地面に這い蹲り、胸部に鈍く響く焼けるような痛みに悶える私を見下ろしたポルポは凍てつく瞳でそう言い放った。
身体中を流れる嫌な汗に強く目を瞑った私は牢屋と通路を繋ぐ唯一の小窓からカラカラと無機質な音を立てて転がってきたソレを手に取ってみる。
これさえ、このバッチさえあれば!私もついにパッショーネの一員として堂々と奴のことを自由に探れるのだ。
「ところできみの処遇だが……ブふぅ〜、「暗殺チーム」にでも行ってもらおうかね」
「ヒットマンチーム……?」
「汚くて危険な立ち回りを要求される日陰の身の者たちで構成されたチームだ。故に、周りの構成員達とはあまり交流の機会はないな」
てっきりここまで紹介してくれたブチャラティのいるチームに配属されるのだとばかり思っていた私は思わずポルポの言葉を聞き返してしまう。……それに、「暗殺」だなんてどうも明るくないチーム名ではないか。いいや、ギャング組織という時点で明るくないのは周知の事実なのだけれど。
「……いいかね?わたしはきみを信頼してバッチを渡した……だがその前にきみには既に我々の仲間を一人殺めているという事実があるのだよ…………つまり冷たい処遇を受けるのは然るべきこと、とは思わんかね?」
「……」
「異論は無いようだな。ブふぅ、暗殺チームのリーダーにはこちらから連絡を入れておこう。きみは……そうだな、今から言う場所へ向かってくれたまえ」
表情に出ていたのだろうか、不満の声をあげるよりも早く口を開いた彼は、有無を言わさぬもの言いで私を牽制した。
それに対して、すっかり納得させられてしまった私は、諦めたようにポルポが淡々と告げた住所を懸命に頭の中で復唱していく。手荷物は検査場に預けてしまっているため、メモを取ることもままならないのだ。
刑務所を出たら、試験を突破出来たことだけでもブチャラティに報告すべきだろうかーー?私は一瞬頭によぎったその考えを即座に切り捨てるとポルポに背を向けて歩き出す。
言えるわけがなかった。
私はこれから、力も持たぬ罪なき両祖父母を蹂躙したスタンド使いの男と同じように誰かを殺めるような仕事に就くのだ。組織にとっての害になるからというだけで、相手がどんなに誰かに愛されているかも考えずに手にかけるような仕事に就かなくてはならないのだ。
「ミイラ取りがミイラになるとはまさにこの事ね……」
刑務所を後にした私はネアポリスの快晴の空を見上げ呟くと胸元のペンダントをぎゅっと握りしめた。
レオーネ、貴方に会うのはまた少し先になるでしょうね。晴れやかな気持ちで貴方とお話をするには私はあまりにも相応しく無い道へ進んでいるんだもの。
「ーーさて、と」
だが、くよくよなんかしていられない。進むと「覚悟」を決めたなら、自分の『選択』を信じられるのなら!今はとにかく組織でポルポの言う通りある程度の信頼を得ることが最優先だろう。
全く土地勘のないこのネアポリスで、私がとりあえず向かったのは観光案内所だった。
ポルポも意地悪な人だーー住所だけ羅列されたところで、ただの日本人観光客だった私には分かるわけもないでしょうに!
Buona giornata Tea break!! SOLE
とある賑やかな大通りを小道に逸れて、ひっそりと佇む古びたテナントビルのような所に「それ」はあった。普通に表通りを歩いているだけじゃあ絶対にたどり着くこともなさそうなその場所はなんだか薄ら寒い感じがする。
「……わ、私だって試験を乗り越えてきたパッショーネの一員なんだ。何を恐れることがあるというのよ……」
ここにたどり着くまでの間、周りからの視線を気にして組のバッチを隠していた私はようやくその鈍く輝くそれをいつものワンピースの襟元に付けてみる。
こ、これで追い返されるってことは無いはずーー私は指定された建物の扉の脇になぜか設けられていた鏡を使って身嗜みを整えていく。ようし、変なところは……ない、ハズ。
「……ぼ、ボンジョルノ!16時頃にポルポを通して連絡をした苗字名前という者よ」
呼び鈴に指をかけ簡潔な自己紹介を述べた私はもうじき返ってくるであろう返事に身を固めていた。しかし、待てども待てども向こうからの返答はないーーまさか、不在なのか?
