#文スト夢深夜の60分一本勝負
「中也さん、今度、映画を観に行きましょう」
「おう、いいぜ」
「中也さん、お昼はパスタが食べたいです」
「なら、あの店にするか」
「中也さん、あそこの服屋さんが見たいです」
「いいぜ。せっかくなら購ってやるよ」
「……中也さん」
「ん? どうした」
隣で歩く中也さんを見上げる。涼しげな顔。今日一日、ずっとこの調子だ。日が暮れかけて私を送っていくこの道のりも、彼にはなんてことはないのだろう。軽やかな足取りも、穏やかな声も、気に入らない。だから。
「ちょっとうちに寄っていきませんか?」
自分で思ったよりも、静かな声が出た。それはひゅうと吹いた風に乗って、けれど攫われることなく、中也さんの耳に届いたらしい。ぴたりと彼の脚が止まる。
「……いいのか?」
「ええ。珈琲お淹れしますね」
繋いだ手に少しだけ力が籠ったのがわかって、少し嬉しくなる。黙ってしまった彼の横顔。してやったり、と密かに思う。私の心臓ばかりが逸るのは、なんだか悔しい。
沈黙のまま、私の住むマンションに着く。エレベーターの中でも彼は静かで、でも、絡めた手指はしっかりと離されない。
「……どうぞ」
玄関を上がるのも、リビングへ入るのも、中也さんはいくらか躊躇っていた。促せば、少し目を泳がせてから、ソファの端のほうに座る。私のほうを見ようとはしない。
私の部屋に、中也さんがいる。震えそうになる指先を抑えつつ、珈琲を淹れる。別に揶揄いたいわけではなかったけれど、私まで動揺しているだなんて悟られたくはなかった。
珈琲をお出しすると中也さんは何やらもごもごとお礼を云って、また黙ってしまった。中也さんの隣に、少しだけ間を空けて座る。部屋の中で、ゆらゆらと立つ湯気と時計の針だけが動いている。
「……あの」
ようやく出した声は掠れてしまった。中也さんがちらりとこちらを見る。
「今日の、映画。面白かったですね」
「ああ……。主人公、滅茶苦茶だったけどな」
「ふふ。たぶん、それが良いんです。主人公なんですから」
その映画の主人公は、熱くて、真っ直ぐで、ちょっとだけ馬鹿な男の子だった。いかにも主人公らしい力強さで、物語を引っ張っていく。中也さんと似ているところも、似ていないところもあって、でも、彼が云うように、とにかく滅茶苦茶だった。
どちらか選べと云われて、どちらも選ぶ。理不尽な要求も押し通す。簡単にはできないような、許されないようなことをやってのけて、それが心地好かった。
「あの告白のシーンなんて、すごかったですもんね」
僕の全部をあげるから、君の全部をくれ。そんな、時代遅れだと糾弾されそうな台詞。
「あれなァ。身勝手過ぎんだろ」
そう云って、中也さんは少し笑った。その横顔は、どこか寂しげだ。
「そうですか? 私、好きでしたけど」
「そうなのか?」
「ええ。だって、」
そこまで云って、ちょっと躊躇う。でも、中也さんを部屋に上げた時点で、云わなきゃ終われないことだった。
「だって、恋ってそういうものじゃないですか」
きょとん、という効果音が付きそうな顔で、中也さんがこちらを見る。彼はいつだって私の意見を聞いてくれて、無茶なことなんて云わない。
「好きだから共有したいものとか、行きたいところとか、あるでしょう。してほしいことも、してあげたいことも。そういう、身勝手とか、理不尽とかが恋なんじゃないかなって、思うんです」
私が行きたいと云えばついてきてくれる。一緒に見たいものを見てくれる。今日の映画だって、そんなに好きなジャンルじゃなかったのかもしれないのに。
「……ねえ、中也さん。中也さんは、私にそういうの、ないんですか?」
「……そういうのって、何だよ」
「だから、したいこととか、してほしいこととか、です。あの主人公みたいな身勝手」
