6章
アークレイの山に嵐が迫ったその夜、私の中で答えは定まっていた。
事故で漏れ出したt-ウィルスは、既にこの屋敷を、最高の試験場へと変貌させている。徘徊する屍者、牙を持つ獣、そして改良されたB.O.W.。研究成果を実地で検証するには、過不足ない役者どもだ。
その舞台に、私はS.T.A.R.S.を誘い込んだ。彼らがどう抗い、どう倒れるか。そのデータこそ、私が次へ進むための、揺るぎない武器となる。
私は観客ではない。盤上を操る主催者であり、すべては私の掌に収まるはずだった。
……そのはず、だった。
ブラヴォーチームの消息が絶たれた時点で、計画は順調に進んでいた。救助に向かうアルファチームを屋敷へ誘導し、扉を閉ざす。
隊員たちは疑念を持ちながらも、未知の脅威に抗うしかない。
隊を屋敷に誘い入れた時点で、私はすでに筋道を引いていた。
複数の部隊を一箇所に固めれば、行動は硬直し、観察の幅が狭まる。
分散させれば、各員の資質が露わになる。恐怖に崩れる者、粘る者、規律を保つ者。
彼らを戦闘データとして用いる以上、その差異こそが私の求めるデータだ。
私がまず行うべきは、地下施設の掌握だ。
制御端末にアクセスし、研究員たちの残した痕跡を回収し、状況を逐一掌握する。
同時に、監視網を通じて彼らの行動を追い、必要に応じて誘導する。
それが、計画を破綻させず、自らの独立を確実にするための初手だった。
私は影から彼らを観察した。
クリスは執念深く食らいつき、ジルは冷静に扉を解き、バリーは家族を人質に取られた哀れな人形のように動いた。誰もが私の予測通りだった。
……セラ。ただ一人を除いて。
新人であるはずの女が、自らクリスと別れ、単独行動を始めたのだ。
経験も浅く、常識的には最初に脱落する側の人間。それなのに彼女は迷わず孤立する事を選び、その足取りも揺るがなかった。
冷静すぎる。
あれほどの冷静さは、経験の少ない者には決して出せない。私は違和感を覚えた。
なぜここまで平然と動ける?
疑問を確かめるため、私は一つ仕掛けを施した。
監視だけでは足りない。直接的に圧をかけ、どの層で崩れるのかを見極める必要がある。
私はハンターを廊下に放ち、彼女の進路にぶつけた。
想定される反応は決まっている。
しかし、廊下で目にした光景はそれとは異なっていた。
銃を持っていたのににもかかわらず、彼女は刃を選んだ。
銃の方が圧倒的に安全で、距離も取れる。
新人であればなおさら迷わず発砲するはずだ。
なのに彼女はナイフを構えると、ハンターの跳躍の肩の落ちを読み取り、膝が伸び切る直前に“死角”へ潜り込み、頸部へ鋭く刃を滑らせる。
正確すぎる。反射ではない。
……あれは“知っている”動きだ。
私は廊下に姿を現し、直接彼女の戦いぶりを観察し、問いただした。
すると彼女は、刃を選んだ理由まで理路整然と説明してみせた。
ルーキーという建前と、この技量は釣り合わない。
どこかで叩き込まれていなければ成立しない技術だ。
生存を前提にした、実戦の積み重ねによるものだ。
……一体どこで身につけた?
彼女の異質さは計画外だ。
だが、私は本来の筋を進めねばならない。
S.T.A.R.S.を消耗させ、地下研究所のフロアへと導く。最深部でタイラントを起動し、進化の証を掌握する。それが、私の真の目的でありこの夜の到達点だ。
しかし、そこで思わぬ綻びが生じた。
エンリコが「裏切り者」の存在に気づいたのだ。
彼は真実に近づきすぎた。もし他の隊員に接触し口を割れば、計画そのものが崩壊しかねない。処理は不可避だった。
私は洞窟へ足を運び、他の隊が到着する前に自ら始末する算段を立てた。
だが、そこにも誤算が待っていた。
エンリコの前に、すでにセラが立っていたのだ。
なぜ彼女がここにいる?偶然か、必然か。
観察対象としての彼女の異質さは、ますます無視できなくなっていた。
だが同時に、ここで始末せねばならない二人が目の前に揃っているとも言えた。私は岩陰に身を潜め、最適な一瞬を待った。
そして岩陰から覗いた瞬間、私は息を呑んだ。
エンリコが裏切り者の名を吐き出す直前、あの女が迷いなくサプレッサーを装着したのだ。
銃口が揺れたのはほんの一拍。次の瞬間には引き金が絞られ、乾いた音すらなく、額を撃ち抜かれた頭が岩壁に沈んでいった。
行動を録画するフィルムなどの所持品も奪い取り、痕跡は残らない。無駄がない。
新人の女がやれる所業ではなかった。
彼女は知っているのか?
