第3話 彼の仕事は「???」

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 2月の金曜日。学校から帰宅すると、私はとあるヒップホップをかけた。この曲は最近のヤノくんのお気に入りだ。知らない歌手だったが、とても有名な人らしい。スマホ画面には眼鏡をかけた若い男性が映っている。

 聴き始めるとすぐ、私も完全に魅了されてしまった。日本語だけど、とってもお洒落な歌声とリズムなのだ。一瞬で大ファンになった。

 目を輝かせて聴いていると、メッセージアプリから通知が届いた。タップすると、ヤノくんからだ。すごい!ヤノくんからメッセージが届くなんてはじめてだ。

 ついこの前、私たちは連絡先を交換したばかりだった。出会って4ヶ月目にしてようやくのことだった。

 ところがその文面があまりに衝撃的すぎて、私は呆然としてしまう。すぐにハッとして、大急ぎでコートを着てバッグを持ち、厳寒の夜の世界へと飛び出した。

 

 「ヤノくん!大丈夫ですか?」

 ヤノくんの最寄駅に降りると、彼は改札口のすぐ外で待っていた。普通に立っていたからホッとしたものの、右腕は痛々しく包帯が巻かれていて、ギプスがはめられ、首からつった紐にかけられている。顔もあちこちに絆創膏がはられていた。先ほどのメッセージで彼はケガをしたから来てくれ、とだけ私に伝えていた。本当にこれは酷いケガだ。

 「はぁ。最悪だ。利き腕だから飯も食えねぇスマホも操作出来ねぇ」

 ヤノくんは目を細めて私を見た。彼の溜息が白い息になり、冷たい冬の空に消えていく。

 「何があったんですか?」

 彼は無言だ。とりあえずここは冷えるからどこかへ入りましょうと言うと、ビックリするような答えが返ってきた。

 「今から俺ん家来い」



 ヤノくんの住まいは古い木造アパートだった。私も同じような住まいだからビックリしない。それよりも、まさか彼の家に来ることになるなんて夢にも思わなかったから、緊張で心臓が痛い。

 中に入ると、めちゃくちゃ散らかっていた。まずすぐ前に脱ぎっぱなしの靴下が見える。

 ヤノくんは無表情で畳の上に散らばった私物を足で寄せると、なんとかスペースを作った。

 「悪りぃけど、今日から3日間介護頼む」

 「えぇっ?!」

 思わず大声を出してしまった。いけないいけない。ご近所迷惑だ。

 「あの……3日間って、日曜までですか?」

 「うん」

 「……」

 どうしよう。もうほんとに困り果ててしまった。だって私は着替えも持ってきていない。というか、いきなりヤノくんの家に泊まるなんて、心の準備が………

 私が何も言えないでいると、ヤノくんはへらっと笑った。

 「おいおい。俺はお前に世話を頼んでるだけ。これはどう見ても緊急事態だろ?」

 それはそうなのだけど、私はやっぱり答えられない。

 「お前が心配してるようなことには絶対ならねぇから安心しろ。つぅか、この満身創痍で何が出来るっていうんだよ?」

 「そ、そういう問題では……あの、ヤノくんはご家族や、サイファー仲間の方たちには来て貰えないんでしょうか?」

 ヤノくんは俯いた。

 「俺も家族は1人もいない。サイファーで会う奴らも、そこまで仲良くないしな」

 家族は1人もいない。はじめて聞いた事実に、私はとても驚いた。何も言えないでいると、今度は私の目を真っ直ぐ見て言った。

 「この借りはいつか100万倍にして返すから頼む」

 私は思わずぷはっと笑ってしまった。ヤノくんらしいなぁ。それでもう開き直ってしまった。

 「とりあえず何をしてほしいですか?」

 「ご飯食べさせて」

 ヤノくんは左手で小さなちゃぶ台の上に置かれたカップ麺を指差した。

 ふと、その横に置かれたメモみたいな紙が目に入る。1番上に債権回収と書かれていて、その後何人かの苗字がずらっと続いている。最後に回収目標100%と書かれていた。

 「このメモは大切なものですよね?」

 ヤノくんは興味なさそうにいや、と言うと、すぐにそれを左手で丸め、部屋の隅に置かれたダストボックスにシュートした。

 左手で器用だな、と思いつつ、お湯を沸かしに台所へ立つ。意外にも水回りは綺麗に掃除されており、やかんや食器類もピカピカだった。

 カップ麺ができあがると、ヤノくんは当たり前のようにその小さな口を開けて無言で食べさせて、と言ってきた。私は色々恥ずかしすぎて顔が熱くなるが、確かに左手で食べるのは無理だろう。彼はスプーンだけでなく、お箸の使い方も不器用だから。

 恐る恐る麺を口の前にもっていくと、ヤノくんはするすると美味しそうに食べ始める。あぁ、ほんとにもう、これってなんなんだろう……

 食べ終わったとき、私は気恥ずかしい気持ちを押し込めるためにようやく本題を切り出した。

 「どうしてこんなケガなんてしたんですか?」

 「金の回収に出向いたら客に逆ギレされて殴られた」

 ヤノくんは淡々と答えたが、私は凍りついた。

 「なんでそんなことに……」

 「これまでガラの悪い客は免除されてたけど、そろそろお前も頑張れって言われて、ブラックリスト入りしてる奴らのとこに行かされることになった。マジでクズばっかだからいつか殺されるかも。ダンベルも持てねぇからな、俺。喧嘩とか絶対勝ち目ねぇ」

 私は頭にとあるワードが浮かんできて真っ青になった。ヤノくんは自分の仕事を、"自由業に近い会社員"と言っていた。先ほどのメモには"債権回収"と書かれていた。それに"ブラックリスト入りしたガラの悪いお客さん"。それってもしかして……

 「…えっと、それって、ヤノくんのご職業って、つまり……」

 や、からはじまるお仕事ですか?と恐る恐る尋ねると、ヤノくんはそう、と言う。無表情で。

 「つまりそれは、その……や、やみき……」

 闇金、と言おうとして、ヤノくんは遮った。

 「おしい。そっちじゃねぇ」

 違う?それじゃあ、なんだろう??

 「なんだかんだいって、まだまっとうなルートを目指してるんだけどな」

 ヤノくんはそう言うと、眠い、疲れたからもう寝る、と言い出した。私は思わず固まる。ヤノくんはちょっと楽しそうだ。

 「この借りはいつかぜってぇ返すから楽しみにしててくれ」

 ヤノくんは左手で私の手を取った。そしてあれよあれよという間に私と一緒にベッドに入りこみ、すぐに向こうを向いて眠ってしまった。私はもう何が何だか分からない。

 ヤノくんの部屋。ヤノくんの匂いがするシーツ。後ろから聞こえるヤノくんの寝息。

 もう頭の中はパニックだったけど、寝るしかない!!と開き直った。



 翌日はいったん自宅に帰ってシャワーを浴び、荷物を持ってもう一度ヤノくんの家に戻った。結局泊まったのは最初の一晩だけだったけど、買い出しをしたり食事を作り置きしたり、部屋を掃除したり、ヤノくんにご飯を食べさせたりしているうちに、あっという間に週末は終わった。

 それからも何度かそんなことがあり、骨折までしたのは最初だけで、その後は軽い打撲や打身程度だったけれど、そのたびに呼び出された。そのうち慣れっこになってしまった。

 ある時ヤノくんが、自分の職場のことを"組"、と言ったので、私は彼の職業が分かってしまった。そう、彼の仕事、それは……
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