広大な敷地を誇るポンペイをほぼ丸一日かけて観光した私は懐かしの彼に会えたことと溜まりに溜まった疲労からか、毎日の習慣であるストレッチを欠かして寝てしまった。結果見事と言えるほどの痛みを伴う筋肉痛に億劫な気持ちを隠すことなく顔に浮かべた自分の姿が、通り過ぎるブティックのウインドウに映され、私は本日4度目のため息を零す。
ネアポリス駅まであと百数メートル程の距離しか無かったのだが諦めてタクシーを捕まえた私の「ネアポリス駅まで」という言葉にドライバーの男は一瞬固まったあと笑みを浮かべて了承の言葉を口にした。
ネアポリス駅構内に着いた私は1度頭上の電光掲示板を見上げる。そして直ぐに視線を下ろすと券売機へ足を運んだ。列車の乗り換えが苦手な私は少々値は張るがフィレンツェまで直通の「smart(2等)のチケット」を購入すると出発時刻の7時半を過ぎてしまわないように6番ホームへ向けて少しだけ急ぐように歩き出した。
結果、日本でしっかり予習してきたのが功を奏したのか、特に迷うことなくネアポリス駅6番ホームへ到着することに成功した私は安堵のため息で肩を落とした。私はあまり人気のないホームの水飲み場辺りを陣取ると鞄の中からガイドブックを取り出し『Firenze』と付箋の貼られたページを開く。
これから3時間以上かけて向かうはフィレンツェ、トスカーナ州の州都だ。
フィレンツェといえば芸術の都ーーなんと言っても世界の重要文化財の30パーセントがこのフィレンツェのものであると言われている。
また有名サッカークラブ「ACFフィオレンティーナ」の本拠地として有名らしく(日本でも数多くのサポーターが居るようで、職場でも熱狂的な先輩がいる)サッカー好きの祖父も自身の暮らすサルディニア島のチーム「カリアリ・カルチョ」をそっちのけにして応援している。
そして、到着駅であるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から1.4キロの所にあるウフィツィ美術館へ行くのが今回の計画だ。有名な物で「ティツィアーノ・ヴェチェッリオ」の『ウルビーノのヴィーナス』や教科書等でもお馴染み「サンドロ・ボッティチェリ」の『ヴィーナスの誕生』『プリマヴェーラ』が展示されている。
何よりも特筆すべきことといえばこの美術館は親切なもので子供(18歳以下)は無料で入館が可能なのである。更には日本語のオーディオガイドを借りることも出来る為、旅行初心者の人にも快くオススメできる有名なスポットとして日本でも広く知れ渡っている。
そうこう考えているうちに頭上で文字を光らせていた電光掲示板に付属していたスピーカーから列車の到着を知らせるアナウンスが鳴り響く。私はハッとして顔を上げると足元に置いている荷物の安否を手早く確認し、持っていたガイドブックを朝ご飯であるビスケットが砕けてしまわないよう用心してカバンの中にしまい込む。
ジャケットの内ポケットに入れていた2等のチケットを握り締め、年甲斐もなくまるで初めて飛行機に乗る小学生のようにドギマギしながら列車がホームに来るのを今か今かと待ちわびた。
Buona giornata!! Day,four Firenze
颯爽と乗車した私は直ぐに自分にあてがわれた番号の席に腰を下ろした。対面式のシートだったことに若干驚きはしたが、周りは空席が目立つ程度だったので誰か来ることもないだろうと余裕をふんだ私はテーブルの上に雑誌を広げるーー今のうちに美術館の予習も済ませておこう。
しかしそんな余裕もすぐに崩れてしまった。雑誌にふと、影がかかったのだ。
予想外の来訪者に私は1度雑誌に向けていた目を男に向け、また雑誌に向け……そして男の方へ向けた。いわゆる2度見だった。
