3章



夜明けは曖昧に訪れた。
空の端は白み始めているのに、密林の天蓋は厚く、湿り気を含んだ空気は夜を閉じ込めているようだった。
鳥の声も、獣の気配も、どこか遠い。
村を囲む森全体が、息を潜めているように思えた。

私たちは岩場の高台に陣を取っていた。
三脚に固定された望遠鏡、発電機に繋がれたモニター、センサー類。
傭兵たちは慣れた手つきで機材を配置し、点検を終えると、残るは観察だけとなった。

水源への投下はすでに済んでいる。
私が行ったとき、誰も声をかけなかった。止める者もいない。
初めから、それは私が担う役割だと決まっていたから。

琥珀色の液体が揺れるカプセルを摘み上げたときの冷たい感覚は、まだ手の奥に残っている。
視線をその手に移すと指の節はじんわりと重く、わずかに震えていた。
私はそれを誤魔化すかのように握りしめる。

そして胸の奥で釘を打つように、自分に言い聞かせる。
これは当然のこと。
彼の手を汚させないために、影である私が動くだけだ。
彼を破滅の道から導くため、それ以外に意味などない。





最初の変化は小さな咳だった。
井戸端で水を飲んだ子供の肩が細かく揺れる。
母親が背をさすった瞬間、別の男が桶を抱えたまま膝を折り、額を押さえてうずくまった。

その波は数分ごとに広がり、村全体に連鎖していった。
熱、吐き気、動悸。
昨日まで健康だった体が、同じ速度で、同じ形で崩れていく。
笑い声や談笑がまだ消えきらないうちに、吐瀉や悲鳴が入り込む。
音が混じり合い、次第に不協和のざわめきへと変わっていく。

「発現の即効性が際立つな」
横から低い声が響く。ウェスカーのサングラス越しの視線が村の広場を正確に射抜いている。

「兵器利用としては申し分ない。投下から数時間で村一つが機能を失う」

モニターに映る数値がそれを裏付けていた。
サーモグラフが一斉に赤を灯し、体表温度の急激な上昇が波のように広がっていく。
動体センサーが拾う心拍は乱れ、次第に沈黙へと変わる。

死が均質に訪れることほど、兵器として効率的な証明はないのだろう。


私はじっと数値を刻み続ける画面を見つめる。
波形が沈むたび、胸の奥にも何かが沈んでいく。
目の前に広がっていく残状は確かに目に映しているはずなのに、
ときおりぼんやりとかつて見ていた光景を映しているかのように思えた。
どちらを見ているのか分からない曖昧さが、胸の奥に冷たい針を落としていく。

「……適合の面ではどうでしょう」
自分の声がわずかに掠れていた。押し出すように言った。

彼はほんの少し目を細め、低く応じる。
「兆候は見られない。すべて崩壊に向かっている」

その声は冷徹で、揺らぎがなかった。
だが、その冷徹さこそが私の胸の奥を鋭く削った。





弱い宿主は数時間と持たず、村のあちこちで倒れたまま動かなくなる。
血管が破裂し、臓器が自壊し、皮膚の上に赤黒い網が浮かび上がる。
死は抗う隙を与えなかった。

しかし、全員がただ崩れるだけではなかった。
一部は即死を免れ、異様な仕方で生き残った。

理性は崩れ、瞳孔は開き切り、声は人ではない唸りに変わる。
体は痙攣しながらも動き、爪で隣人を押し倒し、噛み裂き、門を破ろうとした。
血と泥にまみれた指先が地を掻き、足を引きずりながら出口を求める。

銃声が二度、三度、短く響いた。
待機していた傭兵が正確に撃ち抜き、体は土に沈んだ。
彼らにとってそれは単なる後処理。
わかっている、これが当然だ。
だが私には、音が胸の奥を突き刺す杭のように響いた。

「……これは適合兆候ではない。拒絶と混乱だ」
ウェスカーが吐き捨てるように言った。

「だが、これはこれで意味がある。群集を短時間で攪乱する兵器としては十分に機能する」

その声には合理を超えた愉悦が混じっていた。
冷徹に、未来の市場と戦場を思い描いている。
私は表情を固め直した。
視線を逸らせば、心が崩れる。だから逸らさない。
影であると自分に言い聞かせて、ただその場に立ち続けた。





昼前には、村は地獄に変わっていた。
呻き声が道に溢れ、家屋の影には倒れたまま動かない体が積もる。
母が子を抱きしめたまま倒れ、子の泣き声はすぐに潰れた。
男が這いずりながら門に手を伸ばすが、助けはなく、土の上で崩れ落ちる。

腐臭が湿気に混じり、地面を這うように漂ってきた。
モニターの波形は急降下を続け、そのたびに胸の奥でも硬い釘が鳴った。

「やはり致死性は高い。宿主が耐えられないのはこれまでと変わらん」
彼の声は冷徹に刻まれる。

「……だが兵器としての利用価値は絶大だ。散布から半日もかからず村は壊滅する。
管理さえすれば、欲しがる者は高値を積むだろう」

満足を帯びた声。
私は呼吸を浅くし、何も答えなかった。

そのときだった。
村の広場の隅で、一つの影が立ち上がった。

痙攣に支配された体。
皮膚には裂け目が走り、血管は赤黒く浮かび上がっている。
だがその声はまだ人の形を保っていた。

「……たすけて」

掠れた声が風に乗り、耳に届いた。
まだ人の声を保っていた。
その声は、忘れられない響きを宿しているようで、私は心臓を失ったように動けなくなった。
目の奥が熱を帯びるのに、顔は凍りついたまま。

「……ほう」
隣から低い声が落ちた。

ウェスカーの双眸は鋭い光を帯び、そこに興味を刻んでいる。
それは退屈や苛立ちではなく、想定外の現象を前にしたときにだけ現れる危うい熱だった。

「面白い。崩壊の均一性に割り込むノイズか」
口端がわずかに吊り上がる。
愉悦の色。子供が新しい玩具を見つけたときのような輝き。

「価値のあるサンプルだ。捕獲しろ」
命令は簡潔だった。合理と好奇心の混じった声。

彼の横顔に刻まれた輝きが、私の胸の奥を暗く覆っていく。
なぜなら、私はその光に触れたくても触れられない影だから。

私は無言で一歩を踏み出した。
感情を閉ざした足取りは揺れない。
迷いを殺して歩き続ける影として、私はその役割を遂行するのだ。

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