2章



警告音が脈のように続き、赤い灯が壁の影をせわしなく揺らした。
扉が開いた瞬間、私は半歩先に出て射線を立て、ウェスカーが右へ滑り込む余白を残す。

肩越しの気配が重なり、足音が響きを揃えた。呼吸のテンポが合う。

白衣を纏った影が角から躍り出る。私は即座に額へ一発撃ち抜く。

続けざまに、足を引きずった二体目がよろめきながら迫ってきた。

ウェスカーは横をかすめ、壁際の配管を迷いなく撃ち抜いた。
噴き出した蒸気が視界を白く埋め、呻き声が霧の向こうへ引いていく。

その隙を突き、私は素早く横へ身を滑らせて死角を抜ける。



〈爆破まで——九分〉

通路の曲がり角ごとに、頭上の配管の継ぎ目から蒸気が上がり、金切り声を上げている。
並んだ実験室のガラス越しに、火花が飛び散り、照明が一瞬で闇に沈んでは再びちらつくように灯った。

次の廊下は狭い。天井の低さが圧を増している。

前方から三体が一度に飛び出してきた。
私は奥の一体の喉を狙い、最初の二体は足首を撃ち抜いて崩す。

倒れた体を踏み越えた瞬間、背後で骨の砕ける音が響いた。

振り返れば、ウェスカーが片腕で倒れたソレを掴み上げ、そのまま壁に叩きつけていた。
銃声ではなく、肉と骨のぶつかる乾いた衝撃が鼓膜に届く。

彼は、力を試している。
得たばかりの力の可能性を探るように、冷静に舵取りしながら。

わずかなぎこちなさを残しつつも、放たれる力はもう人の規格から外れていた。

私の知る彼へ、輪郭が合い始めている。



〈爆破まで——八分〉

エレベーター前の表示が「保守中」に切り替わり、無情な電子音だけが扉の無反応を告げた。
選択の余地が削られる。私は階段への矢印を顎で示す。

「階段で上へ。風が上がってる、煙はまだ薄いです」

ウェスカーは頷きもせず足を向ける。
二段飛ばしで昇る最中、踊り場で影が手すりを越えて飛びつく。

私は身を捻り、肩で受け流して膝へ刃を入れる。

ソレの体勢がわずかに揺らいだ、その刹那。
横合いから鋭く、ウェスカーの踵が割り込んだ。

肉を叩き割るような衝撃音とともに壁が鈍く鳴り、影は抵抗もなく板のように沈み込んだ。
目を瞬く間もなく終わる速さ。

踏み込みの重さが、人間の脚力ではない。
しかも、その呼吸は微動だに乱れていなかった。

薄緑の非常口サインがぼんやり灯る。

私は左腕の包帯を握り直す。
痛みを飲み込み、可動域を確保したまま次の一歩へ体を押し出した。



〈爆破まで——七分〉

階段を抜けると区画表示が変わり、先に重い鉄扉が立ちはだかった。
ロックは噛みついたまま。ハンドルを試し、私は首を横に振る。

次の瞬間、ウェスカーが一歩前へ出て、無言で腰を沈め、踵で正面を叩き抜いた。

鉄扉は内側から殴られたように膨らみ、金属がひしゃげて弓なりに撓む。
錆びついた悲鳴を上げながら、扉はねじ切られたように開いた。

凄まじい力だ。
けれど、暴れた痕跡を最小限に抑える“制御された暴力”。

廊下の死角から影が飛び出す。私は二連で牽制し、肩で払って道をこじ開ける。

ウェスカーはその一瞬の隙を逃さず、滑るように前へ。
倒れた個体の肩口を踏み台に、ほとんど無音で加速した。

床を蹴る衝撃が空気を裂き、黒い影が視界の端で伸びる。
人の脚力では追えない速さ。

目で追うのが精一杯で、意識はもう“先を置いて”彼の動きを予測するしかなかった。



〈爆破まで——六分〉

通路の果てで、空間が不意に開けた。
頭上に高い天井が広がり、エントランスホールの闇がこちらを呑み込む。

吊り下げられた巨大なシャンデリアが光を返し、石床は汗をかいたように湿り、鈍く輝いていた。

正面には重々しい扉が構え、わずかに漏れ込む夜気が鼻先をかすめる。
外はすぐそこにあるはずなのに、届かない。

その近さがかえって重くのしかかり、出口の存在そのものが圧力となって胸を塞いだ。

そして、その出口の前に“彼女”がいた。

重い鎖を両腕に巻き、哀れで、強靭で、しぶとい影——リサ。

踏み出すたび鎖が火花を散らし、擦れた石の匂いが広がる。
顔には縫い合わされた面が覆いかぶさり、肩の裂け目から覗く古傷が赤黒く浮かんでいる。

仮面の奥の視線が、重く私を縫い止めた。

ウェスカーの声が低く落ちる。
「リサ・トレヴァー。ここを通さないつもりか……」

銃口と視線が交差し、彼は即座に切り替えた。
「戯事の時間はない……別ルートから脱出する」

促すように顎で示し、彼が先に動く。
私は頷き、二階回廊へ駆け上がる。

背後で鎖が唸り、床石を抉る音が追ってくる。
私は柱の陰から身を乗り出し、膝裏、足首、肩へと順に狙いを置いて撃つ。
重心を削られてもなお怯まない。

ウェスカーが小さく息を吐き、赤い目が細くなる。
「執念深いな……さすがに“不死”なだけある……」

逃げの線を引きつつ、動きながら彼は進路を組み替えた。