「ポルポが電話をかけてからすでに一時間近くたっているっていうのに。誰かしらが都合をつけて待ち合わせ場所で待っててくれるってのが道理だと思うのだけれど……」
「ああ全くその通りだ。アイツらは全員常識ってものがなってない……」
「……あ、いいえ、そこまでは言ってないわ。ただ少し心配になってきてーー……え?」
独り言のつもりで呟いた鬱憤からラリーが続いてしまったものだから、私は思わず間抜けな声をあげて振り向いてしまう。
いつの間にか私の背後を取っていたのは軽薄そうな口調で喋る剃り込みの入ったお洒落な坊主頭のイタリア人男性だった。引き締まった身体を惜しみなく啓示するかのようにヘソをみせるコーディネートに身を包んだ彼はガシガシと自身の後頭部を優しく掻くと私の肩に腕を回す。
「名前っつーの?最初に着いたのがオレで良かったなァ。他の奴だったらどんな目に合わされてたか分かったもんじゃねえぜ」
「……つ、つまり貴方は暗殺チームの?」
「ああ、オレの名はホルマジオ。リーダーから連絡は受けてる……新しいメンバーってのはオマエの事だな?」
やけに馴れ馴れしいホルマジオに困惑しつつも改めて自分の名前を名乗れば
「……ニッポン人か?」と怪訝そうな声が帰ってくる。それにドギマギしながらも頷きを返せばああ通りで……と生温かな視線。
「……何が言いたいんです?」
「い、いやあ〜……通りでガキっぽいなって……オマエほんとうに二十歳超えてんの?」
失敬なッ!ーー私はずいっとホルマジオの腕を引き剥がすと先程も使った姿見を見つめる。メイク道具も手元に無いものだから仕方なしにスッピンなのだがそれが災いしているのだろうか。
「……ひっ!」
そんなことを考えていたその時だった。不貞腐れた表情で鏡を覗いていた私の視界にいるはずのない何者かの影が映ったのだ。黒い髪をおさげにした屈強な身体の男ーー私でもホルマジオでもない別の誰か。
「い、「いない」……のに、「いる」……?一体どういうことなの……」
「なんだァ〜?誰かいるのかよ?そこによ〜……」
「いいや……いるようでいないのよ。まるで「鏡の中にだけ存在する」かのように……ってきゃあっ!!」
振り返ってみても私たち以外誰もいないのに、目の前の鏡の中には確かにヤツがいる。鋭い緋色の瞳が私を見つめている気がする。恐怖から後ずさりをはじめたその時だった、不意に鏡の中と現実の壁を超えるように飛び出してきたヤツの腕に私は悲鳴をあげてホルマジオさんにしがみついた。
「お、お、お……オバケ!?信じらんないッ!」
「誰がオバケだってェ?お前はバカか?新人が来るっつーから顔を出してみれば……間抜けな顔でギャーギャー喚きやがってよォ」
「しゃ、喋ってる……ッ!ほ、ホルマジオさん!!喋ってるわよ!?」
「ったく、しょうがねーなぁ〜〜……」
遂には鏡の中から上半身だけを出してこちらに唾を飛ばし始めた男に私は腕にまわした力を更に込める。お化け屋敷だとか肝試しだとかは人並に耐性があるほうだと自負している私でもこれには耐えられない。
「なんにも怖いこたぁねーよ……現実的に考えてみな?オレたちスタンド使いなんだぜ、こういう能力の奴がいたっておかしくはないだろ」
「…………確かにその通りだわ。私ったら何をそんなに怯えていたんだか……」
ホルマジオに背中を数回優しく叩かれた私は目の前の男に向かって手を伸ばしてみる。
これで触れられたら男は生きているということになるし、無理だったのなら……そういうことになる。
そして、ごくりと唾を飲み込んで腕を伸ばした私を待っていたのはパチンと痺れるような痛みーー目の前の男がその大きな手で私の手を弾いたのだ。
「この俺に気安く触ろうとするんじゃあない」
「……なあんだ、生きてるんじゃない。悪趣味な事はやめて欲しいわね、ビックリしたわよ」
「ぷ……くく、悪趣味だとよ……お前のスタンド」
