#文スト夢深夜の60分一本勝負
いくつもの瓶が机に並んでいる。ひとつとして同じものはないけれど、色とりどり、とは云い難い。何故ならば、その中身はすべて「赤色」だからだ。深みのあるものから、ピンクに近いものまで、何本も並ぶ中から彼が選んだ今日の赤は、目にも鮮やかな紅葉の色。
「本当は、もっと早くに休みが取れりゃあ良かったんだがなァ」
そう云って眉を下げるのが叱られた子供みたいで、なんだか可愛らしい。
「ううん、いいんです。中也さんが私とデートしたいって云ってくれるだけで、私、すっごく嬉しいんですよ」
「……お前はほんっとに……すぐそういうことを……」
中也さんはため息を吐いて、私の手を取った。ここ最近、急に寒くなってきているから、手袋を外した彼の手のひらのあたたかさに安心する。
綺麗に整えて保湿までされた指先を、彼の手が撫でる。
「じゃ、ベースから塗ってくからな」
「はい。……いつもありがとうございます」
「ふ。こんなことで礼なんか云うんじゃねえよ」
云いながら、私の爪を小さなハケで撫でていく。透明な液体が爪をつややかにカバーする。丁寧に丁寧に、両手の爪を順番に。大事にしてもらえていると実感できるから、私はこの時間が大好きだ。
ベースコートを乾かす間に、中也さんが明日のデートコースの話をしてくれた。私は手が動かせないから、携帯端末の画像を見せてもらう。
「──で、次は喫茶店な。この前、パンケーキが食いたいって云ってたろ?」
「はい! ふわっふわのが食べたいです!」
「わかってる。こういうのだよな?」
見せてくれたのは、フルーツの添えられた分厚いパンケーキの写真だ。上にはたっぷりの生クリームがかかっている。
「そうです! すごい、おいしそう……」
食い入るように見つめていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。中也さんのほうを見れば、彼は目をやわらかく細めていた。
「あ! 中也さん、今、私のこと、食いしん坊だと思ったでしょう!」
「違えよ。夢中になってて可愛いなと思っただけだ」
きっと本心ではあるのだろうけど、でも、拗ねたみたいなふりをしてしまう。私だって、中也さんに相応しい、大人っぽい女になりたかったのに。そういうお前が好きなんだ、なんて云って甘やかすから、こんなふうな私のままなのだ。
頬を膨らませて、中也さんに手を差し出す。
「もう乾きました。色塗ってください!」
「仰せのままに」
私が何を云ったって、中也さんは余裕の表情だ。さっき選び出したあの紅葉色のマニキュアを、一本ずつ丁寧に塗ってくれる。右手の小指から順に、爪が赤色に染まっていく。右手が終わったら、今度は左手の親指から。ハケの感触が少しくすぐったい。そうやって、いつもみたいに、左手の薬指だけは塗らないで。
「よし。此処はこっちな」
そう云って彼が取り出したのは、深く暗い、夜に馴染むような赤色の小瓶。中也さんに一番似合う、ワインに似た色だ。その色を、空いた爪に塗っていく。私の心臓に繋がった指には、彼の色しかゆるされない。
「……ふふ」
私が思わず笑顔を零すと、彼は不思議そうに私を見た。
「んだよ、さっきまでむくれてたくせに」
中也さんの目を見つめ返す。仄暗いのに、強くて真っ直ぐな目。私のことを真実愛してくれるのは、やっぱり、中也さんだけなのだ。
「私って、中也さんのなんだなあって思って」
中也さんに丁寧に扱われて、染められて、愛されて。私の全部は、ずいぶん前から、中也さんだけでできている。幾重もの鍵で守られた世界と、中也さんと出かけた思い出。砂糖とスパイスなんかよりもずっとずっと素敵な、私の何もかも。
「……お前はいつも、そうやって喜んでくれるよな」
「当然じゃないですか。大好きなひとのものになれるって、すっごく幸せなことです。中也さんだって、知ってるでしょう?」
そうやって笑えば、中也さんはちょっと目を丸くしてから、やわらかく笑い返してくれた。
「ああ。……俺も、お前のだからな」