驚いた顔の私に男も不安がってしまったのだろうかーー自身の持つチケットを再確認する青年だったがやはり間違いはなかったらしい、私の前の席に腰を下ろした。
「ボンジョルノ……ええと、お早いですね お仕事かしら? 」
どちらかというと明るそうな印象を受ける彼はどこまでも真っ黒な瞳と短い丈のインナーから露わになっているセクシーな腰周りが特徴的な青年だ。見た目からして恐らく十代後半ぐらいだと予想できた私はフランクにそう声をかけた。
「いいや……今日は、プ・ラ・イ・ベ・ー・ト」
青年はにやりとした顔で調子よさそうに返事を返す。そんな彼の対応に私も気分を良くし、自然と笑みを零すと青年も「オネーサンは?」と逆に問いかけてきた。
「私も旅行!ウフィツィ美術館に行くのよ」
「おっ!いいんじゃあないっスか〜? ザ・王道って感じで」
目の前のテーブルに肘をついてこちらに身を乗り出した青年は拡げられた雑誌のウフィツィ美術館の欄を指さすと「アレだよな……確かボッティチェリの……」と呟き、数秒後「あってる?」と小首を傾げながらこちらを見つめてきた。
動作がいちいちあざとくて、本来なら男性に使うべき表現ではないのかもしれないがとても可愛らしい。なんだか人懐っこい猫のお相手をしているような和やかな気分になった私は破顔するのを抑える気も起きずそのまま「あってるよ」と返した。
「それで……あなたはどこへ行くの?」
「俺? 俺はやっぱり『スタディオ・アルテミオ・フランキ』だぜ〜ッ フィレンツェに来たなら行かなきゃ損ってやつだ」
「……あッ!それってフィオレンティーナの本拠地よね? 私の祖父や友人がそのチームの熱狂的なファンだわ!」
思いがけない共通の趣味(自分のでは無く祖父のだが)に私達はたちまち打ち解けすっかり話し込んでしまっていたようだ。気がつけば列車はすでにネアポリスを出発していた。
車窓から見える景色はすでに辺り一面が豊かな自然に変わっており私達はどちらともなく1度会話を中断して外を眺めた。
「綺麗な景色ね……」
「ン? もしかしてイタリアに来るのは初めてなのか? 」
「ううん 何度か来てるけど……やっぱり何度見ても凄いなあって」
しばらくして窓の外を見ていた私が青年の方へ向き直ると、彼はなんだかソワソワしたように辺りに視線を散らし、行き場のなくなったような手が中途半端な高さで鎮座した状態で小声でなにかぼそぼそと呟いていた。
「ええと……大丈夫? 」
明らかに様子がおかしい青年は声をかけた私への返事もそこそこに、パン屋さんで買ってきたのであろうコルネットを取り出し手際よく広げたランチョンマットの上で適度の大きさにちぎり始める。
奇行に走った彼にもう一度声をかけようとしたその時だった。隣に置いていた私のカバンの中でカサカサとプラスチックの袋が擦れて音を立てているような音が聞こてくる。
なんの音だろうと眉をひそめそっとカバンから身を離すがそれでも絶えず聞こえるその物音に私は唾を飲み込み、意を決してカバンの中身を覗き込んだ。
「あっ!」
そう短く声を上げたのは私ではなく彼だった。私が急いでそっちに視線を戻すとバツの悪そうな顔をした青年が一拍置いたあと「何かあったか?」と弱々しく言葉を紡ぐ。
「……うーん……なんでかわからないけれど朝食のビスケットがなくなっちゃったみたいなの」
ーーそう、その言葉通り列車に乗る前には確かに残っていたはずのビスケットが気がつけばカバンのそこに溜まった食べカスへと変貌を遂げていた。私は朝食を食べられないということへのショックよりもカバンの底が食べカスまみれになってしまったことへのショックで肩を落とす。
対して対面に座る青年は再び虚空へ視線を向けるとぼそぼそと何かを呟いている。というよりも小声で何かを叱りつけている?