ないんですか? ともう一度問うと、中也さんはそっと目を逸らした。
「なんでそんなこと訊くんだよ」
「……わかってるくせに」
中也さんは私の我儘を受け入れてくれる。でも、それだけだ。彼は今まで、私にひとつも我儘を零したことはなかった。いつだって彼のほうが上手で、私が優しくされていて。私ばかりが恋をしているみたいで、嫌だった。
「……私のこと、好きじゃないんですか?」
「好きに決まってんだろ!」
驚いてつい肩が跳ねる。それを見た中也さんははっと息を呑んで、悪い、と小さく呟いた。
「……俺は。お前が一緒にいてくれりゃ、それでいいんだ」
「嘘。そんなわけないです」
「なんでわかる」
「中也さんのこと、好きだからです」
好きだから、欲が出る。中也さんにだって、それがあるはずだ。
「ね、中也さん。我儘、云ってくださいよ。身勝手だっていいんです。私だって、たくさん我儘聞いてもらってるんですから」
そうやって理不尽な愛をぶつけ合って、互いの心臓を踏みにじって、消えない足跡を刻みつけて。あなたとなら、そういう恋がしたかった。
「……いいのかよ」
「え?」
「俺がお前に向ける『これ』がどんなもんか、知らねえだろ」
じっと見つめてくる瞳には私の知らない熱が篭っていて、その表情はどこか苦しげだ。
「傷つけたくねえんだよ。怖がらせたくもねえ。お前のこと、大事にしたいと思ってんだ」
思わず、中也さんの手を握る。私よりひと回り大きなそれは少しだけ震えていた。あたたかい。
「私、中也さんのこと、好きなんですよ。大事にしてくれるのも、優しくしてくれるのも嬉しいですけど、でも、中也さんが私に向けてくれるものなら、欲しいです。……中也さんの全部が、欲しいんです」
楽しいことも苦しいことも分け合って、我儘もぶつけて、喧嘩もして、一緒に歩いていきたいのだ。
「……滅茶苦茶なこと云いやがって」
「ふふ。私の我儘、中也さんはいつも聞いてくれるので。今日一番の我儘です」
そう返すと、中也さんは観念したように息を吐いた。すっと顔を上げた彼の目はどこか肉食獣じみた光が宿っている。
「いいんだな?」
「はい」
重ねていた手をぎゅっと握り返される。そのまま引き寄せられて、唇が重なった。普段ならそれだけで終わるはずのキスが、何度も音を立てて繰り返される。驚いて目を見開くと、中也さんは少し笑っていた。今度は長く口付けられて、呼吸ができなくなる。つい中也さんの腕を掴んでしまう。するとちろりと唇を舐められて、わずかな隙間から舌が侵入してきた。
深いキスだなんて、初めてだ。中也さんはいつも優しくて、軽いキスしかしてくれなかった。彼の舌が、私の舌を捕まえる。その熱さにドキドキしてしまう。
どれだけの時間、そうしていただろう。口の中を隅から隅まで蹂躙されて、口の端から唾液が零れてしまう。ちゅ、と音を立てて中也さんが離れていった頃には、ふらふらになっていた。
「……今日はこんなもん、な」
ぺろりと唇を舐める中也さんの表情はやたらと色っぽくて、心臓がきゅっとする。
「手前が云ったんだからな? 我儘云えって」
こくりと頷く。
「……中也さん」
「ん?」
「嬉しい、です」
中也さんの我儘が、私に向けている身勝手が、彼も私のことを好きなんだと証明してくれているみたいで、嬉しい。
たまらなくなって、ぎゅっと抱きつく。それを抱きとめて撫でてくれる手が、大好きだ。
「我儘、これからはたくさん云ってくださいね」
「……敵わねえなァ」
今までならば優しいだけだった抱擁が、力強いものへと変わる。痛いくらいのその腕の感覚が、心地好い。
「なァ」
「はい」
「ちゃんと、お前の全部もくれよ?」
少し考えてから、さっきの言葉への返事だと気づく。
「はい、もちろん。我儘も、理不尽も、全部あげます」
少しだけ身体を離されて、じっと見つめられる。私のほうからキスすると、中也さんは嬉しそうに笑った。
