#文スト夢深夜の60分一本勝負

「夜なんて明けなければいいのに」
 ぽつり、と腕の中で呟いた言葉を、中也さんは聞き逃さなかった。
 私の頭を撫でてくれていた手が止まって、頬を滑る。促されてそっと顔を上げると、眉を下げた中也さんの顔が見えた。ベッドサイドの灯りに照らされて、あたたかな色の髪がかすかに光る。
「……ごめんなさい、変なこと云って」
「いや。全部叶えるって保障はできねえが、何かあるなら云ってくれ」
 やさしい声音に、胸がきゅっとする。厚い胸板に頬を擦り寄せると、大きな手のひらで背中をさすられた。規則正しい鼓動と呼吸音。直接触れた体温に、溶けてしまいたい。
「朝になったら、中也さん、またお仕事に行っちゃうから」
 涙ぐんでいることを悟られないように、中也さんの身体に縋りつく。
「あのね、私、ちゃんとわかってますから。中也さんにとって、お仕事がすごく大事だって」
「ああ、知ってる」
 中也さんは呟くようにそう云って、私をぎゅうっと抱きしめてくれる。力強い腕。
 私は、彼の体温しか知らない。それはすごく幸福なことだし、そういう私で良かったなんて、彼に出逢うまでの無彩色な日々さえ愛おしく思う。彼のものになるために生れてきたんだって、私にははっきりわかっている。
 でも、中也さんは。
 彼の背中に回した腕に、力を込める。私なんかの腕力じゃ、彼にとっては、蝶が翅を休めに止まった程度のことだ。
 こんなにやさしくて、強くて、恰好良くて、たまに可愛くて、とっても素敵な中也さん。私の前に好い仲だった女のひとがいたって、何の不思議があるだろう。
「中也さん」
「ん?」
「やっぱり、中也さんもこの部屋にいてください」
 これが《叶えられない》ほうの願いだと、知っている。それでも、云うだけならば許してくれる彼に縋るしか、この薄暗い感情を消化する方法が見つからなかった。
「お願い……中也さん、私と一緒にこの部屋にいて。ずうっと一緒に、私とふたりきりでいて。ここで、……ここで、私と死んでください……っ」
 先ほどまでとは違う熱を湛えて、彼の背中に爪を立てる。
 私の恋人、大好きな中也さん。誰より強い、私の世界の王様。彼がくれるものだけで、私は今を生きている。そのしあわせに微睡むのが私だけなんて、許せなかった。
 泣きじゃくる私を、中也さんは何も云わずに抱き締め返してくれる。ぼろぼろ零れた涙が彼の肌を伝って、シーツに吸い込まれていく。
「……やっぱり、私が先に中也さんを閉じ込めちゃえば良かった」
 何度繰り返したかわからない後悔に、中也さんが喉の奥で低く笑う。
「悪かったなァ、先越しちまって」全然悪いなんて思っていないだろう声が、耳許で響く。「おかげで、俺は世界一の幸せ者だ」
 ちゅ、と耳朶に触れた唇に、肩が震える。そのまま今度は瞼に口づけられて、零れかけた涙も舐め取られた。首筋や鎖骨にまで、音を立てて唇が落とされる。
 目を瞑ってぞくぞくと粟立つ背筋を感じていれば、掛け布団がベッドサイドに落ちる音がした。そうっと目を開けると、中也さんが私に覆いかぶさってくるのが見える。
 私の顔の横に手を突いて、私を見下ろす。甘く蕩けるように、名前を呼ばれた。
「俺はずっとこの部屋には居てやれねえ。仕事が大事とか、それだけの話じゃないぜ。これから先、死ぬまでお前と一緒に居る為にも、だ」
「……うん。わかってます」
「いい子だ」
 そっと頭を撫でて、額にキスを落としてくれる。こうやって、勘違いの余地なんてないくらい真っ直ぐな言葉をくれる彼が好きだ。
 首に腕を回して引き寄せれば、逆らわずに、唇にもキスしてくれる。離れていく顔に無理矢理額をくっつけて「もっと」とねだれば、「仕方ねえな」と笑われた。それでもその目は爛々と光っていて、それに当てられたみたいに、心臓が高鳴る。
 酸欠寸前まで互いを貪って、荒い呼吸を繰り返しながら、じっと目を合わせる。どちらのとも知れない唾液で濡れた唇を、中也さんの舌が軽く舐めた。
「永遠に、とはいかねえが。少しくらいなら、夜明けから逃がしてやってもいいぜ」
 如何する?と口の端を上げた彼の頬に、片手を伸ばす。綺麗な肌。真っ直ぐ私を射抜く瞳に宿る炎は、選択肢なんて与える気はないと告げていた。その強引さが心地好くて、深い夜に溺れていく。
 とびきり甘い声で呼んだ名前を合図に、この夜を延命させるみたいなキスをした。
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