すり、と頬を撫でられる。そのまま親指が唇をなぞるから、あ、キスされる、と思って瞼を閉じたのに、中也さんはそんな私を見て小さく笑った。薄らと目を開ける。
「……しないの?」
「今したら、止まれなくなりそうだ」
熱っぽい声に、冗談じゃないとわかる。嫌じゃないけど、今はだめだ。マニキュアがまだ乾いてないし、中也さんはそういうとき本当に止まらないから、きっと明日のデートに響いてしまう。
「大丈夫だ。俺だって、お前とのデート、ずっと楽しみにしてたんだぜ? そんな簡単に台無しにするかよ」
そう云って、くしゃり、と髪を撫でてくれる。
中也さんはいつも、デートの前日はこうやって、私にマニキュアを塗ってくれる。デートで着る服に合わせたり、季節感に合わせたり。ちょっと時期は遅れてしまったけど、明日は紅葉を見に行くから、それに合わせた紅葉色だ。中也さんに全身コーディネートされて、中也さんの隣を歩く。それがたまらなく嬉しい。
中也さんはお仕事があるから、服や爪を私で染めさせてはくれない。その代わり、中也さんが普段口にする食事は私の手作りだし、デートのときの香水は私とお揃いだ。
すり、と中也さんの手に擦り寄る。マニキュアはまだ乾かないから、表情とか、声とか、そういうもので好きだと伝えるしかなかった。
「手、あったかい……」
「……おい、煽んなよ」
「ふふ。デート、楽しみですね」
笑ってみせれば、中也さんは長く長くため息を吐いて、またマニキュアの瓶を手に取った。
「ほら。手、出せ。もう一回塗るぞ」
「はぁい」
中也さんの耳がうっすら赤く染まっているのがわかる。それは明日見る紅葉よりもきっと綺麗で、この感情は明日食べるパンケーキよりもきっと甘い。それでもこんなに明日が楽しみなのは、それは。
「ね、中也さん」
「ん?」
「大好きです」
いっとう甘い声でそう囁くと、中也さんがギリ、と奥歯を噛んだのがわかる。
「手ェ離せねえってのに……!」
「ふふふ。私のこと、ちゃんと染めてくださいね」
ギラギラした肉食獣みたいな目が好きだ。世界一大好きなこのひとが、他の誰にも目もくれず、私だけを見てくれている。ふたりで出かけるのが楽しいというだけじゃないこの仄暗い感情を、それでも、あなただけは受け止めてくれるのだ。
「本当は、もっと早くに休みが取れりゃあ良かったんだがなァ」
そう云って眉を下げるのが叱られた子供みたいで、なんだか可愛らしい。
「ううん、いいんです。中也さんが私とデートしたいって云ってくれるだけで、私、すっごく嬉しいんですよ」
「……お前はほんっとに……すぐそういうことを……」
中也さんはため息を吐いて、私の手を取った。ここ最近、急に寒くなってきているから、手袋を外した彼の手のひらのあたたかさに安心する。
綺麗に整えて保湿までされた指先を、彼の手が撫でる。
「じゃ、ベースから塗ってくからな」
「はい。……いつもありがとうございます」
「ふ。こんなことで礼なんか云うんじゃねえよ」
云いながら、私の爪を小さなハケで撫でていく。透明な液体が爪をつややかにカバーする。丁寧に丁寧に、両手の爪を順番に。大事にしてもらえていると実感できるから、私はこの時間が大好きだ。
ベースコートを乾かす間に、中也さんが明日のデートコースの話をしてくれた。私は手が動かせないから、携帯端末の画像を見せてもらう。
「──で、次は喫茶店な。この前、パンケーキが食いたいって云ってたろ?」
「はい! ふわっふわのが食べたいです!」
「わかってる。こういうのだよな?」
見せてくれたのは、フルーツの添えられた分厚いパンケーキの写真だ。上にはたっぷりの生クリームがかかっている。
「そうです! すごい、おいしそう……」
食い入るように見つめていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。中也さんのほうを見れば、彼は目をやわらかく細めていた。
「あ! 中也さん、今、私のこと、食いしん坊だと思ったでしょう!」
「違えよ。夢中になってて可愛いなと思っただけだ」
