#文スト夢深夜の60分一本勝負

「ねえ中原さん! やっぱり私も行かなきゃダメですか?」
「駄目だ」
 きっぱりと云い切られて、またカエルのような声を出す。ポートマフィア本部ビル、執務室。書類は全部片付けて、私を悩ますのは今夜の仕事だけだ。
 淡々と書類を繰りながら、中原さんが云う。
「いい加減諦めろ。適当にやってりゃ終わるしよ」
「そりゃあ、中原さんはそういうの得意でしょうけど!」
 抗議の声は無視されてしまう。非道い上司だ。
 今日は、ポートマフィアと協力関係にある組織らとの夜会がある。協力体制継続の確認と、水面下の探り合い。ヨコハマ裏社会の趨勢を支配する談笑がそこかしこから聞こえてくる。ポートマフィア五大幹部である中原さんの秘書として、私も同行したことはある。でも、何度行っても慣れなかった。
「やっぱりやめましょうよう。私なんか連れてっても意味ないですって!」
「ったく、何がそんなに嫌なんだよ」
 手にしていた書類をばさりと置いて、頬杖をつきながら問うてくる。
「だって、知らない男の人たちがたくさん話しかけてくるじゃないですか! 全然興味ないのに!」
「ああ……そういうことか」
「そういうことです!」
 叫んで、机に突っ伏す。マフィアの女だからと寄ってくる男たち。あの目が、女であることを呪わなくてはいけない瞬間が、大嫌いだ。
 コツコツと近付いてくる足音に、愚痴を零さずにいられない。
「中原さんは、綺麗な女の人たちに囲まれて楽しそうですけど……」
「……は?」
 素っ頓狂な声に、ちょっとだけ顔を上げてみた。すぐそばまで来ていた中原さんが、目を丸くしてこちらを見ている。
「どうせ毎回、一人や二人引っ掛けて遊んでるんでしょう。わかってるんですからね!」
「ンなわけねえだろ莫迦。俺は本命以外にゃ手ェ出さねえよ」
「えっ、意外」
「手前、俺を何だと思ってやがる」
 額に軽いデコピンを喰らう。いたい。
 べちょ、ともう一度机に突っ伏してみる。
「どうにかなりませんか、中原さん……」
「そうだな……姐さんは、そういうときは指輪つけてくって云ってたな」
「指輪、ですか?」
 思わず鸚鵡返ししてしまう。指輪なんて、何になるのだろう。
「左手の薬指が埋まってりゃ、そういう目的の男は寄ってこねえだろ」
「……なるほど」
 納得しつつ、自分の左手を見る。たしかにそこには何もなくて、今後誰かのものになる予定もない。それが寂しいとは思わないし、適当な飾りで面倒が減るなら、それで良いかもしれない。
 ぼんやり眺めてから、ふと悪戯心が芽生えて、中原さんのほうに手を差し出した。
「じゃあ、指輪、中原さんがはめてくださいよ」
 なんちゃって。そうやって引っ込めようとした左手が、ぱしりと捕まってしまう。革手袋の感触がするりと手のひらを撫でた。
「いいぜ」
「……へ?」
「その代わり……この指、今日だけで返してやる保証はねえぞ?」
 左手薬指に唇が落とされて、ぶわ、と熱が広がっていく。
「な、なな、なん、な……っ」
「はは。顔真っ赤だな」
 笑う中原さんの手が、もう一度私の指を撫でてから離れた。
「か、から……揶揄わないでください……!」
「はァ? 揶揄ってねえよ。云ったろ、本命以外には手ェ出さねえって」
 真っ直ぐ見つめてくる目とはっきり耳に届く声で、彼の言葉は本当だと理解してしまった。まだ熱をもっている左手をそっと隠す。
「か……考えさせてください……」
「つっても、今まで散々待ったからなァ。これ以上は待てねえかもしれないぜ?」
 今まで出したことのないような、変な声が出てしまう。それを聞いた中原さんの笑い声が、やけに耳に残る。ぐるぐると混乱する頭の中で、今夜の仕事は本当に手につかないだろうことだけわかった。
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