正面へ戻る導線を前進のまま繋ぎ直す。

「……わかった。与えてやろう、永遠の眠りを」

私たちはホールへ帰る。
執念深いその影から逃避するのではなく、終わらせるために。

リサの鎖が大きく弧を描き、空気を裂く唸りを上げて振り抜かれた。
私は柱の陰から半身を出し、鎖の軌道を読み切って弾を放つ。

火花が散り、鎖の動きがわずかに鈍る。

その一瞬、ウェスカーが踏み込み、鎖の外側から腕を差し込んだ。
指先が鉄を掴み、手首を返して軌道ごと捻り、勢いを外へ逃がす。

金属が悲鳴を上げ、張り詰めていた力がふっと抜ける。
重みだけが残って床を打ち、石粉が煙のように舞い上がった。

真正面からの衝突ではない。
力の流れを読み、角度を変えて受け流す。
完璧に計算された動きだった。

私は天井を仰いだ。
視線が吊り鎖を伝い、梁、支えのボルトを順に捉える。

銃を両手で構え、連射でボルトの頭を削った。
金属が悲鳴を上げ、火花が散る。一本、また一本。

最後の一本がまだ耐える。
狙いを微調整し、引き金を引いた。

支えを失ったシャンデリアが鎖を鳴らしながら真下へ落ちる。
鉄と灯の塊が、夜を裂くように踊り場へ降り注いだ。

ガラスが砕け、輪が弾け、衝撃が床を波のように伝う。
鉄骨がリサの肩と背を押し潰し、粉塵が赤い光を孕んで舞い上がる。

執念深く追い回す不死の影を、純粋な重量が床へ縫い付けた。
鎖の音が途絶え、空気が一瞬で静まり返った。

ウェスカーが低く言い捨てる。
「もう蘇るな。この館と共に消えろ」

私は正面扉を見つめ、彼へと視線を移した。
赤い目が、すでに私を捉えている。

爆破まで、もう時間はない。
壁の赤光が脈のように瞬き、金属の警報音が空気を震わせていた。

熱と硝煙の匂いが混じり、息をするたび喉が焼ける。
足元で微かな振動が続き、崩壊の音が遠くから近づいてくる。
それでも、私は立ち止まらなかった。

ここまで来たのは、彼の計画を繋ぐため。
たとえ最後に燃え尽きても、彼の未来が続くなら、それでいい。

「私の脚では走り切れません。
不要だと思うなら、ここに置いていけばいい。……でも、あなたが……」

言葉が途切れる。
喉の奥で、熱が詰まった。

残りの言葉は声にならず、ただ目で伝える。

あなたが、私を必要とするなら。

短い沈黙が落ちる。
赤い目が、正面から私を射抜く。

警報のリズムの合間に、わずかな呼吸の揺れ。
それは冷たい炎のようで、どこか迷いを孕んでいた。

彼は私を置いていくはずだった。
それが正しい選択であることを、誰よりも分かっているはずなのに。

なのに……動かない。

わずかに首筋の筋が緊張し、赤い光が瞳の奥で揺れた。
その一瞬、彼の内側で何かがせり上がった。

疑念、興味、そしてそれらに混じる説明のつかない熱。

次の瞬間、彼は一歩で距離を詰め、ノブをひねって扉を押し開く。
同時に、私の肩を掴み上げる。

視界がふっと傾き、体が持ち上がった。
外気が流れ込み、夜の匂いが一気に濃くなる。

私は腕を回さない。ただ、力を抜く。

「……黙って掴まっていろ」

命令の形をしているようで、その温度は命令ではなかった。
選んだ結果の重さが、そこにあった。



〈爆破まで——二分〉

夜気が顔に刺さり、石段を蹴る振動が腹に伝わる。
外の空気は冷たく湿っていて、森が口を開ける。

枝が頬を掠め、葉の水が散る。彼の呼吸は乱れない。
足の運びは正確だ。

速度は人を超えつつあるのに、肩から伝わる熱は、確かに人のものだった。

私は顔を上げ、彼の肩越しに遠ざかる屋敷を見た。
窓の向こうで光が膨らみ、刹那、夜が裂ける。

腹に重い衝撃が落ち、音が遅れて森を震わせた。
衝撃波が木々を押し倒すように走り、熱が背を舐める。

それでも彼は一段深く踏み込み、傾斜を利用してさらに速度を積む。
闇の中で、その輪郭だけが途切れずに続いている。

彼は私を置いていかなかった。
選んだのだ。私を。

理由は数えられる。
有用性、興味、疑念。

けれど、それだけでは埋まらない何かが、確かに彼の決断を形づくっていた。

私は肩にしがみつかない。
ただ身を預け、彼の振動と体温を抱えながら呼吸を合わせる。

伝わってくる鼓動が、自分のものよりも強く、一定に刻まれていた。

森の密度が濃くなり、土の匂いが強まる。
足音は柔らかく、しかし確かに地を刻む。

私は閉じかけた瞼の裏で、もう一度だけ彼の名を呼んだ。
声にはならない。けれど胸の奥で燃えるように。

そして、私たちは森の闇の中へ消えた。

救うと誓った私と、始まりを歩み出した彼。

二人を待つのは、まだ夜の続き。
その行き先に光があるのか、それとも破滅しかないのか。

答えは、まだ遠い。


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