第1話 横浜のサイファー
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久々の横浜でショッピングを楽しんだあと、私は山下公園のベンチに腰をおろした。
隣にはいくつもの紙袋。今日は洋服を何着も買ってしまった。普段は節約を心がけているから、こんなに買うのは初めてだ。でも働き始めてそろそろ半年経つし、夜間の学校の方も順調だ。漸くこうして、休日にショッピングが出来るほどに余裕が出てきたのだ。
この半年はほんとに大変だったなぁ。でもたまにはご褒美もいいよね。
そのときだった。公園の向こう側から、突然音楽が鳴り響き始めた。さらに男性が歌う声も聴こえてくる。歌うというか、それはラップだった。早口で韻を踏みながらビートに乗る、あれだ。
そういえば公園の手前で、今日ここでサイファーがあるという張り紙を見た気がする。詳しくはないが、確かサイファーというのは、複数人で円陣を組みながら、それぞれが交互にラップを披露していくものだったと思う。
音楽が聞こえてくる方へ行くと、そこには数十人の観客がいて、中心には何人かの男の子達が円を囲むように立っていた。マイクを握り、順番にラップを披露している。多分皆んな、私と同じ高校生か大学生くらいの若い子達だ。
すごーい!なんで皆んな、こんなに上手なの?!
私は一瞬で彼等に釘付けになった。皆んな本当に上手なのだ。しばらく聴いていると、段々彼等のラップの優劣もわかってくる。
皆んな素晴らしいけれど、1人、一際輝いている子がいた。1番小柄な黒髪の子が、とても個性的な声で、韻を1番綺麗に踏んでいる。しかもその子はとてもクールだった。ちょっと鋭い目つきをしていて、切れ長の目元が凛々しい。なんだかとてもドキドキして、私はずっと彼の歌声に夢中だった。
ラップの試合?が終わると、私はもうすっかり彼のファンになっていた。観客はどんどん少なくなり、歌っていた男の子たちもお互い雑談をしているようだったが、1人、また1人と帰っていく。彼も帰路に向かうのか1人で歩き出したとき、私は意を決して話しかけた。
「あの、すみません。私いまラップを聴いていたんですけど、すごくお上手でびっくりしました」
普段なら自分から知らない男の子に話しかけたりしない。というか、職場やクラスでも、男性に気軽に話しかけるなんてことは出来ない。
けれども今日は、どうしても彼に声をかけたかった。こんなにワクワクしたのは、人生で初めてだ。それくらい興奮していたから、素敵なラップを聴かせてくれた彼に、どうしても一言お礼が言いたかった。
彼は突然見ず知らずの私に話かけられて驚いたようだった。ギョッとしたような表情のまま固まっている。
「本当に素敵でした。また次のサイファーにも参加されますか?」
やっぱり彼は無言だ。少し目元を引き攣らせている。どうやら私は、完全に失敗してしまったらしい。まぁ、そりゃあそうだろう。いきなりこんなハイテンションで話しかけられたら、誰でもビックリするに違いない。
「ごめんなさい、私、ほんとに素敵なラップを聴かせていただいたので、お礼が言いたかっただけなんです!そ、それでは……」
あぁ、なんで私は、こんなにもコミュ障なんだろう……!もうちょっといい声の掛け方はなかったのか。激しく後悔しながら立ち去ろうとすると、彼が突然、ボソリと口を開いた。
「……なぁ、お前、帰りの電車賃貸してくんねぇ?」
20分後。私はもう緊張で死にそうになりながら、彼と電車に乗っていた。彼は今日、帰りの電車賃を考えずにお金を使い切ってしまったらしい。あのあとどうやって帰ろうかと思いあぐねていたら、私がちょうど声を掛けたから、私に白羽の矢が立ったみたいだった。
