#文スト夢深夜の60分一本勝負
あなたの銃弾が、ずっと私を生かしていた。
幼い日の記憶。温かかったはずのリビングがひんやりと冷えていく感覚を、鮮明に覚えている。ゆっくりと広がっていく赤い水溜まり、目の前で倒れ伏す両親。嫌な目をした、男たち。私はここで死ぬのだと思った。両親と同じように、酷いことをされて、殺されるのだと。悲しくて、憎らしくて、でもやっぱり、怖かった。
パパが、ママが、私を遺して死んでいる。現実が受け入れられずにぎゅっと目を瞑って、耳に届いたのは、ひとつの破裂音。続いて同じ音が数度続いて、静寂になった。
──恐る恐る目を開けた私が見たのは、冷たい目で銃を握る、赤毛の少年だった。
彼は私と少し目を合わせてから、くるりと踵を返して、開いた窓から軽やかに出ていく。待って、なんて声も出せずに、私はただ呆然と、両親と強盗の死体に囲まれていた。
私はすぐに保護されて、施設に入った。強盗たちはマフィアにさえ楯突く無頼の無法者だったとか、両親の遺産のこととか、そういう話はたくさん聞いた。でも、私を助けてくれた彼が誰なのか、何の力もない子どもにはわからなかった。でも、それで良かった。
何度夜を越えても、何度朝を迎えても、彼のあの瞳は脳裏に焼きついて離れない。彼に会いたい。会って、お礼を云いたい。あなたにはたとえ何の意味もないことでも、私には、あなたが命の恩人だった。
いつかあなたに出会うことだけが、私の生きる意味だった。
それだけ云えば、街中で彼とすれ違ったときの私の歓喜が、きっと伝わるはずなのに。それなのに。
「そうか。だが、人違いだろう」
無理やり引きずり込んだ喫茶店で、彼は珈琲を啜りながら云う。
忘れるはずもない、暗くやわらかな赤毛。目元はずいぶん優しくなったように見える。そしてその、深い深い海に似た、蒼色の瞳。私を救ったあの温度を、私が間違えるはずがない。
「あなたが、私を助けたんです」
「それは違う。……依頼で追っていた標的を、たまたま、あのとき殺しただけだ」
「それでも」
それでも、あなたは私の恩人だ。あなたの銃弾が、真っ暗に染まった私の視界を撃ち抜いてくれた。あの蒼く澄んだ色が私の始まりで、今の私のすべてなのだ。
──だから、私はあなたと生きたい。あなたの傍で呼吸をさせてほしい。
「やめておけ」
その声に温度はなく、けれどじんわりと低く響いて、私のマグカップの氷砂糖を溶かしていく。
「俺は、もう暗殺はしていない」
「それなら、」
「だが、俺はポートマフィアだ」
つい、爪を手のひらに食い込ませてしまう。そんなことが、私を拒む理由だなんて。
「あなたは優しい人です」
彼の傍らの、駄菓子が詰まった紙袋を見る。珈琲をブラックで飲むあなたには似合わない、色とりどりのパッケージ。それだけで、十分だった。
「目を覚ませ。俺はマフィアで、お前は普通の人間だ」
「夜明けをくれたのはあなたです」
私の闇を祓ってくれた。私は迷わず生きてこられた。全部、全部、あなたのおかげだ。
「お願いです。私を連れていってください」
頭は下げない。目を離したら、あなたはきっとどこかへ行ってしまうから。
じっと珈琲を見つめて、彼が云う。
「……お前が見た俺は、人殺しだ。その強盗と変わらない」
「それは違います」
かぶせるように答えてしまう。ずっと、考えてきたことだ。人を殺したことは同じでも、こんなにも彼に焦がれてしまう理由。あなたは悪いひとではないと、云い切らずにはいられない。だって。
「本当にあなたがただの人殺しなら、私が死んでからでも良かったはずでしょう」
目撃者なんていないほうがいい。私も強盗もみんな死ねば、彼のことなんて誰も知らない。死人に口なし。それでも、彼は私を生かしてくれた。私を殺そうとする強盗たちを殺して、私を救ってくれた。それが、全部だ。
カチャリ、とカップとソーサーが触れる音が響いた。唇を噛むと、甘くて苦い味がする。珈琲は、嫌いじゃない。
「……俺は、お前と一緒には生きられない」
視界が滲む。でも、泣かない。泣きたくない。このひとに、みっともないところなんて見せられない。我慢できなくて、目を伏せる。
テーブルの上のペーパーナプキンを一枚取って、彼がサラサラと何かを書いた。ひとつの住所と、『フリィダム』という名前。
「咖喱がうまい洋食屋でな」
荷物を持って、彼が立ち上がった。
「……俺の、行きつけだ」
その言葉に、勢いよく顔を上げる。ばちりと目が合った。あの日と同じ眩しさの、晴れた海の色。
あなたの銃弾が、また、私の光になる。