ほっとして、緊張で強ばっていた肩を落とした私の後ろでホルマジオが堪えられないと言ったように笑う。それにいまだ名前も名乗らない鏡の男は苛立った様子を見せながらも、深く追求することなく私に向き直った。
「うるせぇな……まあ、とにかくはやく入れよ。みんなお前らを待ってたんだ」
「……え、みんなってことはもしかして」
「あ〜……どうやら一番遅れてやってきたのはオレだったみてェだな。ホレ、はやく入れ」
再び鏡の世界に消えていった男を見送ったホルマジオに促されドアノブに手をかければ、予想に反してすんなりと開いていく玄関扉。古びた蝶番が奏でる独特の高音に心臓が跳ね上がる。
……この先には「マジ」の人殺しがいる。いいや、この先どころか今私のすぐ後ろで有り付き顔を崩さないこの男も「ソレ」なのだ。
ひとつ深い息をついた私が扉を開けた先に広がる暗がりの細い廊下に、覚悟を決めて一歩踏み出そうとドアノブにかけた手を緩めたその瞬間だった。
「いいか、名前。そのドアノブから手を離すなよ……」
「……ッ!!」
ホルマジオが、私の手をドアノブに押さえつけたのだ。驚いて抵抗しようとするも彼のすぐ傍に「寄り添うようにして立つ」ヴィジョンを前にしてつい二の足を踏んでしまう。この男には、脅しではなく抵抗されれば「やる」覚悟がある感じがするッ!
「正直なところオレたちはお前の参入を快く思っていない……何故だか分かるか?言っておくがお前が外国人だからとかそういう「くだらない事」じゃあねえ……もっと大事な事だ」
「だ、だいじな事……?」
「オレたちは今まさに正念場なんだ……そこに何処の馬の骨かも分からねえ女を寄越してくるなんて「組織からの牽制」だとしか思えねえだろ」
「……何を言っているのか分からない、私にどうしろというのよ」
「ま、とりあえず今は多くのことは望んでねえよ。ただお前はあの時のようにーーフィガロを殺した時のように力をふるえばいい」
私の問いに、ホルマジオが耳打ちした次の刹那ーードアノブにかけていた手のひらに何かが刺さり、そして身体に侵入していく感覚が走る。
恐る恐る視線を自身の右腕に向けると、まるで浮かび上がった血管のように右手から侵入してきた何かが皮膚を少し隆起させている。
「は……?」
「ソレは着実にお前の心臓へと移動している……早くしないと死ぬぜ。早くこの針と糸をなんとかしなくちゃあな……」
私を押さえつけていた手を離したホルマジオは一歩下がったところでこちらを凍てつく眼差しで見つめている。逃亡はさせないつもりらしい、今も尚、彼の隣には構えをとったヴィジョンがある。つまり進めるのはこの薄暗い廊下の先だけだ。
そう思っていたつかの間、グイグイと身体に侵入した糸がツッパるような感覚に私は目を剥く。先が見えぬこの建物の奥に向かって引っ張られているかのようなーー。
「勘違いではないッ!確かに引っ張られているッ!奥だ!この建物の奥に本体がいるッ!暗殺チームの誰かが私を攻撃しているのだわ!」
そう自覚した直後、私の身体が一瞬宙に浮く。右腕を支点に、まるで餌にかかった哀れなサカナのように建物の内部へと引き摺られていく。
スタンド攻撃だからなんでもありなのであろう、壁などの障害物を透過してこちらに伸びる糸はただ真っ直ぐと私を引っ掻き回す。その度廊下の荷物や、他の部屋とを繋ぐ扉などと激突して強打した箇所は酷く熱を帯びている。
「……や、やってやろうじゃないッ!私の何が気に入らないんだか知らないけどあんたらの意地の悪い試験を突破して認められればいいのよね?上等よ!コズミック・トラベル!」
一寸先にはコンクリートの壁が迫り、流石にマズいと朦朧する意識で判断した私は散々な目に遭わされた憤りと共に自身の分身の名を呼ぶ。
もの言わぬ彼女とはまだ一日程度の仲であったが、確かに彼女の力を、自分の力を私は信頼していた。
