Inversion / Fragment
夕方のオフィス。
書類をまとめていた私の机に、カラフルな袋が落ちてきた。
ジルがにやりと笑いながら、「食べる?」と訊いてきた。
袋を一瞥したが、見慣れないその派手な色彩に戸惑った。
英字のロゴが大きく踊り、子供向けの玩具のように見える。
食べ物には見えなかった。
「不要です」
私は即座に首を横に振った。
「ほんとに? あんた、たまには甘いもの食べたっていいのよ」
ジルは笑って、袋ごと私の手元に押しつける。
わずかに目を瞬き、私はそれを受け取った。
だが、どう扱っていいか分からない。
結局、机の引き出しに仕舞った。
その場はそれで終わった。
*
その日の夜。私は夜勤で、オフィスにはもう誰もいなかった。
照明の一部だけが残され、静まり返っている。
ふと机の引き出しを開けると、昼間に受け取ったあの袋がそこにあった。
“skittles”
文字と色だけが派手に並び、やはり食べ物には見えない。
しばらく袋を指で転がし、やがて裂いた。
掌に転がった小さな粒。赤、黄、緑、紫……。
宝石の欠片のように鮮やかで、私は眉をひそめた。
本当に口に入れていいものなのか。
恐る恐るひと粒を唇に含む。
カリッ。
瞬間、舌に広がった強烈な甘さに、思わず息を止めた。
熱くも苦くもない。ただ、圧倒的に甘い。
「……甘い」
声にならない声が漏れた。
次の粒を取り出す。黄色。
それは酸味を含んだ甘さで、先ほどの赤とは違った。
緑は爽やかに、紫は濃厚に。
色ごとに味が違うと気づいた瞬間、私は目を見開いた。
次、次と手が伸びる。
気づけば机の上に色を並べ、一粒ずつ確かめるように噛んでいた。
粒には小さな“S”の文字が刻まれている。
私はそれをじっと見つめ、指先で転がしながら、味と色と形を夢中で観察していた。
こんなものを、私は知らなかった。
ただの菓子に過ぎないのに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
そのとき、不意に気配を感じた。
はっとして顔を上げる。
オフィスの入り口に、ウェスカーが立っていた。
腕を組み、冷たい視線でこちらを観察している。
いつから見られていたのか分からない。
私は弾かれたように立ち上がり、袋を背中に隠した。
「こ、これは……えっと……」
言葉が喉につかえて続かない。
頭が真っ白になり、視線が泳ぐ。
自分がなぜ動揺しているのかさえ分からなかった。
ウェスカーは短い沈黙ののち、低く言った。
「……答える必要はない」
冷徹な声音のはずなのに、なぜか耳に柔らかく響いた。
頬が熱を帯び、直立不動のまま硬直する。
彼は一瞥を残し、そのまま奥のキャプテンオフィスへと入っていった。
静寂が戻る。
私はしばらく動けなかった。
心臓が早鐘を打ち、指先が震えている。
袋をぎゅっと握りしめる。
舌にはまだ、さっきの鮮烈な甘さが残っていた。
「……甘い」
小さく呟き、ひと粒を口に含む。
甘さが広がるのと同時に、胸の奥が妙に切なく痛んだ。