「あー……えーっと コレ 食う? 」
一度、独特のデザインの帽子越しに頭を掻いた青年がそう言って差し出したのは先程ちぎりながら食べていたコルネットだった。もうかなり食を進めていた様で4分の1程度にしか残っていないそれを私は丁重にお断りする。
「気にしないで? もしかしたら昨日全部食べちゃってたのかもしれないし」
そう言っても尚、暗い顔をした青年は表情とは裏腹にもの勢いで残りのコルネットを口に放り込むと「そうだ」と明るい声を上げた。
「まだ俺たち……自己紹介もしてなかったよな! 俺はミスタ おねえさんは? 」
急にガラリと印象を変えたミスタ君に私は少しだけ目を見張った。先程までのしんみりとした表情や声のトーンなどはどこへ行ったしまったのやら。突然の豹変ぶりに驚きながらも彼の作った流れに沿って自己紹介をするために口を開く。
「私は苗字名前 日本人よ ……ミスタ君はイタリアの人?」
「そ、ネアポリスのボロいアパートで寂しく暮らしてンの」
話題の振りに成功したようでミスタ君は次々と休むことなく口を動かす。どうやら彼の隣の部屋の住人のギターはうるさいらしい。
「名前さんは? 一人暮らししてんの」
彼の楽しい話に頬を緩ませていた私はそのままの緩みきった表情で首を縦に振ると「そうだよ」と返し、もはや寝る為だけの空間となってしまった自宅を思い浮かべる。
「……でも私のマンションは大丈夫だよ。夜中にギターを弾く隣人なんていないもの! 」
「そう? 羨ましいぜ 部屋を交換して欲しいくらいだっつーの」
隣人のガクセーに日々どれだけ悩まされているのやらミスタ君は「とほほ〜」と効果音がつきそうなふにゃりとした顔を浮かべながらそう静かに呟く。私自身も自分が例の騒音に遭遇してしまったらと思うと彼に同情の気持ちが浮かび上がった。
「ま それはおいといてよ そのワンピース! なあ〜んか見覚えがあるんだよな 」
「……え? 」
朝早くからの出発の為、薄手のジャケットを羽織っていた私は改めて自身の服装を見る。
それはホテルからネアポリス駅へのたった数十分の間にも「約束の彼」と再開するのではないかというわずかな希望から着てきた黒地水玉のワンピースだった。
「ええと、3日前この服でネアポリスを観光してたから……もしかしたら知らず知らずのうちに出会っていたのかも?」
「ふうん……3日前、ね。ふ〜ん…… 」
そういうと突然にやにやと口元をだらしなくさせたミスタ君はからかうように私を見つめる。それになんだか気恥しい気持ちになった私は両手をテーブルにつくと身を乗り出し対抗するように視線をぶつけ返した。
「なあに? ミスタ君。なんだか視線がうるさいわよ」
私の少しだけ不機嫌そうな声にミスタ君は「悪い悪い」と笑いを含ませた声で返すと背もたれへ思いっきり身を委ね、隣に置かれた彼の小さなカバン(大きさからして恐らく日帰り旅行なのだろう)に腕を回した。それに倣って私も前のめりになっていた姿勢を戻すと、次に彼が口を開くのを待つために寄せていた眉をゆるませた。
「こっちの話になるんだけどよォ 急にオレの職場の上司が「チームの皆に休暇を与える」 なんて言い始めてよ。もちろんオレは喜んだぜ。 朝から晩までバールで可愛いネーチャンと飲み明かしてやろうなんてものも考えたりしてな ……でもその考えはすぐに不可能なものになっちまったんだ……なんでだとおもう? 」
「えぇ……難しいなァ お酒の飲みすぎは駄目!……とか? 」
ミスタ君は「違ェな〜」とだけ言うと添付きのテーブルに頬杖をつき、黒い瞳を私に向ける。次の回答を待っているのか……口元は緩んだままだ。
「まぁ 突然聞かれていきなり答えられるわけはねえよな ……俺の上司が言った休日の「提案」ってのはよォ〜『旅行をする』ことだったんだよ。ネアポリスから離れて羽を伸ばして来いってな」
「へぇ……! 素晴らしい人じゃない! あなたの上司さん! 」