勢いそのまま壁に激突しそうになった所で自身の体を泡立てて針を外した私は地面に着地する。皮膚の上からでは分かりづらかったが、どうやら釣り糸と釣り針のデザインのスタンドのようだ……深い角度の「かえし」がついているからあんなに引っ掻き回されても身体から糸が抜けなかったのだ。
「ふん、逃したサカナは大きいわよ」
私に逃げられ、空中を彷徨う釣り糸に触れぬよう悟られぬよう物音を立てず歩き出した私は本体がいるという部屋を目指す。いくらテナントビルをそのまま利用しているとしても所詮は一建物だ、大体の目処は付くし私を逃した瞬間の釣り糸の動きから大体の方向は分かる。
試験の突破を予見して頬を弛めた私が目当ての部屋にたどり着くための角を曲がったその時だった。目の前に現れた二度と忘れないであろう男の姿に私は足を止める。
ほんの数日前、共に楽しい思い出を作り、そして私に憎しみを与え、苦難の道へと進む切っ掛けを与えた男。黒に近い紺の生地に、ヘリンボーン柄がよく映えるスーツスタイルのその男は、プラチナブロンドの髪を括っている。
「よォ、元気そうだな。名前」
「プロシュート……」
「……どうやら少し、生意気にもなったらしいがな」
目を伏せてポケットに手を入れたプロシュートに私は眉を顰める。
釣り針のスタンド使いは彼では無いのだろうか、いいやそれよりも何故ここにこの男がいるのか。まさか、残りの二人もここにいるという訳ではあるまいな。
「あの締まりのなかった顔がこんなんになっちまった理由は知らないがこの数日で随分と派手にやったらしいな。」
「ええ……おかげさまで」
一歩、意味もなく後退し距離をとった私はコズミック・トラベルを傍寄せる。銃もナイフも持っていない私が持つ唯一の防衛手段はこれしかない。プロシュートも暗殺チームの一員ならばホルマジオの言う通り私の入隊を快く思っていないのは明らかだ。
「……確認だがオレらがサルディニア島で会った時、お前はスタンド使いでは無かった筈だな?」
「……まあ、そうね」
「……つまりこの数日間でお前は突然スタンド使いになり、組織の人間を殺し、ポルポの入団試験を受けたという事か?」
「ええそうよ。それが事実」
「なぜ組織に入団した?お前はただの観光客としてイタリアに来ていた筈だ」
「言葉を返すようだけどこちらも同じ気持ちよ……まさか貴方がパッショーネの一員だったとはね。一体なんの為にサルディニア島にいたのかしら」
プロシュートからの問い全てにつっけんどんな態度で返せばどんどん彼の眉間の皺は深く刻まれていく。そしてただの問答では埒が明かないと判断したのか奴は、着々と私との距離を詰めると突然右手首を掴みひねりあげた。
「ああうぅッ!!くぅっ!」
「……こんな面倒な事になるならあの時殺しちまえば良かったか?」
「っは……な、なんですって……ッ」
その動きには一切の迷いは無かった。私のことを、まるで顔見知り程度だとも思っていないようなそんな冷たい行動だった。
それがなんだかやけに腹立たしくてーーあんなにも葛藤し悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてしまってーー。
「ナマ言ってんじゃあないわよッ!この野郎がーーッ!!」
幼少期にお気に入りの玩具を壊された時よりも、先日レオーネの気持ちに気づかず逆上した時よりも!ずっと!自身の心を支配した憎悪の感情に身を任せ体を突き動かす。自由な左手がすかさず伸びた先はがら空きのプロシュートの首元だ。
「殺してやる……っ!ブッ殺してやるわプロシュート!貴方がその気ならーー」
しかし次の瞬間、その先に紡ごうとしていた言葉は代わりに血反吐となって溢れ出た。
そしてすぐに理解するーー再び私の身体に侵入したこれは釣り針のスタンドだ!暗殺チームと呼ばれる者達のスタンドがこんな簡単に出し抜けるはずが無いとは頭のどこかで分かっていた筈なのに、余裕のない頭は勝手に既に勝利したと思い込んでいたのだ!
