【2025.5.3 SUPER COMIC CITY 32】桜色狂想曲【中原中也夢小説】
ぼろぼろと泣く私の名を、彼が呼ぶ。
「なくなよ!」
そう云って私の頬にタオルハンカチをぐいぐいと押し当ててくる彼だって、必死に涙を堪 えている。彼はいつもそうだった。転んでも、喧嘩をしても、決して泣かない。むしろ、彼の怪我を見た私のほうが大泣きして、そのたびに彼は、かわいい犬のアップリケがついたちいちゃなタオルハンカチで、私の涙を拭ってくれた。
ぐずぐず鼻を鳴らしながら、彼に抱きつく。幼いが故にまろさのそう変わらない肩。
「だって……だって、ちゅうちゃんがぁ……!」
ぎゅうっと抱きしめ返してくれる細い腕。
ちゅうちゃん。おうちがお隣で、朝から夕方まで、泣き虫で弱虫な私といつも一緒にいてくれた、元気いっぱいの男の子。〝おうちのじじょう〟でどこか遠くへ行ってしまう、私のだいすきなちゅうちゃん。
一緒にいたい。離れたくない。ちゅうちゃんがいないようちえんなら、もう行きたくなんかない。
「……わかった」
頑是なく泣き続ける私を真っ直ぐに見つめて、ちゅうちゃんが云った。潤んでも、決して下を向くことのない目。
「おれ、ちゃんとおまえのことむかえにくる。せかいでいちばんつよくてかっこいいおとこになって、おまえのこと、むかえにきてやるから。だから、なくな」
目の前に見せられた、小さな指。
「……やくそく?」
「ああ、やくそくだ」
「ほんとに? ほんとのほんとに、また、ちゅうちゃんとあえる?」
「ほんとのほんとだ。ぜったい、あいにくる。だから、まってろ」
涙を堪 えて、ぎゅっと寄った眉。震える唇を懸命に抑えて私の名前を呼ぶ、小鳥みたいな声。
「……うん」
目許 をぐしぐしと擦りながら、片手を差し出す。ちゅうちゃんの小指と私の小指を絡めて、きゅっと握った。
「まってる。ちゅうちゃんは、わたしのおうじさまだもん」
そう笑うと、ちゅうちゃんは小さく頷いて、絡めた小指に力を込めた。
ゆびきりげんまん、のあの感触を、私は今も、鮮明に覚えている。
❀❀❀
「——ってば、ねえ。起きなさいよ」
遠くから、声が聞こえる。聞き慣れた声。重たい瞼をうっすらと持ち上げると、ふわりと舞う白いカーテンと、私を見下ろす友人の影とが、ぼんやりと霞んでいる。外の桜よりも鮮烈な髪色に、どこか気怠そうな瞳。
小さく唸って、突っ伏していた机から身体を起こす。ずっと頭を乗せていたから、腕が少しだけ痺れていた。
「おはよ、寝坊助 。授業、もう終わったよ」
「うーん……」
ぱしぱしと瞬 きしながら、教室を見廻す。英語の例文が並んだ板書は、もう半分くらい消されていて、みんなもおしゃべりしながら帰り支度を始めている。
「また王子様 の夢?」
「うん。今日もかっこよかった」
まだ少し眠気の残ったまま答えると、
「相変わらずね」
と呆れられる。いつも通りだ。
ぐうっと伸びをして、起こしてくれた友人——ゆうちゃんに眉を下げて笑いかける。
「ごめん、ノート見せてもらってもいい?」
「また数学教えてくれるなら」
「もちろん!」
小さくガッツポーズする彼女は、幼稚園生の頃からの友人だ。柚杏 という可愛らしい名前と、可憐な容姿。儚げな印象とは裏腹に、気が強くて頼りになる。ここの中等部に揃って入学してからは、英語と数学を教え合って、どうにか一緒に進級している仲でもある。私たちのやり取りに、またやってる、と笑うクラスメイト。
高校一年生、四月。誰もが不安と期待でいっぱいなこの季節も、私は心穏やかに笑っている。
ここは、中高一貫の女子校だ。クラスの半分は外部からの編入生だけど、内部進学組である私は、隣の校舎にお引越ししてきた程度の感慨しかない。
入学して一週間。今は見知った友人ばかりに囲まれているけれど、少しずつ、新しい友人も増えていくだろう。どこに行ってもゆうちゃんが一緒にいてくれることも相まって、知り合いがひとりもいないところに飛び込んでいくときの不安は、私の記憶にはほとんどいない。
余白だらけのノートを鞄にしまっていると、スマートフォンが震えて、画面に通知が踊った。ママからのメッセージだ。今日の夕飯は、麻婆豆腐に決まったらしい。私の好物だからと、わざわざ連絡してくれたのだ。もちもちした猫のスタンプの後ろに、幼いちゅうちゃんと私が並んで笑う。初めてスマホを持ったときから、私はずっと、この写真を背景に設定していた。また会えると信じ続けるための、私のお守り。
