ポートマフィアの重力遣い生誕祭2022

 雨が降っていた。
 風はなく、穏やかな雨だ。遠くのビルが、薄灰色にけぶっている。梅雨入り前の気まぐれは、傘をはらはらと叩いて小気味好い。二輪車バイクで出掛けるには快晴のほうが好ましいが、旧友に会いに行くならば、悪くない日和だ。
 今日は、ポートマフィア幹部である中原中也にとって、久しぶりの休暇だった。敵組織との小競り合いやら、面倒な書類整理やらを片付けて、ぼんやりと卓上の暦を見てみれば、もう卯月も終わりに近付いていて。報告に向かった首領執務室で、三日間の休養を賜った。明日は君の誕生日だからね、と付け足されて、嗚呼、そういえばそうだったかと、何処か他人事のように思い出した。
 誕生日。途中からしか人生の記憶がない彼にとっては、向こうで廻る観覧車のように、遠くぼやけたその日。それでも、無意味だとは思わない。こうして思考する己の現在、それこそが、この世に生を受けたいつかを証明している。それに。
 振り返れば、白い墓石たちが、やさしい雨に濡れて沈黙している。山手の墓地。彼は今日、『旗会』フラッグスの五人の墓参りに来ていた。
 花束などという小洒落たものは、俺たちには似合わない。酒と、肴になるような土産話。それだけで、構わなかった。
「明日は晴れるらしいからよ。手前にもらった二輪車バイクで、ちょいと遠出でもしようかと思ってんだ。走るのには好い時期だろ」
「そういやあ、近くの映画館で、手前が出てた映画の再上演リバイバルやるらしいぜ。ちょいと覗こうかとも思ったんだが、チケットはもう完売だとよ。相変わらずの人気だなァ」
「毒殺ってのは流行らねえと思ってたんだがなァ。首領のとこに、毒入饅頭が届きやがった。しかも三回連続で、だ。流石に首領も笑ってたぜ」
「頸をすっぱり斬る異能者が出てなァ。手前の仕業かって、一瞬思っちまったんだ。実際は、雑魚すぎて話にならなかったけどな」
「手前が羨ましがりそうな、善いレコードが手に入ったんだ。上等な珈琲豆も買って帰るつもりだ。嫉妬で夢枕になんざ立つんじゃねェぞ」
 語る声に、湿度はない。かつて生きた世界を懐かしむ、温かい音。雨音に融けるほど弱くはなく、ささやかな日々を紡いでいく。
 『旗会』の彼らは、あの日、中原中也は人間なのだ、と、そう証明してくれた。彼らだけではない。右の手首を見る。黒い刺傷。西の温泉街に生れた少年は、いつの間にか、こんなところにまで来てしまった。
 静かに笑んで、空を見上げる。彼らがくれたものが、彼らと造り上げてきたものが、中原中也という男だ。それを愛せなかったら、きっと、それこそ嘘だろう。
 雨は降り続いている。傷だらけで、後悔だらけで、それでも、放り捨てるにはいとおしすぎる人生だ。
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