中原中也夢小説
※解説欄必読です
恐ろしい夢を見て、目が覚めた。
カーテンの隙間からは陽光が零れていて、とうに夜は明けたのだと知る。枕元の時計を見ると、まだ起きるには早い時間だった。せっかくの休日なのに、あんなに酷い夢を見るとは。叫んで飛び起きるようなものではなかったが、たしかにこちらの精神 をじとりと侵してくる悪夢だった。
最悪の気分で、二度寝なんてできやしない。頭にかかった靄を打ち消したくてごろんと寝返りをうつと、綺麗な青い瞳がこちらを見ていた。
「っ……!?」
驚きのあまり声が出ない私を見て、中原さんは笑う。
「今日は早起きだな」
「……目が……覚めて、しまって……」
ばくばくと逸る心臓を押さえて、どうにか言葉を紡ぐ。
「中原さんこそ、早いですね。今日はお休みなのに」
「変な夢見ててよ。俺も、目が覚めちまった」
そう云って、中原さんは天井を見上げる。伸ばした手の表裏を眺めて、続けた。
「異世界、っつうのか? そういうとこに行く夢だ」
「それは……大変、でしたね?」
異世界なんてものは想像もつかなくて、疑問形になってしまう。
「それが、そうでもなくてなァ。その世界のお姫様が扶けてくれんだ」
優しい横顔に、心臓が軋む。やわらかな朝陽が部屋を彩っていくけれど、私の胸の中では、まだあの悪夢が渦巻いている。
「夢の世界のお姫様なら、きっと素敵なひとなんでしょうね」
自分でも驚くほど棘のある声が出てしまう。でも、それを取り繕うなんてこともできなくて、狭量さに目も当てられない。
眠りが深いからなのか、中原さんは、見た夢を覚えていることが滅多にないらしい。それなのにこうして覚えていて、しかも、朝一番に話したがるなんて。余程、好い夢だったのだろう。
惨めさに顔を見られないでいると、名前を呼ばれる。そっと目線を上げれば、ちょっと目を丸くして、
「覚えてねえのか?」
なんて問われた。
「……何を、ですか」
「夢ン中のこと。てっきり、お前も同じ夢見てたと思ったんだが」
わけがわからない。夢なんて、寝ている間に脳みそが見せるただの幻で、そこに一貫性も有意性もあるわけがない。同じベッドで、同じ枕で。それでも、夢まで同じ道理はない。それなのに、中原さんは私の頬を撫でて、うすらと笑う。
「お姫様やってるお前も、可愛かったぜ」
呼吸が、止まる。甘い声が耳から全身に回って、毒みたいに私の鼓動をおかしくする。逸る心臓が血液を回して鈍った思考を急かすから、とんだ勘違いに気づいてしまった。恥ずかしいやら嬉しいやら、ぐちゃぐちゃになった感情を誤魔化すように、中原さんに抱きついて、その胸に顔を埋めた。
「ははっ! 自分に嫉妬するとか、可愛いやつ」
「い……云わないでください……」
よしよしと頭を撫でられる。子供扱いは嫌だけど、あたたかな手のひらは心地好い。莫迦な私を受け入れて愛してくれるのは、やっぱり彼だけだった。
「お前は? なんか夢見てたのか?」
「……はい」
思い出して、指先が震える。それをそっと絡めとられて、ああ、好きだなあ、なんて。
「……こわい夢、でした」
そこは、中原さんのいない世界 だった。私の大好きな中原中也というひとは実在しなくて、でも、私は彼のことを知っていて。どんなに会いたくても、恋しくても、目を合わせることすら叶わない。いっそ嫌いになれたらとさえ思うのに、あなたは日常のどんな些細なできごとにも面影を残していた。忘れようとするほど強く思い出して、あなたのことが好きになって、その感情の重さで死んでしまえたらと願うほど。そういう、残酷な世界の夢だった。
暗い夢が、まだ寝室に揺蕩っている。中原さんがどこかへ消えてしまって、私はひとりで取り残されて、それでも生きていかなくてはいけない。そんな幻が、幻にすぎない気配が、私をじくじくと蝕んでいく。
「ああ……そういうことか」
視界が潤んだ私をかき抱いて、中原さんは云った。
「その世界のお前が、夢の世界のお姫様になって、俺に会いに来てくれたんだな」
大事なものを宝箱にしまうような、思い出をアルバムに貼りつけるような。そんな穏やかな声音に、夢の残響が霧散していく。触れた体温はたしかにここにあって、私を抱いてくれている。
「……中原さんのほうが、後から来たんでしょう?」
「ああ。わかってたんだろ、きっと」
御伽噺みたいな言葉。何の根拠も確証もなくて、それでも、それを信じたかった。中原さんを好きになる私は、どれも間違いじゃないと思いたい。
中原さんの香りが鼻腔をくすぐる。世界で一番大好きな、穏やかで、どこか甘い香り。
「なァ」
降ってきた声に顔を上げる。やさしい口づけ。離れるとすぐに鼻先をくっつけて、私の瞳を覗き込んだ。綺麗な青い瞳の中、私が映り込んでいるのが見える。
「好きだぜ」
こんな自分を肯定するに足る、たった一つの魔法。夢の中の私が求めてやまなくて、手を伸ばし続けたもの。溢れそうになった涙を必死に堪える。
「……中原さん」
「ん?」
「ずっと、好きでいさせてくださいね」
そう云うと、中原さんは楽しそうに笑って、私の頭を撫でた。髪の毛をするりと梳いて、引き寄せるようにして、こつんと額を合わせる。