「……グッ、グウウウッ」
「ハン、さっきまでの威勢はどうした?」
歪に開かれた私の左手が空気を掴むのを嘲笑うプロシュートに憤怒を通り越しもはや心がぐんと冷えていく。
確かに私は未熟でまだまだスタンドバトルにも不慣れだ。それどころか本気でなんの力加減もなく暴力を振るう事だってまだ出来ない。
「私は今ッ!明確な殺意を持って貴方を殺す!!これは『絶対』だわッ!フィガロの時のように偶然でもなんでもなく貴方を殺すと決めたから殺すのよ!!」
けれどーーこいつは、サルディニアで祖父母を屠った三人のギャングだけは絶対に許さないッ!躊躇はしない!
私は心に蔓延っていた躊躇いをかき消すように宣言すると自分の身体へと伸びた白い糸をスタンドの手で掴んだ。
(その為にもまずは!この釣り針と糸のスタンドをやっつける!!)
単純な動作しか行えない自動操縦型スタンドが特殊なだけで大体のスタンドは受けたダメージが本体にもフィードバックするというのはポルポのスタンドとの戦いで把握済みだ。
ならばこの見えないところから標的に針を通すなんていう精密な動作が出来るスタンドは必ず操縦者の本体と精神が繋がっている筈なのだ!つまりこの糸に攻撃を喰らわせればーー。
「掻き回せ!コズミック・トラベルーー……え」
しかし次の瞬間、私の目論見とは打って変わって泡立てられ、身体が崩れていったのは『私』だった。私は確かに糸に触れていたのに!コズミック・トラベルは私には触れていない筈だのに。
「……な、なんで……どうして……!攻撃が返ってきた……!?」
勢いよく床に叩きつけられる前に再び自分の身体を再形成した私は焦りから顔中に浮かぶ脂汗を拭うことも出来ず独り言ちる。
ああせめてこの釣り針と糸のスタンドがプロシュートのものなら良かったのにーー自身の半径1メートルより外でこちらを冷たく見下ろすプラチナブロンドの髪の男の端麗な顔を睨み付けた私はごくりと唾を飲み込んだ。
(プロシュートは未だスタンドを繰り出していない!私の入隊を良しとしていない暗殺チームの彼等は出来るだけ自分達の情報は明かさず、私のスタンド能力のすべてを暴こうとしているのだわ!)
