7章



デスクの上で、ホログラムディスプレイが淡い光を放っている。

ウロボロスの開発の進捗、他国とのウィルス取引の状況、対バイオテロ組織の動向……処理すべき情報は膨大であり、私はその一つ一つを機械的な精度で処理していく。
だが、視線の端、常に四分の一の領域を占拠しているのは、セラのバイタルデータだ。

私は椅子の背に身を預け、背後の壁に組み込まれた強化ガラスへと振り返る。
灯りを落とせば、向こう側の部屋にある隔離医療ユニットを照らす冷たいLEDの光が、こちら側の床に長く伸びる。

あの日から、二ヶ月が経った。
彼女が自らの静脈に、未完成のウロボロスを打ち込んだあの瞬間。
暴走する黒い脈動をその身に宿し、崩れ落ちた彼女を私が抱き留めてから、この部屋の時間は止まったままだ。

私はいつもの位置に立ち、強化ガラスの向こう側を見つめる。
純白のシーツに埋もれるようにして、セラが横たわっていた。

未だセラは生命維持装置の揺り籠に抱かれている。
彼女の肌は、死者のように青白い。
浮き出た血管が時折、黒を含んで脈打つ。その内部を巡っているのは、死を克服し、全人類を淘汰し得る原初的な生命の奔流だ。


“バイタルに変化なし“
手元のタブレットに送られてくる数値を指先で弾いた。
心拍数は低く、平熱を大幅に下回る体温。
だが、その数値こそが、ウロボロスが彼女の細胞と完全に同化し、驚異的な安定期に入っていることを示していた。

私は、コンソールに表示されたセラのCTスキャン画像を拡大する。
心臓の直上、本来なら存在しないはずの“核“が、黒い影となって肺胞を侵食し、沈黙を守っている。

一時は猛烈な変異を予感させたが、結局、ウロボロスは彼女を喰らうことはなかった。それはまるで琥珀の中に閉じ込められた蝶のように、その苛烈な拍動を止め、ただ美しく、完璧な造形のままそこに留まっている。


研究員たちは、これを“奇跡の適合“と呼び、大いなる一歩だと称賛した。
そして彼らは、この二ヶ月で蓄積されたデータを用いて、ウロボロスの改良への道筋を議論している。

研究チームには検体の自律安定性の長期観察という名目で、依然として私の管理下での隔離室で管理することを正当化している。
だが、本当の理由は彼らには理解できまい。
私は、彼女を誰の手にも渡したくなかった。
たとえ意識のない、ただ呼吸を繰り返すだけの肉体であっても、彼女が私の視界の外でサンプルとして処理されていくことに、生理的な拒絶を覚えたのだ。

忌々しい失敗の数々を思えば、確かにこれは奇跡に近い成功だ。
本来なら、私は歓喜とともにこの成果を受け入れるべきだった。
セラという個体を用いて、ウロボロスをこれほどまでに静謐な状態で、かつ高密度に保持させることに成功したのだ。

次の段階へ進むためのデータは、すでに十分すぎるほど揃っている。

だが、その先を考えるほど、胸の奥にある空白が、底なしの深淵のように広がっていくのを感じる。

『これで、あなたは進める』

彼女が残した言葉が呪縛のように脳裏にこびりついている。
お前はこの結果を、最初から予見していたというのか。
適合率が限りなくゼロに近いことは、セラも知っていたはずだ。
本来なら彼女も、他の失敗作と同様、無惨に肉体を崩壊させるはずだったのだ。

だが、セラはまるで当然の儀式に臨むかのように、自らを私の計画へと差し出した。

停滞していたウロボロス計画に、自らの命を薪として放り込み、強引に火を灯したのだ。

冷却装置の駆動音。循環する空調が吐き出す、消毒液の混じった乾いた風。そして、変化のないなぞり続けるモニターの規則的な電子音。
それらだけが、この部屋において唯一動いているものだった。

私は無意識のうちに、モニターの波形を凝視していた。
脳波計は、深い昏睡状態を示す微弱なデルタ波を刻み続けている。
……あまりに深すぎる眠りだ。

ガラスに反射する自分の瞳を見る。
剥き出しの赤い瞳が、私自身の異常を冷酷に映し出していた。

計画の進捗を考えれば、彼女がこのまま眠り続け、安定した適合個体として機能し続けることこそが最適解のはず。

だが、思考はそれを肯定するのに、胸の奥では何かが猛烈に拒絶を叫ぶ。

「戻れ。……私を一人にするな」

その言葉が、意図せず静寂を切り裂いてこぼれ落ちた。
私はガラス越しに、彼女の冷たい頬をなぞるように指を動かした。

かつて、私の命令を一言も漏らさず聞き届け、影のように付き従っていた存在。
時に不遜なほどに私を射抜き、時に献身という名で私の計画を侵食してきた、あの意思。
それらが、この二ヶ月間、一度もその瞳の奥に灯ることはなかった。

彼女という意志を欠いたまま、神の座へと昇り詰めて何になる。
彼女がいなければ、私の築く世界は、永遠に未完成のままだ。



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