Prologue



熱い。



 呼吸をするたび、肺が焼けて崩れるような熱が流れ込む。皮膚は剥がれ、髪は焦げ、鼓動のたびに血の匂いと鉄の味が喉を満たす。目を開けていられない。視界は赤に覆われ、光と影が溶け合い、世界が崩れていく。


 ——それでも私は、必死に見つめていた。


 赤に縁取られたその背中。崩れかけた足場に追い詰められ、なお抗う影。誰よりも強靭で、誰よりも遠く、誰にも届かないと思っていた存在。



「マスター!」



 声が喉を裂き、胸の奥から迸った。けれど轟く爆音にかき消され、鼓膜を揺さぶる振動に押し潰される。届かない。私の声は届かない。

 足場が崩れ、岩が割れ、熱風が逆巻く。溶岩の泡立つ音と爆ぜる音が耳を満たし、何もかもが崩壊へと傾いていく。それでも私は手を伸ばした。指先が裂け、熱で皮膚が剥がれても、伸ばさずにはいられなかった。


 遠い。あまりにも遠い。
 それでも、一瞬だけ——赤く燃え上がる瞳が、こちらを見たように思えた。



「行かないで……!」

 叫んだ声が自分のものかどうかも分からない。涙は熱に焼かれて蒸発するはずなのに、頬を伝う温かさがあった。汗か涙か、区別もつかない。ただ、確かに零れ落ちていた。



 赤黒い光が彼の輪郭を呑み込んでいく。
 冷酷な光を宿した瞳も、姿も、炎に散らされる。



「マスターッ!」

 絶叫と同時に、上空から閃光が走った。轟音とともに放たれたそれは、溶岩でもがく彼の姿を狙い撃つ。


 まるでスローモーションのように見えた。
 閃光が触れた瞬間、たちまち衝撃と熱波が弾け、彼を包み込み、呑み込んでいく。


マスター…

私の神様……

……彼を救いたい……


 胸の奥で必死に願う。
 けれどその爆発の衝撃は、ふらついていた私の足元にも襲いかかった。崩れる岩。砕ける地面。


 私は支えを失い、宙へと放り出される。

 体が一瞬、空中で止まったように感じた。次の瞬間、内臓が喉元までせり上がり、胃がひっくり返る。全身の血が逆流し、骨の芯まで軋んだ。

 風が皮膚を裂く。耳の奥で甲高い悲鳴のような耳鳴りが鳴り止まない。
 上下が消え、空も大地もひとつに溶けて、ただ赤黒い渦に絡め取られていく。

 叫ぼうとした声は、喉から外に出なかった。
 喉を塞ぐのは熱か、恐怖か。
 ただ、落ちる。落ち続ける。終わりも底もない奈落へ。

 世界が砕け散り、赤が白に塗り替わる。
 轟音も熱も、すべてが音もなく剥がれ落ちていく。

 
 投げ出された体が、終わりのない空間を落ち続けている感覚だけが残る。
 上下も、左右も、時間すらも消え失せた。

 白。
 ただ、白。

 私はまだ手を伸ばしていた。
 何も掴めないと分かっていながら、必死に。


「……マスター……」

 声が虚空に溶ける。響きは返らない。
 けれど、深い白の奥から——確かに、何かが落ちてきた。






『——目を開けろ。お前はまだ終わらせることを許されていない。お前が願うのなら、彼を救わせてやろう』

 
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