それでも分かったことがないわけではない。
私の胸に刺さったこのスタンドの本体はいまだ皆目見当つかないがこのスタンドの能力のひとつは「カウンター」だ。釣り糸を切断しようとした者の攻撃をそのまま反射させる能力があると判断できる。射程距離も建物の入口からここまでと、それなりの長さがあると考えていい筈だ。
こんな経験の浅い自分でもそう結論付ける事が出来たのはジョルノのゴールド・エクスペリエンスの能力の片鱗を見た事があるからだろう。つくづく彼と過ごした時間は無駄にならないーー私は不用意に頭をよぎった得意げな美少年の姿を振り払うと再び目の前の窮地を切り抜ける方法を模索し始めた。
「射程は1メートル未満の近距離スピード型といったところか……能力は手で触れたものを泡立てホイップクリーム状にするとみた」
「は……」
「フィガロの死体の異常さは確かにこれで説明がつくな。ハッ、スタンドまで食いモン関係とはつくづく意地汚い女だぜ……おいリゾット!こんなモンだろ」
しかしスタンドの解析を終えていたのは己の方だけではなくーーあの一瞬のやり取りで私のスタンド能力の概要を掴んだプロシュートは全く笑えない戯言を吐き捨てると1人の男性の名前を呼んだ。
信じたくはなかったがやはりそうだった。プロシュートがいるのなら必然的に一緒に行動していたあの男がいるのもおかしなことではない!
「ああ十分だ……こいつの行動、言動、スタンドの動き全て見ていたがほぼお前の推測通りだろう。スタンドが発現したのもつい先日の事で間違いなさそうだ」
「!……」
「そしてこの女は組織からの使者では無いと確信した……こいつはホルマジオの言葉にマジに困惑し苛立ちを募らせていた。そもそも組織がオレたちのチームを監視するために送り込むのならばもっと優秀な人間を送り込むだろうからな……」
そして背後の暗がりから現れた巨漢に私は思わず固唾を飲む。何時から後ろにーーいいやそもそもホルマジオとのやり取りを見聞きしていたという事は初めから監視されていたというのか。
スタンド初心者の自分と彼等との圧倒的な力の差に最早辟易としてきた。私は全力で、それも殺人も厭わぬ覚悟で飛び込んだというのに。
「だが……スタンドを得てからたったの2日ほどで随分と戦い慣れをしているようだな。ビーチ・ボーイの糸の反射を即座に理解し反応しただろう。その成長速度……すこし興味があるぞ……」
「……?」
「……歓迎しよう。オレたちのチームへ」
しかし次の刹那、座り込んだままの自身に不意に差し出されたリゾットの大きな手に私は酷く動揺した。驚きに見開いた私の目と彼の瞳がかち合う。
この差し出された手を躊躇いもなく掴み泡立てればリゾットだけは確実に殺れる。でも、そのほんの数秒後には私もしかばねと化しているのは想像に固くない。
そもそもこの手こそが罠で掴んだ私を絶命させるつもりかも分からない。
(私はーー……)
一抹の静寂の後、ゆっくりと立ち上がった私はいつもより重たい右腕を持ち上げ、差し出された大きな手と己の手を交わした。酷く乾燥していて、それでいてすごくがっしりとした骨ばった手はほんのりと温かい。
「ありがとうございます……貴方達の力になれるよう努力致します」
私は心中を悟られぬ様に努めながらそう言うとリゾットの手を優しく解く。
これは決して「敗北」ではない!今はまだその時では無いだけだ、しっかりと機会を伺うのだ。私の能力があれば必ず「仇敵」を見つけ出し殺すことが出来るのだからッ!