「おう、いいぜ」
「中也さん、お昼はパスタが食べたいです」
「なら、あの店にするか」
「中也さん、あそこの服屋さんが見たいです」
「いいぜ。せっかくなら購ってやるよ」
「……中也さん」
「ん? どうした」
隣で歩く中也さんを見上げる。涼しげな顔。今日一日、ずっとこの調子だ。日が暮れかけて私を送っていくこの道のりも、彼にはなんてことはないのだろう。軽やかな足取りも、穏やかな声も、気に入らない。だから。
「ちょっとうちに寄っていきませんか?」
自分で思ったよりも、静かな声が出た。それはひゅうと吹いた風に乗って、けれど攫われることなく、中也さんの耳に届いたらしい。ぴたりと彼の脚が止まる。
「……いいのか?」
「ええ。珈琲お淹れしますね」
繋いだ手に少しだけ力が籠ったのがわかって、少し嬉しくなる。黙ってしまった彼の横顔。してやったり、と密かに思う。私の心臓ばかりが逸るのは、なんだか悔しい。
沈黙のまま、私の住むマンションに着く。エレベーターの中でも彼は静かで、でも、絡めた手指はしっかりと離されない。
「……どうぞ」
玄関を上がるのも、リビングへ入るのも、中也さんはいくらか躊躇っていた。促せば、少し目を泳がせてから、ソファの端のほうに座る。私のほうを見ようとはしない。
私の部屋に、中也さんがいる。震えそうになる指先を抑えつつ、珈琲を淹れる。別に揶揄いたいわけではなかったけれど、私まで動揺しているだなんて悟られたくはなかった。
珈琲をお出しすると中也さんは何やらもごもごとお礼を云って、また黙ってしまった。中也さんの隣に、少しだけ間を空けて座る。部屋の中で、ゆらゆらと立つ湯気と時計の針だけが動いている。
「……あの」
ようやく出した声は掠れてしまった。中也さんがちらりとこちらを見る。
「今日の、映画。面白かったですね」
「ああ……。主人公、滅茶苦茶だったけどな」
「ふふ。たぶん、それが良いんです。主人公なんですから」
その映画の主人公は、熱くて、真っ直ぐで、ちょっとだけ馬鹿な男の子だった。いかにも主人公らしい力強さで、物語を引っ張っていく。中也さんと似ているところも、似ていないところもあって、でも、彼が云うように、とにかく滅茶苦茶だった。
どちらか選べと云われて、どちらも選ぶ。理不尽な要求も押し通す。簡単にはできないような、許されないようなことをやってのけて、それが心地好かった。
「あの告白のシーンなんて、すごかったですもんね」
僕の全部をあげるから、君の全部をくれ。そんな、時代遅れだと糾弾されそうな台詞。
「あれなァ。身勝手過ぎんだろ」
そう云って、中也さんは少し笑った。その横顔は、どこか寂しげだ。
「そうですか? 私、好きでしたけど」
「そうなのか?」
「ええ。だって、」
そこまで云って、ちょっと躊躇う。でも、中也さんを部屋に上げた時点で、云わなきゃ終われないことだった。
「だって、恋ってそういうものじゃないですか」
きょとん、という効果音が付きそうな顔で、中也さんがこちらを見る。彼はいつだって私の意見を聞いてくれて、無茶なことなんて云わない。
「好きだから共有したいものとか、行きたいところとか、あるでしょう。してほしいことも、してあげたいことも。そういう、身勝手とか、理不尽とかが恋なんじゃないかなって、思うんです」
私が行きたいと云えばついてきてくれる。一緒に見たいものを見てくれる。今日の映画だって、そんなに好きなジャンルじゃなかったのかもしれないのに。
「……ねえ、中也さん。中也さんは、私にそういうの、ないんですか?」
「……そういうのって、何だよ」
「だから、したいこととか、してほしいこととか、です。あの主人公みたいな身勝手」
ないんですか? ともう一度問うと、中也さんはそっと目を逸らした。