幼い日の記憶。温かかったはずのリビングがひんやりと冷えていく感覚を、鮮明に覚えている。ゆっくりと広がっていく赤い水溜まり、目の前で倒れ伏す両親。嫌な目をした、男たち。私はここで死ぬのだと思った。両親と同じように、酷いことをされて、殺されるのだと。悲しくて、憎らしくて、でもやっぱり、怖かった。
パパが、ママが、私を遺して死んでいる。現実が受け入れられずにぎゅっと目を瞑って、耳に届いたのは、ひとつの破裂音。続いて同じ音が数度続いて、静寂になった。
──恐る恐る目を開けた私が見たのは、冷たい目で銃を握る、赤毛の少年だった。
彼は私と少し目を合わせてから、くるりと踵を返して、開いた窓から軽やかに出ていく。待って、なんて声も出せずに、私はただ呆然と、両親と強盗の死体に囲まれていた。
私はすぐに保護されて、施設に入った。強盗たちはマフィアにさえ楯突く無頼の無法者だったとか、両親の遺産のこととか、そういう話はたくさん聞いた。でも、私を助けてくれた彼が誰なのか、何の力もない子どもにはわからなかった。でも、それで良かった。
何度夜を越えても、何度朝を迎えても、彼のあの瞳は脳裏に焼きついて離れない。彼に会いたい。会って、お礼を云いたい。あなたにはたとえ何の意味もないことでも、私には、あなたが命の恩人だった。
いつかあなたに出会うことだけが、私の生きる意味だった。
それだけ云えば、街中で彼とすれ違ったときの私の歓喜が、きっと伝わるはずなのに。それなのに。
「そうか。だが、人違いだろう」
無理やり引きずり込んだ喫茶店で、彼は珈琲を啜りながら云う。
忘れるはずもない、暗くやわらかな赤毛。目元はずいぶん優しくなったように見える。そしてその、深い深い海に似た、蒼色の瞳。私を救ったあの温度を、私が間違えるはずがない。
「あなたが、私を助けたんです」
「それは違う。……依頼で追っていた標的を、たまたま、あのとき殺しただけだ」
「それでも」
それでも、あなたは私の恩人だ。あなたの銃弾が、真っ暗に染まった私の視界を撃ち抜いてくれた。あの蒼く澄んだ色が私の始まりで、今の私のすべてなのだ。
──だから、私はあなたと生きたい。あなたの傍で呼吸をさせてほしい。
「やめておけ」
その声に温度はなく、けれどじんわりと低く響いて、私のマグカップの氷砂糖を溶かしていく。
「俺は、もう暗殺はしていない」
「それなら、」
「だが、俺はポートマフィアだ」
つい、爪を手のひらに食い込ませてしまう。そんなことが、私を拒む理由だなんて。
「あなたは優しい人です」
彼の傍らの、駄菓子が詰まった紙袋を見る。珈琲をブラックで飲むあなたには似合わない、色とりどりのパッケージ。それだけで、十分だった。
「目を覚ませ。俺はマフィアで、お前は普通の人間だ」
「夜明けをくれたのはあなたです」
私の闇を祓ってくれた。私は迷わず生きてこられた。全部、全部、あなたのおかげだ。
「お願いです。私を連れていってください」
頭は下げない。目を離したら、あなたはきっとどこかへ行ってしまうから。
じっと珈琲を見つめて、彼が云う。
「……お前が見た俺は、人殺しだ。その強盗と変わらない」
「それは違います」
かぶせるように答えてしまう。ずっと、考えてきたことだ。人を殺したことは同じでも、こんなにも彼に焦がれてしまう理由。あなたは悪いひとではないと、云い切らずにはいられない。だって。
「本当にあなたがただの人殺しなら、私が死んでからでも良かったはずでしょう」
目撃者なんていないほうがいい。私も強盗もみんな死ねば、彼のことなんて誰も知らない。死人に口なし。それでも、彼は私を生かしてくれた。私を殺そうとする強盗たちを殺して、私を救ってくれた。それが、全部だ。
カチャリ、とカップとソーサーが触れる音が響いた。唇を噛むと、甘くて苦い味がする。珈琲は、嫌いじゃない。
「……俺は、お前と一緒には生きられない」
視界が滲む。でも、泣かない。泣きたくない。このひとに、みっともないところなんて見せられない。我慢できなくて、目を伏せる。
テーブルの上のペーパーナプキンを一枚取って、彼がサラサラと何かを書いた。ひとつの住所と、『フリィダム』という名前。
「咖喱がうまい洋食屋でな」
荷物を持って、彼が立ち上がった。
「……俺の、行きつけだ」
その言葉に、勢いよく顔を上げる。ばちりと目が合った。あの日と同じ眩しさの、晴れた海の色。
あなたの銃弾が、また、私の光になる。
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