「そうだろ? 俺もそー思う」
そう明るく言ったミスタ君の表情はとても楽しそうで彼の上司への信頼は計り知れない程のものなのだろうと私は瞬時に察した。そしてそれと同時にその上司もまたミスタ君や他の仲間たちを信頼し、大切にしているのだと感じ、私はほんの少しだけ羨ましい気持ちになった。
「それで俺は旅行に来たワケ。日帰りの本格的じゃあないやつだけどな ……ってなわけで今度は名前さんの話を聞かせて欲しいなー……なんて」
「わたし? 私は ……その、小さい頃に仲良くなったイタリア人の男の子に会えるかなーみたいな、不純な気持ちっていうか…… あ! あと祖父母の家に顔を出しに行くので! 」
先程のミスタ君のいい話の後にこんな軽薄な経緯を話してしまうなんて!と恥ずかしくなった私は少しだけ顔を俯かせ、水玉のワンピースの上からペンダントを握りしめた。車窓から吹き込む風で毛髪と共に耳元のレモンも揺れる。
「いいじゃないっすか。それで初恋の人には会えたんすか?」
「……へ? あぁ うん 昨日会えたんだ ホント たまたま」
そんな私の気を知ってか知らずか茶化すような気もないミスタ君の態度に私は毒気抜かれ、安心から顔を上げて少しだけ重たい息を吐いた。彼は「良い人」だーー気恥ずかしいので口には出さないが心からそう思う。
「……家族以外にこの話をしたのはあなただけなのよ。ミスタ君 ……笑わないでくれてありがとう」
「感謝されるほどのコトをした覚えはないっスよ。名前さん」
「そうかもしれないわね……それでも ありがとう」
全て言い終えると同時ににこりと笑いかけると同じように笑顔を返してくれた彼がひどく愛おしく感じたーー。
ミスタ君の案内してくれたリストランテは平日の11時頃だというのにそれなりに賑わっていて、人気のある窓際の席はすでに満席状態。私たちはどちらともなく目を見合わせて視線で会話を済ませると壁際の席に着き、背もたれに体重を思いっきりかけた。
「何から何まで本当にありがとう!まさかお昼まで御一緒させてもらえるなんて」
「試合までまだ時間が有り余ってるからショップで時間を潰しても良かったんだがよォ〜 やっぱり食事ってのは誰かと食べた方が絶対美味いからな……名前さんもそう思うだろ?」
「そうね……私もそう思うわ! 」
ネアポリス駅発、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅着の『フィレンツェ行き超特急』に揺られること4時間弱。結構な長旅だったが相席のミスタ君との会話のおかげか特に退屈することなくーー寧ろ大変楽しく過ごすことが出来た。
私たちはそれぞれウフィツィ美術館、スタディオ・アルテミオ・フランキへ向かうためお別れする予定だったのだが、彼のとても良い提案でふたりで昼食をとることになったのだ。駅からそう遠くないこのリストランテは観光客だけでなく、地元の人も訪れる名店らしい。
メニューは全てミスタ君のおすすめに任せ、私は運ばれてきた料理に手をつけ、すべてに「Buono」と顔をほころばせた。
食後のスプーマ・ビオンダで気を落ち着かせた私は手帳とペンをテーブルに拡げ特に美味しかった料理を書き留めていくーー「フィレンツェ風ミートソースのラヴィオリ・ヌーディ」「ツナと白インゲン豆のサラダ」「アーティチョークのオムレツ」……そしてリストランテの名前も忘れずに書き添える。来年もイタリアにこれたらリピートは必須だ。
「おっ」
それを見て対面して座るミスタ君が短く声を上げた。彼に見やすいように手帳の向きを180度回してやるとしばらく読み進めた後「こういう味付けが好きなんだな」と面白そうに呟く。
「……ブチャラティ 」
ふと、急にそう声を絞り出したのはミスタ君だった。私が彼の方へ向いてしまったままの手帳を再度見ると1つページを捲っていたようでブチャラティとトリッシュの名前の書かれたページが顕になっていた。