「なんでそんなこと訊くんだよ」
「……わかってるくせに」
中也さんは私の我儘を受け入れてくれる。でも、それだけだ。彼は今まで、私にひとつも我儘を零したことはなかった。いつだって彼のほうが上手で、私が優しくされていて。私ばかりが恋をしているみたいで、嫌だった。
「……私のこと、好きじゃないんですか?」
「好きに決まってんだろ!」
驚いてつい肩が跳ねる。それを見た中也さんははっと息を呑んで、悪い、と小さく呟いた。
「……俺は。お前が一緒にいてくれりゃ、それでいいんだ」
「嘘。そんなわけないです」
「なんでわかる」
「中也さんのこと、好きだからです」
好きだから、欲が出る。中也さんにだって、それがあるはずだ。
「ね、中也さん。我儘、云ってくださいよ。身勝手だっていいんです。私だって、たくさん我儘聞いてもらってるんですから」
そうやって理不尽な愛をぶつけ合って、互いの心臓を踏みにじって、消えない足跡を刻みつけて。あなたとなら、そういう恋がしたかった。
「……いいのかよ」
「え?」
「俺がお前に向ける『これ』がどんなもんか、知らねえだろ」
じっと見つめてくる瞳には私の知らない熱が篭っていて、その表情はどこか苦しげだ。
「傷つけたくねえんだよ。怖がらせたくもねえ。お前のこと、大事にしたいと思ってんだ」
思わず、中也さんの手を握る。私よりひと回り大きなそれは少しだけ震えていた。あたたかい。
「私、中也さんのこと、好きなんですよ。大事にしてくれるのも、優しくしてくれるのも嬉しいですけど、でも、中也さんが私に向けてくれるものなら、欲しいです。……中也さんの全部が、欲しいんです」
楽しいことも苦しいことも分け合って、我儘もぶつけて、喧嘩もして、一緒に歩いていきたいのだ。
「……滅茶苦茶なこと云いやがって」
「ふふ。私の我儘、中也さんはいつも聞いてくれるので。今日一番の我儘です」
そう返すと、中也さんは観念したように息を吐いた。すっと顔を上げた彼の目はどこか肉食獣じみた光が宿っている。
「いいんだな?」
「はい」
重ねていた手をぎゅっと握り返される。そのまま引き寄せられて、唇が重なった。普段ならそれだけで終わるはずのキスが、何度も音を立てて繰り返される。驚いて目を見開くと、中也さんは少し笑っていた。今度は長く口付けられて、呼吸ができなくなる。つい中也さんの腕を掴んでしまう。するとちろりと唇を舐められて、わずかな隙間から舌が侵入してきた。
深いキスだなんて、初めてだ。中也さんはいつも優しくて、軽いキスしかしてくれなかった。彼の舌が、私の舌を捕まえる。その熱さにドキドキしてしまう。
どれだけの時間、そうしていただろう。口の中を隅から隅まで蹂躙されて、口の端から唾液が零れてしまう。ちゅ、と音を立てて中也さんが離れていった頃には、ふらふらになっていた。
「……今日はこんなもん、な」
ぺろりと唇を舐める中也さんの表情はやたらと色っぽくて、心臓がきゅっとする。
「手前が云ったんだからな? 我儘云えって」
こくりと頷く。
「……中也さん」
「ん?」
「嬉しい、です」
中也さんの我儘が、私に向けている身勝手が、彼も私のことを好きなんだと証明してくれているみたいで、嬉しい。
たまらなくなって、ぎゅっと抱きつく。それを抱きとめて撫でてくれる手が、大好きだ。
「我儘、これからはたくさん云ってくださいね」
「……敵わねえなァ」
今までならば優しいだけだった抱擁が、力強いものへと変わる。痛いくらいのその腕の感覚が、心地好い。
「なァ」
「はい」
「ちゃんと、お前の全部もくれよ?」
少し考えてから、さっきの言葉への返事だと気づく。
「はい、もちろん。我儘も、理不尽も、全部あげます」
少しだけ身体を離されて、じっと見つめられる。私のほうからキスすると、中也さんは嬉しそうに笑った。