この屋敷の構造、私の計画、あるいはアンブレラ内部の事情まで。
どこまで踏み込んでいる?
誰が与えた知識だ?
……スパイか?
もしそうであれば、今ここで排除するべきだ。
私の計画に介入できる存在を放置することは、危険以外の何ものでもない。
だが同時に、利用価値がある。
彼女の動きは、単なる訓練の延長ではなかった。
生存のために叩き込まれた反射、本能に染みついた戦場の技術だ。
その精度は、数多の兵士を見てきた私の目にも異質に映った。
B.O.W.との戦闘に投入すれば、得られる戦闘データとして極めて優秀となる。
脅威と資源、その両方へ振れる存在。
撃てば片がつく。
だが私は引き金を落とさなかった。
排除するには惜しい。
彼女の存在は、タイラントとは別の意味で“予測不能な結果”を生む。
引き続き泳がせる価値がある。
それが私の判断だった。
*
冷却装置の唸りが、骨の芯を震わせていた。
金属の床に振動が伝わり、わずかに揺れる端末の光が、実験場に幽かな明滅を作る。
私は制御卓の前に立ち、指先で入力を続けながら、背後の気配を測っていた。
足音は一つ。間合いを読んだ呼吸。銃口を構える気配は、迷いを削ぎ落とした訓練の産物。
だが、アルファに配属されたばかりのルーキーにしては冷静すぎた。
私は銃を上げた。
「そこから動くな」
彼女は掌を見せ、敵意がないと示すが、視線は揺れない。
その目は、表層ではなく私の奥を見透かそうとしていた。
「……なるほど」
私は問いを投げ、確認していく。
野犬の死骸に残された正確な弾痕や拾えと告げるように寄せられた前肢。
ハンターをナイフで仕留めた異様な選択。
そして、洞窟でのエンリコの始末。
私は目を細めた。
「私のために?」
問う声に、彼女は小さく頷いた。
裏切り者を消し、痕跡を奪い、私の計画を守るために動いたと言うのだ。
その行動は、S.T.A.R.S.キャプテンとルーキーの関係で説明できる範囲をとうに逸脱していた。
彼女は何を基準に判断している?
私の何を把握している?
脅威ではあるが同時に資源でもある。
この女をどう扱うかで、私の計画は新たな形を得るかもしれない。
だが、その思考を遮るように扉が開いた。
光が差し込み、クリスとレベッカが現れる。
クリスの怒声が反響し、銃口が私に向けられる。
「いつからなんだ!」
私は肩をすくめ、静かに答える。
「君は勘違いをしている。私は最初からアンブレラの人間だ。S.T.A.R.S.は私の私兵にすぎん」
叫びが火花のように散り、銃口が震える。
私は淡々と端末に手を伸ばし、ロックを解除する。
「これが究極の生命体、タイラントだ」
培養槽の液が下がり、影が立ち上がる。
巨大な心臓が脈打ち、鋼の爪がガラスを裂く。
私は赤い光に照らされたその姿を見て、微かに笑みを刻む。
「実に美しい」
そして、刹那。
空気が裂けた。
鋼の刃が一直線に伸び、私の胸を貫いた。
世界が逆さに揺れ、制御卓へ叩きつけられる。
血が喉を塞ぐ。呼吸が途切れる。
だが、恐怖はない。
これは私の計画の一部。
密かに入手した試験用ウィルス。
それを投与した私の身体は、致死的な損傷を契機に再生を始める。
死を経て進化する。
そのために、わざとタイラントの前に身を晒した。
理解している。理性では。
だが、肉体は別だ。
細胞が潰れ、視界が白に爆ぜ、冷たい恐怖が骨の奥を焼く。
私は死ぬのだ。
確実な再生などどこにもない。失敗すれば、ただ終わるだけだ。
それでも、私は選んだ。
死を越え、人間を超越するために。
視界の端で、女の影が見えた。
セラ、彼女がこちらへ駆け寄ってくる。
伸ばした手が揺れ、赤に濡れた私を掴もうとしている。
なぜだ。
彼女はなぜ、ここまで私に執着する?
答えは闇に沈む。
世界が崩れ、音も熱も失われていく。
だが最後の瞬間、確かに感じた。
あの瞳が私を捉えていた。
それは脅威ではなく、所有でもなく。
理解できない感情の形だった。
そして私は闇へ沈んだ。
進化の死を抱きしめながら。