特には何も問題は無い筈だが何か引っかかる点があったのだろうか。ブチャラティと呟いたミスタ君の声色には『書かれていた名前を声に出して読んだだけ』ではないような、なにか他のものが含まれているのがヒシヒシと感じられる。
「3日前ーーサン・カルロ劇場に行ったのか」
「……? ええ そこに書いてある通りブチャラティという男の人が勧めてくれたのよ」
「ふうん……」
片手でつまむようにしてブチャラティの名前が綴られたページを手に取ったミスタ君はなにやら感心したような表情を浮かべている。彼は先程開かれていたページを粗雑に開き直すと、近くに置かれていた私のペンで何かを書き込み始めた。気になり覗き込もうと身を乗り出した私に彼は片手をあげて制すると「明日の予定は? 」と目を伏せたまま確かな声量で問いかけた。
「明日はヴェネツィアで観光する予定だけど……? 」
ミスタ君は私の返答に一度筆を止めると「ヴェネツィア……」と呟き再び筆を走らせる。30秒後ぐらいだろうか彼は満足そうに歯を見せて笑うと手帳とペンを私に差し出した。
そこにはミスタ君おすすめのフィレンツェのお土産、ヴェネツィアの観光スポットや料理が綴られていた。
「フィレンツェの1番のおすすめはドゥオーモ通りのマーブル紙の店かな。 マーブル紙を使ったレターセットとか写真立てなんかがお土産として人気らしい」
「マーブル紙かあ……軽くてかさばらないのがいいわね!ミスタ君 ありがとう」
彼の書いてくれた手帳をもう一度よく見る。私の書く字よりも男らしく崩れた字体に彼の人となりが現れているように思った……もちろん良い意味でだ。
革表紙の手帳を一度撫で、鞄にしまおうとするとふと視界の端にデジカメの入ったソフトケースが目に止まった。持ち上げてよく見ると某アニメのサッカー少年がボールを小脇に抱えてドヤ顔をきめている。私はそれを見てハッとするとスーツケースを少しだけ開けて目当ての品を1つだけ引き抜いた。
「ミスタ君! ミスタ君ってサッカー好きなんだよね? 」
「へ? もちろん好きだぜ! イタリア男はみんなサッカー好きなんだぜ」
「じゃあこれあげちゃう! 」
そう言って私が勢いよくミスタ君のもとに差し出したのは背番号10番を付けたサッカー少年のストラップ。1拍間を置いたミスタ君は「あーー!」と叫んだ後「このアニメ イタリアでも放送されてるんだぜーッ」と興奮気味に続ける。
「気に入ってくれたみたいでよかった!今日のお礼よ」
「マジっすかーッ!? いやあウレシーなァ」
小さなストラップを両手で大切そうに持つミスタ君はまるで少年のようでとても愛らしい。彼の仕草に一度目を細めた私は極自然な動作で店内の壁掛け時計に目を向けて……それを見開いた。
「あ……! ミスタ君 バスに乗り遅れちゃうわよ! 時計 見て! 」
「おっ マジだ 。走んねーと間に合わないだろうなあ」
「ミスタ君? ゆっくりしてないで早くお会計済ませて駅前のバスターミナルに行かなくっちゃ駄目でしょう!」
音を立てて席を立った私と対照的にミスタ君はどっしりとした態度で椅子にふんぞり返っている。それでいいのかと思わずズッコケそうになる私に対し、彼は次のバスは「そんな急がなくっても次のバスは20分後だろ〜」と呑気そうに、まるでなんでもない様に呟く。
「そういえば ドルチェがまだだったよな? せっかくフィレンツェまで来たんだ。なんか美味いもんねーかなァ」
私は深くため息をつくと音を立てて席に着いた。鞄を膝の上に適当に置くとすぐさま身を乗り出しミスタ君の見ているメニュー表を覗き込む。
「んもう……私はイチゴのパンナコッタにするわ!決めるのが遅くなってまた乗り遅れるなんて笑えないもの! 」
呆れたようにそう言い放つとミスタ君は店員を呼び付け二人分のパンナコッタをオーダーした。
こうして私のイタリア旅行の4日目が始まった。