しかも聞くと、すごい偶然だが、彼の最寄駅は私の駅の1つ隣だったのだ。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?私は苗字名前と申します」
「……ヤノ」
「矢野さん、ですか?」
「んーん。カタカナでヤノ」
ヤノくんはちょっと変わった子みたいだった。ずっと無表情だし、私と目も合わせない。
「お前、年いくつ?」
「15歳です」
「ふーん。じゃあ俺と同じじゃん」
「そうなんですか」
「別に敬語とかいい。っていうか、お前の喋り方仰々しくてキモい」
ヤノくんはビックリするほど淡々とそう言い放った。彼はなかなか素直な人のようだ。普通ならドン引きかもしれないけど、私は彼の言葉は至極当然だと思い、眉を下げ笑った。
「そうですよね。すみません。私、同年代でもなかなかくだけた言葉で話せなくて……ヤノくんって呼ばせてもらうだけじゃダメですか?」
実は私のこの話し方には長い歴史があり、それは良くない理由だったが、すぐに直せるものではなかった。
「あっそ。まぁ、別にいいけど」
ヤノくんはどうでも良さそうだ。そこからはしばしの無言タイムが続いた。ヤノくんはスマホを取り出してさわっている。私はというと、もうこの状況を気まずいとも思わず、すっかり緊張もとけていた。普通なら男の子とこんな風にはなれないから、どうやら彼は、私にとっては相性のいい人らしい。静かに彼の横顔を伺い見る。
彼は肌が白くて華奢で、ツンツンと立った髪も少し長いから、ちょっと女の子みたいに見える。よく見たら睫毛も長いし、顔立ちも整っている。ただ上品な雰囲気というよりは、どちらかというとぶっきらぼうで粗雑な感じだ。
彼が身につけているのは白いパーカーとジーンズ。白いスニーカーは結構年季が入っているように見えた。たまにポケットからサクマドロップの缶を取り出して飴を舐めている。
私は何故だか分からないけど、彼を見ているととても好ましく思った。それにどこか、自分に似ている、とも。理由ははっきりしないけれど、そう感じたのだ。共通点なんて同い年なことと、偶然住まいが近所だったことくらいしかないのに、何故だかそう思った。
「しまった。充電無くなった」
彼は絶望したような声を出した。スマホ画面は真っ暗だ。
「大丈夫ですか?」
「先輩に連絡してる途中だったのに。くそ……ま、いっか」
あっさり諦めるヤノくん。その切り替えの早さに、私は内心であはは、と笑った。彼はいい意味で肩の力が抜けている。
電車が彼の最寄駅に着くと、ヤノくんは初めて私を見た。
「再来週、またあそこでサイファーがあるから、金はその時に返す」
「わかりました」
私はまた彼と会えることがわかってとても嬉しくなった。
隣にはいくつもの紙袋。今日は洋服を何着も買ってしまった。普段は節約を心がけているから、こんなに買うのは初めてだ。でも働き始めてそろそろ半年経つし、夜間の学校の方も順調だ。漸くこうして、休日にショッピングが出来るほどに余裕が出てきたのだ。
この半年はほんとに大変だったなぁ。でもたまにはご褒美もいいよね。
そのときだった。公園の向こう側から、突然音楽が鳴り響き始めた。さらに男性が歌う声も聴こえてくる。歌うというか、それはラップだった。早口で韻を踏みながらビートに乗る、あれだ。
そういえば公園の手前で、今日ここでサイファーがあるという張り紙を見た気がする。詳しくはないが、確かサイファーというのは、複数人で円陣を組みながら、それぞれが交互にラップを披露していくものだったと思う。
音楽が聞こえてくる方へ行くと、そこには数十人の観客がいて、中心には何人かの男の子達が円を囲むように立っていた。マイクを握り、順番にラップを披露している。多分皆んな、私と同じ高校生か大学生くらいの若い子達だ。
すごーい!なんで皆んな、こんなに上手なの?!
