何も言わない紅丸さんは、ただ私の体を抱き締めてくる。うろうろとさ迷わせていた腕を、そっと目の前の彼に巻き付けると、さらに力が強まって口からぐっと呻き声が飛び出た。
「住み込みで働くなんて絶対承知しねェからな」
「はは、もうそんな気ありませんってば。だって紅丸さんが詰所にいるんだから」
「二度とさよならなんて言うな……」
「え、私言ってませんよね?」
「うるせェ……寝るぞ」
***
次の日の朝。目の裏に光が差し込んで目が覚める。しかし、いつもより目覚めがいいことに気づいて、ぼんやり横を見遣った。
「おはようございます。紅丸さん」
太陽は依然として眩しいが、お前を彷彿させる暖かな陽射しは悪くないと思った。