「任せとけ。絶対逃がさねえよ」
その笑顔こそが私の全部だと錯覚してしまう。それで良かった。そう思わせてくれるあなたが良かった。ぎゅっと抱きついて、涙混じりの声を漏らす。
「大好きです、中原さん」
恐ろしい夢を見て、目が覚めた。
カーテンの隙間からは陽光が零れていて、とうに夜は明けたのだと知る。枕元の時計を見ると、まだ起きるには早い時間だった。せっかくの休日なのに、あんなに酷い夢を見るとは。叫んで飛び起きるようなものではなかったが、たしかにこちらの
最悪の気分で、二度寝なんてできやしない。頭にかかった靄を打ち消したくてごろんと寝返りをうつと、綺麗な青い瞳がこちらを見ていた。
「っ……!?」
驚きのあまり声が出ない私を見て、中原さんは笑う。
「今日は早起きだな」
「……目が……覚めて、しまって……」
ばくばくと逸る心臓を押さえて、どうにか言葉を紡ぐ。
「中原さんこそ、早いですね。今日はお休みなのに」
「変な夢見ててよ。俺も、目が覚めちまった」
そう云って、中原さんは天井を見上げる。伸ばした手の表裏を眺めて、続けた。
「異世界、っつうのか? そういうとこに行く夢だ」
「それは……大変、でしたね?」
異世界なんてものは想像もつかなくて、疑問形になってしまう。
「それが、そうでもなくてなァ。その世界のお姫様が扶けてくれんだ」
優しい横顔に、心臓が軋む。やわらかな朝陽が部屋を彩っていくけれど、私の胸の中では、まだあの悪夢が渦巻いている。
「夢の世界のお姫様なら、きっと素敵なひとなんでしょうね」
自分でも驚くほど棘のある声が出てしまう。でも、それを取り繕うなんてこともできなくて、狭量さに目も当てられない。
眠りが深いからなのか、中原さんは、見た夢を覚えていることが滅多にないらしい。それなのにこうして覚えていて、しかも、朝一番に話したがるなんて。余程、好い夢だったのだろう。
惨めさに顔を見られないでいると、名前を呼ばれる。そっと目線を上げれば、ちょっと目を丸くして、
「覚えてねえのか?」
なんて問われた。
「……何を、ですか」
「夢ン中のこと。てっきり、お前も同じ夢見てたと思ったんだが」
わけがわからない。夢なんて、寝ている間に脳みそが見せるただの幻で、そこに一貫性も有意性もあるわけがない。同じベッドで、同じ枕で。それでも、夢まで同じ道理はない。それなのに、中原さんは私の頬を撫でて、うすらと笑う。
「お姫様やってるお前も、可愛かったぜ」
呼吸が、止まる。甘い声が耳から全身に回って、毒みたいに私の鼓動をおかしくする。逸る心臓が血液を回して鈍った思考を急かすから、とんだ勘違いに気づいてしまった。恥ずかしいやら嬉しいやら、ぐちゃぐちゃになった感情を誤魔化すように、中原さんに抱きついて、その胸に顔を埋めた。
「ははっ! 自分に嫉妬するとか、可愛いやつ」
「い……云わないでください……」
よしよしと頭を撫でられる。子供扱いは嫌だけど、あたたかな手のひらは心地好い。莫迦な私を受け入れて愛してくれるのは、やっぱり彼だけだった。
「お前は? なんか夢見てたのか?」
「……はい」
思い出して、指先が震える。それをそっと絡めとられて、ああ、好きだなあ、なんて。
「……こわい夢、でした」
そこは、
暗い夢が、まだ寝室に揺蕩っている。中原さんがどこかへ消えてしまって、私はひとりで取り残されて、それでも生きていかなくてはいけない。そんな幻が、幻にすぎない気配が、私をじくじくと蝕んでいく。
「ああ……そういうことか」
視界が潤んだ私をかき抱いて、中原さんは云った。
「その世界のお前が、夢の世界のお姫様になって、俺に会いに来てくれたんだな」
大事なものを宝箱にしまうような、思い出をアルバムに貼りつけるような。そんな穏やかな声音に、夢の残響が霧散していく。触れた体温はたしかにここにあって、私を抱いてくれている。
「……中原さんのほうが、後から来たんでしょう?」
「ああ。わかってたんだろ、きっと」
御伽噺みたいな言葉。何の根拠も確証もなくて、それでも、それを信じたかった。中原さんを好きになる私は、どれも間違いじゃないと思いたい。
中原さんの香りが鼻腔をくすぐる。世界で一番大好きな、穏やかで、どこか甘い香り。
「なァ」
降ってきた声に顔を上げる。やさしい口づけ。離れるとすぐに鼻先をくっつけて、私の瞳を覗き込んだ。綺麗な青い瞳の中、私が映り込んでいるのが見える。
「好きだぜ」
こんな自分を肯定するに足る、たった一つの魔法。夢の中の私が求めてやまなくて、手を伸ばし続けたもの。溢れそうになった涙を必死に堪える。
「……中原さん」
「ん?」
「ずっと、好きでいさせてくださいね」
そう云うと、中原さんは楽しそうに笑って、私の頭を撫でた。髪の毛をするりと梳いて、引き寄せるようにして、こつんと額を合わせる。
「任せとけ。絶対逃がさねえよ」
その笑顔こそが私の全部だと錯覚してしまう。それで良かった。そう思わせてくれるあなたが良かった。ぎゅっと抱きついて、涙混じりの声を漏らす。
「大好きです、中原さん」