私は一瞬で彼等に釘付けになった。皆んな本当に上手なのだ。しばらく聴いていると、段々彼等のラップの優劣もわかってくる。
皆んな素晴らしいけれど、1人、一際輝いている子がいた。1番小柄な黒髪の子が、とても個性的な声で、韻を1番綺麗に踏んでいる。しかもその子はとてもクールだった。ちょっと鋭い目つきをしていて、切れ長の目元が凛々しい。なんだかとてもドキドキして、私はずっと彼の歌声に夢中だった。
ラップの試合?が終わると、私はもうすっかり彼のファンになっていた。観客はどんどん少なくなり、歌っていた男の子たちもお互い雑談をしているようだったが、1人、また1人と帰っていく。彼も帰路に向かうのか1人で歩き出したとき、私は意を決して話しかけた。
「あの、すみません。私いまラップを聴いていたんですけど、すごくお上手でびっくりしました」
普段なら自分から知らない男の子に話しかけたりしない。というか、職場やクラスでも、男性に気軽に話しかけるなんてことは出来ない。
けれども今日は、どうしても彼に声をかけたかった。こんなにワクワクしたのは、人生で初めてだ。それくらい興奮していたから、素敵なラップを聴かせてくれた彼に、どうしても一言お礼が言いたかった。
彼は突然見ず知らずの私に話かけられて驚いたようだった。ギョッとしたような表情のまま固まっている。
「本当に素敵でした。また次のサイファーにも参加されますか?」
やっぱり彼は無言だ。少し目元を引き攣らせている。どうやら私は、完全に失敗してしまったらしい。まぁ、そりゃあそうだろう。いきなりこんなハイテンションで話しかけられたら、誰でもビックリするに違いない。
「ごめんなさい、私、ほんとに素敵なラップを聴かせていただいたので、お礼が言いたかっただけなんです!そ、それでは……」
あぁ、なんで私は、こんなにもコミュ障なんだろう……!もうちょっといい声の掛け方はなかったのか。激しく後悔しながら立ち去ろうとすると、彼が突然、ボソリと口を開いた。
「……なぁ、お前、帰りの電車賃貸してくんねぇ?」
20分後。私はもう緊張で死にそうになりながら、彼と電車に乗っていた。彼は今日、帰りの電車賃を考えずにお金を使い切ってしまったらしい。あのあとどうやって帰ろうかと思いあぐねていたら、私がちょうど声を掛けたから、私に白羽の矢が立ったみたいだった。
しかも聞くと、すごい偶然だが、彼の最寄駅は私の駅の1つ隣だったのだ。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?私は苗字名前と申します」
「……ヤノ」
「矢野さん、ですか?」
「んーん。カタカナでヤノ」
ヤノくんはちょっと変わった子みたいだった。ずっと無表情だし、私と目も合わせない。
「お前、年いくつ?」
「15歳です」
「ふーん。じゃあ俺と同じじゃん」
「そうなんですか」
「別に敬語とかいい。っていうか、お前の喋り方仰々しくてキモい」
ヤノくんはビックリするほど淡々とそう言い放った。彼はなかなか素直な人のようだ。普通ならドン引きかもしれないけど、私は彼の言葉は至極当然だと思い、眉を下げ笑った。
「そうですよね。すみません。私、同年代でもなかなかくだけた言葉で話せなくて……ヤノくんって呼ばせてもらうだけじゃダメですか?」
実は私のこの話し方には長い歴史があり、それは良くない理由だったが、すぐに直せるものではなかった。
「あっそ。まぁ、別にいいけど」
ヤノくんはどうでも良さそうだ。そこからはしばしの無言タイムが続いた。ヤノくんはスマホを取り出してさわっている。私はというと、もうこの状況を気まずいとも思わず、すっかり緊張もとけていた。普通なら男の子とこんな風にはなれないから、どうやら彼は、私にとっては相性のいい人らしい。静かに彼の横顔を伺い見る。
彼は肌が白くて華奢で、ツンツンと立った髪も少し長いから、ちょっと女の子みたいに見える。よく見たら睫毛も長いし、顔立ちも整っている。ただ上品な雰囲気というよりは、どちらかというとぶっきらぼうで粗雑な感じだ。
彼が身につけているのは白いパーカーとジーンズ。白いスニーカーは結構年季が入っているように見えた。たまにポケットからサクマドロップの缶を取り出して飴を舐めている。
私は何故だか分からないけど、彼を見ているととても好ましく思った。それにどこか、自分に似ている、とも。理由ははっきりしないけれど、そう感じたのだ。共通点なんて同い年なことと、偶然住まいが近所だったことくらいしかないのに、何故だかそう思った。
「しまった。充電無くなった」
彼は絶望したような声を出した。スマホ画面は真っ暗だ。
「大丈夫ですか?」
「先輩に連絡してる途中だったのに。くそ……ま、いっか」
あっさり諦めるヤノくん。その切り替えの早さに、私は内心であはは、と笑った。彼はいい意味で肩の力が抜けている。
電車が彼の最寄駅に着くと、ヤノくんは初めて私を見た。
「再来週、またあそこでサイファーがあるから、金はその時に返す」
「わかりました」
私はまた彼と会えることがわかってとても嬉しくなった。