きっと本心ではあるのだろうけど、でも、拗ねたみたいなふりをしてしまう。私だって、中也さんに相応しい、大人っぽい女になりたかったのに。そういうお前が好きなんだ、なんて云って甘やかすから、こんなふうな私のままなのだ。
頬を膨らませて、中也さんに手を差し出す。
「もう乾きました。色塗ってください!」
「仰せのままに」
私が何を云ったって、中也さんは余裕の表情だ。さっき選び出したあの紅葉色のマニキュアを、一本ずつ丁寧に塗ってくれる。右手の小指から順に、爪が赤色に染まっていく。右手が終わったら、今度は左手の親指から。ハケの感触が少しくすぐったい。そうやって、いつもみたいに、左手の薬指だけは塗らないで。
「よし。此処はこっちな」
そう云って彼が取り出したのは、深く暗い、夜に馴染むような赤色の小瓶。中也さんに一番似合う、ワインに似た色だ。その色を、空いた爪に塗っていく。私の心臓に繋がった指には、彼の色しかゆるされない。
「……ふふ」
私が思わず笑顔を零すと、彼は不思議そうに私を見た。
「んだよ、さっきまでむくれてたくせに」
中也さんの目を見つめ返す。仄暗いのに、強くて真っ直ぐな目。私のことを真実愛してくれるのは、やっぱり、中也さんだけなのだ。
「私って、中也さんのなんだなあって思って」
中也さんに丁寧に扱われて、染められて、愛されて。私の全部は、ずいぶん前から、中也さんだけでできている。幾重もの鍵で守られた世界と、中也さんと出かけた思い出。砂糖とスパイスなんかよりもずっとずっと素敵な、私の何もかも。
「……お前はいつも、そうやって喜んでくれるよな」
「当然じゃないですか。大好きなひとのものになれるって、すっごく幸せなことです。中也さんだって、知ってるでしょう?」
そうやって笑えば、中也さんはちょっと目を丸くしてから、やわらかく笑い返してくれた。
「ああ。……俺も、お前のだからな」
すり、と頬を撫でられる。そのまま親指が唇をなぞるから、あ、キスされる、と思って瞼を閉じたのに、中也さんはそんな私を見て小さく笑った。薄らと目を開ける。
「……しないの?」
「今したら、止まれなくなりそうだ」
熱っぽい声に、冗談じゃないとわかる。嫌じゃないけど、今はだめだ。マニキュアがまだ乾いてないし、中也さんはそういうとき本当に止まらないから、きっと明日のデートに響いてしまう。
「大丈夫だ。俺だって、お前とのデート、ずっと楽しみにしてたんだぜ? そんな簡単に台無しにするかよ」
そう云って、くしゃり、と髪を撫でてくれる。
中也さんはいつも、デートの前日はこうやって、私にマニキュアを塗ってくれる。デートで着る服に合わせたり、季節感に合わせたり。ちょっと時期は遅れてしまったけど、明日は紅葉を見に行くから、それに合わせた紅葉色だ。中也さんに全身コーディネートされて、中也さんの隣を歩く。それがたまらなく嬉しい。
中也さんはお仕事があるから、服や爪を私で染めさせてはくれない。その代わり、中也さんが普段口にする食事は私の手作りだし、デートのときの香水は私とお揃いだ。
すり、と中也さんの手に擦り寄る。マニキュアはまだ乾かないから、表情とか、声とか、そういうもので好きだと伝えるしかなかった。
「手、あったかい……」
「……おい、煽んなよ」
「ふふ。デート、楽しみですね」
笑ってみせれば、中也さんは長く長くため息を吐いて、またマニキュアの瓶を手に取った。
「ほら。手、出せ。もう一回塗るぞ」
「はぁい」
中也さんの耳がうっすら赤く染まっているのがわかる。それは明日見る紅葉よりもきっと綺麗で、この感情は明日食べるパンケーキよりもきっと甘い。それでもこんなに明日が楽しみなのは、それは。
「ね、中也さん」
「ん?」
「大好きです」
いっとう甘い声でそう囁くと、中也さんがギリ、と奥歯を噛んだのがわかる。
「手ェ離せねえってのに……!」
「ふふふ。私のこと、ちゃんと染めてくださいね」
ギラギラした肉食獣みたいな目が好きだ。世界一大好きなこのひとが、他の誰にも目もくれず、私だけを見てくれている。ふたりで出かけるのが楽しいというだけじゃないこの仄暗い感情を、それでも、あなただけは受け止めてくれるのだ。