140字SS

 閉じた瞼の暁光。味噌汁の香。箪笥の上の兎の瞳。かき抱いた黎明。美味しいの声。いってきますが響く玄関。クレープに乗った苺。笑うと下がる眉。私を照らして鳴る太陽。夜闇に溶けたおやすみなさい。
 薄く薄く花嫁のヴェールのような、あなたがくれた十の夢語り。(けれど凡ては現実で、確かに靑く光るのだ。)

 足でまとい、役立たず。鉛玉に魂はなく。疾呼も怒号も聞こえぬのでしょう。闇の黯の昏の冥の、堕ち往く外套、暗き雪消。残照? 幻月? アルストロメリアの慟哭。
 するりと抜けて、この手は空っぽ。黒猫の尾が撫でてゆく。あなたには、九つの命なんてないのに。

 八つ裂きになつた心では、色褪せたポラロイドすら破れない。からからと回るフヰルム・ノワアル、夜毎削れて尚以て濃く鮮明に。ネガとポジとの狭間で睡る、幼子の刻が怖かつた。
 消えてしまえば良いぢやないか。彼に紛うサタンの囁き。いやだと振る頭は重く、いつかの追慕で満ち満ちて。
 望まなくとも朝は来る。

 この手を濡らした血は多く、この手が救った魂はなく、ただ懺悔に似た禱が響く。
 人類が賜った罪が七つなら、ぼくらは人ではないのでしょう。もぎ取った林檎を芯まで齧って、きっとぼくらは眠りはしない。王子の救済に縋れたら、そんな白昼夢にはもう飽きた。
 ぼくらの居ない世界なら、エデンにもっと近いでしょう?

 いっそ悪魔の第六感。地平の果てまで見通して、海の底まで識っていたって驚かない。その癖とんだろくでなし。何も出てきやしないのだ、骨の髄など穿つ気はない。
 正義も理想もないかもしれぬ。彼らはそれを理解して、だからあんなに白いのか。それでも確かにこの脚は、大地を踏んで立っている。

 散らした赫も刻まれた傷も、魂消の唄に酌まれるだろう。それでも屍体の腐敗は堪らないし、断末魔など以ての外。玉の緒切れる瞬間の、風穴が空く音が嫌いだ。生に理由がなくたッて、死ぬよりマシだと笑えばいいさ。
 誰かが描いた五線譜の上で、派手に踊ッてやろうじゃないか。

 四面楚歌など他愛もない、かつての私は零したろうか。
 守るべきものがない者は、例え強くとも脆いのだ、と、これは何処で読んだだろうか。ヨコハマの街、蒼翠の穹、紺碧に揺れる海の原。約束、後悔、喜び、哀しみ、遍く潤む人波の。
 守るべきものがある者は、例え弱くとも毅いのだ、と、これは真実らしかった。

 淡く玲瓏な空の色、ほろと舞う沫雪の翳。ボクらの世界の永久のためなら、運命の三姉妹だッて欺いてやろう。この世の弥終、ラグナロクにすら果てぬ、君の嬌笑を護る未来。
 水晶球に溶かしたアメシストを流し込ンで、ポラリスを透かそう。それでも君の瞳のほうが、美しいのが見えるだろ。

 先回りにトロイの木馬、悪魔も裸足で逃げ出すか。霧に似た微笑が憎らしい。しかしただ、黒黒滴るテノールと響かせた二重奏は美しかった。地獄に堕ちても跋には足りず、きっと閻魔も困るだろうと、笑ったあの日は嘘ではない。
 朗々遠鳴る詩を忘れたか。意味がないと宣う前に、救われないと嘆く前に、手前の周りを見たらどうだ。

 この手がお前に触れることは、もう一度だってないのだろう。孤独な子供の手を引きたかった、俺に間違い探しをしたくない。ポラロイドも空の色も、宝箱に仕舞ったままでは寂寥に溶けて消えるのだ。どうせ同じなら何もかも、乾杯の合図で呑み干そうか。
 なあ、太宰。俺たちが生きた時間に意味がなくとも、俺はあの時、楽しかったよ。
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