「それではチームのメンバーを紹介しよう……オレに着いてこい」
そう言うなり建物の奥へと歩いていくリゾットの背中から視線を外した私は壁にもたれてこちらの動向を探るプロシュートを見つめる。
恐らく私がおかしな行動をしないか監視する為に後ろから着いてくるつもりなのだろう。
「……オイどうした。早く行け」
「ええ……でもその前に貴方には言っておきたいことがあるから」
1歩、2歩……パンプスの音を殺しプロシュートの元へ距離を詰めた私は正面からヤツを見据える。徐々に近付いて行くたびにピリピリと緊張感が増す空気に彼が警戒しているのだと判断した私は己の射程距離外で立ち止まった。
「さっき言った事はハッタリじゃあないわ……それだけは覚えておいて頂戴。いつか絶対にブッ殺してやるんだから」
奴には負け犬の遠吠えの様に酷く惨めなモノに聞こえただろうか、いいやそれでもーーコイツには言っておかなくてはならないと思った。
例えプロシュートが祖父母を殺した「老化させるスタンド使い」ではなくてもあの場に居たという事実は変わらない。祖父母の死を知った上で私にあんな事を言い放った事実も忘れてやることなど出来ない。
「……それだけよ。もう行くわ」
「名前」
それは、宣戦布告を済ませ踵を返した私の背中に奴の冷たい声がぶつかったと思った刹那の事だった。
後ろから肩を掴まれ力任せに壁に叩きつけられた私は咄嗟の事に反応が遅れ受け身も取れず痛みに小さな呻き声をあげる。
不味ったかーーと力を込め臨戦態勢に移ろうとする両腕をプロシュートは瞬時に片手で押さえ込むと私の頭上で壁に縫い止めた。奴の左手でギリギリと一纏めに掴まれた手首の先では惨めに私の指が忙しなく動く。
少しでも奴に触れられれば今すぐにでも殺れるのに、この場所からではギリギリ届かない!このままでは殺されるーー……。
「『ブッ殺す』『ブッ殺す』ってよォ〜……てめーさっきからどういうつもりだ」
「な……」
絶体絶命を悟り、若干血の気が失せていた私はプロシュートが発した思わぬ言葉達に思わず気の抜けた声を上げた。
そして次の瞬間私は再び青ざめる。なんと奴は咎めるようにこちらに顔を近づけると無理やり目線を合わせるために私の顎に手を添えて持ち上げて見せたのだ。
ほぼゼロ距離でかち合う仇敵の透き通るブルーとほんのり香るオーデコロンの甘美な匂い。 憎悪と戸惑いとほんの少しの場違いな高鳴りに本能的に逃げ腰になってしまう。
「オイ、何逃げようとしてやがる……」
「ひっ、い、いや……そんな事……ない」
そしてすぐにそんな私に気がついたのだろうプロシュートが逃がさないとでも言うようにすかさず私の足の間にその太ももを押し付ける。パンツスタイルであれば簡単に跨いで抜け出せたかもしれないが今日の私はいつものワンピースコーデだ。
デジャヴを覚える問いかけとさらに深まる密着感に身体はびくりと跳ね、更に情けない悲鳴をあげた私の青ざめた顔色を無視して奴は続ける。
「いいか、オレたちチームの世界にはな……そんな弱虫の使う言葉はねーんだぜ。なぜならオレやオレたちの仲間はその言葉を頭に思い浮かべた時には!実際に相手を殺っちまってもう既に終わってるからだ。名前、オメーもそうなるよなァ〜〜オレたちの仲間になるんだからよ〜〜」
「う、うぅ……」
「おい、その辺にしといてやれよォ〜」
その時、プロシュートに一方的に捲し立てられ、段々と小さくなる私に助け舟を出してくれたのはこちらをからかうような笑みを浮かべたホルマジオだった。
いつの間に玄関から戻ってきていたんだーーと目を丸くして彼を見つめる私に倣って振り返ったプロシュートは舌を鳴らして拘束を解く。
「……『ブッ殺した』なら使ってもいい!」
「ホレホレ、早く行こうぜ」
そんな隙を逃さず、瞬時にホルマジオの隣に逃げ込んだ私を指さしそう告げたプロシュートに無意識のうちに唇を噛む。
圧倒的過ぎる、身のこなしひとつ取ってもなんて自分は非力なんだーー再びそう打ちのめされると共に一層高まった復讐心に私は息をついた。
今はただ……じわりと燃える「情熱」のようなネアポリスの太陽が届かぬこの場所で、己の信じる進むべき道を違わぬように歩く事しか出来ない。
肩を叩き、先を行くように促すホルマジオに従い歩き出した私は先の見えない暗闇への恐怖に立ち向かうようにグッと表情を引き締めた。