喜んで走り回る柴犬のスタンプなんかで、会話を数往復続ける。今日は帰りのおつかいはないようだ。他にも放課後の予定はないから、のんびりと帰り支度を進める。ファミレス寄ってく?なんて言葉に生返事を返していると、ドタバタと廊下から足音が聞こえて、さっき教室を出ていったはずのクラスメイトが勢い良く扉を開けた。息を切らした彼女が、ひどく興奮した様子で私を呼ぶ。
「——王子様!」
「え?」
「門のところに、王子様がいる!」
「なくなよ!」
そう云って私の頬にタオルハンカチをぐいぐいと押し当ててくる彼だって、必死に涙を
ぐずぐず鼻を鳴らしながら、彼に抱きつく。幼いが故にまろさのそう変わらない肩。
「だって……だって、ちゅうちゃんがぁ……!」
ぎゅうっと抱きしめ返してくれる細い腕。
ちゅうちゃん。おうちがお隣で、朝から夕方まで、泣き虫で弱虫な私といつも一緒にいてくれた、元気いっぱいの男の子。〝おうちのじじょう〟でどこか遠くへ行ってしまう、私のだいすきなちゅうちゃん。
一緒にいたい。離れたくない。ちゅうちゃんがいないようちえんなら、もう行きたくなんかない。
「……わかった」
頑是なく泣き続ける私を真っ直ぐに見つめて、ちゅうちゃんが云った。潤んでも、決して下を向くことのない目。
「おれ、ちゃんとおまえのことむかえにくる。せかいでいちばんつよくてかっこいいおとこになって、おまえのこと、むかえにきてやるから。だから、なくな」
目の前に見せられた、小さな指。
「……やくそく?」
「ああ、やくそくだ」
「ほんとに? ほんとのほんとに、また、ちゅうちゃんとあえる?」
「ほんとのほんとだ。ぜったい、あいにくる。だから、まってろ」
涙を
「……うん」
「まってる。ちゅうちゃんは、わたしのおうじさまだもん」
そう笑うと、ちゅうちゃんは小さく頷いて、絡めた小指に力を込めた。
ゆびきりげんまん、のあの感触を、私は今も、鮮明に覚えている。
❀❀❀
「——ってば、ねえ。起きなさいよ」
遠くから、声が聞こえる。聞き慣れた声。重たい瞼をうっすらと持ち上げると、ふわりと舞う白いカーテンと、私を見下ろす友人の影とが、ぼんやりと霞んでいる。外の桜よりも鮮烈な髪色に、どこか気怠そうな瞳。
小さく唸って、突っ伏していた机から身体を起こす。ずっと頭を乗せていたから、腕が少しだけ痺れていた。
「おはよ、
「うーん……」
ぱしぱしと
「また
「うん。今日もかっこよかった」
まだ少し眠気の残ったまま答えると、
「相変わらずね」
と呆れられる。いつも通りだ。
ぐうっと伸びをして、起こしてくれた友人——ゆうちゃんに眉を下げて笑いかける。
「ごめん、ノート見せてもらってもいい?」
「また数学教えてくれるなら」
「もちろん!」
小さくガッツポーズする彼女は、幼稚園生の頃からの友人だ。
高校一年生、四月。誰もが不安と期待でいっぱいなこの季節も、私は心穏やかに笑っている。
ここは、中高一貫の女子校だ。クラスの半分は外部からの編入生だけど、内部進学組である私は、隣の校舎にお引越ししてきた程度の感慨しかない。
入学して一週間。今は見知った友人ばかりに囲まれているけれど、少しずつ、新しい友人も増えていくだろう。どこに行ってもゆうちゃんが一緒にいてくれることも相まって、知り合いがひとりもいないところに飛び込んでいくときの不安は、私の記憶にはほとんどいない。
余白だらけのノートを鞄にしまっていると、スマートフォンが震えて、画面に通知が踊った。ママからのメッセージだ。今日の夕飯は、麻婆豆腐に決まったらしい。私の好物だからと、わざわざ連絡してくれたのだ。もちもちした猫のスタンプの後ろに、幼いちゅうちゃんと私が並んで笑う。初めてスマホを持ったときから、私はずっと、この写真を背景に設定していた。また会えると信じ続けるための、私のお守り。
喜んで走り回る柴犬のスタンプなんかで、会話を数往復続ける。今日は帰りのおつかいはないようだ。他にも放課後の予定はないから、のんびりと帰り支度を進める。ファミレス寄ってく?なんて言葉に生返事を返していると、ドタバタと廊下から足音が聞こえて、さっき教室を出ていったはずのクラスメイトが勢い良く扉を開けた。息を切らした彼女が、ひどく興奮した様子で私を呼ぶ。
「——王子様!」
「え?」
「門のところに、王子様がいる!」
