現パロ

 春の気配がしてきた時期のある日。テレビでは天気予報が流れている。時刻は八時前。俺は、恋人とのデートのために服を選んでいた。
 待ち合わせの時間は昼過ぎだ。今から準備をするのは少し気合いを入れすぎだろうか。しかし、ギリギリになって支度をするのも俺のポリシーに反する。大切な予定の時こそ、余裕をもって準備するべきだ。まだ朝食も摂っていないし、ニュースでも見ながらコーヒーを淹れよう。自分で自分を納得させて、クローゼットの扉を閉めた。
 約一時間後。姿見の前で腕を組む。気象予報士によれば、今日は季節外れの寒さらしい。ある程度は防寒をした方が良いだろうが、あまり中に着込むと調節がしにくい。特に今日は屋内での行動の方が主だ。待ち合わせ場所までの移動は車だし、外気温はあまり気にしない方が良いかもしれない。少し思案した後、コットンのニットの上にチェスターコートを重ねることにした。
 先日買ったばかりのニットに袖を通し、整髪料を手に取って髪を纏める。手首と腰には愛用の香水を振る。靴はいつもの革靴を。折角のデートだ、慣れない靴を履いて足を痛めるのも格好が悪い。ましてや俺は恋人をリードする立場だ。そんな醜態を晒すわけにもいかない。最後にクラッチバッグを手に取り、玄関の姿見の前で身だしなみを確認する。不格好な所はない。これでいいだろう。
 ドアを開けると、確かに空気が冷たい。この時期にしては随分冷えそうだ。寒がりの恋人が震えずに済むよう、暖を取るものを用意しておこう。一旦戻り、開封したカイロをコートのポケットに仕込んでから車に乗り込む。エンジンをかけ、接続したスマートフォンで恋人から教えられた曲をかける。スピーカーからは軽快なギターが流れてきた。彼女らしい曲だ。鼻歌を歌う姿が目に浮かぶ。時折ポケットに入れたカイロで手を温めつつ、集合場所近くまで車を走らせた。

 待ち合わせ場所には、既に恋人がいた。が、見つけた時に一瞬戸惑った。
 恋人は、いつもは髪を一つに纏めるかハーフアップにしていた。癖のある髪を綺麗に整えるのは大変だし慣れていないから、と話していたことを覚えている。ヘアアクセサリーも着けられるし結局は結んでしまうのだ、とも。
 そんな彼女は今日、髪を下ろしていた。
 俺を見つけたらしい恋人はいつものように眉尻を下げて、花が咲いたように微笑む。彼女は決めた時刻よりも随分と早く到着する癖があるが、今日は一体いつからここに立っていたのだろう。
「待たせたな」
俺が言うより前にこちらへ駆け寄ってきた恋人に片手を上げる。体の動きに合わせて揺れる髪は丁寧に巻かれていた。
「いま来たとこですよ!」
と俺を見上げる。嘘ばかり。
「今来た奴の鼻がこんなに赤いわけがあるか」
そう言いながら鼻を摘めば、「うう」と声を上げて抵抗の意思を示した。すぐに離してやると、鼻を擦りながら一歩下がって
「晴信さんが来るの待ってました」
と体を揺らす。素直に言葉にした彼女は嬉しそうに笑った。
 恋人は早速目的地に向かおうと意気揚々と振り返ったが、俺は咄嗟にその手を引いて止めた。そして俺を見上げた彼女の顔を覗き込んだ。これは伝えておかなければ、聞かなければと思った。
「おまえ、今日は髪を下ろしてるんだな」
恋人が髪を下ろしてきたのは初めてだ。粧し込んできたのか。思い通りにするのが大変だと言っていた癖毛を、わざわざ丁寧に整えて。
「珍しいな。どうしたんだ」
そう問えば、彼女は俯き、少しの沈黙の後に口を開く。
「……美容院に、行ってきたんです」
気付けばその耳は真っ赤になっていた。
「今日は、晴信さんとその、デートだから……。綺麗にしたくて……朝イチで予約して、最後に髪も巻いてもらったんです……」
と続ける。俯いたままの彼女の顔は、俺の目線からは横髪に隠れて見えない。耳さえも、はらりと落ちた髪に覆われてしまった。だが、その頬が林檎のように赤くなっているだろうというのは容易に想像できた。
 彼女は、こういう時も変に見栄を張らず素直になる質だった。駆け引きもしない。だから俺は、時々面食らうことがあった。今もそうだ。普段と違う髪型である理由を、隠しもせずに白状した。何も言えなくなってしまった。
 俺が黙っていると恋人は顔を上げて、不安そうにこちらを見やる。
「あの、変じゃないですか……?」
「いや」
否定しようとしてつい声が大きくなる。身長差があるため仕方がないことではあるのだが、眉を八の字にして上目遣いをする彼女が何ともいじらしかった。
「……可愛い奴だな」
思わず口走った。しかし本心だった。
 俺が零した言葉を聞いた彼女は「かっ」と素っ頓狂な声を上げて、顔を更に真っ赤にした。
「かわ、か、かわいい、ですか……?」
折角目が合ったというのに、また顔を逸らされてしまった。俺とのデートのために、俺と会うために。わざわざ美容院へ行ったらしい。俺は
「ああ」
と肯定し、改めて恋人の姿を眺める。顔立ちが大人びているから、こういった髪型は良く似合う。外見を褒めるとすれば、可愛いというよりは綺麗だ。可愛いのはこのいじらしさと健気さだな、と思う。
「良く似合ってる」
そう伝えると、彼女は顔を上げて「へへ」と恥ずかしそうに笑った。
 ご機嫌になったらしい彼女に手を差し出し、
「行こうか」
と促す。一瞬躊躇った後に、そろりそろりと手を重ねてくる。
「晴信さんの手、あったかいですね」
そう言う恋人の柔らかい手も温かい。この寒さで冷えていなくて良かった。包み込むようにして手を繋ぐと、緩く握り返してきた。目的地はもう少し歩いた所だ。それまではこのままでいよう。楽しそうに話す恋人の笑顔と揺れる髪を盗み見ながら、俺達は歩を進めた。

​───────
 数刻前。美容院で、恥じらいながら相談をする女性が一人。
「今日はこのあと、その、お昼すぎから予定があるんです。最後に、髪巻いてもらえませんか…………」
いつものスタイリストに、初めての注文をする。
 だいすきな恋人に、かわいいと、素敵だと思ってほしくて。ちょっぴりイメージチェンジに挑戦する彼女がいたとか。
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